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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
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Plus Extra : 宰相感懐録。3

ルカイア視点です。





「姫の地図になったリリが悪いんですよ?」

「もうやりません、もう二度とツェイルさまを巻き込んで家出しませんから!」

「え、本気で家出しようとしたんですか?」

「う……っ」


 ラクウィルの問いに、切羽詰まるわが妻の声。

 家出、という単語に、ルカイアは顔を引き攣らせた。振り返りサリヴァンを確認すると、苦笑しながら肩を竦めている。

 なるほど、出かけたついでに家出をしようと目論んだわけですね。それでラクウィルに叱られている最中なのですね。

 ルカイアは顔を引き攣らせたまま、広間の扉を開けた。


「い、いえべつに、閣下がいないこのときが好機などとは、思っていませんでしたよ。ええ、もちろん。ツェイルさまを家に送り届けたらお暇をいただこうなどとは一度たりとも」


 なるほど。


「思ったわけですね」

「きゃあああ!」


 部屋に入るなり思ったことを口にしたら、わが妻リリはそれはもう驚いて逃げた。一番安全であろう、サリヴァンの伴侶たるツェイルの後ろに、怯えるように隠れてくれた。

 その動きに、思わず長々とため息がこぼれる。


「まったく……先にわたしのほうから報告ができて幸いですよ」

「え! 閣下、喋っちゃったんですか!」

「当たり前ですよ。わたしはあなたの夫ですよ」

「わたしからお話しようと思いましたのにぃ」

「そのためにツェイルさまと一緒に行方をくらませた、などと言ったら、足枷をつけて寝台に縫いつけますよ」

「本気に聞こえるのでやめてください!」

「本気ですよ。ここまで来て諦めを知らないなど、呆れるばかりです」

「諦めませんよ」


 諦めを知らないのにもほどがある、と思う。


「はぁぁ……やはり、ツェイルさまに頼むしかありませんね」


 身篭ってなお家出を考えるとは、どうしてこうおとなしくしていられないのだろう。身体大事の時期ではないのだろうか。

 呆れと情けなさに軽く眩暈を憶えて目頭を揉むと、肩をサリヴァンにポンと叩かれた。慰めてくれているつもりらしい。しかし、はっきり言ってこればかりは慰められても気分が滅入る。

 こうなったらやはりツェイルだ。


「ツェイルさま、お頼みしたいことがあります」

「……その前に、一ついいですか?」

「なんでしょう?」

「あの……リリの旦那さまというのは」

「わたしですが、なにか?」


 問題でもあっただろうか、と怪訝に思いつつ答えたら、瞬間的にツェイルは目を丸くし、じっとルカイアを凝視してきた。


「婚姻……されていたのですか」


 ああそういえば、一度も自分のことなど話したことがなかった。そう思い出したとき、リリが口を開く。


「この前までわたしも知りませんでした」

「え、リリ?」


 リリの言葉に、ツェイルは軽く驚いている。ルカイアは、やはりこのときも他人ごとのようなリリに、少しばかり腹立だしさを覚えた。


「とくにお話するようなことでもありませんでしたから、説明はしませんでしたが……気に障ったのでしたら謝罪致します」

「い、いえ、そんな」


 少し八つ当たり気味に言ったら、さすがに気づいたサリヴァンが「ツェイ」とツェイルを呼びながら前に進み出て、ルカイアにちらりと苦笑した目を寄越した。痴話喧嘩はあとにしてくれ、ということらしい。

 少し頭を冷やして、小さく息をつく。サリヴァンがツェイルの隣に腰かけた。


「リリをしばらく見張ってくれ」

「……、はい?」


 首を傾げたツェイルに、ルカイアは即座に口を開く。


「ツェイルさま、お頼み申し上げます。リリを、見張ってください」


 ほとんど無表情が常のツェイルにしては珍しく、ぽかんとした。


「どういう意味ですか」


 そう問われて、まあ当然だろうと思いながら、ツェイルに見上げられて逃げ腰になっているわが妻リリの、その逃げ道を塞いでやった。


「ご報告申し上げます。このたびわが妻、リンリィが懐妊致しました」

「……かいにん?」

「はい。つきましては、妻の悪癖につき合っていただきたく、ツェイルさまにお願い申し上げます」

「……え?」


 驚くツェイルに、どうしてこう皆が皆、そこまで驚くのか不思議になってくる。ルカイアもひとりの男で、夫なのだが、なぜか信じてくれようとしない。とても不思議だ。


「あの……リリが、かいにん?」

「おおよそ半年ほどかと思われます。太ったように見えていたでしょうが、単に身篭ったというだけのことでして」


 べつに太ったわけではありませんよ、と暗に伝えたら、サリヴァンが気まずそうに視線を逸らした。ツェイルの意識はそんなサリヴァンにはなく、リリを向いている。じっと見つめて、その真意を探っているようでもあった。


