3日目、ラヴァン伯爵夫人の陰謀
ラヴァン伯爵が倒れた。
すぐさま医者が呼ばれて伯爵は一命を取り留めたが、言語能力が低下して手足に強い麻痺が残って寝たきりとなってしまった。
後継者とされていたルイディルは11歳。王国では爵位の継承は成人年齢からと規定されているために、まだ伯爵位を継げる年齢ではなかった。
それ故にラヴァン伯爵に代わって夫人が伯爵代理となり、伯爵領を治めることが決定した。
「ルイディル、あなたを生家に戻すことになりました。あなたの廃嫡届けは終わっていますので、明日家に帰りなさい」
ラヴァン伯爵の寝室で、夫人がルイディルに告げた。夫人の後ろには護衛や使用人たちが並んでいる。
「そんな! どうして!?」
「どうして? あなた、ラヴァン伯爵家の正式な血筋である姉たちを軽んじてきたわよね。勉強もしなかった。幼いからと大目に見てきましたが、あなたは努力もせず遊ぶばかり。優秀でもなく、正嫡の血筋でもない。それならば正嫡の血であるステラとルーナがラヴァン伯爵家を継ぐのが正統の系統というものです」
「僕は父上の息子だ!」
短気なルイディルは逆上して夫人を蹴ろうとするが、たちまち夫人の護衛に押さえつけられた。
「ええ、庶子ね。でも王国では庶子に継承権はない。だから夫はあなたをまず遠縁の養子として、それからラヴァン伯爵家の養子とした。狡猾なことね。けれども、そもそも継承権は正嫡のステラとルーナのものだったのよ。それからあなたの生家へのお手当も取り止めです、もう夫には愛人が必要ありませんからね」
「ヴ、ヴヴヴッ、ヴッ!」
ベッドの上でラヴァン伯爵が藻掻く。蛇が毒を吐くみたいな語勢で呻くが、言葉となっていない。
「ほら。夫も賛成なのかしらね? 必死に身体を動かしているわ。夫が肌身はなさず保管していた当主印も、今はわたくしのもの。あなたが次期伯爵として相応しければ考慮したのに。あなたの性格も能力も無価値以下だった」
パンッ、と夫人が手を叩く。
「ルイディルを部屋に連れて行って。よかったわね、ルイディル。明日には母親と会えるわよ。平民となっても読み書きと簡単な計算ができるのだから、きちんと働いて親孝行をしなさいね」
「クソババァ! 僕が伯爵になるんだっ!!」
ルイディルは髪の毛を乱して暴れるが、護衛に拘束されて部屋から引きずり出される。
「いいえ、ステラとルーナがラヴァン伯爵家を継ぐのよ」
夫人が口の中で呟いた言葉は誰にも聴こえなかった。ラヴァン伯爵の度重なる不誠実な行為により、夫人の愛情は枯渇していた。いや、もはや伯爵を憎悪している域に達していた。
伯爵と夫人は政略結婚である。
両家の血を所有する者が男子であろうと女子であろうとラヴァン伯爵を継承する、という契約の基本条件を伯爵は破った。王国では女子にも継承権はあるというのに。
夫人の生家は、ラヴァン伯爵の隣領のマリゼ伯爵家である。
同じ伯爵家でも、ラヴァン伯爵家の方が財力も家格も圧倒的に上位だった。それを盾にラヴァン伯爵はルイディルを問答無用で養子にしたのだ。
夫人の行動の背後には、家名の名誉を虚仮にされたマリゼ伯爵家の怨念めいた思惑が存在していた。その証拠にたった1日でラヴァン伯爵家の主は、伯爵本人から夫人へと入れ替わってしまったのだ。マリゼ伯爵家には縁戚者が多く、多数の高級官吏や上位神官を輩出していた。逆にラヴァン伯爵家には縁戚者が少なく、伯爵の独裁的支配体制であったこともマリゼ伯爵家には狙い目であった。何年もかけてマリゼ伯爵によって下準備も根回しも密やかに整えられていたのである。
「ステラとルーナに似つかわしい結婚相手であれば伯爵を許すこともできたのに。もう我慢の限界だわ、ステラとルーナから後継者の地位を奪っただけではなく不幸な結婚を強いた伯爵には。即効性ではなく、少量ずつの蓄積する薬であったから上手く調節ができなかったわ。せめてステラが結婚をする前に薬が効いてくれていれば……」
ジャンジャンジャン!
「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 『とある侯爵家の白い結婚』の3日目だよ〜!」
弁士が弦楽器を弾き鳴らす。
人気が右肩上がりとなっている『とある侯爵家の白い結婚』なので人々が急ぎ足で集まってくる。
「なんと、なんと! レリーヌの父親が倒れたんだ〜。生家の一大事なのに侯爵のデルグトスはレリーヌが部屋から出ることを許さないんだ〜。魚のアラや野菜の切れ端に等しい生ゴミみたいな男だよね~」
「追い返せっ!」
デルグトス役の俳優が怒鳴る。
「しかしデルグトス様。レリーヌ様の生家からの急使にございます。理由もなく玄関払いはできません」
執事の言葉にデルグトスは苛々と肩を怒らせた。
「面倒な! レリーヌとの白い結婚は両家で了承済みだが、監禁はちとマズかった。告げ口をされても俺は侯爵だ、たかが伯爵家に文句など言わせん。だが、それを理由にして伯爵家に戻られるのは体面が悪い。レリーヌは体調を崩して臥せっていると言って退けろ。レリーヌと伯爵家を接触させるな、父親の見舞いなんて論外だ」
デルグトスが唇を不快げに歪ませた。
「レリーヌの持参金を取り上げたことも不利だな。失敗した、分が悪い」
王国では持参金は妻の個人財産である。婚家での冷遇や婚家の没落などの危急の事態に際して、妻が救われるための財産なのだ。なので夫は法律で関与できないと定められているし、持参金を奪うことも禁止されている。
「クソが! ラヴァン伯爵はレリーヌを自由に扱っても大丈夫だと言っていたくせに倒れるなんて。夫人の方はこの結婚に反対していたから、絶対に抗議してくるだろう。都合のいい妻だと思ったのに、結婚早々に厄介事を!」
「ひでぇ!!」
観客たちが声を張り上げた。
「父親が瀕死だっていうのに!」
「一目あわせてやろうと思わないのかよ!」
「人間の温かい血が流れていないのか!?」
「自分に不都合だからって!」
「持参金のことも酷くないか!?」
「だよなぁ! 持参金は妻のものじゃんよ!」
「……なぁ、あそこの侯爵ってヤバくね?」
「……俺、上司に報告するよ。俺が務める商会は小規模だから上位貴族とは取り引きはないけど。俺の商会の商売先である大手は上位貴族と取り引きがあるし」
「……俺も親方に話す。親方は大きな商会に品物を納めているし」
安い寸劇の観客は庶民が多い。
貴族や金持ちやそれらに属する特権階級ではなく、人口の多数を占める一般民衆である。社会階級の下流に位置する人々にとって、上流階級の人間は別世界に住んでおり日常においては関わりなどはない。
しかし。
直接にはなくとも。
水面に投げ入れられた小石が波紋を作るように。
波紋は波紋を作り、ざわりと噂が立ち始めた侯爵家であった。
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