Plus Extra : メルエイラ末弟事情録。2
トゥーラ視点です。
元気を取り戻したオリヴァンは、案の定、あちこち走り回ってその愛敬を振りまくものだから、散歩というよりも追い駆けっこになった。とはいえ、騎士が三人も揃えば、逃げたオリヴァンなど三秒もあれば捕まえられる。逃げられては捕まえ、走り回られては捕まえ、それを繰り返しながら街を散策していた。
しかし。
「あんた……」
トゥーラは、広場の長椅子に沈んだサリヴァンを見下ろす。この男のことは嫌いなのだが、なぜ嫌いなのか理由が掠れるほど、情けない姿だった。
「オリヴァンより体力ないって、どういうことだよ」
どんよりと沈んだサリヴァンのそばには、トゥーラしかいない。ナイレンとユグドは、オリヴァンの捕獲に走っている。
「おかしい……おかしいぞ。なぜオリヴァンはあんなに元気なんだ。おれがこんなに疲れているのに」
「あんたの体力がなさ過ぎるだけだと思うが」
「おれはふつうだ」
どこがふつうだ、とトゥーラは顔を引き攣らせる。
話には聞いていたが、まさかこんなに体力の続かない男だったとは、驚きである。よくこれで仮初めの皇帝などやっていられたな、と思った。
これではツェイルの庇護欲も掻き立てられて当然だ。
サリヴァンに体力など皆無ではないか。
こんなに軟弱な男は初めて見る。
こんな男に自分は好きなものを掻っ攫われたのかと思うと、自分が恐ろしく情けない。
「……殿下」
「んん?」
「やっぱりイル……ツェイルのこと、返してくれないか」
「いやだ」
「あんたがツェイルの旦那って……あり得ない」
「ツェイはおれのものだ」
「いや、おかしいだろ。なんであんたがイルの旦那なんだ。絶対、おかしい。どう考えてもおかしい」
おれはこんな男に負けたのか、などとは思いたくないトゥーラである。
「ツェイは今も、これからも、おれのものだ」
きっぱりはっきり、それだけは譲らないサリヴァンだ。やはり腹が立つ。どうしようもなく、嫌いだ、と思う。
なぜツェイルはこんな男がいいのだろう。
いくら庇護欲が掻き立てられるからといっても、こんな、体力も皆無な男のどこに魅力を感じるのか、トゥーラにはわからない。
確かに外見は王子サマよろしく綺麗な顔をしているし、ふわふわ笑って全身から優しさを垂れ流しているし、仕草や態度は上品というよりもただただ柔らかく暖かい。背はそれほど高くなく、トゥーラよりも目線が低いから、圧迫感も迫力もない。剣も握れず、戦闘においては足手まといになる男だ。
やはりどこがいいのかわからない。
「……トゥーラは、おれが嫌いだな」
ふと唐突に、サリヴァンがトゥーラの考察を邪魔する。
「ああ、嫌いだ」
「はは。まあ、好きになってくれとは言わないから、オリヴァンのことは、素直に可愛がってくれないか」
「オリヴァンは可愛い。あんたに似ているのが気に喰わないだけだ。なんでツェイルに似なかったんだ、オリヴァンの奴……」
ツェイルに似ていれば、盛りだくさんな特典があるというのに、なぜこんな軟弱男に似たのか。と、トゥーラは常にその疑問を持っている。
「おれに似ている……のか、オリヴァンは」
「そっくりだ」
「そうか? おれには、ツェイにそっくりに見えるんだが」
「どこが」
「目の色とか、光りの加減で薄紫になるだろう、オリヴァンは」
よく観察している。さすが親、というべきだろうか。
「髪の色も、おれとツェイの中間だ。おれとツェイが混じった、という感じが、すごくいい。そんな色だ」
惚気られた。
ムカっときた。
イラっときた。
ツェイルは、トゥーラの好きなもので、サリヴァンのものになるはずではなかったのに。
あんたに渡すものか。
どうしてあのとき、そう言えなかったのか。そして今も、力づくでも取り返そうと本気で思えないのか。
「ツェイが許してくれるなら、もうひとりくらい、欲しいな……」
サリヴァンの呟きが、ナイレンとユグドに捕獲されて戻ってきたオリヴァンに、向けられる。
オリヴァンが可愛い、というサリヴァンの眼差しがトゥーラの苛立ちを増幅させた。
ツェイルが望むものを与えてやられるこの男が、恨めしい。
トゥーラでは、メルエイラの者では、与えてやれないものを、この男は与えることができる。そう、たとえばオリヴァンだ。
ツェイルが選んだ道、ツェイルが欲するものを、サリヴァンという男は持っている。だからトゥーラは、サリヴァンが嫌いだ。好きなものを、取り返させてもくれない。
苛立ちは募るばかりだ。
「どこに行く、トゥーラ」
「帰る」
ふいっと、トゥーラはサリヴァンに背を向けて歩き出す。
ナイレンとユグドが戻ってきたことだし、オリヴァンははしゃぎ疲れたようでユグドの腕でうとうととしている。邸に帰ることになるのだろうから、トゥーラがその帰路までつき合う必要はないし、もともとその義理もない。気になったものも解明できた。
