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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
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Plus Extra : メルエイラ末弟事情録。5

トゥーラ視点です。





 少女は名を、イルアリア・オル・ブラグフランと言った。

 伯爵家の人間であると名乗ることを許されているらしいと思うよりも先に、トゥーラがツェイルを呼ぶときの「イル」という愛称と名前が被るなと思った。


「どうぞ、イルアとお呼びください」

「いやだ」

「えっ?」


 ツェイルと被るからいやだ、と思わず素直にそれを口にしてしまってから、失敗したと後悔しても遅い。


「出逢ってまもないのに、いきなりそう呼ばせていただくのは……イルアリアと呼ばせてもらう。いいだろうか、イルアリア嬢」

「え、ええ、かまいません」

「おれのことは、ただトゥーラと呼んでくれれば。帝国騎士団の近衛隊に所属している」

「まあ、騎士団近衛隊の方?」


 誤魔化しは上手くいったようで、しかし嘘は言っていない。トゥーラが騎士団に所属しているのも、その中で近衛隊に配属となっているのも、間違いではないのだ。


「騎士の方が父を訪ねてくるのは珍しいことではないのですが……近衛隊の方がいらっしゃるのは初めてじゃないかしら」

「そういえば先ほど、伯爵の使いがどうこうと言っていたが……」

「ああ、ごめんなさい。身内の恥を曝してしまっているようなものですね」


 少女、イルアリアは恥ずかしそうに頬を朱に染めながら、トゥーラを家へと案内する。

 遠くから見えていたその家は、近くでみるとそれなりに大きい家で、邸と呼べるほどのものではないが、立派な家だ。相当な年数を経ているのか、よく見ると綻びはあるけれども、それでもメルエイラの邸よりは立派な造りをしている。


「いい家ですね」

「暮らしているのはわたしと、あとふたりしかいないもので、手が行き届いていない部分が多いのですが……わたしには勿体ない家だと、常々思います」

「あなたは伯爵令嬢だろう」

「あ……いえ、そうですが」


 突っ込めばいろいろと情報をこぼしてくれそうなイルアリアの雰囲気に、近づいてよかったのかわからなくなる。

 ブラグフラン伯爵には、できることならトゥーラがイルアリアと接触したことを知られたくない。こうなってはもう無理なことではあるが、それなら会話には充分、気をつけなければならないだろう。


「こちらにどうぞ。すぐお茶をお持ちしますから、ゆっくりなさってください。こんな外れにまで足を運ばせてしまって、申し訳ありませんでした」


 愛馬を適当な木に繋いでから家に入ると、やはり中は質素で、目ぼしい調度品などはない。通された部屋も、なんだかがらんとしていて、常から客人を迎えられるように整えられているとは思えなかった。

