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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
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Plus Extra : 皇弟近衛騎士隊追送録。2

ナイレン(副隊長)視点です。





 皇帝騎士隊と皇弟騎士隊との試合になった合同訓練は、笑顔のラクウィルとツァイン、引け腰のジークフリートとナサニエルという、その戦いで終わった。勝敗はもちろん引き分けである。いつのまにか観客が増えていたこともあり、サライが仲介することで引き分けにしたのだ。

 そうして、事後報告の書類作成があるから、とツァインが城に残ることになったので、ナイレンは帰宅するサリヴァンを送り届けることになった。


「悪いな、ナイレン」

「おれは殿下の騎士です。お気になさらず」

「おれにはラクがいるからいいと言ったんだが……まったく、ルカには困ったものだ」


 ツァイン率いるナイレンの部隊は、宰相ルカイアの独断で編成された皇弟の近衛騎士隊だ。それをサリヴァンが諾としていないのは、ナイレンもわかっている。それでも、このお方を護りたい、と思う騎士はいて、そういう者たちが集められた部隊であることを、サリヴァンは理解してくれていた。


「まあいいじゃないですか、サリヴァン。近衛騎士隊の連中と交わした賭けの約束は、今でも有効なんですよ」


 爽やかな笑顔のラクウィルが、殺し合いのような雰囲気になった合同訓練の名残りなど感じさせず、のほほんと言う。


「おれはいい人たちと巡り会えたなぁ」

「そうですねえ」


 くすくすと笑ったサリヴァンは、ラクウィルの同意を得て満足そうにすると、ナイレンに振り向いた。


「ナイレン、不自由はないか?」

「……不自由、ですか?」

「いろいろと苦労が多いだろう」


 ああ、苦労ならツァインにいつもかけられている、と思う。思ったから、ため息がこぼれてしまった。


「……、失礼しました」

「いや、いい。ツァインか?」

「……ええ、まあ」


 ナイレンのため息の理由を、サリヴァンは察してくれる。肩を竦めて同情もしてくれる。ツァインを見ているときは違った意味で、この人はまた、と思った。

 サリヴァンは、仮初めの皇帝ではあったが、確かに皇の資質があるのだ。いや、皇であるべきだと、ナイレンは思う。けれども、このお人好しの加減では、皇として長く生きられないだろうと、そう感じてもいる。

 あなたは優し過ぎるのだ、と幾度言ったことだろう。その優しさに、自分たちの隊にいる騎士たちがどれほど救われたことか、それは口にしたことがないけれども。


「アインの……隊長のことは、気にしないでください。いつものことです」

「そういえばナイレンは、ツァインと幼馴染だったな?」

「ですから、慣れています」

「あれに慣れるくらい、苦労したわけだ」

「まあ……」


 否定はできないな、と思って曖昧に返すと、サリヴァンは微苦笑する。


「ツァインを、頼んでもいいか」

「頼む、とは?」

「ツェイを奪ってしまった」


 サリヴァンの顔に、翳が落ちる。申し訳ない、と思っているのだろう。それでも、その瞳は後悔などしているように見えなかった。


「それでよかったんです」

「だが……」

「アインには婚約者います。先延ばしになっていますが、そろそろ頃合いでしょう。話は進められていたはずです」

「承諾しているのか、ツァインは」

「いいえ。アインは今でも、これからもずっと、ツェイルだけでしょう。アインの中で、ツェイルの存在は生命そのものです。否定などできやしません。それでも、アインはメルエイラ家の当主なんです」


 婚姻は避けられない。逃げるように先延ばしにしたところで、必ず終結は見えてくる。


「承諾していなくとも、必要なことであると、アインは理解しています」

「……愛情のない婚姻など」

「貴族では当たり前のことでしょう」


 サリヴァンとツェイルのように、決められた相手でも惹かれ合い、愛し合うことはある。けれども、すべてがそうなるわけではない。貴族とは、愛情のない婚姻が当たり前なのだ。


「とはいえ、アインの婚約者は商家の娘ですから、心配の必要はありません。侯爵になって、殿下と繋がりがあると知られてからは、危うい話ではありましたが」

「……面倒なことに」

「ああいえ、殿下のことで商家との縁談が切れそうになったのではなく、部外者からの邪魔が入ったという意味です」

「同じことだ」

「違います。もともとアインは、誰とも婚姻する気がなかったんです。ツェイルがいればそれでいいと、アインは本気で思っていますから。それを捩じ伏せたのが商家の娘なんです」


 随分と根性がある娘ですよ、と言うと、サリヴァンは目をまん丸にして驚いていた。


「アインに一目惚れして、メルエイラ家が没落していることを盾にして、縁談を持ち込んできたのが始まりです。モルティエさまが否もなく承諾したので、あの邸を手放すことは避けられましたし、援助は今でも続いていたはずです」

「援助……?」

「サリヴァンさまの近衛騎士になったことで立て直しされましたが、そうなると今度は、助けられる範囲が広がるので」

「助けられるとは……まさかメルエイラの関係者は」


 ええ、とナイレンは頷く。


「この世界には、少数ですが、メルエイラの生き残りがいます。山奥に隠れ住む者や、傭兵になっている者、闇に身を落として生きる者が、確かに存命しています。アインは当主としてだけでなく、族長としても、生きなければなりません」


