Plus Extra : 皇弟近衛騎士隊追送録。9
ナイレン視点です。
ツェイルとサリヴァンを寝室に運び、それまでいた部屋にラクウィルと戻ると、フィジスの姿は消えていた。ツァインだけが、窓辺に佇んでいる。
「お嬢さんは帰ったんですか?」
「足にしただけだからね」
「あしって……婚約者に対してそれはどうでしょうね」
「フィジスなら喜ぶ」
「……素晴らしいお嬢さんですね」
ラクウィルのため息には、ナイレンも同感する。しかしフィジスが変わった女だという認識はあるので、ツァインの態度を非難する気はない。
「殿下は?」
ツァインの問いは、ナイレンではなく、ラクウィルに向けられていた。
「このところ眠っていなかったので、漸くそれがきただけですよ。明日……いや明後日の朝まで、起きないでしょうね」
「そう……ツェイルのほうは?」
と、問いがナイレンに向けられる。
「動揺はひどいが、殿下のそばにいればだいじょうぶだろう」
簡潔に答えれば、ツァインはホッとしたように息をつき、視線を窓の向こうに移した。
「思った以上に手強いね」
「簡単だとでも思ってたんですか」
「いいや? ただ、予想以上に動きが早くて、手間取ったからね」
「それはサライのせいですよ。あんな訓練をしたせいで、サリヴァンを多くの貴族に公表することになったんですから」
「そのわりには侍従長、嬉々として参加していたよね」
「サライを信奉する連中を叩きのめしたかったので」
「異形の死神は健在だね」
くす、と笑ったツァインが振り返る。その顔には笑みが張りついていたが、薄紫色の双眸はひどく冷めていた。同じようにラクウィルも、凍えそうなほど冷めた目をしていた。
「悪鬼と謳われた白紫の剣士ほどじゃあないですよ。あの魔法師を、切り刻んだそうですね?」
「弱かったから」
「ディアルでも有数の魔法師だそうですよ」
「へえ……あの程度で」
「ナルゼッタの小娘も……殺したそうですね?」
「誰のこと?」
「姫を攫った貴族の娘ですよ」
「……ああ、あれか。うん、殺した。始末はナイレンに頼んで、報告書には護送中に自殺したことにしたはずだね」
「おれに任せられていたことなんですけどね?」
「さっさと殺しておけばよかったのに」
「……そう思いますよ」
珍しく、ラクウィルから忌々しげなため息がこぼれる。飄々としている印象が強かったが、サリヴァンやツェイルのことになると、どうやら性格が変わるようだ。本当に、サリヴァンやツェイル以外は「どうでもいい」と考えているのかもしれない。
似ているな、と思った。
ラクウィルとツァインは、似ている。その思考回路が、その凶暴性が、その狂いようが、ひどく似ている。
「まったく……手駒を増やしたいのに、あなたのせいで逃げられますよ」
「僕だけの責任かなぁ」
「嫌われるのはおれだけで充分です」
「だから殿下は安全のはずだよね?」
「おれの影響力は、術師だけに限られます」
「ああ、だからあの訓練で、その剣さばきを披露したわけか」
「おれは異形の《天地の騎士》ですから」
「はは、確かに。二つの属性天恵に留まらず、三つめの無属性天恵があるとなれば、異形の名にも箔がつく」
なんでもないかのように話すふたりに、ナイレンだけは内心で驚いた。ラクウィルはやはり《天地の騎士》で、天恵術師としては異例の天恵を所有しているのだ。
「ラクウィル」
「はい?」
「あんたの天恵は……おれにはよくわからないが、その……かなりの代償があるんじゃないのか?」
「ええ、まあ。ただ三つもあると、どこに代償があるのかわからないんですけどね」
ラクウィルもツァインと同じように、心に欠陥があるのだろうか。だからふたりは似ているように感じるのだろうか。
「そもそも天恵が三つなど、例外も例外だからな……」
ナイレンには天恵がない。いや、僅かながら火の天恵はあるが、きちんとした教育も訓練も受けていないので、精霊と契約できるほど力は確立していない。それでも、稀有なほうだと言われる。
一つの天恵を確実に扱えるだけでも重宝されるのに、三つもあれば脅威と認識されるのはわかる気がする。
「今さらなに、ナイレン」
「いや、べつに。気になっただけだ。おれには天恵なんてもの、ないからな」