 すぐに、と言ったイルアリアは、トゥーラが通された部屋の長椅子に腰かけてまもなく、部屋を見渡し終わった頃に茶器を運んで戻ってきた。

 伯爵令嬢であろうにこんなことをしているのかと思うと、わが家とそう変わらない暮らしをさせられているらしいと知ることができる。


「この家には、あなたとあとふたりだけということらしいが……使用人もいないのか?」


 暗に、資財には不自由していないだろう、と問えば、イルアリアは控えめに微笑んだ。


「近衛隊の騎士さまなら、噂をご存知でしょう? 否定することはできませんので、見たとおりに解釈なさってください」


 意外と強かな小娘だ、と思った。


「生憎と、城で聞く噂など、おれの耳には入ってこない」

「あら……珍しいですね」

「脚色された話に真実を見出すのは、面倒だ。だったら直接、自分の目で確かめたほうが、効率がいい」

「先に身体が動いてしまうんですね」


 ふふ、とイルアリアは笑い、用意したお茶を卓に並べ、野菜で作った焼き菓子というのも卓に置かれた。


「身内の恥を自ら曝すわけにはいきませんので、見たままを感じてくださいな」


 流されてくれそうな雰囲気が一変、意外と強かな小娘は侮れない小娘に変貌した。

 なるほど、こちらにも探りを入れてきたというわけか。

 そう思いながら、トゥーラも強かに、差し出されたお茶を手に持つ。

 これに毒など入れようものなら、トゥーラには無意味であるけれども。


「毒など入っていませんよ」


 トゥーラが一瞬でも思ったことを汲んだかのように、イルアリアはそう言った。

 くすりと笑い、トゥーラは暖かいお茶を口に含む。ツェイルが好きな甘いお茶、セイ茶のようだ。


「おれの姉が好きな茶だ」

「では、慣れたお茶ですね。焼き菓子もどうぞ。少し失敗して、焦がしてしまいましたけれど」


 イルアリアは自分の分のお茶も注ぐと、トゥーラの向かいに腰かけた。


「こうしてお客さまをお迎えするのは随分と久しぶりで……見たままを、と言いながら、とても恥ずかしいところばかりです」

「わが家とそう変わらない」

「あら、騎士さまなら、貴族の方でしょう?」

「そう言うあなたも貴族だ。比較されたくはないだろうが」

「まあ」


 ふわりと、イルアリアは笑う。身内の恥がどうこうと言っていたが、貴族然としたところがないからか、自分の生き方を恥とは思ってなさそうな態度だ。


「トゥーラさまに申したとおり、わが家にはわたしとあとふたりだけです。ふたりはわたしを育ててくださった老夫妻で、この別宅の管理を任せられている人です」

「ここは伯爵の別宅?」

「はい。わたしは居候のようなもので……母と、折り合いが悪かったもので、夫妻に預けられたんです」


 なるほど、と内心で頷く。城では確かに、そういう話を聞いたことがある。ブラグフラン伯爵以外にも、そういう事情を抱えた家はあるものだ。


「よくあることだな」

「え……?」


 一般的だ、と頷けば、なぜかイルアリアは驚いたような顔をする。


「なにを驚く?」

「あ……いえ、今の話を、素直にお聞き入れくださったのかと」

「嘘なのか?」

「いえ、本当です」


 嘘だということくらい、百も承知である。その裏を探って、見つかれば泥沼のような事情も浮上するだろうが、真実その事情しか持たない家もあるのだ。


 人の噂など、そんなものだ。

 本人の事情も、本当のところも、事実さえも失くした噂は、信じるに値しない。そこに真実を見出すこともできなくはないのだろうが、けっきょくは一方的な話だけであることが多い。双方の話があってこそ、噂は辻褄が合う。

 だからそんな話は信じるに値しない。

 一方の話にしか耳を傾けないことで、どれだけの罪を背負うことになると思っているのか。

 偽善者ぶるつもりはないが、トゥーラはその手の噂というものが大嫌いだ。


「噂を耳にして来られたわけでは、ないのですね」

「なぜそうなる。そもそも、なんの噂だ」

「わたしが、その……庶子であることですとか、見られた容姿ではないことですとか……本当は父の子どもですらなく、娼婦であった母が勝手にそうだと決めて、伯爵家に……」


 言っているうちに声が小さくなり、最終的には言っていることに悲しくなったのか萎れたイルアリアは、俯いて両手の拳を震わせていた。


「……では、訊く。イルアリア嬢は、庶子か?」

「……はい」

「父親は伯爵?」

「……おそらくは」

「母親は娼婦と?」

「そう、聞いています」

「それを伯爵に訊いたことは?」

「ありません」

「今、母親はどこに?」

「わたしが三つのときに、亡くなりました」

「伯爵夫人と折り合いが悪いのは、なぜ?」

「わたしが、庶子だから……庶子で、こんな顔だから……」


 ふむ、とトゥーラは息をつく。

 この少女は、己れのことですら、噂に流されたままにしている。つまり、はっきりとした話、真実も事実も知らないのだ。

 なんてことだ、と思う。


「愚かだな」

「……え?」

「見たままを、と客人に言っておきながら、自分は本当のところを知らない。噂を否定できないのではなく、否定できるだけの情報を自分が持っていないだけだ」

「そっ……それは」


 否定的な言葉を投げつけられて、イルアリアはカッとしたようだったが、それもすぐに鎮火する。言い返せるだけのものがないからだろう。

 だが、トゥーラも鬼畜ではないので、責めるような言葉を使うのはそれくらいにしておく。


「自分に否定的になることはない。卑屈な考えは持つな。折り合いが悪いという家から、せっかく出たんだ。家名を背負っているなら、なおさら、自分がそれに恥じない行いをする必要があると思え」

