Plus Extra : メルエイラ末弟事情録。4
トゥーラ視点です。
皇都の職人街エンバルは、末番街エンバルとも呼ばれており、北の各領地、或いは北の属国へ続く道がある最後の街だ。
トゥーラは愛馬を末番街の宿屋に預けると、ブラグフランの詳しい情報を求めて、そこで小型の機械を作る職人たちの間を歩いた。
曰く、
「お優しい、立派な方だな」
曰く、
「真面目過ぎて、こっちが不安になるよ」
曰く、
「政略結婚だったらしくて、家を顧みねえで、仕事に没頭し過ぎてんな」
曰く、
「息子はいい子だけどな。ありゃ諦めちまったというか……うん、賢いんだろうな」
あまり広く聞き歩いては不審がられるので、ほとんどはメルエイラ家が世話になっている店の職人から聞いた話だ。ブラグフランのことは、末の職人にまで話が行き渡るほど、有名らしい。
「坊ちゃん……じゃなくて、若さまや。ブラグフラン伯爵がどうかしたんで?」
「いや。事業が上手くいっていると聞いたから、どんな男かと思っただけだ。機械業で失敗した奴は聞かないが、だからとて噂されるほどの奴がいるわけでもない。そんな中で、たまたまおれの耳に入ったのが、ブラグフラン家だっただけだ」
「ふむ、確かにそうですな。ほかにも、チェインズ伯爵ですとか、セーゼリア子爵ですとか……まあカルディナ家に敵うところはありませんが、皆さん上手くやっておりますしな」
「おまえたちも頑張ってくれ。メルエイラの剣は、おまえたちのところでなければ使いものにならない」
「嬉しいことを言ってくださいますなぁ」
鍛冶師の老爺は、無表情でも労いの言葉をかけるトゥーラに気分をよくしたようで、目立ってきた皺を増やしながら笑う。
「して、本日の用向きはなんでしょう?」
そう問われたときは、情報収集に来たとは言えず、少し考えた。
「……老は、短剣も作れたか?」
「剣であればなんでも」
「片刃でも?」
「もちろんですよ。メルエイラ式の短剣を所望で?」
「一本頼む。急がないから、丁寧に作ってくれ」
「承知いたしました」
ふふふ、と老爺が意味ありげに笑ったので、なんだと首を傾げたら、小さめの片刃の剣を数年前にも作ったことがあると、老爺は言った。
「なんでもお身体が小さい方がお使いになると。できれば片刃で銀の、硬くて頑丈なものを、装飾は紫宝石一つで、と所望された方がおりましてな。この辺りじゃあ片刃なんて珍しい剣、あたしくらいしか作っちゃいませんから、その話が回ってきたんですわ」
サリヴァンだな、とすぐに気づいた。老爺が説明した通りの剣を、ツェイルが持っているからだ。
「そういやぁ、その話を持ってきたのはブラグフラン伯爵でしたな」
「……ブラグフランが?」
「作れる職人はいないかと、捜しておったんですよ。あたしゃメルエイラ式の剣を作って久しい身でしたから、できるかと訊かれたんですわ。最初は伯爵がどなたかに贈るつもりかと思ったんですが、偉いお人に頼まれたそうで。誠心誠意、丹精込めて作らせていただきましたよ」
老爺の楽しげな声に、はて、とトゥーラは小首を傾げる。
まさか、ブラグフランは己れが誰の力になったのか、わからないわけではあるまい。
ツァインが、利用されている、とは言っていたが、まさか本当の意味で利用されているとは考えていなかった。最初に気づいたのがツェイルであるようなので、ブラグフラン本人になにか問題があると思っていたのだ。
「騙されているわけか……」
「はい?」
「いや、こっちの話だ。しかし、ブラグフランは、息子ひとりだけなのか?」
「はて……娘もおった気がしますが、話はめっきり聞きませんな。噂はいろいろ耳にしますが」
「どんな噂だ」
「まあ見られない顔だとか、障害があるだとか、そんな類いの適当な噂ですよ。確か末番街の……北に抜ける最後の家にいるとか、いないとか」
「本当に適当だな」
当てにならない話だ、と肩を竦めたら、仕方ないことだと老爺も肩を竦めた。
「北の外れに行くのは商隊くらいで、あたしら職人は街の中心に集まっておりますからな。噂の真を確かめようなんぞするくらいなら、開発に力を入れますよ」
「それもそうか」
「家の話は、ブラグフラン伯爵が数十年前に購入したって、風の噂が流れたからですよ」
「ふぅん……どちらにせよ、ブラグフランは関わっているわけだ」
「噂ですがね」
心許なくとも、それは確認する必要があるだろう。いい情報を得た。
