Plus Extra : メルエイラ末弟事情録。1
トゥーラ(ツェイルの弟)視点、トゥーラの物語。
本編から4年後になります。
トゥーラの好きなものは、なにを差し置いてもまずはツェイル。それから剣と本、家族があれば生きられる。
なぜツェイルが一番か?
強いから。
そして弱いから。
けれども強くあろうとしているから。
ツェイルの姿は、トゥーラにはとても眩しくて、そして衝動的に欲しくなるものがある。ツェイルが欲しいと思うその衝動はきょうだいゆえのことではないと、トゥーラは幼くして自覚していた。
だから、ツェイルがツァイン以外の人間のものになったのは、許せない事態だった。
だから今も、これからも、トゥーラは目の前の男が嫌いだ。
「ああ、トゥーラか。久しぶりだな」
気安く声をかけてきたのは、ツェイルを妻にしたヴァルハラ公サリエ・ヴァラディン。愛称をサリヴァン。そして皇弟。
ツェイルを溺愛するツァインもあまり好きではないトゥーラだが、サリヴァンのほうがそれ以上に嫌いだった。
なぜか?
トゥーラの好きなものを、横から掻っ攫っていったからだ。
「……きらいだ」
「ん?」
「あんたは嫌いだ」
ぼそりと呟いたトゥーラに、サリヴァンは一瞬だけ呆け、そして苦笑した。
この態度も気に喰わない。謝っているのか、そうでないのか、或いはトゥーラをばかにしているのか、相手にしていないのか。
どれも当てはまらないサリヴァンの苦笑が、トゥーラを苛立たせる。
「トゥー?」
という、下から聞こえた声に、ふと視線を下げたら、三歳を過ぎた甥オリヴァンがサリヴァンと手を繋ぎ、トゥーラを見上げていた。
思わず、目が細まる。
トゥーラにとって甥、つまりツェイルとサリヴァンの子どもは、微妙な存在だ。笑ってやろうと思っても、どうしても顔が引き攣る。どうしようもないから、感情を誤魔化すのは随分前にやめてしまった。代わりに、憎からず可愛くは思っているので、無言で頭は撫でてやる。
甥は満足したように微笑んだ。
サリヴァンに似ているのが気に喰わない、と思ったところで、イラッときたので視線を外した。甥は可愛いのだが、サリヴァンが嫌いなのでどうしようもない。もっとツェイルに似ていれば、素直に可愛がってやれたかもしれない。
これだからサリヴァンは嫌いだ。
甥は可愛いのに、素直に可愛いと思えなくなってしまう。
「ツェイは庭だ。ラクと剣の稽古をしている」
サリヴァンはそう言うと、オリヴァンを抱き上げて、トゥーラの横を通り過ぎて行った。
「出かけるのか」
うっかり声をかけてしまったのは、数少ない休みをツェイルのために使うサリヴァンが、オリヴァンだけを連れて歩いていたからだ。
サリヴァンは立ち止まると、振り返る。
「散歩だ」
そう言うサリヴァンに、本当に行く気があるのかわからない。いや、あるのだろう。
しかし、違和感はあった。
三年前、甥が産まれる少し前にも感じた違和だ。
「一緒に来るか?」
「なんでおれがあんたなんかと」
「トゥーラは強いから、頼りになる」
ああ、とトゥーラは、違和感の正体に思い当たった。
この男、わかり難い。非常にわかり難い。
「……あんた、なに怒っているんだ?」
眉をひそめて問うと、笑っていたサリヴァンの頬がぴくりと反応する。
しばらく沈黙が続いた。
沈黙が破れたのは、サリヴァンの前方から近衛騎士が歩いてきたときだ。
「行きましょうか」
ユグドという名の騎士がそう告げると、サリヴァンは無言で頷き、トゥーラを見やって首を傾げる。
「……行ってやってもいい」
「なら、おいで」
ふいっと、サリヴァンは歩き出す。その背について行こうと思ったのは、わかり難いほど怒っていたサリヴァンの、その矛先が気になったからだった。
トゥーラは来た道を戻り、サリヴァンと一緒に、邸の外に出る。玄関の前では、ユグドと同じ騎士でツァインの幼馴染であるナイレンもいた。
「トゥーラ? 殿下、なぜトゥーラを?」
ナイレンはきょとんとしてサリヴァンに問うたが、サリヴァンはやはり微笑んだまま「強いから」と答えただけで、さっさと歩き出す。
元傭兵のナイレンがサリヴァンの怒気に気づいていないわけもないのだが、だからといってなぜトゥーラを連れてきたのか、不思議だったのだろう。ナイレンは「はて?」という顔をしたくらいにして、サリヴァンを追いかけた。
トゥーラはサリヴァンの隣に、ユグドはその前に、ナイレンが後ろについて、護衛に固められたサリヴァンの散歩は始まった。