「……でも、わたし」

「庶子だから? だからなんだ? それは伯爵の恥であって、あなたの恥ではないだろうが」


 ハッと瞠目したイルアリアの瞳は、かろうじて流されることのない涙で、潤んでいた。

 トゥーラはなにも、いいことを言ったつもりはない。難しいことも言っていないし、イルアリアを泣かせるようなことも言っていない。思ったことを口にしただけだ。

 こんな簡単なことすら、誰もイルアリアに言ってやらなかったのか。

 そう思うと、イルアリアという少女の強かさが、ただの虚勢であるらしいことが窺える。

 まるで、昔のツェイルを見ているようだ。

 ツェイルのそれよりもイルアリアのものは深くないけれども、それはツェイルが規格外な強さを持っていただけのことで、ふつうの少女ならイルアリアのようになるのだ。

 事情や濃度、深度は違えど、ツェイルとイルアリアは、同じ闇を持っている。

 孤独、という寒い闇を。

 オル・ブラグフランという家名は、この少女には背負えない孤独の闇にしか思えない。


「……今日はこれで失礼する」


 イルアリアから視線を外すと、口にしたお茶だけ空にして、トゥーラは長椅子を離れた。


「あ……ま、待って、待ってください!」


 部屋を出た玄関の前で、イルアリアは追いかけてきてトゥーラを呼び止めた。


「あ、あの、その…っ…そう、お菓子! 口にされていませんよね。こ、今度は焼き立てを、失敗しないものを、ご馳走しますからっ」


 早口なそれに、なにが言いたいのだとトゥーラは首を傾げる。


「いや、悪いことをしたとは思うが……」

「来てください! あ、いえ、いらっしゃってくださいませんかっ?」


 ああ、誘いたかったのか。

 と、思って、考える。

 ここへは幾度も来ることになると思ってはいたが、ほぼ強引に、なにかしら理由をつけて来なくてはならないことを考えると憂鬱だったので、イルアリアが誘ってくれるならその必要もなくなって楽だ。


「わ、わたしがお伺いできれば、いいのですが……馬が、ないので、遠くには行けませんし」

「いや、おれから来る」

「! 本当に?」


 ぱっと見せられた笑顔は、ここに来るときにも見た無邪気なものだ。

 なんとなく、懐かれたかもしれない、と思う。


「末番街にある武具屋に、剣を頼んである。丁寧に作るよう頼んであるから、たびたび様子を見にいく必要があるんだ。そのついででよければ、ここに立ち寄ろう」

「かまいません。わたし、待ってます」


 気張られても困る勢いのイルアリアに、トゥーラは小さく苦笑をこぼした。

 懐かれたらしい、ではなく、どうやら懐かれた。


「なら、次に逢ったときは、その敬語は止めにして欲しい。たぶんおれは、あなたより歳下だから」

「えっ……トゥーラさま、おいくつ?」

「成人にはまだ半年ある」

「……わたし、そろそろ十八になります」


 萎れたイルアリアに微笑んで、トゥーラは玄関扉を開けながら、婚姻の適齢期だなと思う。その邪魔にならないよう行動を慎まなければ、と思う半面で、ツァインの目論見が上手くいけばその必要もないだろうなと、肩を竦めた。


「アインもなにを考えているのか……」

「はい?」

「いや、なんでもない」


 ツァインの目論見を見逃すつもりも、流されるつもりもないトゥーラだが、だからこそこの少女とはきちんと向き合う必要があるだろうと思う。


「また来る」

「お待ちしています」


 微笑む少女に、さてどうしたものかと思いつつも、トゥーラはそこをあとにした。







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