「……リリ」

「は、はい」

「赤ちゃんが、できたのか?」

「う……はい」


 消え入りそうなほど小さな声でリリが答えると、ツェイルはとたんに勢いよく長椅子から立ち上がる。


「みっ、身重の身体で、わたしの侍女などしてっ」


 大きな声を上げたツェイルに、それはルカイアも初めて聞く声だったので、素直に驚いた。しかし、もっと驚いたのはリリのほうだった。


「いいえ、わたしが望んだことです!」

「でも!」

「だいじょうぶです、ツェイルさま。わたし、ツェイルさまの侍女を辞めたくありません。ただ……」


 どの頃合いで話を切り出せばいいのか、わからなかったとリリは俯く。


「それに、わたしはただの侍女ですし、ルカさまの妻だなんて……」


 リリのその、小さく弱々しい声に、ルカイアは「おや」と小首を傾げる。他人ごとのように振る舞っていたわりには、どうも深刻に考えている様子だ。

 これはどうしたことか、と様子を窺っていると、ふとツェイルの表情が和らぎ、リリに歩み寄った。


「リリ」

「……はい」

「おめでとう」

「……ツェイルさま」


 リリの手を取り、ツェイルはにこりと微笑む。


「おめでとう、リリ」


 今までになく、誰よりも静かで、穏やかな祝辞に聞こえた。


 リリの目から、ぽろりと涙がこぼれたとき、ルカイアは漸くそれに気づくことができた。

 ツェイルの肩に顔を押しつけて静かに涙するわが妻を、ルカイアは思わず呆然として、眺めてしまう。


 他人ごとのように驚いていたのは、まさか、身の丈に合わないとか、ルカイアの横に並ぶのが自分ではおかしいとか、そういうことを考えてのことだったのだろうか。ルカイアの愛を欠片も信じようとしなかったのは、そういったことでつらくならないためだったのだろうか。

 だとしたら、笑える。自分が情けなくて、笑える。


「ばかな娘ですね……」


 考えてもみろ、と思う。

 欲しいと思わなければ攫うように連れて来なかった。

 欲しいと思わなければ成人を待って婚姻するなど考えなかった。

 欲しいと思わなければ、身篭らせることもなかった。

 信じればよかったのだ。ルカイアが、どうしてここまでするのか、過剰に考えてしまえばよかったのだ。


「リリ、来なさい」


 ルカイアはくつくつと笑いながら、ツェイルにしがみついて泣くリリを呼んだ。ビクッと身体を震わせて顔を上げたリリは、怯えるような泣き顔でルカイアを見てくる。


「おいで、リリ」


 あなたがその涙を流す場所は、そこではない。

 ここだ。


 手を伸ばして促せば、怯えながらも手を上げるリリを、ルカイアは少し強引に掴んで引き寄せた。


「アイゼン夫妻に挨拶してきますので、しばらくリリを借りますよ」


 にこ、と笑ってサリヴァンにそう告げると、苦笑した顔が「行けばいいよ」と言っていた。もともとリリはルカイアのものだ、とも語っている。


「では、失礼いたします」


 軽く頭を下げると、ルカイアはリリを引っ張りつつ、部屋を出た。


 手短な空き部屋に入ってすぐ、ルカイアはぐずぐずと泣いているリリを腕の中にしまう。


「る、ルカ、さま……っ」

「思い知りなさい、リリ」

「え……?」

「そして諦めなさい。認めなさい」


 ニッと笑ってリリを見下ろし、呆けている隙を突いて頤を掴むと、己れの唇で震えているリリの唇を塞ぐ。触れるだけではあったが、呆気に取られているうちにぺろりと唇を舐めておく。

 リリがハッとして離れようとしたが、ルカイアは許さなかった。


「逃げられると思っているのですか。この腹に、わたしの子を宿しておきながら」

「る、か……さま」

「ツェイルさまと逃げろと言ったのは、サリヴァンさまがお隠れ遊ばされた場合のことを想定しての言葉です。そうでない限り、あなたはわたしから逃れることなどできないのですよ」


