Plus Extra : 皇弟近衛騎士隊追送録。5
ナイレン視点です。
どういう連絡が回ったのか、婚約者のところへ行ったはずのツァインが、騒ぎが鎮まるとしばらくして姿を見せた。その顔にはいつもの笑みはなく、冷え冷えとしている。
「歯を食いしばる暇なんかあげないよ」
そう言った次の瞬間には、ナイレンは平手で右頬をぶたれた。手加減はしてくれたようで、怪力であるはずのツァインからそれを受けても、ナイレンは転ぶことさえない。けれども、不意打ちではあったせいで、口腔内を少し切った。
「ツァイン! ナイレンはいい判断をした。処罰など」
「殿下は黙って。これは、僕の部下だ」
「ツァイン……」
庇ってくれようとしたあるじに目礼して、ナイレンは唇の端から流れ落ちた血を拭うと、体勢を整えた。
「ナイレン、しばらく牢にいようか。メルエイラの家の地下には、ちょうどいい牢があるんだ」
「……御意」
「期限を決めてあげる。七日七晩だ。ただし食事はなし。もちろん水分もあげない。それでも生き延びているようだったら、許してあげるよ」
ひどい処罰だ、と思わなくもない。けれども、それを甘んじて受けなければならない失態を犯したと、ナイレンは思う。
「やめろ、ツァイン」
「黙ってと言ったでしょう、殿下」
「おまえはおれの配下にある。おまえの部下であるナイレンも、おれの配下にある者だ。処罰はおれが決める」
「殿下……これはただのけじめだよ。死ねと命令しているわけじゃないんだから」
「同じことだ」
再び庇おうとしてくれる心優しきあるじに、ナイレンはいいからと首を振ったのだが、今度はそれを甘んじるあるじではなかった。
「おまえたちの間だけで終わらせられない問題だ」
その言葉には、ナイレンも眉間に皺が寄る。
「……どういう意味か、説明が欲しいね」
「ナイレン、襲撃者は魔法師だそうだな」
そばに控えているラクウィルにでも聞いたのか、サリヴァンはそうナイレンに問う。そうだ、と頷くと、サリヴァンは小さく息をついた。
「シエスタから連絡があった」
「しえすた……ヴェルニカ帝国の、シエスタ・ウィウェール・ヴェルニカ皇帝陛下?」
「ああ」
「殿下、ものすごく彼のこと嫌いだよね」
「……苦手なだけだ」
「よく聞く耳なんて持ったね」
「それしかなかったんだから仕方ないだろっ」
いったいなにをされたのだろう、と思わせられるサリヴァンの反応に、しかし「それよりも」と続けられた言葉で考えが中断させられる。
「シエスタが、ディアル・アナクラム王国の情勢を知っているか、と」
「あそこは常に平和な国だよね。ヴァリアスと違って、天恵者の数が極端に少ないし、島国だから閉鎖的な部分もあるけれど、まず異形がいないから大きな戦争もない。王サマも人がいいって言うし、賢王が続いているはずだね」
「争いごとが起こっているわけではない。問題が起きているわけでもない」
「どうしてその国の天恵者……いや魔法師が、ツェイルを襲ったのか……僕は疑問なのだけれど、殿下は知っているわけだ」
なんのことだ、とナイレンは首を傾げたかったが、言いにくそうにしているサリヴァンの様子を見ているうちに、それはなんだか国のことで振り回されているのではなく、私的なことに参っているように見えてきた。
「……王弟が」
「皇弟は殿下でしょ」
「ディアルにも王弟はいる」
「そっちの王弟? えーと……なんて名前だったかな……ナイレン」
話を振るな、と思ったが、残念なことにナイレンは知っている情報だ。なにせ、煙管の火種を作るためだけにその国の魔術、いや魔法と呼ばれているそれを憶えたのだ。
「リアレト・ルー・ティエナ大公閣下だ」
「ああ、そうそう、そんな名前だったね。それで殿下、その王弟サマがどうかした?」
ナイレンが再度サリヴァンを見上げたとき、もっと言い難そうな顔をしたサリヴァンがいた。
「ゆ……行方不明、らしい」
「……はあ、それで?」
いよいよ言いたくなさそうにしたサリヴァンだが、その場にいる者たちからの視線から逃げるようにそっぽを向いた。
「少し前から、城にいる」
とたん、どこからか痛いほどの冷気がナイレンを襲った。いや、どこからか、ではない。ツァインからだ。
「シエスタから、その行方を訊かれて……いや、訊かれたというか、使者からの言葉ではあったんだが、とにかく行方不明になっているから、ヴァリアスにいるようなら連絡をくれ、と。同じ頃に、ディアルからも使者が来て、一月ほど前から大公が行方不明になっているため、力を貸して欲しいと…………、ツァイン?」
説明をしてくれたサリヴァンであるが、ツァインから発せられた冷気に気づくのが遅かった。気づいたときには、ツァインは慈愛の間違いではないかと思うほどの艶やかさを垂れ流し、且つ今から人を殺しに行くような殺気に笑みを上乗せしていた。
