第10話「公開反証」
[Hearing] 英雄壇の隣で/[BellSpec] 鐘の規格と条項六/[Reveal] 弓の可視化と“功績”の帰属
王都の大鐘が、空を割るように一度鳴った。
音の輪が石畳を舐め、柱廊の影を震わせ、観客の呼吸をひとつ整列させる。
震度計の透明糸が、3の目盛りにかすかに触れて戻る。人の揺れ。弦は張られたまま、まだ離れていない。
司会が場を戻すように声を張った。
「では、英雄伝達の第一項——勇者ヴァルド殿による“辺境政策”の発案経緯について」
英雄壇の上でヴァルドが一歩進み、完璧な角度で笑った。
銀の留め具が光り、声は晴れやかだ。
「王都の安全は辺境の安定から。だから我々は“支援政策”として衛生と街道と共同監査を——」
「【2-0】ChangeLog提示」
俺はSpec-Boardを軽く叩き、番号を上げた。
板面に〈旧仕様→現仕様〉の差分、適用日と署名、共同監査の印影、地方標準 v1.0の条項が時系列で現れる。
観客の視線が、英雄壇とボードの二点を行き来し始める。
弦の匂いが、遠くの庇の陰でわずかに濃くなった。
「【2-3】公開照合:偽様式“徴税 v2.2(偽)”→照合破棄。王都監査局 記録番号はこちら」
セィラが淡々と番号を読み上げ、書記官が頷く。
証拠が、“声”から“番号”へ落ち、床に固定される。
ヴァルドの笑みが、固定の角度で微かに軋む。
「発案の帰属は【3-1】“地方標準 v1.0”の草案起草者欄を」
ボードの隅に、起草:ミナ=ロウ/監査補助:リオが光り、セィラの署名が重なって見える。
英雄壇の幕の内側で紙がさやり、司会が一瞬だけ言葉を探した。
「……では、功績配分の議題は後段へ回し、まず“手段”の可視化について、説明を——」
「【6-0】条項六:可視化の優先。——先に、鐘を」
俺はSpec-Boardの下段を開き、BellSpec(鐘の規格)草案を掲げた。
城中の視線が、意外にも真面目に集まる。
鐘は王都の血流だ。合図の規格は、王宮の骨に関わる。
《BellSpec v0.9(草案)》
・一打=水、二打=風、三打=獣(王都標準に合わせ)
・公開補助:鐘楼足元に震度板(透明糸/目盛り)を設置
・耳印:鐘室内に微音(位相確認)
・ChangeLog:鐘の“意味変更”は公開掲示→共同監査で承認
・舞台時:鐘一打=議題転換、二打=可視化補助の投入、三打=危険の公開宣言
ざわめきが、意味を覚える速度で広がる。
セィラが短く、壇の端の小鐘を鳴らした——二打。
震度板の糸が微かに光り、耳印音が鐘室の方角から薄く返る。
舞台でも、規格は同じだというデモンストレーション。
「舞台の場にも、見える安全を持ち込む。——そのために次を」
俺は透明板の前へ出て、わずかに体の向きを変えた。
庇の陰、弦。
3まで上がりきらない、“観測”のための張り。
撃たないのなら、——見えるままに、置く。
「弓の可視化を行う。攻撃ではない。可視だ」
セィラの視線が一瞬だけ問うて、俺は頷く。
胸の奥に浅く指をかけ、匂いのパラメータに一滴だけ触れる。
〈一時可視:“弦油トレース”〉
〈効果:弦に使われる乾性油の微粒を薄光で縁取り(可視は誰にでも)〉
〈持続:90秒/コスト:寿命 0.4 日〉
空気の中に、細い線が二本、庇から伸びた。
観客にも、見える。
息が止まる音、衣擦れ、鎧の金具の微かな鳴り——弦の線は、離れていない。
護衛が動く。公開でだ。剣を抜かず、透明板の内側に立つ。
「震度が3を越えた場合、鐘三打で“危険の公開宣言”。護衛は透明板の外から中へ入らない。中は“安全”に規格化する」
俺は境界を指差し、線の内側に白の目印を置いた。
敵も、見える。
撃てば、記録に残る。
撃たなければ、観測が続く。
どちらに転んでも、可視化が勝つ。
