Plus Extra : 皇弟近衛騎士隊追送録。11
ナイレン視点です。
言ったのに。と思った。
けっこう凶暴らしいから怒らせるなと、言ったのに。
よくもやってくれたなシュベルツ、とナイレンは今までになく呆れた。
見ろ、サリヴァンが硬直して動かなくなった。もしこれが賭けの戦利品だと知ったら、どうなると思っているのだ。ユグドだってあまりのことに硬直し、今にも地に裂け目を作りそうだ。ラクウィルだけはサリヴァンの様子に腹を抱えて笑っているが、そのあまり呼吸困難に陥っている。
「つぇ……ツェイ……?」
漸く金縛りから解放されたらしいサリヴァンの目に映る、可憐な少女。いや、誰の目にも可憐に映る、愛らしい少女。
「サリヴァンさま……」
「!」
突如としてサリヴァンは動き出す。自らの上着を乱暴に脱ぐと、床の絨毯に座るツェイルに駆け寄り、上着ですべてを覆い隠した。そのままぎゅっと抱きしめて、また動かなくなる。
だろうなぁと、ナイレンは力なく笑った。
期待と喜びに満ちた顔をしていた騎士隊の者たちは、してやったぜ的に全員がにんまりと笑い、互いの苦心を労うかのように肩を寄せ合っている。
楽しいのは今だけだぞ、とナイレンだけは冷静である。
彼らに協力したのであろうリリは避難済みであるから、矛先はきっと彼らだけに向けられるに違いない。
サリヴァンと、ユグド、ふたりの怒りが。
「ツェイで遊んだのは誰だっ!」
と怒鳴ったサリヴァンであるが、それは彼らをますます喜ばせるだけだ。なにせ、頬が赤い。説得力がない。怖さの欠片など微塵もない。
殿下、あなたも遊ばれています。
そう教えたらどうなるだろう。
「姫さま可愛くしただけなのになんで怒鳴るんですかぁ」
シュベルツを始めとした騎士たちは大満足のようであるが、サリヴァンは、たとえ頬を紅潮させ嬉しそうでも、嬉しくない事態である。
「おれの妻でなにをしているかっ、おまえらっ!」
「賭けに負けたのは姫さまですもん。着飾らせるくらいいいでしょうが。殿下がこっそり用意してたものですし」
「お、おまっ、おれはべつにっ」
「ぜーんぶ殿下が、こっそり、用意していたものですよー。ドレスも、髪飾りも、首飾りも、指輪も、化粧品も」
「言うなっ!」
「照れ屋さんですねえ、殿下ったら」
真っ赤になったサリヴァンだが、それは騎士たちの喜びをさらに煽るだけだ。
そろそろサリヴァンも限界だろうか。
そう感じたとき、案の定サリヴァンはゆらりと立ち上がった。一歩、二歩と彼らに歩み寄り、立ち止まり、にっこりと微笑む。
「ぶちのめす」
憶えて欲しくなかった言葉をサリヴァンが吐いた瞬間、漸く彼らは気づくことができたようだった。
「あ、あれ、殿下?」
「ひとりずつ、ここに並べ?」
「え? だって、え? 殿下、姫さまを着飾らせたくて、用意してたでしょ? おれたちはそれに協力しただけで」
「並べ?」
「だ……、誰だよ殿下がこれなら泣いて喜ぶって言った奴っ!」
気づいたところで遅い。逃げ始めた彼らだが、そこはユグドがサリヴァンに協力して、片っぱしから投げ飛ばしていく。
「ちょ、殿下っ? いったいいつから隊長の技をっ……ぎゃあ!」
「ユグド隊長を味方につけるなんてひきょ……うわぁあ!」
「ナイレン副隊長なに逃げてんすか!」
巻き込まれないようナイレンは部屋の隅に避難していたが、それを咎められる謂れはない。ナイレンは、やめておけ、ときちんと忠告したのだ。けっこう凶暴らしいから、とも言っておいた。
以前のサリヴァンであれば、誰もがその腕を気軽に考えていただろうが、街に降りてからのサリヴァンは進化を遂げている。いや、進化し続けている。ツァインのあの怪力にものを言わせる技を、その小柄な身体を利用することで真似できるのだと、ツェイルに教えられているのだ。
「阿呆め……ツェイルがいるんだぞ、殿下には」
剣の腕でも騎士隊に負けない、メルエイラで育ったツェイルがそばにいるのだ。サリヴァンが進化するのも必然だと考えるべきである。