 メルエイラの情報網が、ときとして自分たちを助けてくれるものであると、ナイレンは知っている。だから、彼らがどんな思いでツァインを頼っているかも、知っていた。


「ですから、アインの婚姻を、殿下が気に病むことはありません。アインはそう生きなければならないだけです」

「……おれがしてやれることは、ないのか」

「あります」

「なんだ」


 なにかできないか、と縋るような目をしたサリヴァンに、ナイレンはふっと微笑んだ。


「ツェイルを幸せにしてください」


 それがサリヴァンにできることだ。メルエイラのために。


「ツェイルは、貧困に喘いでいた頃、おれとも一緒に戦いました。おれは傭兵上がりの騎士ですから、あの頃のメルエイラの事情は知っています。本当にひどい時代でした。傭兵のおれですら逃げたくなった戦場を、ツェイルはなんの感情も見せず、戦い続けましたから」


 絶句したように、サリヴァンが蒼褪める。話には聞いていたのだろう。だからこそ、ナイレンのその言葉に嘘はないのだと知ったに違いない。むしろ、それを確認したようなものかもしれない。


「……おれにツァインを頼むなら、殿下にもツェイルを頼みます。あの子には、おれも笑っていて欲しいので」


 サリヴァンの隣にいるツェイルを、もう幾度も見ている。あんなに穏やかな顔をしているツェイルを見たのは、初めてだった。ツァインや家族と一緒にいても見ることのない、優しい顔だった。


「……ナイレン、おまえまさか」

「ああ、べつに惚れているわけではありません。アインと長く一緒にいるので、ツェイルは妹みたいなものです。まあ、ちょっとツェイルを攫ってきてほしいんだが、という頼みを聞いて、夜襲はしかけましたが」


 未だ胸の傷が少し痛む、と言うと、サリヴァンは驚いたようだった。


「あのときの刺客は……おまえなのか」

「気づいてなかったんですか」

「わ……悪かった、な」

「殿下の剣は軽いですから、お気になさらず。牢も、居心地がよかったくらいで」


 生きて帰れるとは思っていなかった、あのとき。

 ツァインの思いつめたような顔に負けて、妹のように可愛かったツェイルを連れ戻すために、ナイレンは皇城に忍び込み、寝台に眠るサリヴァンに剣を向けた。死ぬ覚悟はあった。皇族に、それもそのときの皇帝に剣を向けたのだ。死罪であろうことはわかっていたが、ナイレンはツァインとツェイルのためならばと、死すら厭わなかった。護りたいものが、そのときもそれまでも、それからも、ずっとツァインやツェイルなのだ。

 護りたいものを護って死ねるなら、幸せだ。

 ナイレンはそう思う。それがたとえ詭弁であとうとも、綺麗ごとであろうとも、産まれてからずっと傭兵だったナイレンには程遠いものだったゆえに、いいじゃないかそれで、と思ってしまうのだ。


「傷はまだ癒えないか」

「心の傷ですから」


 夜襲に失敗したナイレンは、斬られたあとも意識があった。だから見た。ツェイルが、サリヴァンに駆け寄っていくときの、その心配そうな顔を、確かに見た。

 ああ、ツェイルの意思はもう曲げられない。護られることを諾とせず、護りたいもののために力を揮うのだ。彼女は護られたいのではない。護りたい意思のほうが強く、そうやって生きるのだろう。

