Plus Extra : 皇弟近衛騎士隊追送録。10
ナイレン視点です。
ヴァルハラ公爵家は、そこに住まう尊きお方を守護すべく、騎士が在住している。邸の外庭を挟んで建立された宿舎が、十名ほどの隊の騎士たちが休む場所だ。
「やっと全員の引っ越しが終わったところなのに、また移動するのかよ?」
十名のうち数人が食堂で、ナイレンを囲むようにして昼食を摂っている。とはいえ、ヴァルハラ公爵家には下手に人間は置けないので、美味しい昼食を口にしているわけではない。隊の中で自炊ができる者が、食事の担当者だ。たまにラクウィルやリリが出張してくれて美味しいものを口にできることもあるが、今日はその日ではなかった。
「まだ決まったわけではない。ただ、ここも安全ではなくなってきた」
「隊長と侍従長の喧嘩はひどかったからなぁ」
先日の騒動を思い出し、ただでさえそれほど美味いわけではない食事が、さらに不味くなった気がした。
「それとは、別問題なんだが……」
「冗談だよ、わかってるって。でもなぁ……これ以上のものは、難しくないか?」
結界も張ってあるんだろ、と別の口が開かれる。
「なあ副隊長、いっそ火に油を注いで粛清しちまったほうが、早くないか?」
「その許可は出ている」
「お、じゃあさっそく動こうじゃないの」
「ただ、殿下はご存知ない」
「あー……だめだな」
「理解が早くて助かる」
この騎士宿舎に集う十名の騎士は、宰相ルカイアの一存で集められた騎士たちであるが、もともとはサリヴァンが皇帝であったときの近衛であったり門番であったり、衛兵であったりした、サリヴァンとの関わりが個人的にあった者たちだ。
サリヴァンが皇弟であったという真実を知った今でも、彼らはこうしてサリヴァンを護るために集っている。
「しかし気に喰わないね」
ふと、ナイレンの横に座る騎士、隊ではもっとも古株のユグド・コール・シュミッドが、誰よりも先に食後のお茶を飲みながら呟いた。
食事をしていた者、すでに終えた者、ただ休憩している者たちの視線が、一気にユグドに集まる。
「なにが気に喰わないんだ」
ユグドはシュミッド子爵家の末子だが、貴族然とした態度はそういう者たちの皮肉や厭味を浴びない限り、見せることはない。もともと寡黙で、非番のときは必ず図書館で読書をしているという、もの静かな男だ。
そんなユグドが「気に喰わない」と言ったのは、己れの現状への不満ではないだろう。この隊で古株だということは、サリヴァンが皇帝として立ったその瞬間から、かの騎士であったということなのだ。ナイレンよりもサリヴァンを知っている男が、現状への不満を今さら述べるわけがない。
そもそも、不満があったらこうしてこの隊、皇弟近衛騎士隊に所属しているわけもない。
皇弟近衛騎士隊が編成されるとき、宰相ルカイアは全員に同じ質問をしている。
『サリヴァンさまが真上陛下ではなくとも、よろしいですか』
問いに対して、この隊に所属することとなった者たちは一様に、「陛下が陛下であっただけのことです」と答えたらしい。サリヴァンが陛下という場所にいたというだけのことだ、と答えられた者たちが集まったということになる。
つまるところ、ここにいる皇弟騎士隊の騎士たちは、サリヴァンの気性を気に入るか、或いは好いて、或いは面白半分で、その命を捧げているのである。
いくらユグドが、貴族でなにを考えているかわからなくて、その態度が忠誠を誓った騎士らしくなくとも、サリヴァンの許に集った者たちとその心は同じなのだ。
「きみたち全員が同じとは限らないが……わたしは殿下をお護りすることに全力をかけるよ。不安すら感じさせないようにね」
ユグドの言葉に、数人が「それはそうだが」と口ごもる。
「なら、必要なことはやるべきだ」
「そうは言うが、殿下は……」
「黙りなさい。殿下は優し過ぎる。わたしたちまでその優しさを持ってしまったら、誰が殿下を護れるというんだい」