ナイレンはひょいひょいと、投げ飛ばされている彼らを避けながら、取り残されているツェイルを保護した。
「綺麗にしてもらったな、ツェイル。リリどのの力作か?」
「え……あ、うん」
「危ないから、隅にいよう。下手に部屋を出ると、あいつらが逃げるからな」
「でも、サリヴァンさまが……」
「賭けをしたあいつらが悪い」
「それは……でも、サリヴァンさまが」
サリヴァンが心配でならないらしいツェイルだが、ナイレンの目から見ても、ユグドを味方につけたサリヴァンの勝利はもう確定である。
だいたいにして、騎士隊の彼らがサリヴァンに手を上げられるわけがない。逃げ惑って、逃げ切れなくて捕まって、投げ飛ばされる運命にある。
「おれのツェイを勝手に着飾らせるな!」
「殿下が煮え切らないからおれたちがやってあげたんでしょー!」
「ツェイを着飾らせるのはおれの特権だ阿呆共め!」
「そう言いながら贈りものが置きものになるばっかじゃないっすかーっ!」
「おまえらにおれの気持ちがわかるかーっ!」
「お可哀想にぃーっ」
「んだとちゃらんぽらん騎士共―っ」
最初は焦って逃げていた彼らだが、そのうち空気の流れが変わり始め、投げ飛ばされつつもけらけら笑い声をあげるようになってきた。サリヴァンはさらに逆上していたが、ユグドの容赦ない投げ飛ばし方によって扉が両開きになり廊下の向こうに見える中庭への窓が割られると、全員をぽいぽいと中庭へ放り投げ始める。
ふと、部屋の隅で丸くなって震えている物体を、ナイレンは見つける。未だ笑い続けているラクウィルだ。
「おーまーえーもっ」
「ほよっ?」
「いつまで笑っていやがるラクウィル・ダンガードぉ!」
「ええええっ、おれ関係ないでしょーっ?」
ラクウィルも中庭に放り投げられた。
「おまえら、全員、飯抜きっ!」
中庭に積み上げられた騎士隊の彼らに向かって、扉のところで仁王立ちしたサリヴァンが、肩で息をしながら宣言する。とたんに野次が飛んできたが、どれも笑いが含まれた声だ。
「リリの飯が食いたくば反省しろ、阿呆共!」
続けて宣言した瞬間、ばたん、とサリヴァンが前のめりに倒れた。
「サリヴァンさまっ?」
ツェイルが慌てて駆け寄る。ナイレンも一瞬ひやりとしたが、それは騎士隊の彼らもそうだったようだが、ツェイルに支えられて起きたサリヴァンがひたすら呼吸を整えようとしている姿を見て、ホッとした。
どうやらかなり疲れたらしい。
「無茶し過ぎです、殿下」
「お、おまえと、ユート、も、投げ飛ば、してやるっ」
「できますか?」
そんな、呼吸困難になりかけながら、咳までして、とナイレンは苦笑する。
「ふだんから鍛えてればそんなふうにならなかったのにねぇ、殿下」
「う、るさいっ、おまえらも、黙れっ」
「体力なさ過ぎっすよー殿下ぁ」
「うる、さいっ」
「あはははは、いい気分転換じゃないですかぁ」
騎士隊の彼らはけらけらと笑う。サリヴァンで遊んでいた彼らは、しかしサリヴァンに遊んでもらいたくて、この遊びを思いついたのだろう。
サリヴァンを怒らせて、極端に疲弊させて、そうして笑い合うために。
そんな彼らを、サリヴァンは呼吸を整えながら、ふと和やかな笑みで見つめた。
「こんなに、疲れたのは、久しぶりだ」
「殿下もまだまだですねぇ」
「体力ばか、のおまえら、とは違う」
「おれらそれしか取り得がねぇんですもん。だからさぁ、殿下、あんまり無理しないでくださいよ」
「え……?」
「姫さまもずっとひとりで、頑張ってんですよ?」
ハッとした顔つきになったサリヴァンが、綺麗に着飾られたツェイルを、じっと見つめる。
「お忙しいのはわかります。ですが、奥方さまに我慢させるのは、そろそろ控えたほうがよろしいかと思います」
「ユート……」
口を挟んだのは、なぜかサリヴァンに「ユート」と呼ばれてしまうユグドだった。
「われら騎士隊がどこまでできるのか、という不安はございますでしょう。しかし、われらとて殿下の騎士。殿下に……サリヴァンさまに仕える誉れをいただいた身です。この身命をサリヴァンさまに捧げる自由を、どうかお与えください」