つまり、ひどくあべこべな感情を垂れ流している。
ああ、怒っているな。
そう思ったのは、おそらくその場にいる全員だろう。ツァインはいつだって当てにならない感情しか持っていないのだ。
「そぉいうことぉ……僕の可愛いツェイルを狙った愚図どもは、大公の捜索に来たディアルの者たちってことだね」
「あ、ああ、そうだが……、ツァイン?」
「大公の捜索になんでツェイルが巻き込まれるのか……ははぁ、殿下を利用したい愚図連中が、上手いことディアルの者たちを使って殿下の弱点を潰そうとしたわけだねぇ」
「そうなる、な……」
「なぁるほどねぇ」
にこぉ、とツァインは不気味だが笑う。ぴしり、と窓硝子に亀裂が入った音がした。
これはやばいな、と思ったが、だからといって暴走しようとしているツァインを止めたいと思うほど、ナイレンは無謀ではない。
「トゥーラぁ? 耳がいいおまえなら、ぜんぶ聞こえていたよねえ? ちょーっと、お兄ちゃんと遊びに行かなぁい?」
「行ってやろう」
と、隣室でツェイルとシュネイと休んでいたはずのトゥーラが現われた。その顔は無表情であるが、怒気に包まれていることだけは伝わってくる。
「ユーリも連れて行こう、アイン」
「それはいい。テューリもたまには暴れさせてあげないと、可哀想だからねえ」
ああ、久しぶりに見る光景だ。きょうだいのうちで誰かになにかあると、このきょうだいたちは一致団結する。血の繋がりが、息までぴったりと合わせてしまう。
こうなってはもう完全に放置だ。関わらないほうが身のためである。
「ちょ……おい、ツァイン? なんの話をしている。どこに行く気だ」
「もちろん……どっかの能天気な王弟サマを、叩き潰しに」
「はっ? いや待て、奴の滞在をきちんと把握していなかったのはヴァリアスだ。責任はこちらにある」
「能天気な王弟さまが行方不明になった、即ち無断で国を出てヴァリアスに遊びにきていたわけでしょ? 周りのことなんか一切ぶった切って」
にこぉ、と笑うツァインに対し、サリヴァンは些か蒼褪めて顔を引き攣らせていた。
「い、いや、まあ、確かに、そうではあるが……、待てツァイン!」
「だぁいじょーぶ、殺しはしないから。痛めつけるだけで」
「ディアルは属国だ、同胞だ、敵ではない!」
「メルエイラの敵だ」
ツァインのまとう空気が、さらに冷えた。顔は笑ったままであるのに、全身から怒りの炎が流れ出ている。
「イルを狙った者に生きる権利なんかない。殿下、あんたも本当はそう思っているだろう」
トゥーラが、ツェイルによく似たその顔で、サリヴァンを睨む。
いやな空気になってきた、とナイレンはため息をつきたくなった。だから、提案をする。
「殿下、進言を」
「……許す。なんだ」
「ツェイルを襲った者たちは、メルエイラに差し出してください」
「なんだと? おまえまでそんなことを言うのか」
「たとえ大公閣下捜索のためとはいえ、彼らが用いた手段は、わが国に剣を向けたことと同義。わが国の状況把握の怠りが原因の一つだというなら、剣を向けた者たちをメルエイラに差し出すことは、ディアル国のけじめとなります」
「それは……だが」
外交問題である。たとえ私的なことであれ、皇族の問題は国の問題だ。
「大きな問題にしたくないのなら、ここはメルエイラに任せるべきかと」
「おれもそう思いますよ、サリヴァン」
それまで黙っていたラクウィルも、同じように考えていたらしく、賛同してくれる。
「彼らもお国大事で動いたんでしょうが、だからといってどうしてわざわざ姫を襲うんです? 姫を襲ってなんの利益がディアルにあると? そりゃあ大公を見つけ出すには便利でしょうが、それだけでしょう。もし話を聞くだけのつもりだったとしても、あの状況では彼らに救いなんかありませんよ。上手く大公を見つけても、彼らには大罪が課せられるだけです。そんなこともわからないような彼らではないでしょうが……そこを貴族連中に言い包められたんでしょうね」
「……確信犯だと、言いたいのか」
「偶然を装えますかね?」
「おれが城へ出仕することは、その態度を見せることは、貴族連中の不審を煽るだけなのか」
「煽るんじゃありません。彼らは……ただ排除したいだけです」
ふっと、ラクウィルは俯く。同じようなことを、ナイレンも考えていた。だから同じように、俯いた。
「メルエイラに任せましょう、サリヴァン。国のためじゃありません。あなたを護りたいと思うおれや、ツァインや、ナイレンの、ために」
「だが、それでは……おれはツァインに、メルエイラの者たちに、人殺しをしろと命令しているようなものだ。おれはそんなことをして欲しいのではないっ」
ああどうして、このお方はこんなにも心優しく、美しく、育つことができたのだろう。
