表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/11

第10話「公開反証」

[Hearing] 英雄壇の隣で/[BellSpec] 鐘の規格と条項六/[Reveal] 弓の可視化と“功績”の帰属


 王都の大鐘が、空を割るように一度鳴った。

 音の輪が石畳を舐め、柱廊の影を震わせ、観客の呼吸をひとつ整列させる。

 震度計の透明糸が、3の目盛りにかすかに触れて戻る。人の揺れ。弦は張られたまま、まだ離れていない。


 司会が場を戻すように声を張った。


「では、英雄伝達の第一項——勇者ヴァルド殿による“辺境政策”の発案経緯について」


 英雄壇の上でヴァルドが一歩進み、完璧な角度で笑った。

 銀の留め具が光り、声は晴れやかだ。


「王都の安全は辺境の安定から。だから我々は“支援政策”として衛生と街道と共同監査を——」


「【2-0】ChangeLog提示」


 俺はSpec-Boardを軽く叩き、番号を上げた。

 板面に〈旧仕様→現仕様〉の差分、適用日と署名、共同監査の印影、地方標準 v1.0の条項が時系列で現れる。

 観客の視線が、英雄壇とボードの二点を行き来し始める。

 弦の匂いが、遠くの庇の陰でわずかに濃くなった。


「【2-3】公開照合:偽様式“徴税 v2.2(偽)”→照合破棄。王都監査局 記録番号はこちら」


 セィラが淡々と番号を読み上げ、書記官が頷く。

 証拠が、“声”から“番号”へ落ち、床に固定される。

 ヴァルドの笑みが、固定の角度で微かに軋む。


「発案の帰属は【3-1】“地方標準 v1.0”の草案起草者欄を」


 ボードの隅に、起草:ミナ=ロウ/監査補助:リオが光り、セィラの署名が重なって見える。

 英雄壇の幕の内側で紙がさやり、司会が一瞬だけ言葉を探した。


「……では、功績配分の議題は後段へ回し、まず“手段”の可視化について、説明を——」


「【6-0】条項六:可視化の優先。——先に、鐘を」


 俺はSpec-Boardの下段を開き、BellSpec(鐘の規格)草案を掲げた。

 城中の視線が、意外にも真面目に集まる。

 鐘は王都の血流だ。合図の規格は、王宮の骨に関わる。


《BellSpec v0.9(草案)》

・一打=水、二打=風、三打=獣(王都標準に合わせ)

・公開補助:鐘楼足元に震度板(透明糸/目盛り)を設置

・耳印:鐘室内に微音(位相確認)

