Plus Extra : 皇弟近衛騎士隊追送録。1
近衛騎士隊の人(名は本文で)の視点です。
ツァインとラクウィルと近衛騎士隊がメインのお話となっています。
「副隊長」
と、呼ばれるようになって、どれくらいだろう。
「副隊長、ディーディス副隊長っ」
本当はなりたくもなかった近衛騎士副隊長。しかし上官命令では辞退もできず、また自分以外の適任者がいないというのは一目瞭然だっために、就任してしまったのが悪かった。
「声がでかい。うるさい。ナドニクス」
「けっこう! またメルエイラ隊長がいないんですけど、どこに行ったんですか!」
「おれが知るか」
「あなた副隊長でしょう!」
その煩さにため息をついて肩を竦めると、陛下の近衛騎士でその隊の副隊長であるナサニエル・ナドニクスは、負けず劣らず深々と肩を落とした。
「あいつはどこまでも自由なんだ。おれの手には負えない」
「あの人がそうだからあなたが副隊長なのはわかります。けれど、今は合同訓練の最中です。いてもらわなければ困ります」
確かに、そうである。それは頷けるが、手に負えないのだから仕方ない。
「あなたの隊には、殿下が陛下の身代わりであられた頃の、その姿を見ていた者たちが集められました。大幅な人事異動に戸惑っている連中は多いんです。そのための合同訓練なんですよ?」
ナサニエルの忠告に、各騎士団の合同訓練と称した派閥確認試合を見るともなく眺める。
真剣な眼差しで試合をするのは、皇弟づきの近衛騎士隊の者たち。
それを侮蔑するような眼差しで試合を半ば放棄するのは、真実を知らない他部隊の騎士たち。
「殿下の顔に泥を塗るつもりですか」
「……おれの意思ではどうにもならない」
「どうにかしてください。なんのために、わたしがサライ陛下側の近衛騎士だと思っているんです」
「おまえの裏切りには陛下も嘆くだろう」
「いいえ。わたしの忠誠は六年前のあのときから……サリエ殿下が皇として迎えられたそのときから、変わることはありません。わたしはサリエ殿下をお護りする騎士です。裏切ったのはサライ陛下のほうですよ」
真剣な眼差しのナサニエルに、不憫を感じてならない。これだけ真面目だから、きっと皇弟づき近衛騎士隊の隊長の行動が、たまらなく癪に障るのだろう。
ナサニエルは皇弟サリエに傾倒している。その実は、知られていないけれども。
「あれはどうにもならないのだがな……」
「はい?」
「いいや。ああ……ほら、来たぞ」
ふと、見るともなしに眺めていた先に、ナサニエルが探していた人物が現われた。無駄に顔はよく、また愛想もよく、しかし腹ではなにを考えているのかわかったものではない、狂人の近衛騎士隊長ツァインだ。
「ナイレン」
と、いつものように笑みを浮かべて歩み寄ってくるツァインに、それを隊長に持ってしまったゆえにいつも疲れている副隊長、ナイレン・ディーディスはため息をつく。
「来ていたなら参加しろ、ツァイン! 隊長だろ!」
噛みついたのはナサニエルだが、ツァインは飄々としている。無駄にいい顔の笑みを、これもまた無駄に振りまいてみせる。
「僕の代わりにきみたちが奮闘してくれているから」
よくわからない答えではあったが、合同訓練と称されただけの選定会場にまったく興味がないというのはよくわかる。
「おまえが隊長になったのはなにかの間違いだ!」
「ああ、それなら僕も返上したいところだけど……ごめんね、今は無理」
「今は?」
どういう意味だ、と怪訝そうにしたナサニエルに、ツァインは意地の悪い笑みを浮かべて試合を眺める。
「ツェイルの子どもが産まれる」
それは驚愕の報告だった。愛想も悪ければ感情に乏しい表情を持つナイレンだが、これにはさすがに目が丸くなる。またナサニエルも、瞠目していた。
「本当か、ツァインっ」
「ナドニクス」
声が大きいよ、とナサニエルはツァインに空気で威圧される。ナサニエルは慌てて周りを確認し、こちらの様子を覚られていないとわかると、ほっと胸を撫で下ろした。
「殿下の御子が産まれるのか、アイン」
ナイレンのその確認に、ツァインは表情を変えず、また頷きもしない。けれども薄紫色の双眸は周りを警戒し、細められていた。
「まずいな……この時期に……貴族のばか共に知られたら」