ユグドの言葉は重い。ここにいる者たち全員が、サリヴァンを護りたいと心から思っているからこそ、ひたすら重い。
「考えなさい。どうすれば殿下をお護りできるか。わたしたちが殿下にできることは、それだけだよ」
言うだけ言うと、ユグドは席を立った。重い沈黙の中、さっさと食堂を出て行く。
ナイレンは短く息をつくと、ユグドの背を追って食堂から出た。
「ユグド隊長」
その背にはすぐに追いつけたが、呼びかけにちらりと振り返っただけで、立ち止まることはない。すぐに正面を向き、すたすたと歩いて行く。
「ユグド隊長」
「わたしはもう隊長ではない」
「ああ、失礼。どうもアインよりユグドのほうが隊長っぽいので」
そもそもツァインが隊長となる前まで、ユグドが隊長だったのだ。ツァインの部下でもあるが、ユグドの部下でもあったナイレンとしては、どうも隊長というのはユグドしか考えられない。ほかの騎士たちもそう思っているようで、彼らはツァインだけでなくユグドのことも隊長と呼んでいる。呼ばれるたびユグドは「隊長ではない」と返しているが、ツァインもユグドを隊長と呼ぶので、その戒めは隊の連中に効果がなかった。
「……ツァインはどこに行ったんだ」
「メルエイラの網を張りに、ちょっと遠出を」
「……あれが隊長らしくしないから、わたしがそう呼ばれる……少しは腰を落ち着けていられないのか」
「ユグドとアインでは……天地の差が」
無理がある。ツァインはもともと自由奔放だ。隊の規律を守ったためしがない。それでもツァインがユグドからそれなりの信頼を得ているのは、サリヴァンへの絶対的忠誠と、その剣の腕前である。
「ナイレン、われらがなんと呼ばれているか、知っているか」
「皇弟近衛騎士隊が、か?」
「簒奪の狼煙を待つ者、だそうだ」
「それはまた……随分な隊だな」
「否定したところで、それをさらに否定される。殿下の味方は少ない」
ユグドの心配は、顔には出ていないが、声に込められていた。
「まあ、おれもツァインに教えられるまで、殿下がおられたことは知らなかったが……」
「十八年、幽閉されていたと聞いた」
「……閣下から聞いたのか?」
「殿下は口になさらない。わたしが問い詰めた」
「よくわかったな。一見しただけでは、殿下と陛下は双子のようだぞ」
「どこが似ている?」
わざわざ立ち止まって、その疑問を真面目に訊かれた。
「全体的に……よく見れば差異は見つけられるが」
「……似ているとは到底思えない」
不思議だ、という顔のまま歩を再開させたユグドは、そのまま宿舎を出る。
任務の交代時間でもあったので、ナイレンもそれに続いて宿舎を出た。
「似ているから入れ替わりが成立したんだぞ」
「見る目のない連中だね」
ユグドに断言されては身も蓋もない。
緑が多い庭を抜けると、目の前にはもう仕事先の邸があり、ナイレンとユグドは早朝から警護の任務についている騎士のところへ、迷うことなく歩みを進める。広大な土地の中にある邸は、その規模も広大ではあるが、使われている部屋が限られているため、人の気配は常に薄い。しかし人が動く気配はその分、よく把握できた。
警護すべき部屋が見えてくると、扉のまえにひとりだけ待機していた。
「シュバルツ、クラウスは?」
「中だ。てか、おれの名前はシュベルツだ」
「あ、すまん」
ふつうに部下の名前を間違えて、しかし気不味い空気にはならない。シュベルツ・ストライカーという騎士は、自分の名前がよく間違われることを理解している。
「なぜクラウスは中にいる。妃殿下になにかあったのかい」
ユグドが怪訝そうに尋ねると、シュベルツは一瞬だけきょとんとし、「まさか」と笑った。
「遊んでる」
「……遊んでいる?」
「盤上遊戯だよ。落ち込み具合がひでぇもんだから、クラウスが遊びませんかって声かけたんだ。気晴らしにどうかなぁって程度で提案したんだが、これが真剣な遊びになっちまって。朝からずっと遊んでんだ」
「……真面目に仕事をしろ」
「だって姫さまが落ち込んでるの見たくねぇもん」
