Plus Extra : メルエイラ末弟事情録。3
上位十二貴族は、二大卿四公六侯からなる。その下に続く中位貴族は凡そ三十七、そのうち十の中位貴族には議会出席権がある。年ごとに議会出席権は巡り、また下位貴族にもその権利は与えられる。
この年は議会出席権を与えられなかったブラグフラン伯爵家は、財力がありながらも発言力は小さいという、なんとも奇妙で微妙な立場にある貴族だった。
「この調書……作ったのはアインか?」
トゥーラはブラグフラン伯爵家について調べられた報告書を読み、調書とは言い難い紙切れだと、呆れたため息をついた。
「どこに要点を置けばいいんだ……なんて読み難い」
はあ、とたびたびため息をついたら、調書を持ってきた騎士が気まずそうに頬を掻いた。
「いや、あのな……それ書いたの、姫だ」
瞬間、トゥーラは無表情のまま硬直し、次いで顔を引き攣らせた。
「ここまでばかだったのか、イルは」
「ブラグフランのことについて最初に気づいたのは、姫のようだぞ?」
おや、とトゥーラは片眉を上げる。
「なら、これは調書というより、走り書きか」
それなら頷ける調書だ。ツェイルが走り書きしたものであるなら、書いてあるすべてが要点であり、かつ調べ直す必要がある個所である。
トゥーラは自分でも調べておいた貴族についての帳面を、机の抽斗から引っ張り出した。
「ブラグフラン……ああ、あった」
走り書きである紙と帳面を参照し、なるほど、と頷く。
「微妙な立場にある貴族だな……あるのは財力だけだ」
「それ、どういう意味だ?」
「善行があるわけでも、悪行があるわけでもない。単に商売が上手くいっているだけだ。機械業に手を出しているなら、誰でもこうなる。伸びの時期だからな。まして手を出したところが有能揃いなら、財力はもっと膨れ上がる。そのうち発言力も大きくなるだろうが……そこに目をつけられたというところか」
「……つまり、いい温床の一つだった、と?」
「ここで反皇弟派との糸を断ち切らせる必要がある。が……こうなるとブラグフラン以外の貴族も、調べ直したほうがよさそうだな」
「じゃあそれはこっちで引き受けよう」
任せておけ、と言う騎士に、そうだなと頷いておく。とりあえずトゥーラが先に手を出すべきは、ブラグフラン伯爵家だ。
「ただ、イルの……ツェイルの勘は当てにしたほうがいい。あながち外れてはいない」
「姫の……まあ、ブラグフランのことに気づいたのは、姫だしな。わかった、そうしよう。おまえはどうするんだ?」
「ブラグフランをさっさと片づけるだけだ」
「そうか。気をつけろよ」
「誰に向かって言っている」
「おまえが誰であれ、おれたちは激励して送り出すよ」
騎士の、当然のような笑みに、トゥーラは青筋を立てたくなるのを我慢して背を向けた。
トゥーラはべつに、彼ら皇弟騎士隊と仲よくする気はないし、したいとも思わない。仲間意識ある友人のように接されるなど論外なのだ。
「さっさと行け。おれも出る」
「おう。じゃ、隊長によろしく」
「いない奴にかける言葉など持ち合わせていない」
「うわ、きつ。さすが隊長の弟……」
「さっさと行け」
「ああはいはい。じゃあな」
部屋を出て行く騎士を見送ることなく、トゥーラは支度を整える。
ツェイルが以前使っていた剣がトゥーラの二本目の剣になっているので、それも忘れず帯に装着した。
走り書きの紙を再度読み直してから机の引き出しに帳面と一緒にしまうと、上着を羽織って部屋から出た。
「ウーラ兄さま」
廊下に出てすぐ、妹シュネイとはち合わせたが、トゥーラは足を止めずに横を通り過ぎようとした。
「出かける。帰りはいつになるかわからない」
通り過ぎさまにそう言うと、腕を掴まれた。
「……なんだ、ネイ。離せ」
「なんの意味もなく剣を揮うのは、メルエイラの剣士がすることではなくてよ、ウーラ兄さま」
聡い妹の言葉に、ちっ、と舌打ちがこぼれる。
「メルエイラは皇弟擁護派だ。皇弟に叛旗を翻す者、即ちメルエイラの敵。意味ならあるだろ」
「いいえ。ウーラ兄さまの剣には、なんの意味もないわ」
「……ネイ、なにが言いたい」
「今のウーラ兄さまは、なにも護っていない。それはメルエイラの剣士ではないわ」
「護っているだろ。皇弟を。その妻となったツェイルを」
「本当に?」
なぜだろう。強く確認されると、苛立つ。それがシュネイだからというわけではなく、腹が立つ。
「おれは護るべきものを護っている」
「……それは、メルエイラの剣士として、ではないわ」
ああどうして、こんなに腹が立つのだろう。
「ネイ、いい加減に」
「今から人を殺しに行くような顔をしておいて、言うことではないわ」
ぎくりと、身体が強張った。それはシュネイに確実に伝わり、咎めるような視線を受けることになった。
「罪もない人を殺すのが、メルエイラの剣士だとは思いたくないわ」
「……うるさい」
「いつからそんなふうに投げやりになってしまわれたの、ウーラ兄さま」
「おまえには関係ないだろ」
「……そうね。けれど、今のウーラ兄さまは、メルエイラの剣士ではないのだもの」
「黙れ!」
乱暴に掴まれていた腕を離すと、トゥーラは逃げるようにシュネイを無視してその場を離れた。
シュネイの言葉を認めてしまったようなものである自分の態度には、吐き気がする。それでも否定できなかったことが、悔しい。いや、悔しいというよりも、情けない。
妹に、自分の弱さを見られた気がして。
自分の身の奥に隠したものを、暴かれた気がして。
「おれはっ……おれは、トゥーラ・ウェル・メルエイラだ。メルエイラの剣士だ。メルエイラ族の……っ」
好きなものを奪われた日から、トゥーラの中でなにかが狂い始めた。その元凶であるサリヴァンを嫌っても、恨んでも、狂い始めたそれは正されることなく、ぎしぎしと今も狂いを生じさせている。
いっそサリヴァンを殺せば、楽になるのだろうか。
それもいいかもしれない。
この心が楽になるなら、裏切ってしまえばいい。
いっそ清々する。
「はっ……いいな、それ」
トゥーラの日常を壊した原因を、断つ。その繋がりを絶つ。
いいかもしれない。
ははっ、と笑って、トゥーラは上着の裾を捌き、剣の柄を握る。
「若さま?」
「出かける。帰りは気にするな」
「は、御意に」
メルエイラの邸を出て、厩舎から愛馬を連れ出すと跨り、トゥーラは邪魔なものを排除するため皇都ヴァンリを目指した。