庇の陰で、線がふっと薄くなった。
観測の張りは、離れた。
鐘は鳴らさない。
場が、すこし息をした。
◇
「続けよう」
司会の声は、さっきより低かった。
恐れが、手順に変換されている。
ミナが前へ出て、声を通す。
「功績の話に戻る。
裏方の定義は、【1-2】の通り。だが、本件の衛生と街道と共同監査は、“戦功の前提”に該当。よって——」
「【4-0】共同監査の運用実績。当番表、留守番仕様 v1.0、夜孔、二重焼き壺 v1.0。
ChangeLog番号付きで、誰がいつ何をしたか」
Spec-Boardに写真ではなく図と筆跡が載る。
嘘をつくには、手が多すぎる。
星印のアサが、王都の床に小さな耳印をチョンと描き——司会が、思わず笑った。
「……耳印とは?」
「音で見る標。鐘の規格に入れてもいい」
セィラが即答し、BellSpecの欄に“耳印の共通記号”を追記する。
記録域の扉が、薄く温かい。
紅茶の香りが、近い。
俺はChangeLogの端に“BellSpec v1.0 草案”と書き足した。
「勇者ヴァルド殿。あなたの“支援政策”である証拠を」
司会が問いかける。
ヴァルドは笑みを崩さず、紙を掲げた。
台帳の写し、印、署名。
「王都の台帳に記された計画と実施。——政策の枠を作ったのは我々だ」
「【ナンバー外】枠は中身ではない」
俺は静かに言った。
Spec-Boardの角で、条項六を叩く。
「可視化の条項に基づき、枠だけの功績帰属を否認する。中身が見えるように話す。
王都の利益は“中身が続く”ことにある」
観客の中で、商人風の男が頷く。
採算で考えれば、続く仕様が勝つ。
枠は看板にすぎない。
看板は必要だが、それ単体では功績にならない。
「功績配分案を出す」
セィラが前に出た。
監査局の声は、盤面を整える。
《功績配分 提案 v0.9》
・王都(政策枠・資金配分・監査):30
・領主代理(現場運用):30
・共同監査(村人・星印班含む):30
・勇者一行(護衛・救通時の武功):10
※“戦功の前提”に該当する衛生・街道・監査は中身へ配点。枠のみの配点は薄く。
数字が、ざわめきを飲み込む。
誰かの勝ち負けではない。
続き方の配分だ。
ヴァルドの頬の筋肉が、その配点を飲み込めるかどうかを、わずかに語った。
「異議あり」
背後から声。
——エルネスト。
鼠色の外套、鷹の目。
彼は一歩だけ前に出て、紙を掲げる。
「地方標準 v1.0は、王都の採用があって初めて“中身”になる。採用という“枠”を作ったのは王都——つまり、勇者の政治力も功績だ」
「【3-2】採用条件は“可視化と共同監査の継続”。
採用後、王都は“基準香の支給”など中身に入っている。だから30。
勇者の政治力が可視化へ貢献した数字は?」
エルネストは沈黙した。
セィラが代わりに、BellSpecの小鐘を軽く一打——議題転換。
場が、規格で回る。
◇
弦は沈黙のまま。
震度は1を行き来し、3には乗らない。
観測。
ならば、公開反証のもう一枚を出す。
「英雄譚の言葉を、仕様に寄せる。英雄伝達 v4.1(草案)」
Spec-Boardに新たな欄を開く。
《英雄伝達 v4.1(草案)》
・“英雄”の定義:戦闘のみ→前提を構築した者を含む
・“功績”の記載:台帳(番号・要約)+公開板(全文・図・手順)
・“裏方”の定義見直し:不可視の労→可視化済みの労は記名対象
・子ども代表(星印)による手順証言枠を常設
・鐘の役割:議題転換/可視化投入/危険公開——舞台でも同一規格
星印のベンが勇気を出して前へ出て、囮の“戻れる構造”を、王都の石畳の上で簡易に示した。
アサが耳印を壇の縁に描き、鐘の微音を“聞く”しぐさをゆっくり見せた。
観客の母親の眉間の皺が、もう一度、ほどける。
「勇者ヴァルド殿」
ミナの声が澄む。