ユグドの低い声に、しかしシュベルツは気にした様子もなく、けろりとしている。
「それに殿下も、やっと休まれたかと思ったら、また城だろ? 姫さまひとりぼっちだ。これくらいいいだろ」
さしものユグドも、ツェイルの状況は理解しているので、言葉を控えるように小さく肩を竦めてみせた。
「遊ぶのもいいが、きみたちは交代だ。休憩したら皇城に向かいなさい」
「それ、代わってくんね?」
「うん?」
「見ろよ」
シュベルツは部屋の扉を少しだけ開け、中の様子を見るよう促してきた。促されるままこっそりと中を覗けば、盤上遊戯に真剣なツェイルと、けらけら笑いながら相手をしているクラウス、ツェイルを応援しているリリとその息子の姿があった。
「姫さま、楽しそうだろ」
シュベルツがにっかりと笑ってそう言う。ツェイルのあの無表情が読めるとは、さすが人懐こい騎士だ。
「ほんとは休憩してる奴とか、非番の奴らも呼んでみんなでやりてぇんだけど……だめ?」
「警護を怠るな」
「やっぱだめかぁ」
ユグドは厳しい。理解は示してくれるが、必要なことはやらなければならないという頭があるので、融通を利かせてくれないのだ。
だから、ナイレンが口を挟む。
副隊長という権限を使って。
「おれが城に行く。ラクウィルがいるから、おれひとりでもいいだろう」
「え……じゃあ」
シュベルツの顔がパッと明らむ。
「おまえたちの昼食を運ばせるついでに、声はかけてみる」
それでいいだろう、と提案すると、シュベルツは力いっぱい頷いた。ユグドは気難しそうな顔をしたが、やめろとは言わない。
「わたしも城に行こう」
そう言って、さっさと背を向けて来た道を戻ってしまう。
「ユグド隊長、ありがとうございます!」
「わたしは隊長ではない」
否定しながらも、肩で笑っていた。
「シュベルツ、純粋な遊びにしておけよ。賭けなんてした日には殿下の雷が落ちる」
「それも楽しそうなんだけどなぁ」
「やめておけ。けっこう凶暴らしいぞ」
「え、そうなのか? 見てみたいなぁ。ふだんおとなしいから」
怒らせてみたいな、などと言うシュベルツの肩を叩き、とりあえずその場を任せると、ナイレンもユグドと同じように来た道を戻った。
先に外へ出ていたユグドは、門番がいるはずのそこでナイレンを待っていた。
「伝えておいた」
融通は利かないが、理解は示してくれるユグドだ。門番をしていたはずの騎士に伝えることで、休憩している者や非番の者をツェイルのところへ集わせる算段を取ったようである。
「ただし、制服着用は義務づけた」
「さすが隊長」
騎士服でなら、帯剣の必要がある。なにか有事の際は、彼らは剣となり盾となるだろう。
「しかし門番がいないのは……危険だな」
「その心配は無用だ」
ユグドが、たんっ、と足の踵で地面を蹴る。
「バルサ、頼んだよ」
にょおん、という可愛らしい獣の鳴き声のあと、いつのまにかそこに大きな猫が座っていた。一瞬狼かと見間違えたが、きちんと猫の顔をしている。
「行くぞ、ナイレン」
説明もなく厩のほうへ歩き出してしまったので、慌てて追いかける。
「あの獣は……」
「バルサ。山猫だ」
「山猫……大き過ぎないか?」
「精霊のようだからね」
「精霊って……ユグドは天恵者なのか」
「いや。バルサは殿下が連れてきた。わたしが世話を頼まれただけだ」
ああ、あの拾い癖、と思わず納得する。
「いつのまに拾ってきたんだ……しかも精霊を」
どうやって見つけてくるのかも不思議だ。
「拾ったというより、バルサが勝手に懐いてついて来たようだ。それに、殿下はバルサが精霊だと気づいておられない」
「気づいてください、殿下。あんなにでかい猫はいません」
「無理だろうな。意外と鈍いお方だ」
確かに意外と鈍いところがある。
あの大きな猫が精霊だと進言すべきか、本気で悩んだ。
そうしているうちに厩に到着したので、厩舎番に愛馬を出してもらうと、ナイレンはサリヴァンの許へ行くべくユグドと馬を走らせた。