「そのために僕がいる」
「だがおまえだけでは」
「だから、きみも、ナドニクスも、ここにいる」
「……なんだと?」
「ナイレン・ディーディス副隊長」
ツァインは剣呑な瞳をさらに細め、ナイレンを眇めた。
「ツェイルの幸せを奪う者に、生存の権利などありはしないんだよ」
それは全人類、いや、全世界に向けての宣言だった。そして、皇帝の近衛騎士であるナサニエルへの警告であり、ツァインに代わって皇弟を警護する騎士隊をまとめるナイレンへの忠告だ。
ナイレンはため息をついた。
どうしてこいつは、と思う。
「……狂っている」
吐き出すように言ったナイレンのその言葉に、ツァインはそれまで自分たちには見せたこともない、皮肉げな笑みを浮かべた。
「けっこうなことだよ。僕は、狂人だ」
ナイレンはツァインと幼馴染だ。幼い頃からツァインを見てきている。そのお守りをしている。だからこんな、近衛騎士隊の副隊長という地位にまで、昇りつめることになった。
それでも、ナイレンにはわからない。
ツァインが、なにを考えているか。なにを考えて、行動しているのか。なにを想って、生きているのか。ただ、妹のツェイルだけが、きっと彼にとっての生きる意味なのだろうというのは、わかる。
最愛の妹が皇弟に嫁いでから、ツァインの考えていることは、よりいっそうわからなくなった。
ただ、その狂気は日を追うごとに増している。
「殿下を恨むのか。憎むのか」
「殿下は護るよ。それが僕らメルエイラの最後の仕事だ。それに、殿下を護ればツェイルが笑う」
「……ツェイルはもう護られている。殿下に。あの頃のツェイルは」
「ナイレン」
あの頃の、貧困に喘いでいた頃のツェイルはもうどこにもいない、そう言おうとした口が、ツァインの低い声に牽制された。
「僕はいとしいツェイルを国の盾にされたんだよ? 僕がきみの言う感情を向けるとしたら……そうだね、僕自身だ」
「おまえ自身?」
「産まれてこなければよかったと思うよ」
そう言ったツァインは、悲しんでいるわけでも、寂しがっているわけでもなく、ただひたすら皮肉げな笑みで、目先のものを眺めていた。
虚しい男だ、と思わなくもない。
結ばれることのない深い想いと強い願いを、この男は永遠に抱き続けるのだ。それをよしとしているから、ナイレンは理解できない。
「……さて、そろそろ僕の出番かな」
ツァインが、ふっと息をついて、それまでの会話を払拭するかのように、いつもの笑みを浮かべた。
「手加減しろよ」
「するよ? じゃないと全員殺しちゃうからね」
邪魔だから。その一言で、数多の命を呆気なく潰してしまえる男が、ナイレンの上官で歳下の幼馴染だ。
だから、この男のそばに長く居過ぎた、と思うこともある。
「殺してもいい。それでおまえが満足するなら」
と、言ってやれるから。
「それくらいで満足はしないよ。それに、僕が満たされることは、もう二度とない」
「……いいのか、アイン」
「それが僕だから」
じゃあね、と手のひらをひらひらとさせ、ツァインは試合会場につき進む。ツァインを視認した騎士たちがぎょっとし、部下である者たちは目を輝かせていた。
「……なんだか、ものすごく物騒な話を、聞いてしまった気がします」
黙っていたナサニエルが、蒼褪めながら言った。
「おまえには背負えない。忘れたほうが身のためだ」
「そうします」
ナサニエルは素直に頷き、ツァインの背を目で追う。
部下や他部隊の騎士たちと会話したのち剣を握ったツァインが、多勢に無勢という不利とも言える状況を作って試合を始めようとしたときだった。
「おれもあれに参加していいですかねぇ?」
と、ナイレンに声をかけてきたのは、気配もなにもなく、唐突に現われた侍従だ。
「ダンガード……侍従長?」
皇弟の侍従ラクウィルであるが、その恰好はいつもの灰色の侍従服ではなく、白い騎士服だったがゆえに、ナイレンは首を傾げてしまう。ナサニエルは顔を引き攣らせ、少し後ずさっていた。
「へ、変人、その恰好は……っ」
「ラクウィルですって言ってますでしょー、ナナちゃん」
「ナサニエルだ!」
「細かいことは気にしないでくださーい」
「細かくないだろ!」
