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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
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Plus Extra : 皇弟近衛騎士隊追送録。追記。





 午睡のまどろみにたツェイルは、ふと、高くも低くもない柔らかな音で、目を覚ました。

 頬に触れる暖かな風は秋の終わりを感じさせ、柔らかな音がそちらから聞こえてくるものであることを教えてくれる。

 寄りかかっていた寝椅子から身体を起こし、風が入り込んでくる露台へ視線を向けた。


「……サリヴァンさま」


 夕暮れの太陽を横顔に受けたサリヴァンの口が、柔らかな音を奏でている。


 詩だ。

 サリヴァンが、口ずさむように小さな声で、詠っている。


 あれは初代皇帝の詩ではないだろうか。天と大地、光りと闇、太陽と月を謳った初代皇帝が、国内全土に伝え聞かせた子守唄ではないだろうか。


 ぼんやりと、幼い頃のことを思い出した。

 父に、母に、兄に、聞かせてもらった子守唄。ツェイルは覚えられなかった。いや、詩は覚えている。けれども、詠えない。詠うと両親は顔を引き攣らせ、兄は絶賛し、姉は耳を塞いでいた気がする。だから、覚えられなかった。覚えようと思わなかった。


 サリヴァンの詠声は優しい。

 どこからともなく喜びが込み上げてくる。庭の緑も、その感極まる喜びを表わすかのように、風にたゆたいながらサリヴァンの詠声に合わせて揺れていた。


 詠う声が止むと、庭の緑の揺れが消える。

 それを見たサリヴァンはくすくすと笑っていた。


「気分がいいから、もう少しだけ贈ろう」


 そう言って、天上を祀る詩を、詠い始めた。

 再び緑がたゆたう。


 ツェイルはじっとサリヴァンを見つめていた。ツェイルが起きたことに気づいていないサリヴァンは、それからしばらく小さな声でいろいろな詩を詠い続け、夕暮れの色が闇を含み始めた頃になって詩を治めた。


「ん……なんだ、起きていたのか、ツェイ」


 夜は冷える。窓を閉めながら部屋に戻ってきたサリヴァンと目が合うと、とたんに微笑まれた。


「今日は散々だったな」


 ツェイルは午睡のまどろみにいたが、ほんの僅かな時間だ。昼食のあとのことを思い出すと、なんだかとても長い時間をゆったりとした空間にいた気がする。


「楽しかったです」

「そうか? ただ遊ばれたようなものだと思うぞ?」

「わたしも遊びました」


 遊ばれたのだろうなというのはわかっている。けれども、ツェイルも遊んでいたのだ。

 それに、遊ばれているとわかっていても、抗えないものがあった。


「サリヴァンさま」

「ん?」

「ありがとうございます」

「……なにが?」


 きょとん、としたサリヴァンに、ツェイルはもう一度「ありがとうございます」と繰り返す。そうして、首にかけられている小さな飾りを手のひらに掬った。


「贈りもの」

「あ……」


 そばに寄って来ていたサリヴァンの足が止まる。目許を少し赤らめつつ、顔を引き攣らせていた。


「いや、それは……なんだ、その……」


 なぜ逃げ腰なのかはともかく、ツェイルは首にかけられた小さな飾りをとても気に入っていた。細い金具で留められている飾りは、銀の剣と同じ輝きを放っている。

 サリヴァンが、ツェイルのために、自分の目で選んで贈ってくれた装飾だ。

 なぜか本人からではなく、近衛騎士隊の彼らから受け取ってしまったが、随分と前に用意していたものだと聞いた。

 サリヴァンは身につける装飾を好まない。必要に応じて宝飾を手にすることはあっても、置きものになっている。ときには譲り渡し、国の利益になるなら他国へ売ることもある。騎士隊の彼らからそう聞いたとき、そういえばサリヴァンはいつでも動き易そうな衣装を着ていたなと、唯一着飾っていたと思しき夜会のそれを思い出した。


「そういうのは、あまり好きではないと思うが……似合うと思ったから」


 サリヴァンはツェイルの首許を飾る小さなそれを、街を散策していたときに購入していたらしい。ツェイルに贈ろうとしていたのは傍目からでもわかったようなのだが、いつまで経っても贈ろうとせず、そうやってさまざま見つけては購入し増やしていたので、騎士隊の彼らはツェイルに盤上遊戯という遊びを持ちかけ、賭けをさせたとのことだ。


 ツェイルは手のひらに掬っていた飾りを首許に戻すと、小さく首を傾げる。


「似合いますか?」


 問うと、気まずげにしていたサリヴァンが、はんなりと笑んだ。


「ああ」


 とても嬉しそうに笑うから、ツェイルも口許が綻ぶ。ドレスを着せられて化粧をされて、髪を結い上げられて、大変な思いをしたけれども、サリヴァンのその表情が得られたことが、なによりも嬉しかった。