「火種は作れるだろ」
「それだけだ」
ナイレンのそれは、煙管を吸うためだけの力だ。それ以外に使い道はない。
「ナイレンは、火の天恵があるんですか?」
「精霊と契約できるほどではない」
「では、どうやって火種を?」
「ディアルの魔法だ」
こうやって、とナイレンは指先に意識を集中させ、火を点らせる。ラクウィルはそれをまじまじと見ていた。
「ディアルの魔法は便利そうですねぇ」
「発動できる者は限られるらしいが」
「ナイレンは発動させていますよね?」
「おれは……」
言っていいのだろうか、と迷いつつ、その視線をちらりとツァインに向けると、ツァインは笑って肩を竦めてみせた。
「どうやらおれは、ディアルの生まれらしいんだ」
「え? ヴェルニカじゃないんですか?」
なぜヴェルニカ帝国、と首を傾げかけて、ああ、と思い出す。
「目が蒼いのは、片親がヴェルニカの生まれだからだ」
ナイレンの瞳は、ヴェルニカ帝国の者に多い蒼色だ。それでよくヴェルニカの生まれなのだろうと思われるが、そうではない。
「ナイレンの出自は面倒だよ、侍従長。ヴェルニカとディアルの両親なのに、育ちはヴァリアスだから」
「三国同盟ですか」
「あはは、そうだね」
ツァインは気にした様子もなく笑うが、これでも昔はこの外見のせいで大変だったのだ。ヴァリアスの特色ではない瞳、かといってヴェルニカの特色でもない髪、傭兵であったからとくに忌避されはしなかったが、どこの人間であるかわからないというのは混乱を招く。仕事に支障をきたすことは多かった。どうやらディアルの血が混じっているらしいと知ったのは、その国の魔法が遣えると知ったときだった。
「まあ、両親がそうなんだろうという、憶測でしかないがな」
「憶測?」
「おれは親の顔を知らない。気づいたときには傭兵だった」
「それはまた……まあ、おれも人のことは言えませんが」
そういえば、ラクウィルの出自も謎だ。ナイレンが初めてラクウィルと逢ったのは、ツァインに連れられて騎士隊に入ったときのことである。今からざっと五年ほど前のことだ。
「侍従長って、ヴァリアスの特色っていうより、皇族の特色丸出しだよね」
「らしいですね。サリヴァンに初めて逢ったとき、ちょっと吃驚されました」
「ご落胤だったりして」
「さあ? 流れ者の両親でしたよ。その両親は世界共通の色でしたね」
貴族ではなかったのか、とナイレンは少し驚く。どうやってサリヴァンと出逢ったのだろう。
「そういうツァインも、瞳はまあ別として、髪は皇族ですよね。姫もですが」
「ご落胤かも」
「姫ならいいですが……ツァインなら最悪ですね」
「なにそれ」
「世界を破滅に導きたいでしょ?」
「……うん、楽しそうだね」
満面笑顔で答えたツァインに、ナイレンはラクウィルと一緒に顔を引き攣らせた。
この男なら笑いながらやりかねない。
きっと、ラクウィルもそう思ったに違いない。
しかし。
「ツェイルがいない世界なら、滅んでしまえばいい」
そう言ったツァインに、引き攣っていた顔もその筋肉が緩む。先に苦笑をこぼしたのは、ラクウィルだった。
「そうですね。サリヴァンと姫が笑えない世界なら、滅んでしまえばいいと思いますよ」
ツェイルで世界を回すツァインと、サリヴァンで世界を回すラクウィル、似ているのはここかとナイレンは漸く理解する。ふたりと考えは違うが、面白くない世界なら潰してしまえばいいとナイレンも思っているので、ふっと笑って肩の力を抜いた。
「協力する」
そう言えば、三者三様の笑みがこぼれた。
世界を敵に回すなんて、そんな大それたことなどできるわけがない。ひとりの力で、世界を破滅させることなどできるわけもない。それでも、そう言いたい気持ちがここに在る。世界に牙を向ける意思が、確かに存在する。
護りたいものを、護るために。
「次は、なにを仕掛けてくるかな」
「火に油を注いでもいいですよ。本当はディアルの王弟サマを強制送還したいところなんですが、サリヴァンが許してくれませんし」
「目下の問題はそれなんだけれど……なんで殿下は王弟サマを庇うの?」
「そのうち話すとは言ってましたがねぇ」