どうして自分のためを、考えないのだろう。
その身は尊く、ナイレンのような人間には見ることも触れることもできない高貴な存在であるのに、どうしてもっとも遠くあらねばならない死を、こんなにも近くに漂わせているのだろう。
これが、このお方が皇として長く生きられないだろうと思う理由なら、このお方はこの国に在ってはならない。
「……殿下、僕らに任せてくれるね」
「できるわけないだろうっ」
「殿下、僕は言ったよね。メルエイラは、きみを護ることが、最後の仕事だ。きみがあの塔に幽閉されたままであったなら、僕は城の者を殲滅させてもきみを外に連れ出して、護るつもりだった。つまりきみは、それくらい狂った力を手にしたんだよ。僕は基本的にきみの命令には従うけれど、きみを狙う者たちに対して、そういう優しい命令には従えない。でもそういうのは卑怯だとも思うから、こうやってきみにその意思を表明してから、邪魔なものを処分するよ」
「やめろ。おまえたちは、人殺しじゃないんだ」
「……殿下は優し過ぎる。でもね、僕も譲れない」
ツァインは笑みを消し、まっすぐとサリヴァンを見つめていた。その虚ろな瞳の中には、はっきりとした意思と、狂った力が宿っていた。
「ツェイルを悲しませる者に、幸せになる資格なんてないんだから」
あくまでも、最愛の妹のため。ツァインが生きているのは、戦うのは、彼女が笑っていられるようにするため。
全身で軒並みならない愛情を曝け出すツァインに、サリヴァンはただ悲しげに顔を歪ませるだけだった。
「メルエイラを動かす。ナイレン、殿下を頼んだよ」
「ツァイン……」
「ナイレン、返事は?」
「……御意」
「まずは襲撃者どもを処分する。トゥーラ、おいで」
やると言ったら、ツァインはやる。
処罰は先延ばしされることになったようだが、それでもこの件が終われば牢に入ることになるだろうと予感しながら、ナイレンは弟を連れて出て行くツァインに頭を下げた。またサリヴァンも、言葉もなく拳を握りながら、ふたりを見送った。
「少しずつ、あなたの身の周りを固めていく必要があります。それは理解してください、サリヴァン」
ラクウィルがそう言って、隣の部屋に消えて行く。長椅子に埋もれるようにして項垂れたサリヴァンにそれが聞こえているのかはわからなかったが、今はひとりにしたほうがいいだろうとナイレンも思い、部屋を出ようとした。
「ナイレン」
呼ばれて、立ち止まってしまう。パタンと、ラクウィルが隣室の扉を閉めた直後のことだった。
「ツァインを止めてくれ」
「……無理です」
「おまえは幼馴染だろう。どうにかできるはずだ」
「いいえ。だからこそ、アインを止めることなどできません。おれは長くそばに居過ぎました」
ツァインは、本当にディアル・アナクラム王国の王弟のところへ行ったわけではないだろう。ツェイルを襲撃した者たちを見つけ出して報復してから、そのあとに行く可能性はある。それを考えれば、まだ時間は残されていると思っていい。
「くそ……頭が疲れてきた。なにを考えればいい」
「……とりあえず」
「とりあえず?」
「少し休まれたら、皇城に戻られるのがよろしいかと」
「城に?」
なぜ、と首を傾げるサリヴァンに、ナイレンは可能性の一つを提示した。
「アインが襲撃者を捕捉する前に、大公に捕捉させれば、どうにかなるかもしれません」
「……、あ」
今気がついた、とサリヴァンは目を丸くした。
「おれの記憶違いでなければ、確か大公はディアル国一の魔法師です。大公の手にかかれば、メルエイラの網よりも早く襲撃者を捕捉できると思いますが」
「……、そうか。そうすれば今回のことは小さいもので済むな」
「まあ、メルエイラの網は確実なものですから、時間との勝負になりますが」
「いや、いい。それはだいじょうぶだ。要はツァインよりも早く先手を打てばいいんだから」
それができれば、の話ではあるが、サリヴァンなら然したる問題もないだろう。サリヴァンも、やると言ったらやる人だ。諦めることに慣れているから真っ先にそういう考えに至るだけで、きっかけさえ与えればその考えは逸脱していく。
ナイレンがツァインのためにしてられることは、その意思に同調することだけであるが、サリヴァンにしてられることは、諦めるにはまだ早いことを知らせてやることだ。ナイレン以外に人間がそうしているように、サリヴァンにはなにかしらのきっかけを与えるだけでいい。
顔つきが変わったサリヴァンは、すっくと立ち上がった。
「城に戻る」
「御意」
「車を手配してくれ。さすがに日に二度もラクの天恵を使っては、身体がもたない」
ラクウィルの天恵を使うとサリヴァンが疲れる、という法則は聞いた憶えがあるので、ナイレンは頷くとすぐに踵を返し、部屋を出た。