道中、サリヴァンは無言だった。元気な甥も、そのときはとても静かで、おとなしくサリヴァンの腕に抱かれ、しがみつくようにその胸に顔を埋めたままだった。
なにかあったのだろうというのは、一目瞭然だ。ツェイルが同伴していないのも、ラクウィルという最も信頼している侍従長がいないのも、だからなのだろうとトゥーラは雰囲気から感じ取る。
トゥーラは歩調を緩め、ナイレンの隣に移動する。
「なにかあったのか?」
横目に問うと、ナイレンは苦笑して肩を竦めた。その仕草から、ツェイルかラクウィルと喧嘩したわけではないことが窺い知れる。
「皇帝に世継ぎが産まれたのは?」
「知っている。それがどうした」
「公子と同じように、背に刻印があるらしい」
「……、なんだって?」
その話は初めて聞く。皇帝の世継ぎの話は、一昨日駆け巡った話題だ。トゥーラも貴族の端くれとして、騎士のひとりとして、祝いの口上を述べてきたばかりである。
「それで大卿家から、打診があった。公子を、産まれた姫の婚約者に、とな」
「大卿家……ダヴィレイド大卿か?」
「ほかに誰がいる。そんなむちゃくちゃな話を打診する御仁」
トゥーラが聞いた話によれば、ダヴィレイド大卿は先帝の従兄弟で、サリヴァンとは血縁関係にある。つまり皇族であった人だ。その血と年齢から威厳は大きく、国政にも大きな発言力がある。皇弟であるサリヴァンでさえダヴィレイド大卿には従うくらいだ。
「殿下は、いやだ、と突っぱねた」
「……珍しいな」
「大卿に逆らうのはな。でも、わからなくはない。殿下には、大卿の命令に従う義理なんてないからな」
「そうなのか?」
「そうだろうが。大卿と呼ばれてはいるが、あの人はもう隠居した身だ。影響力はあっても、今さら国政に意見できる立場でもない。だいたいにして、殿下が国政に携わること自体、本当ならおかしいんだぞ」
まあ確かに、とトゥーラは腕を組みながら考える。
メルエイラ家の者として、トゥーラもサリヴァンの裏事情は把握している。先帝の実子でありながら疎まれ、幽閉され、今代皇帝が病に倒れたからと身代わりにされた挙句、帝位を返上してもなお皇帝に登城を乞われたがゆえに公爵家の領地を没収され、所有しているものは実質今の邸だけという状態だ。皇弟の扱いがこれでいいのか、と責めたくなる状況を、しかしサリヴァンは甘んじている。
改めて考えると、サリヴァンは危ういところにいるなと、トゥーラは思う。そんなサリヴァンに嫁いだツェイルも、産まれたオリヴァンも、実はとんでもなく危険な場所にいる。
産まれたばかりの姫と、オリヴァンの婚約は、少なくともサリヴァンやツェイルを護ることに繋がるのではなかろうか。
「もろ手を挙げて喜ぶことはできないが……悪くはない話だな」
ぼそりと呟くと、聞こえたらしいナイレンも「悪くはない」と言った。
「だが、いい話でもない」
「……だろうな。おれだって、オリヴァンを国の闇に触れさせたくない」
「経験から考えれば、誰でもそう思うよ」
違うか、とナイレンは肩を竦めた。
「……それであの不機嫌、か」
「よくわかったな」
「笑い方が不気味だ。わかり難いからわかった」
「……なるほどね」
やはりナイレンも、サリヴァンの微妙な機嫌には気づいていたらしい。
ちょうどそのとき、賑わいを見せる街に入り、サリヴァンが腕からオリヴァンを下ろした。
元気がないオリヴァンは、サリヴァンと手を繋いでも自分から歩き出そうとせず、少し引っ張られて漸く足を動かす。それでもサリヴァンにまとわりつくようにして歩くので、速度は一段と遅くなった。
ふと、前を歩いていたユグドが立ち止まって振り返り、トゥーラとナイレンに視線を寄越す。どうやら少し持ち場を離れたいらしい。頷くと、すぐにユグドはどこかに駆けて行った。
「どうした?」
「ここで少しお待ちください」
「ん?」
サリヴァンにはなにも言わずにユグドは行ってしまったのだが、待つというほど時間もかけずすぐにユグドは戻ってきた。その手には、露店で売られている甘い焼き菓子を持っている。持ち場を離れたことについてサリヴァンに目礼して謝ったあと、オリヴァンの前で膝をついた。
「公子」
「……ユート?」
「姫も……ツェイルさまも気に入られているものです。いかがですか」
意外だ、とトゥーラは思った。サリヴァンを護衛する騎士たちが変人揃いであることは知っているが、その中でもまともそうなユグドが、サリヴァンを放ってオリヴァンの機嫌を窺うなど、トゥーラには驚きである。
ユグドから焼き菓子の袋を受け取ったオリヴァンは、目をきらきらとさせながらサリヴァンを窺い、微笑まれると嬉しそうに笑った。