話題が初期のものに戻り、互いの顔つきが変わる。ナイレンも、余計な話題を振ってしまったことを恥じながら、今後のことに頭を切り替えた。
「瀕死の状態できた、と言っていたが……巡幸か遊学ではないのか?」
「サリヴァンが拾ってきたんですよ」
「……王弟は拾うものなのか?」
「昔から拾い癖があるんですよ。城の私有地の森にいる動物は、サリヴァンが拾ってきたんですから。おれもそのひとりですし」
僕もかな、とツァインがラクウィルの言葉に加わる。おれもだな、とナイレンも思った。
「王弟サマの次はなにを拾うつもりかな」
「……王サマですかね」
「ということは……ディアルとは長いつき合いになりそうだね」
「シェリアンの公子は拾い済みですからね」
「……、それもそうだね」
笑えない。天地関係なく拾ってくるサリヴァンだ。問題すら、巻き込まれているというよりも、実は拾ってきているのではなかろうか。
「まるで、世界からこぼれ落ちたものを、拾っているみたいです」
ラクウィルのその呟きに、ツァインもナイレンも、思わず口を噤んだ。
「どんなものでも気にして、駄目ですね……そんなふうに育てたつもりはないんですが」
「侍従長があんなふうに育てたの?」
「いえ猊下ですが。ん、アルトファルかな……おれはサリヴァンのこと、弟だと思ってますから。ああいや、弟ですね。可愛い弟です」
「お兄ちゃんだねぇ、侍従長も」
「あなたほどではないですよ?」
「張り合えるでしょ」
「……まあ、否定はできませんね」
どっちもどっちだ、とナイレンは思う。
「じゃあまあ、火に油を注いでもいいなら、僕はメルエイラの網をもっと広げるよ?」
「その網っていうのは、どんなものなんですか?」
「人間」
「いや、それはわかりますよ」
「メルエイラの生き残りだよ。僕は族長だからね」
「ふむ……どこまで広げられるんですか?」
「ナイレン」
呼ばれて、考える。
「大陸に問題はない、な。海向こうも、属国の近辺ならメルエイラが確立させた傭兵団があるから、問題はないだろう」
「メルエイラの傭兵団……知らない情報ですね」
「ああいや、創始者がメルエイラの者だったというだけで、おれの繋がりだ。アインに逢うまで、そのことは知らなかった。公にもされていない」
「傭兵繋がりですか……けっこうな戦力ですね」
そうでもないよ、とツァインが口を挟む。
「知っての通り、メルエイラの直系は僕らだけだ。僕の言葉で動いてくれる者は国内に限られる。ナイレンの言葉で国外の者を動かせるかは、まだわからないよ」
「そのために、網を広げるんですね?」
「情報だけでも必要だろう?」
確かな戦力は、常にサリヴァンのそばに在るツァインやナイレン、そしてラクウィルだけだと考えたほうがいい。それにはラクウィルも納得してくれた。
「国を……民を、敵に回す覚悟がありますか」
「皇城の連中を殲滅するだけじゃ足りないかな?」
「……それだけの戦力があれば充分ですね」
「本当に、戦う力だけ、だけれどね」
剣を、天恵を、本能の赴くまま揮う力だけが、サリヴァンの周りには集結している。あとに必要なのは、人間と人間を結ぶ信用という絆である。
「しばらくツァインには黙っていてもらわないといけないので、網を広げる作業に没頭してください」
「僕は歩く凶器かなにかなの?」
「歩いていなくても凶器でしょう」
「わあ、ひどいなぁ……僕はツェイルのことしか頭にないだけなのに」
「たまには婚約者どののことも考えてあげましょうよ」
「考えると殺したくなる」
うんざり、という顔をしたツァインに、ラクウィルが笑う。
「いい婚約者ですねえ」
「あげるよ」
「ネイがいますから」
「あー……よくもうちの妹を誑かしてくれたよねえ、侍従長」
「誑かされたのはおれのほうじゃないですかね」
なんだかいやな空気になってきた、と感じるのは気のせいではないだろう。
「侍従長、手合わせしない?」
「ええ、いいですよ」
「庭に出ようか」
「天恵はなしにしましょうね。邸を壊しちゃいますから」
「剣一本で充分だよ」
互いににこにこと微笑みながら露台から庭へ移動するツァインとラクウィルを、ナイレンは半眼で見送る。
「今後のことを考えていたんじゃないのか、あんたら……」
そのぼやきは、誰の耳にも届くことはなかった。