彼女は真っ直ぐに、隣から呼びかけた。
「あなたが表で剣を振るう間、裏で道を動くようにした者たちがいる。
——隣に立つ。奪わない。並べる。記録する。
英雄が総和であるなら、ここで書き換えましょう。公開で」
ヴァルドはわずかに顎を上げ、笑みを持ち直した。
肖像用の笑みではない、肉の入った笑い方。
彼は司会に目で合図し、ゆっくり言った。
「——異議は、ない。
総和の英雄に異議はない。
ただし、剣の場では、剣が英雄であることも忘れないでほしい」
弦の匂いが、ほぼ完全に消えた。
庇の陰にいた他は、“撃つ舞台ではない”と判断したらしい。
透明板の震度は0へ落ち、鐘の耳印が薄く鳴った。
セィラがBellSpecの欄に署名し、司会が英雄伝達 v4.1(草案)に検討印を押す。
ChangeLogの末尾に、薄く新行が沈む。
・英雄伝達 v4.1(草案):公開可視化の導入/前提の構築者を記載対象に
王都の空気が、ゆっくりと、仕様に寄っていく。
拍手は散発的で、やがて連なる。
派手ではない。
でも——続く音だ。
◇
終わりの鐘が鳴る前、司会が最後に問うた。
「デバッガー、リオ。——あなたの代償について、記名しますか」
胸の奥で、薄いノイズが転がる。
紅茶の香りは、近い。
記録域は、中立。
代償は、記名すべきか。
俺は少しだけ目を閉じ、そして開いた。
「条項五。代償は修正者の裁量。強制徴収は禁ずる。
——記名は、しない。
ただ、可視化は、する。俺が払うから、払ったという仕様だけを残す」
セィラが頷き、ミナが短く息を吐いた。
星印の二人は、俺の袖を小さくつまんで離した。
鐘が一打。
議題転換。
司会が締めの文を述べ、英雄壇の布が風でわずかに揺れた。
公開反証は、仕様で終わった。
◇
閉式後。
広場の隅で、エルネストが俺の横に来た。
彼の目は、やはり採算を計る目だ。
声は低く、乾いている。
「総和は、たしかに採算がいい。
——だが、採算の外から“仕様”を崩しに来る者がいる」
「他だ」
「そう。他は、“仕様を嫌う意志**”そのものだ。
君は公開に寄せすぎる。闇も仕様の一部だ」
「闇を隠すための闇は、仕様じゃない。
闇を見えるように縁取るのが、仕様だ」
エルネストは笑わなかった。
ただ、「覚えておけ」とだけ言って去った。
彼はたぶん、敵ではない。
けれど、味方でもない。
仕様の側にいるだけだ。
ヴァルドは遠くからこちらを見た。
笑って、手を挙げた。
肖像用の手の挙げ方。
——それでも、挙げた。
彼もまた、総和の物語に記名されたのだ。
セィラが肩を回し、「BellSpec v1.0を押し上げる」と言い、ミナが「王都の水路に耳印を」と返す。
星印の二人は、携帯窯の小さなパンを差し出した。
基準香が、王都の中庭で細く上がる。
紅茶の香りが、すぐ近くまで来て——
誰かの手が、透明の縁でそっと止めた。
記録者は、まだ浅層にいる。
深層は、——他と同じ高さにある。
俺は胸の奥で、今日のセッションを閉じた。
〈セッション終了:王都 公開反証/英雄伝達 v4.1 草案 提示/BellSpec v0.9 合意〉
〈成果:功績配分 v0.9 提案/可視化の枠 常設/弓の可視化 成功〉
〈リスク:他の“仕様嫌い”が深層にて動向/王都水路・鐘系統の古い仕様に脆弱箇所〉
――――
後書き(次回予告)
“隣に立ち、並べ、見えるものから話す”。公開反証は仕様の勝ちで終えました。次回は〈王都水路のログ監査〉と〈BellSpec v1.0〉の押し上げ、そして深層で蠢く“他”の手触りを水路から辿ります。闇は隠すものではなく、縁取って扱うもの——そのやり方を、王都の水で示します。
面白かったらブクマ・★評価・感想で“次の修正の燃料”をください! 次回は〈水路監査〉&〈BellSpec v1.0〉です。