Plus Extra : 皇弟近衛騎士隊追送録。6
ナイレン視点です。
おまえはツェイルのそばにいてくれ、とサリヴァンに頼まれたので、ナイレンは車の手配をしたあとは数人の部下をサリヴァンとラクウィルに頼む形で護衛につかせ、邸に留まった。
見送りに出てきたツェイルの後ろにシュネイと並んで控え、その姿が見えなくなってから邸内に戻る。
「ナイン」
「……なんだ?」
「なにか悪いことが、起きているのか?」
ツェイルは勘がいい。昔からそうだ。自分やサリヴァンが絡むことであればなおさら、それを隠し通すことはできない。
「ディアル・アナクラム王国を、知っているか?」
「でぃある……海を隔てた向こうにある、島国か?」
「ああ。その国の王弟が、一カ月ほど前から行方不明だったらしい。おまえを襲った奴らは、その王弟の捜索隊だ。どうもどこかの貴族連中に言い包められて、利用されたらしいな」
「……わたしがいれば、王弟が見つかるのか?」
「口実だ。おまえは殿下の弱点だからな」
「サリヴァンさまを狙っていたのか」
「うちの貴族連中が、な。異国の者を使うことで、自分の手を汚さずに済まそうとしたんだろう」
「では……ディアル国の人たちは、本当にただ利用されただけか。わたしを使って、サリヴァンさまを傷つけて……」
そうなる、とため息をついて肩を竦めれば、無表情のツェイルにも僅かに不愉快そうな空気が漂う。
「……ツェイル、おまえは動くなよ」
「どうして」
「ひとりの身体じゃない。それに……」
ナイレンは手のひらを伸ばし、その真っ白な頬にそっと触れた。
「無理はするな。さっきより顔色が悪い」
この小さな身体に、新しい命が宿っている。それはナイレンにとって未だ信じられないことだ。
「アインとトゥーラが、メルエイラの者たちを動かしている。殿下も、動かれている。おまえはおとなしくしていろ」
「わたしにもなにか」
「できることがあるとしたら、それは身体を休めることだ。おまえが倒れたら、殿下が悲しむ」
サリヴァンの気持ちを考えろ、と言うと、ツェイルはやや悔しそうに俯いた。
「サリヴァンさまにばかり……どうして」
「ツェイル……」
「わたしは、護られてばかりだ……サリヴァンさまを護りたいのに」
俯いていたツェイルは、そのままぺたりと、両膝を抱えて地面に蹲る。追いかけて膝をついたとき、その華奢な肩は微かに震えていた。
「サリヴァンさまのおそばにいたい……っ」
肩に置こうとした手が、止まる。
ツェイルが誰かを、人を求める姿を見るのは、初めてだ。一緒に戦っていた頃、この小さな少女は誰よりもおとなびて見えたものだったが、やはりあれは錯覚か、見当違いだったのだ。
「……とにかく、邸に入ろう。少し休め、ツェイル」
立つよう促しても動かなかったので、ナイレンは失礼してツェイルを抱き上げる。その身体はとても軽く、しかし抱かれた想いは強く重たいものだった。
シュネイに手伝ってもらってツェイルと邸に入ると、心配げな顔をしたリリがいたので、部屋に案内してもらう。そのまま寝室まで連れて行き、寝台に横たわらせたあとはリリに任せた。
「今の姉さまは、ちょっとでも目を離すと、ああなっちゃうのよ」
寝室の扉を閉めると、一緒に部屋を出たシュネイが、そんなことを教えてくれた。
「ああなる、とは?」
「自分を責めるの。赤さまができたことはすごく嬉しいのよ? でもね、どうしても浮かれてばかりではいられないの」
「そういう話は……稀に聞くが」
「そうね。その類いのものと同じだと思うわ」
お茶を飲みましょう、と誘われて、つい昔馴染みということもあって頷いてしまってから、自分の立場を思い出した。
「隣の部屋で、いいか?」
「あ、ナイレンは近衛騎士隊の副隊長さんだったわね。ごめんなさい、うっかりしていたわ」
寝室の隣には居間がある。とはいえサリヴァンとツェイルが常に使う居間であるから、自分たちが入って休んでいい場所ではない。いつもなら廊下に控えるか、或いは庭先にいるかだが、先にあったことを考えると常にそばにいたほうがいいだろう。そういうときは入室を許可されているので、ナイレンはシュネイと一緒に、居間に控えさせてもらうことにした。
「そういえば……なぜツェイルはシュネイに、ラクウィルを呼べと言ったんだ?」
「ん? ああ……あたしの声ね、ラクさまは聞こえるみたいなの」
「シュネイの声が?」
「そう」
頷きながら、シュネイは手ずからお茶の用意をしてくれる。もともとそういう時間にしようと思っていたらしく、道具はすべてそろえられていたので、こういったことが得意なシュネイは手際よくお茶を出してくれた。
「すまない」
「いいえ。ちょっとぬるめになってしまったけど」
「かまわない。それで……ラクウィルはおまえの声が聞こえるから、あんなに早く到着できたわけか」
「仕組みはわからないのよ? ラクさまも、よくわからないそうなの。ほら、天恵ってそういうものらしいじゃない。あたしには天恵がないから、はっきりとしたことは言えないのだけれどね」
「おれも魔術は遣えるが、火種くらいしか作れないからな……天恵のことはよくわからない」