すっと片膝をついたユグドが、胸に手のひらを置き、頭を下げ、騎士の礼を取る。
「わが剣、わが盾、わが身命をサリヴァンさまに。そしてツェイルさまに」
そう言ったユグドに倣って、ナイレンも騎士の礼を取る。気づけば中庭で山になっていた彼らも、ひとりひとりが騎士の礼を取っていた。
サリヴァンはそれを、言葉もなく、呆然と見渡した。
「なにごと?」
と、素っ頓狂な疑問の声が割って入るまで、騎士隊の彼らはサリヴァンに忠誠を示していた。
「なんっかもの足りないと思ったらツァイン隊長だよー」
「僕がなに? というか、なにこの状況……ユグド隊長まで」
「ツァイン隊長も投げ飛ばされてください」
「僕は投げ飛ばすほうだよ。身を持って知っているだろうに」
きょとん、とした顔で現われたのは、近衛騎士隊の隊長たるツァインだ。帯剣はしているが騎士服は着用しておらず、遠出から帰ったばかりのようだ。
「なにがあったのか説明し……、あれれ、ツェイルぅ?」
ツァインの目が、サリヴァンではなくツェイルを捉える。とたんにサリヴァンががばっとツェイル腕の中にしまったが、ツァインの目は光り輝いていた。
「僕のために綺麗になってくれたのっ?」
「おれのためだ!」
「殿下邪魔」
「んなっ」
「ああ可愛い、可愛いよツェイル。こんなに綺麗になってくれて、僕は果報者だねっ」
ツェイルの姿はサリヴァンの上着でほとんど隠れてしまっているのだが、さすがはツァインだ。ツェイルのことに関しては目敏い。
「殿下頑張れぇ」
「ツァイン隊長にとられちゃわないようにぃ」
騎士隊の彼らの揶揄が飛び、サリヴァンが応戦して怒鳴り、それらを一切無視してツェイルを褒めちぎるツァイン。
ああ、こういう毎日であればいいのに。いや、こういう日がたまにあれば、自分たちは楽に呼吸ができる。
息苦しい毎日なんて、身体に悪いだけだ。
ここはやはり面白いところだと、ナイレンがひとり頷いていたとき、ぽんとユグドに肩を叩かれた。
「きみも食事抜きだから」
「え……」
「わたしもな」
「おれら、関係なくないか?」
「わたしかきみのどちらかが邸に残らなかったから、こんな事態になった」
こうなることは初めから予測していただろうに、と言いかけて、やめた。一食くらい奪われても、それくらいの価値はあったと思う。
笑いだけで腹は満ちないが、心は満ちている。
「これで殿下もおれたちを頼ってくれればいいが……」
「お優しい方だよ。わたしたちの気持ちなど、とうの昔に理解してくださっている。だが……わたしたちまで優しくなっては、殿下と妃殿下をお護りできない」
「そう……だな」
「産まれてくる御子のためにも、われらは剣となり盾となり、必要ならばこの手を血に染めなければならない。それは穢れではなく、誇りだ。非情になれというわけでないと、あいつらには言い聞かせる必要があるだろうがね」
「言わなくてもわかると思うが……殿下が、あれだから」
どこから見つけてくるのか、拾いものが多いサリヴァンである。たまには冷酷にあっても罪にはならないだろうにと、そう心配するのはいつも騎士隊の彼らだ。それらに対しての理解は大きい。
「なあ、ユグド隊長」
「わたしは隊長ではないが。なんだ」
「なんで殿下に、ユートと呼ばれるんだ?」
「……訊いたことがないな」
変な質問をしてしまったが、ちょうどいいので訊いてみた。しかし、ユグドにもわからないらしい。
「いつのまにかユートと呼ばれるようになっていたからな」
「それはですねぇ」
「……っ、侍従長?」
いつのまにか背後に立っていたのはラクウィルで、その顔は楽しそうににんまりとしていた。この男はいつでも楽しそうだ。
ぎゃあぎゃあとサリヴァンや騎士隊の彼ら、ツァインが騒いでいる中、ナイレンとユグドはラクウィルからサリヴァンの小話を聞き、その謎を明らかにして、はははと肩を震わせて笑った。
これにて『皇弟近衛騎士隊追送録。』は終幕となります。
リクエストありがとうございました。
読んでくださりありがとうございました。