 鮮明に印象づけられたナイレンは、だからこそ、ツェイルが選んだサリヴァンを信じてみたくなった。サリヴァンを信じるツァインに、これからもつき合おうと決めた。


「すまない、ナイレン」

「謝らないでください。大罪を犯したのに、無罪放免でしたから」

「……そうだな。ありがとう、ナイレン」

「礼を言われることのほどでも」


 責められてもかまわないが、と思っていたナイレンにとって、サリヴァンの礼は意外だった。けれども、悪くない。こういう人だから、信じてみたいと思うのだ。


「帰りましょう、殿下。ツェイルが待っています」

「……ああ」


 ふっと笑みを取り戻してくれたサリヴァンの背を見て、やはりこの人はお人好しだと、改めて思った。そして、なにより愛情に飢えた人でもあるのだなと、思うことがある。


「あ、サリヴァンさま」

「ツェイっ」


 到着した邸の、その玄関の前で待っていたツェイルを視界に入れたとたんにサリヴァンは駆け出し、抱きつく。抱きつかれたツェイルは、穏やかな顔をしていた。


「おかえりなさい、サリヴァンさま」

「ただいま、ツェイ。出歩いて平気なのか」

「今まで眠っていたもので……もうこんな時間で、驚きました」

「無理はするな。養生してくれ」

「お出迎えできて嬉しいです」

「ツェイ……」


 ツェイルの言葉に感激したのか、サリヴァンはより強くツェイルに抱きついた。


「んー……サリヴァンは境遇に恵まれませんでしたが、出逢う人には恵まれていますね」


 と、ラクウィルの言葉だ。


「よかったよかった、これで安心です」

「……おれをお疑いでしたか、やはり」

「副隊長が夜襲犯のひとりだというのは、知っていましたからねえ」

「べつに命を狙っていたわけではありません」

「だから疑うんですよ。目的がよくわからないので」

「……アインの幼馴染だから、というのは、目的にはなりませんか」

「そういうことにしておきます。おれはサリヴァンと姫に害がなければ、それでいいですから」


 にこ、とラクウィルは人好きする笑みを浮かべる。ナイレンも、ふっと唇を歪める。


「アインにつき合うと、どれが正しくて、なにが正義かなんて、わからなくなります。だからおれにとって、ツェイルはそれを修正してくれる存在でした。おれやアインのように、たくさんの人の命を奪ってもなお、ツェイルは真っ直ぐでしたから」

「副隊長、実は姫に惚れてますね?」

「まさか。ツェイルは妹です。それに、おれはもっとふくよかな女が好きですから」

「姫も丸くなりましたよー? ちょっと色っぽくなったでしょー」

「ああ……殿下が、開花させましたね」


 あの頃とは違う、と断言できるほどに変わったツェイルの様子には、多少だが驚かせられた。昔はあんなに穏やかではなかったし、抱きつかれておとなしく受身でいることもなかった。人間としても、女性としても、丸くなったと思う。


「御子が、できたそうで」

「あら、聞こえました?」

「アインから聞きました。外部の警護はわれらにお任せを。ツェイルには……皇弟妃殿下には、指一本触れさせません」

「そうしてくれると助かります。さすがにおれひとりでは、護り切れませんからね。どれくらい隠し続けられるかわかりませんけど……まあ、どちらにせよサライに子ができなきゃ、安全とは言えませんからね」

「……侍従長は、やはり《天地の騎士》ですか」

「見てわかりましたでしょ?」


 ラクウィルの笑みは変わらない。だからそれが肯定なのだと、理解できた。

 

「両殿下は護られる……あなたやアインがいれば、なにからも」

「そう上手くいきませんよ。逆を言えば、おれたちしか味方はいないんですから」

「われら皇弟近衛騎士隊もいます」

「あは。それは心強いですね」


 茶化しているわけではないのだろうが、ラクウィルの笑みは軽い。


「……一つ、よろしいですか」

「はい、なんでしょう?」

「死神ダンガードとは、あなたのことですか」

「ほよ? むーん……そんなふうに呼ばれていたこともありました、かね」


 やはりそうか、と思う。


「では、忌み子を守護する異形の者も、あなたか。忌み子とは、殿下の……」

「サリヴァンは忌み子なんかじゃないですよ」


 ラクウィルの低い声に、言葉が遮られた。冷え冷えとしたその空気は、ラクウィルから笑みも消し去らせている。


「二度と口にしないでください。サリヴァンは、違います」


 ああ、これが帝国一と言われた最強の天恵術師の顔か、と思う。


「……わかっています。あの話が本当なら……殿下はむしろ、神の子です」

「それも肯定できかねますね。サリヴァンは人の子です。神子なんかに祀り上げられた日には、おれは国を潰しますよ」


 この人もツァインと同じような思考回路だ。どうもサリヴァンの周りには狂気が集まっている。その中に自分も含まれるのだろうが、それだけサリヴァンやツェイルを慕っているということでもあると考えれば、恐ろしくはない想いだ。


「国を潰すときは、協力します」

「……、おや」

「生きてもつまらない世界なら、消してしまえば楽しいですから」

「ふむ……あなたはツァインみたいですねえ」

「感化されている自覚はあります」


 長く一緒にいたから、感化されないわけもない。感化されているから、邪魔というだけで数多の命を潰すツァインを、受け流せるのだ。


「うん、気に入りました。副隊長、確かナイレン・ディーディスという名前でしたね」

「はい。それが?」

「おれはラクウィル・ディバイン・ダンガードと言います。ラクウィルと呼んでください」


 今さら自己紹介か、と思ったが、そういえばきちんとそういうことをしたことがなかった。この六年、互いの顔と役職を認知しているくらいで、呼称も役職名でよかったせいか、とくに困ったことがなかったからだ。


「ああそう、敬語も要りませんからね」

「そう言われましても……おれも傭兵上がりなので、敬語は不要です。慣れていません」

「おれは癖です。まあおいおい、そうするようにしてください。自分がこういう話し方なのはいいんですけど、人からやられると気色悪くて」


 背中が痒くなるんです、と自分のことは棚に上げて嫌そうな顔をするラクウィルに、ふっと苦笑が零れる。


「これからもよろしく、ラクウィル」

「はい、ナイレン。ツァインのお守りは大変でしょうけど、上手く近衛騎士隊を引っ張ってくださいね」

「努力しよう」


 ツァインのお守りを続けるのは面倒だが、それが自分の選んだ道で、信じた道だ。


 悪運は尽きないな、と思いながら、ナイレンは未だ玄関先でいちゃついているサリヴァンとツェイルを、ラクウィルと一緒に眺めた。







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