シュネイが淹れてくれた少しぬるめのお茶を飲みながら、ふっと息をつく。
「たまにね、思うの。あたしにも天恵があれば、姉さまや兄さまを苦しみから助けられたかしら……って」
「そんなにぽんぽん天恵者に出られたら、おれの食いぶちがない」
「ふふ、そうね。だからあたし、可愛くいることにしてるの。あたしは剣も揮えないし、天恵もなくて無力だけど、いつも笑っているように心がけてる。あたしが笑うと、姉さまや兄さまは笑ってくれるから」
シュネイは末子ということもあって、甘えん坊ではあるが、きちんと考えて行動している。闘いにおいて不向きであるシュネイは、その場で邪魔にされたら自決すらしてしまえるだろう。そういう覚悟を持った、メルエイラの少女だ。
「でも、だめなの……あたしが笑っていても、イル姉さまは笑わなくなってしまったわ……あたしを気遣って無理に笑おうとするの」
あの無表情の中から感情を見つけられるのは、さすがは妹、というところだろうか。ナイレンはその空気をなんとなく読めるだけで、あの無表情を読み解くことは不可能だ。
「本当はとても弱ってるのよ、姉さま……赤さまが、とても強い力を持っているから、そちらに取られてしまうんだって」
「強い力?」
「あたしやユーリ姉さまみたいな身体だったら、問題はないらしいの。イル姉さまは、天恵の代償で身体が小さいから……無理があるのよ」
あの小さく華奢な姿を見れば、確かにそれは、誰もが一見しただけで思うことだろう。ナイレンが未だ信じ切れていないように、新しい命がそこで育まれているとは、到底思えない。
「本当に子ができたのか?」
「嘘だと思って? 本当のことよ。この前までは、その命も危ぶまれたんだから」
「……聞いてない」
「アイン兄さまは説明を省いたようね」
そのようだ、とため息をついて、シュネイにそのときのことを教えてもらう。さまざまな問題があったのだろうなとは予想していたが、それを遥かに超えたものを聞かせられて、正直、相槌も打てずにただ聞くだけになってしまった。
「次代の国主……殿下と同じ力が」
「ええ。イル姉さまの懇願を叶え、そして殿下に悲しみを与えたものよ」
「……大変、だったな」
「そうね。でも、嬉しいの。不幸なんてどこにもないわ」
そうでしょう、と訊かれて、どう答えればいいのか迷った。
ツェイルの願いは叶えられたが、宿した子は大きな力を授かっており、それはサリヴァンが望まぬものだった。
そういうことなのだが、ツェイルとサリヴァンは子ができたことをとても喜んでいる。
「難しいな……」
ナイレンはツェイルが戦場に立つ姿を、幾度も見ている。その表情を見ている。女として生きるものか、生きられるものか、という絶望を垣間見ることは幾度もあった。
そんなツェイルが、サリヴァンという伴侶を得て、女として生きている。子を宿せたことがどれだけの幸せであるか、男であるナイレンには到底知り得ないことではあるが、シュネイの言葉を聞けば僅かながらも察することくらいできる。
不幸はいったいなんだろう。
どこにも不幸なんてないというシュネイの言葉は、存外に重いものかもしれない。
「次代の国主……か」
「片翼だ」
「え?」
ぼそりと呟いただけだったのに割り込んできた声が、ナイレンを少し驚かせる。
寝室に運んだばかりのツェイルが、真っ白な顔で、そこへ繋がる扉を開けていた。
「イル姉さま、休んでいなくてはだめよ」
「いやだ」
シュネイが慌ててツェイルに駆け寄ったが、ツェイルはそれを拒絶し、触れようとした手のひらですら払ってしまう。
さすがのナイレンも、その顔色の悪さは尋常ではないとわかるので、ツェイルを寝台へ戻すべく長椅子を離れた。
「ツェイル、休めと言ったはずだ」
「この子は片翼だ」
「ツェイル……頼む、休んでくれ。殿下を悲しませたいのか」
「わたしにその力がないからっ」
顔を悲しみや寂しさに歪め、ぼろりと涙をこぼして叫んだツェイルに、ナイレンは気圧される。
「イル……」
この少女は、こんなに自分の感情に揺さぶられるほど、豊富な感情を持っていただろうか。いや、持っていたのだ。メルエイラを否定するわけではないが、ツェイルの感情を根こそぎ奪うような生活のせいで、本来は豊富であるさまざまな感情が、サリヴァンと出逢ったことで取り戻すことになっただけだ。
ああ、そうか。
ナイレンはふっと、苦笑した。場違いなナイレンのそれに、シュネイやリリは怪訝そうに、しかしツェイルを心配して蒼褪めていたが、ナイレンは苦笑をさらにただの微笑みに変える。
「連れて行ってやる」
そうして、手を差し伸べる。涙で潤んだ薄紫色の双眸が、色を薄めて、ナイレンを見やる。
「サリヴァンさまのそばにいさせて」
縋るように伸びてきた手を、そっと取る。そのままナイレンは膝をつき、騎士の礼を取った。
「御意に」
この少女は、やはり少女だった。そして、愛をよく知るひとりの人間だ。
メルエイラの人たちは見ていて飽きないなぁと、まったく関係のないことを思いながら、ナイレンは感情を蘇らせた妹をその夫のもとへと送り届けた。