・ChangeLog:鐘の“意味変更”は公開掲示→共同監査で承認

・舞台時:鐘一打=議題転換、二打=可視化補助の投入、三打=危険の公開宣言


 ざわめきが、意味を覚える速度で広がる。

 セィラが短く、壇の端の小鐘を鳴らした——二打。

 震度板の糸が微かに光り、耳印音が鐘室の方角から薄く返る。

 舞台でも、規格は同じだというデモンストレーション。


「舞台の場にも、見える安全を持ち込む。——そのために次を」


 俺は透明板の前へ出て、わずかに体の向きを変えた。

 庇の陰、弦。

 3まで上がりきらない、“観測”のための張り。

 撃たないのなら、——見えるままに、置く。


「弓の可視化を行う。攻撃ではない。可視だ」


 セィラの視線が一瞬だけ問うて、俺は頷く。

 胸の奥に浅く指をかけ、匂いのパラメータに一滴だけ触れる。


〈一時可視:“弦油トレース”〉

〈効果:弦に使われる乾性油の微粒を薄光で縁取り(可視は誰にでも)〉

〈持続:90秒/コスト:寿命 0.4 日〉


 空気の中に、細い線が二本、庇から伸びた。

 観客にも、見える。

 息が止まる音、衣擦れ、鎧の金具の微かな鳴り——弦の線は、離れていない。

 護衛が動く。公開でだ。剣を抜かず、透明板の内側に立つ。


「震度が3を越えた場合、鐘三打で“危険の公開宣言”。護衛は透明板の外から中へ入らない。中は“安全”に規格化する」


 俺は境界を指差し、線の内側に白の目印を置いた。

 敵も、見える。

 撃てば、記録に残る。

 撃たなければ、観測が続く。

 どちらに転んでも、可視化が勝つ。


 庇の陰で、線がふっと薄くなった。

 観測の張りは、離れた。

 鐘は鳴らさない。

 場が、すこし息をした。


     ◇


「続けよう」


 司会の声は、さっきより低かった。

 恐れが、手順に変換されている。

 ミナが前へ出て、声を通す。


「功績の話に戻る。

 裏方の定義は、【1-2】の通り。だが、本件の衛生と街道と共同監査は、“戦功の前提”に該当。よって——」


「【4-0】共同監査の運用実績。当番表、留守番仕様 v1.0、夜孔、二重焼き壺 v1.0。

 ChangeLog番号付きで、誰がいつ何をしたか」


 Spec-Boardに写真ではなく図と筆跡が載る。

 嘘をつくには、手が多すぎる。

 星印のアサが、王都の床に小さな耳印をチョンと描き——司会が、思わず笑った。


「……耳印とは?」


「音で見る標。鐘の規格に入れてもいい」


 セィラが即答し、BellSpecの欄に“耳印の共通記号”を追記する。

 記録域の扉が、薄く温かい。

 紅茶の香りが、近い。

 俺はChangeLogの端に“BellSpec v1.0 草案”と書き足した。


「勇者ヴァルド殿。あなたの“支援政策”である証拠を」


 司会が問いかける。

 ヴァルドは笑みを崩さず、紙を掲げた。

 台帳の写し、印、署名。


「王都の台帳に記された計画と実施。——政策の枠を作ったのは我々だ」


「【ナンバー外】枠は中身ではない」


 俺は静かに言った。

 Spec-Boardの角で、条項六を叩く。


「可視化の条項に基づき、枠だけの功績帰属を否認する。中身が見えるように話す。

 王都の利益は“中身が続く”ことにある」


 観客の中で、商人風の男が頷く。

 採算で考えれば、続く仕様が勝つ。

 枠は看板にすぎない。

 看板は必要だが、それ単体では功績にならない。


「功績配分案を出す」


 セィラが前に出た。

 監査局の声は、盤面を整える。


《功績配分 提案 v0.9》

・王都(政策枠・資金配分・監査):30

・領主代理(現場運用):30

・共同監査(村人・星印班含む):30

・勇者一行(護衛・救通時の武功):10

※“戦功の前提”に該当する衛生・街道・監査は中身へ配点。枠のみの配点は薄く。


 数字が、ざわめきを飲み込む。

 誰かの勝ち負けではない。

 続き方の配分だ。

 ヴァルドの頬の筋肉が、その配点を飲み込めるかどうかを、わずかに語った。


「異議あり」


 背後から声。

 ——エルネスト。

 鼠色の外套、鷹の目。

 彼は一歩だけ前に出て、紙を掲げる。


「地方標準 v1.0は、王都の採用があって初めて“中身”になる。採用という“枠”を作ったのは王都——つまり、勇者の政治力も功績だ」


「【3-2】採用条件は“可視化と共同監査の継続”。

 採用後、王都は“基準香の支給”など中身に入っている。だから30。

 勇者の政治力が可視化へ貢献した数字は?」


 エルネストは沈黙した。

 セィラが代わりに、BellSpecの小鐘を軽く一打——議題転換。

 場が、規格で回る。


     ◇


 弦は沈黙のまま。

 震度は1を行き来し、3には乗らない。

 観測。

 ならば、公開反証のもう一枚を出す。


「英雄譚の言葉を、仕様に寄せる。英雄伝達 v4.1(草案)」


 Spec-Boardに新たな欄を開く。


《英雄伝達 v4.1(草案)》

・“英雄”の定義:戦闘のみ→前提を構築した者を含む

・“功績”の記載:台帳(番号・要約)+公開板(全文・図・手順)