ツァインがどうやってこの情報を手に入れたのかは知らないが、老爺の口ぶりからツァインがここを訪れた痕跡は見られない。相変わらずどうやって動いているのか不明な男だ。
軽くため息をついたところで、老爺に短剣のことを頼むと、トゥーラは宿屋に戻って愛馬を引き取り、そうして北の外れへと愛馬を走らせた。
北のほうへは、進むにつれて街の喧騒が遠のき、家屋が小さくなり、さらには減り、人気も感じられなくなる。今日は通る商隊もないようで、出歩いている人間はいないようだ。
このまま進むと街を出て街道を走ることになるなと思いながら馬を駆って、さすがにこれ以上は、と思ったところで、視界の端にちらりと家屋が目に入った。
「……あれか?」
愛馬の足を緩めて、周りを確認する。
あれが最後の家だとして、街を抜ける道の終わりは、その距離約数分というところだ。あの家より先にはもうないだろう。
なるほど、確かに最後の家かもしれない。
しかし見え難いところにあるものだ。
「隠している、わけではないな……」
最後の家は、後ろにある森にほぼ入っているような状態で建てられている。隠してあるといえば隠してあるが、こうしてトゥーラの視界に入ったということは、とくに隠してあるわけではないのだろう。
あそこにブラグフランの娘が、いや娘かどうかはわからないし、ブラグフランの関係者でもないかもしれないが、いるのだろうか。
考えながらゆっくりと愛馬をそちらに歩かせていたときだった。
「わが家になにかご用ですか」
と。
気配なくいきなり後ろから声をかけられて、トゥーラは驚いた。ハッと後ろを振り向き、背後を取った人物を見て、さらに驚く。
「あら……見ない顔。てっきりお父さまのお使いの方かと思ったのだけれど……違うのかしら」
若い娘だ。トゥーラと同じくらいか、それより少し歳上であろう少女が、暗殺術も身につけているトゥーラの背後を呆気なく取ったのだ。
不覚だ、と思うよりも、その得体の知れない感覚にトゥーラは少々戸惑ってしまう。今まで、ツェイルやツァイン以外で簡単に背後を取られたことがなかっただけに、これまでにない失態だった。
「もしかして、道に迷われました? でしたら、この道をずっと行きますと、末番街の中心に出ます。森を突っ切ろうと思われたのでしたら、今日はお止めになられたほうがいいですよ。もっと迷われてしまうでしょうから」
少女は、淡々と道の説明をすると、その手に持った籠を持ち直してトゥーラの横を通り過ぎる。愛馬の前で立ち止まると、振り返った。
「それとも……やはりわが家にご用がおありですか? 父の使いでしょうか?」
どうしようか、と迷ったのは一瞬だ。
「ブラグフラン伯爵の娘は、あなたか?」
「あら。やはり父の使いの方? 今度からいらっしゃるのはあなたなのかしら」
やはりこの少女は、ブラグフランの娘らしい。噂されている言葉は、噂の域を出ないものだ。見たところ、ふつうの少女である。さらにいえば貴族の令嬢らしくない衣装を身にまとい、持っている籠には僅かな野菜が入っていて、街娘そのものである。
「伯爵には、姉夫婦が世話になった。その礼を言おうと捜して歩いているうちに、ここまで来てしまっただけだ。風の噂で、この辺りは伯爵の所有地と伺ったから」
「あら、あら。それはごめんなさい。父がここにくることは滅多にないんです。お捜しでしたら、やはりエンバルの中心に行かれたほうがいいですよ。おもにそちらで活動されているはずですから」
「今日はおられないようだ。ここまで来たくらいだからな」
「あら……それは重ね重ねごめんなさい。わたしも父の予定を把握しているわけではありませんから……よろしかったら捜させてしまったお詫びに、わが家でお茶などいかがです?」
ふふ、と笑った少女が、持っていた籠を少し揺らした。
「野菜で焼き菓子も作りましたの。父を訪ねてきてくださった記念に、いかがです?」
それはとても無邪気な笑顔だった。他人ならばっさりと切って捨てられるトゥーラに、断りを入れさせない強さすら感じさせられる。
それゆえか、迷っている暇すらなかった。
「どうぞこちらに。ここからですと遠く見えるわが家ですけど、近道があるんです」
少女は、見えている家までの道を無視して、草むらを進んでいく。
迷うことすらできない今の状態に、仕方ないので愛馬を降りてついて行ったら、この少女がどうやってトゥーラの背後を取ったのか、解明できる道になっていた。