「ユート、ありあと」
「いいえ」
「ユートも、たえる」
「ありがとうございます、公子」
子どもの手のひらでは大きな焼き菓子は、おとなの手のひらには指先ほどの大きさだ。ころころと、豆のように入っている焼き菓子の一つを、オリヴァンは手に取るとユグドにあげ、サリヴァンにもあげ、振り向いてトゥーラとナイレンのところに駆けてくると、嬉しそうに笑いながら一つずつくれた。
「おれにもくれるんですか、公子?」
「ナインもー」
「どうも、公子」
トゥーラはどうしてもサリヴァンに似ているオリヴァンを素直に可愛がってやれないのだが、ユグドを始めとしたナイレンたち近衛騎士は、オリヴァンを猫可愛がりする。それはたぶん、こうやって笑いながらそばに寄って来てくれるからだろうと、トゥーラは思った。
騎士とは、名ばかりで道具扱いされることが多い。それが当たり前になっている。トゥーラもそういう扱いには、メルエイラ家の者ゆえに、慣れている。だからこそ、子どものオリヴァンにこうして人として接してもらえることは、とても嬉しいことだ。
ユグドやナイレンに頭を撫でられたオリヴァンは、漸く元気を取り戻したようだった。
「サぁリ、サぁリ」
「なぜ父と呼ばんのだ……」
「サぁリ、ツェーにも。ツェーにも」
「ああ、ツェイにも買って行こう。しかし……なぜ母と呼ばんのだ」
「ユート、ツェーにも。ノアにも」
焼き菓子で元気になったオリヴァンは、サリヴァンからつかず離れずひとりで歩き始め、ときおりユグドに絡んだり、ナイレンに絡んだり、トゥーラに絡んだりしながらその笑みを振りまき、わかり難い怒気に包まれていたサリヴァンを和ませた。
「疑問だ」
と、サリヴァンが、おそらくはトゥーラに向けて発した言葉なのであろうが、ひとり言としてトゥーラが片づけようとしたため、それを察したナイレンがすかさず「なにがです」と問う。ツァインの幼馴染なだけあって、トゥーラの性格を理解したナイレンの気遣いだ。
「オリヴァンはおれを父と呼ばない」
「べつにいいじゃないですか」
「なぜ呼ばないのか気にならないか?」
「……あなたもツェイルも、互いに名前で呼ぶからだと思いますが」
「おれは、帰ったらオリヴァンに、父さまだぞーっと言うのに?」
「わかってないんじゃないですか」
「父なのにっ?」
「いやいや、それはわかっていると思いますけど、そう呼ぶ必要はないと思っているのでは、と」
「むー……」
他愛ない話だ。それはぴりぴりしていたサリヴァンも、漸く気分転換ができたということでもある。
「ユートの息子は、ユートをちゃんと父さまと呼んでいたぞ」
「そして隊長をユートと呼ぶ殿下に首を傾げていましたね」
「ぐ……」
「ナドニクスのことも、ナナと呼んでいるとか」
「ぐぅ……」
「おれの名前も呼びにくかったでしょう」
「……わかった、おまえのことはこれからナインと呼ぼう。ツェイがそう呼んでいるからな」
「責任転嫁」
「おまえはおれを弄って遊んでいるのか」
「まあまあ楽しいですね」
「……さすがはツァインの幼馴染」
「まあつまりは、それと似たようなものですよ、ということです。呼び名なんて、呼んでくれるならなんでもいいじゃないですか。呼ぼうという気持ちがあるんですから」
サリヴァンで口遊びしていたナイレンが最後に締めくくった言葉で、顔を引き攣らせていたサリヴァンに笑みが戻る。
あるじと従者がこんな会話をしていていいのだろうか、とトゥーラは呆れたが、これが彼らだというのは、これまでの姿を見ていればわかる。不思議な関係だと、そう思わなくもないが、彼らに囲まれたツェイルにはいい環境だと思う。
サリヴァンのそばなら、ツェイルは、幸せになれる。たとえどんなことがあっても、彼らのような者たちが、サリヴァンとツェイルを支え、護ってくれる。
トゥーラには、できないことだ。
それがすごく、腹立だしい。
ツェイルを護れるのは、ツェイルを理解できるメルエイラの人間だけだと、思っていたのに。
「トゥー?」
どん、という軽い衝撃と、呼び声に、ハッとわれに返った。オリヴァンが、不思議そうな顔をしてトゥーラの足にしがみつき、見上げている。
「……なんだ、オリヴァン」
「……トゥー、いや?」
「え?」
「さんぽ、いや?」
不機嫌が表に出ていたらしい。よもや甥にそれを見抜かれるとは、メルエイラの戦士としてあるまじきことだ。
トゥーラは首を左右に振って感情を押し隠すと、オリヴァンの頭をそっと撫でた。
リクエストありがとうございました。
漸くトゥーラの物語が始まります。