「ありがとうございます、サリヴァンさま」

「はは……気に入ってもらえると、嬉しいものだな」


 照れくさそうにしたサリヴァンは、着乱れた上着の裾を捌きながらそばに寄ってきて、ふわりとツェイルの前で膝を折った。


「言い遅れたが、あのドレス姿は、とても魅力的だった」

「あ……わ、忘れて、ください」

「そんな勿体ないことができるか。だが……そうだな、できればおれがいるときだけにしてくれ。ほかの奴らに見せたくない」


 さらりと、頬から首筋を流すように触れられて、その指先の妖しさにツェイルは身を震わせる。


「ここが開いているものは着て欲しくないな……」

「さ……サリヴァン、さま」

「うん……おれはツェイのことになると心が狭くなるから」


 ふっと近づいてきた顔が、ツェイルの首筋に埋もれる。吹きかけられた吐息に、身が竦んだ。


「ツェイ……」


 ちゅ、と耳朶を食まれる。身体を引き寄せられて、ぎゅっと抱きしめられた。


「長くひとりにさせて、すまなかった」

「え……?」

「もうひとりにしないから……おれのことも、ひとりにしないでくれ」


 くぐもった声は、ツェイルの首を食みながら、ゆっくりとこぼれ落ちる。グッと身体をさらに引き寄せられたと思ったら、長椅子に押し倒されていた。倒された緩い衝撃に目を瞑っていると、膨らみもない胸にサリヴァンが顔を摺り寄せてくる。


「ツェイ……ツェイ」


 ツェイルがサリヴァンにそうするように、サリヴァンもツェイルの心音を聞こうとするかのような仕草だった。

 ツェイルはサリヴァンの頭を抱え、微笑んだ。


「だいじょうぶ……だいじょうぶ、サリヴァンさま」


 ああ、幸せだなぁ。

 とツェイルは、サリヴァンの柔らかな髪を梳きながら撫でた。城を出たときよりもさらに白くなったサリヴァンの髪は、今やもう銀色だ。硬質そうなのに柔らかいのは、出逢った頃と変わらない。さらさらとツェイルの指をすり抜けて、きらきら輝く。


「ツェイ……」


 胸から顔を上げたサリヴァンは、とろんとした瞳をしていた。頬にかかっている長い前髪を後ろに撫でつけながら梳くと、猫のように目を細める。それにまたツェイルは微笑むと、サリヴァンも小さく微笑んで再びツェイルの胸に顔を埋めた。

 その重みは、心地よかった。


「子が、産まれたら……」

「……はい」

「大きな、寝台を買おう。三人で、眠りたい」

「はい」

「子を間に挟んで、三人で……もう一つの魂を、捜そう」


 瞬間的に、ツェイルは自分の中で育っている命に、息が詰まった。

 本来はふたり、けれどもツェイルに力がなくて、ひとりになってしまった小さな命。自分がもっと女らしくあれば、無事に産むことができたかもしれない。その力があれば、片翼と離れ離れにさせずに、護れたかもしれない。


「ツェイ」


 サリヴァンの手のひらが、そっと、まだ膨らみのない腹部を撫でた。


「ありがとう」


 その声が、とても柔らかくて、とても優しかったから。


「サリヴァン、さま……」

「幸せだ」


 こぼれ落ちた言葉に、心が震えた。護れなかったもう一つの命に募っていた悲しさが、ぬくもりに包まれた。


「ごめ、なさ……っ」

「ツェイ?」

「まもれ、なか……サリヴァンさまの、わたし、の……っ」


 込み上げてきた悲しい思いを、両手を使って押さえる。

 離れた手のひらを追うように、今度はサリヴァンの手のひらが、ツェイルの頬を撫で、頭を撫でた。


「だいじょうぶだ、ツェイ」


 先ほどサリヴァンに贈った言葉が、同じように贈られる。自分も口にした言葉なのに、耳にすると深い安堵に包まれた。


 ふと身体を起こしたサリヴァンに、そのまま抱き寄せられながら、腕の中にしまい込まれる。

 そっと、静かに、滑らかに、優しく、サリヴァンは詠った。

 天と大地、光りと闇、太陽と月の子守唄。


 自分でも持て余していた複雑に動く心が、なだらかに、やんわりと、波紋を鎮めていった。







*『皇弟近衛騎士隊追送録。』は、『国を継ぐ者。』の4と5の間からの話になっています。注意書きし忘れていました、スミマセン。

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