・“裏方”の定義見直し:不可視の労→可視化済みの労は記名対象

・子ども代表(星印)による手順証言枠を常設

・鐘の役割:議題転換/可視化投入/危険公開——舞台でも同一規格


 星印のベンが勇気を出して前へ出て、囮の“戻れる構造”を、王都の石畳の上で簡易に示した。

 アサが耳印を壇の縁に描き、鐘の微音を“聞く”しぐさをゆっくり見せた。

 観客の母親の眉間の皺が、もう一度、ほどける。


「勇者ヴァルド殿」


 ミナの声が澄む。

 彼女は真っ直ぐに、隣から呼びかけた。


「あなたが表で剣を振るう間、裏で道を動くようにした者たちがいる。

 ——隣に立つ。奪わない。並べる。記録する。

 英雄が総和であるなら、ここで書き換えましょう。公開で」


 ヴァルドはわずかに顎を上げ、笑みを持ち直した。

 肖像用の笑みではない、肉の入った笑い方。

 彼は司会に目で合図し、ゆっくり言った。


「——異議は、ない。

 総和の英雄に異議はない。

 ただし、剣の場では、剣が英雄であることも忘れないでほしい」


 弦の匂いが、ほぼ完全に消えた。

 庇の陰にいた他は、“撃つ舞台ではない”と判断したらしい。

 透明板の震度は0へ落ち、鐘の耳印が薄く鳴った。


 セィラがBellSpecの欄に署名し、司会が英雄伝達 v4.1(草案)に検討印を押す。

 ChangeLogの末尾に、薄く新行が沈む。


・英雄伝達 v4.1(草案):公開可視化の導入/前提の構築者を記載対象に


 王都の空気が、ゆっくりと、仕様に寄っていく。

 拍手は散発的で、やがて連なる。

 派手ではない。

 でも——続く音だ。


     ◇


 終わりの鐘が鳴る前、司会が最後に問うた。


「デバッガー、リオ。——あなたの代償について、記名しますか」


 胸の奥で、薄いノイズが転がる。

 紅茶の香りは、近い。

 記録域は、中立。

 代償は、記名すべきか。


 俺は少しだけ目を閉じ、そして開いた。


「条項五。代償は修正者の裁量。強制徴収は禁ずる。

 ——記名は、しない。

 ただ、可視化は、する。俺が払うから、払ったという仕様だけを残す」


 セィラが頷き、ミナが短く息を吐いた。

 星印の二人は、俺の袖を小さくつまんで離した。

 鐘が一打。

 議題転換。

 司会が締めの文を述べ、英雄壇の布が風でわずかに揺れた。


 公開反証は、仕様で終わった。


     ◇


 閉式後。

 広場の隅で、エルネストが俺の横に来た。

 彼の目は、やはり採算を計る目だ。

 声は低く、乾いている。


「総和は、たしかに採算がいい。

 ——だが、採算の外から“仕様”を崩しに来る者がいる」


「他だ」


「そう。他は、“仕様を嫌う意志**”そのものだ。

 君は公開に寄せすぎる。闇も仕様の一部だ」


「闇を隠すための闇は、仕様じゃない。

 闇を見えるように縁取るのが、仕様だ」


 エルネストは笑わなかった。

 ただ、「覚えておけ」とだけ言って去った。

 彼はたぶん、敵ではない。

 けれど、味方でもない。

 仕様の側にいるだけだ。


 ヴァルドは遠くからこちらを見た。

 笑って、手を挙げた。

 肖像用の手の挙げ方。

 ——それでも、挙げた。

 彼もまた、総和の物語に記名されたのだ。


 セィラが肩を回し、「BellSpec v1.0を押し上げる」と言い、ミナが「王都の水路に耳印を」と返す。

 星印の二人は、携帯窯の小さなパンを差し出した。

 基準香が、王都の中庭で細く上がる。

 紅茶の香りが、すぐ近くまで来て——

 誰かの手が、透明の縁でそっと止めた。


 記録者は、まだ浅層にいる。

 深層は、——他と同じ高さにある。


 俺は胸の奥で、今日のセッションを閉じた。


〈セッション終了:王都 公開反証/英雄伝達 v4.1 草案 提示/BellSpec v0.9 合意〉

〈成果:功績配分 v0.9 提案/可視化の枠 常設/弓の可視化 成功〉

〈リスク:他の“仕様嫌い”が深層にて動向/王都水路・鐘系統の古い仕様に脆弱箇所〉


――――


後書き(次回予告)

“隣に立ち、並べ、見えるものから話す”。公開反証は仕様の勝ちで終えました。次回は〈王都水路のログ監査〉と〈BellSpec v1.0〉の押し上げ、そして深層で蠢く“他”の手触りを水路から辿ります。闇は隠すものではなく、縁取って扱うもの——そのやり方を、王都の水で示します。


面白かったらブクマ・★評価・感想で“次の修正の燃料”をください! 次回は〈水路監査〉&〈BellSpec v1.0〉です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