 グッと腰を引き寄せて、その腹を撫でて、ルカイアはさらに笑う。


「可哀想に、リリ……わたしのような外道に囚われるなんて」

「なに、を……」

「わたしは優しくないと言ったはずですよ、リリ。だからここに、わたしとの子を身篭っているのです。あなたの血肉で育つ、わたしの子が」


 うっそりと微笑めば、リリは蒼褪めてルカイアの腕の中で身動ぎ、逃げようとする。怖がらせるつもりはないのだが、どうも自分は笑み一つでなにかしら語ってしまうようだ。


 そう、たとえばこの独占欲。

 この執着。

 この醜くも、焦がれるような想い。


「産みたくないなどとは言わせませんよ。この子は、わたしとあなたを確実に繋げるものとなるのですからね」

「……どう、して……そんなに」

「どうして? 決まっているでしょう。あなたは永遠にわたしのものだからですよ」

「わ……わたし、ものじゃないです」

「ええ、わたしのものですよ。ほかの誰でもない、わたしの、ね」


 くす、と笑うと、リリはますます怯えて身体を震わせたが、そんなのは無視だ。

 ルカイアは今、ばかみたいに笑いたいくらい、自分に呆れている。

 リリが欲しがっている言葉を、言えずにいる自分が、ばかみたいに笑える。


「わたしはね、リリ……あなたが欲しいだけですよ」

「え……?」


 嘘だ、と驚いているリリに、ルカイアはやはり笑って、深く抱きしめ直す。両腕に閉じ込めて、その肩に顔を埋めた。


「あなたがいればいいのです……あなたがいるから、わたしは立っていられるのです」

「……ルカさま」

「わかりなさい、リリ……わたしには、あなたしかいないのですよ」


 いつもひとりで、立っていた。いつもひとりで、見ていた。いつもひとりで、ただ過ぎゆく日常の中にいた。

 両親は思ったことだろう、なんて手のかからない子だ、と。親の言うことをよく聞く素直な子だ、と。

 当たり前だ。そうしなければ、ルカイアは生きられなかった。親の袂で育つしかなかったのだから、当然だ。義務的な愛情しか与えなかった両親でも、両親だと思うから嬉しく感じていた。ただ、そんなのはまやかしだと、ルカイアは随分と昔に気づいていた。サグザイール公爵の後妻を母に持つルカイアの立場は、いくら爵位が高かろうと、ルカイアの身を護ってくれるものではなかったのである。

 だからひとりを選んだ。生きるも死ぬも、ひとりを選んだ。

 そうして生きようとしたところに、リリが現われた。両親を失い、あちこちたらい回しにされてなお姿勢を正し生きる少女と、出逢った。

 そこからは語る必要もない。

 あるのは事実のみ。

 この娘が、自分のものであるということ。


「わ、わたしは……爵位も、なにもない、ただの娘で……ルカさまに拾ってもらわなければ、今頃どうなっていたかも、わからない人間で」

「それがなんですか?」

「わたしなんかが……っ、わたしなんかが、ルカさまと一緒に、いるなんてこと……っ」


 消え入りそうなほど小さな悲鳴を上げて身を固くするリリに、ルカイアはただそっと、笑った。


「諦めなさい」


 この目に、その姿を捉えられた瞬間から、リリに逃げ場などない。


「このわたしに、欲しいと思わせたのですから」

「だってわたしは……っ」

「あなたは侯爵の妻でも、ラッセ家の妻でもない。このわたしの、妻です」


 宰相ルカイアを、宰相ルカイアに成らしめているのは、リリだ。早くその現実を認めて、諦めてしまえばいい。

 ルカイアという人間は、そういう優しくない生きものだ。


「わたし、なんかで……いいんですか……?」

「あなたはわたしの妻でしょう?」

「……この子を、産んで、いいんですか?」

「当然です。産みなさい。わたしが宿らせたのですから」


 産みたくないと思っているわけではない様子に、少しだけホッとする。産みたくないと言われたら、実際どうしたらいいか、どうすべきか、ルカイアはまったく考えていなかったのだ。


「わ、たし……ルカさまを、好きでいて、いいんですか?」


 おや、と思う。好かれている自覚はあったが、その言葉をもらったことはなかった。


「あなたがわたしのものでなくならない限り、永遠に」

「ずっと?」

「ええ、喜んで」

「ルカさまは、わたしのこと……」


 にっと、唇を歪める。


「あなたは永遠にわたしだけのものです」


 逃げられないと諦めたのなら、それでいい。逃がすつもりがないということを、思い知ればそれでいい。

 簡単にその言葉は吐かない。どうせ嘘に聞こえる。その言葉を信じようとしない。信じたら裏切られると勘違いされる。

 だから、言わない。

 言えない。


「ちゃんと、言ってください」

「死ぬ前に一度くらいは言うかもしれませんね」

「ルカさま……っ」


 言うのが怖い、と自分でも笑えるそのことに、リリも笑うだろう。


「今は、わたしのものであるということに、満足なさい」


 口にすることは簡単だ。けれども、簡単ではない言葉もある。その勇気が持てるのは、きっと死ぬときだろう。

 ルカイアは口許の笑みを深めると、リリを解放してすぐ、頬を両手で包んで口づけた。







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