苛々した気持ちでツェイルに逢うのは避けたいところなので、トゥーラはひとり、メルエイラのボロ邸へ帰る道を選択した。メルエイラ家とヴァルハラ家は馬でも数時間かかる距離で繋がっているが、もともと登城した帰りに寄っていたので、この街を中継地点に二時間か三時間もあれば帰りつく。馬を置いて行くことになるが、ツァインにでも頼んであとで引き取ればいい。
気持ちを落ち着かせるためにも、歩いて疲れたかった。
疲れたかった、のだが。
悶々としながらひたすら歩いて、どれくらい経っただろうか。目の前から走ってくる馬二頭に、トゥーラは歩みを止める。
「……どこにいたんだ、アイン」
兄ツァインが、トゥーラの愛馬を引っ張って、走って来ていたのだ。ヴァルハラの邸にも、城にも、メルエイラの邸にもいなかったのに、相変わらず神出鬼没な兄に顔が引き攣る。
「ほら、おまえの」
と、トゥーラの近くまできて馬の歩みを緩め、軽やかに降りたツァインに、愛馬の手綱を渡される。
「なんでわかったんだ」
「おまえのことだからね。殿下と一緒に散歩って、まずあり得ない。なんの気紛れを起こしたのか、僕のほうが訊きたいよ」
「オリヴァンの元気がなかったから、気になってついて行ってみただけだ」
「オリヴァン? ああ……そういえば、大卿家から面白い話が来ていたね」
「……知っているのか」
「僕を誰だと思っているのかな、わが弟くんよ?」
ムカつく。サリヴァンの次にツァインが嫌いだ。
苛立ちが増幅される前に、トゥーラは早々にツァインを放置しようと愛馬の側面に回った。
「トゥーラ」
無視しよう、と思ったのだが、その声が兄というよりもメルエイラ家の当主だったので、顔だけ振り向かせた。
「お嫁さん見つけてきたから、逢っておいで」
「……、はあ?」
「これ、当主命令ね」
いや待て、とトゥーラは顔をしかめる。いきなりなんの話だ。
「おれはべつに結婚なんかしなくても」
「一生を騎士団で独り身? べつにそれでもいいんだけど、せっかくだから結婚しときなさい」
「意味がわからない」
「悪くない話だから」
「いや、そうじゃなく……て、話?」
政略結婚でもさせる気か、とトゥーラは不快に思ったが、相変わらずの兄は誰もが魅了される微笑みを携え、口を開く。
「邪魔な貴族がいるんだよ」
その言葉を聞いたとたん、トゥーラは眉間に皺を増やした。
ツァインが、邪魔、と言葉にするとき、そのほとんどはツェイルかサリヴァンと繋がりがある。ツェイルを溺愛する男であるから、己れに妻子があっても最優先事項は常にツェイルかサリヴァンのことなのだ。
さらに言えば、ツァインに「邪魔」と判断されたものは、徹底して排除される方向にある。ある意味では最後通告みたいなものだ。
「敵にもならないんだけれど、だからといって放置するのもね……利用し甲斐がありそうだから、取り込もうかと思って」
「邪魔、なのに?」
「邪魔だからだよ。取り込んでしまえば邪魔でも利用する価値が生まれる」
「……それで、おれに?」
「娘をもらっておいで」
「簡単に言ってくれるな。好きでもない、まして逢ったこともない女を、もらってこいだと?」
「いやなら殺せばいい」
極端な方向に話を向けるツァインに、少々だが気疲れする。ツェイルやサリヴァンのことになると、ふだんは形を潜めている残虐性がゆらりと姿を見せるから、ツァインは面倒だ。
「どっちでもいい。生かすも殺すも、それはトゥーラに任せるよ。僕は邪魔なものが消えればそれでいいから」
「……なぜ邪魔だと判断した」
「資産を食い潰されたいらしい。だったら、僕が食い潰してやろうかと思ってね」
なるほど、と思う。
今回はサリヴァンの、皇弟という立場に難癖をつける貴族らのやっていることが、ツァインの「邪魔」をしているらしい。
「それで、おれの嫁?」
「いやならべつに殺したっていい。そう言っただろう。娘に害はないから、トゥーラにどうかなって思って言ってみただけだよ。悪くない話だ」
「どこが」
「検討して行くことだね。じゃないと、僕は殺しちゃうよ」
脅されている、と思った。害もない娘をひとり殺すぞ、と脅されている。これでは、命を狙われた見ず知らずの娘を、トゥーラは護らなければならないではないか。
「なんて遠回りな……」
「勿体ないことはしないほうがいい」
「なにが勿体ないんだ」
「だってこのままだとトゥーラ、結婚してくれそうにないし? それだと僕は困るからね?」
「困ることなんか一つもないだろ」
「あるんだなぁ、これが。そういうことだから、早く行動を起こさないと、僕は殺しに行くよ?」
ふふ、と笑って目を細めたツァインに、嘘があるようには思えない。本気で娘を殺しに行きそうだ。
トゥーラは盛大なため息をすると、低く舌打ちした。
「行けばいいんだろ、行けば」
「そう、それでいい。楽しみにしているよ、トゥーラ」
今日はなんて最悪な日だろう。
そう思いながら、トゥーラは馬に跨った。