ラクウィルを苦手とするナサニエルの仕方のない行動に、ナイレンは見慣れているので特に気にはしないが、ナサニエルが指摘したように、その恰好には疑問がある。
「侍従長、その恰好は……」
「サリヴァンの騎士ですからぁ」
にこぉ、とラクウィルは人好きする笑みを浮かべる。
「サリエ殿下がいらっしゃるので?」
「もうすぐ来ますよー。サライと一緒に、ね」
陛下を呼び捨てにするラクウィルは、剣の柄に手をかけながら、戦い始めたツァインを笑顔のまま眺める。
「あれはひどいですねえ。死にに行くようなものですよ」
「それは……うちの隊長が?」
「まさか」
ツァインの敗北を、ラクウィルはさらりと否定する。それはツァインの実力を知っているからとか、信じているからとか、そういう類いのものではなかった。
「ツァインを相手に勝てると思っているなんて、可哀想な人たちですねえ」
死なれては困る、とラクウィルの笑みには含まれている。それはつまり、ツァインの存命は絶対的なものであり、敗北などは許されないのだ。
確かにツァインは強い。負けを知らない男だ。ただ顔がいいだけの男ではない。この帝国で、彼に敵う剣士がいるとしたら、それは陛下の隣に控える《天地の騎士》だけではないかと、ナイレンは思っている。
いや、思っていた。
「仕方ないからおれが出ましょうね」
そう言ったラクウィルの、その恰好は、ナイレンたち騎士団が着用する、白い騎士服だ。どこかに違いを探せば、肩にかけているマントの艶やかさと、その背中に背負ったもの。
「国花ルーフの紋章……」
見るのはこれで二度めだ。侍従でしかないと思っていた男が、その紋章を背負って表を歩くのも、おそらくこれが二度めではないだろうか。
「侍従長」
「はい?」
「あなたは《天地の騎士》なのですか」
問いに、返事はない。ラクウィルは笑みを深めるだけだ。
「まあ見ていてください、ディーディス副隊長」
ラクウィルはそう言うだけにして、試合の中に入っていく。ツァインの横暴を諌めるために入ったのかと一瞬思ったのだが、そうではなかった。ツァインに加勢し、助けに入ろうとしたツァインの部下たちを諌め、剣を向ける騎士たちを挑発すると、銀色の剣を抜いて背中の紋章を見せつけた。
場内が、ラクウィルの行動にざわめく。唯一冷静に見守っているのは、騎士団総隊長のルーディだけだ。
「なんて派手な真似をっ……なにをやっているんだ、あの変人は!」
ラクウィルの行動に蒼褪めたナサニエルが、握った拳を震わせていた。
「殿下を危険に曝すなど、忠誠を誓った騎士のすることではない!」
「……ナドニクス、侍従長は《天地の騎士》か?」
問うと、ナサニエルは瞬間的に黙り、そして深く息をついた。
「詳しいことは、おれにもわかりません。ですが、あの変人がただの侍従ではないということは、知っています」
「騎士か」
「あの剣さばきを見れば。あとは……ラクウィル・ダンガードという名が真名であるなら、あの変人は天恵術師です」
確かにその名は、ナイレンにも覚えがある。侍従長だから、という理由からではない。
「忌み子を守護する異形の者、死神ダンガード……か」
ラクウィルがそうだとしても、違和感はない。ある日突然姿を消した帝国最強の天恵術師は、ある日突然それまでの雰囲気を一変させて仮初めの皇帝と共に舞い戻ってきた。そういう筋書きだったとして、それがただの噂でしかなくとも、信憑性の強い話だ。
「お、ナナ」
「ナサニエルです! って、あ、殿下!」
振り向くと、皇弟サリエ・ヴァラディン殿下が、すぐそばまで来ていた。その隣には、皇帝サライ・ヴァディーダ陛下と、その騎士ジークフリートもいた。
ナイレンは膝をつき、騎士の礼を取って頭を下げる。
「今朝ぶりだな、ナイレン」
「は。まさかこちらにいらっしゃるとは思わず、失礼いたしました、サリヴァンさま」
「いや、いい。ラクがいたから、おまえたちには休んでもらいたかったんだ。だがまあ……こんなことになっているとは、な」
苦笑したサリヴァンは、ナイレンの肩をぽんと撫で、立つよう促す。立ち上がったナイレンは、試合を眺めるサリヴァンの横顔を見た。
「兄上、これはどういうことか」
「ただの合同訓練だが?」
「ルカイアは賛成したんですか」
「……い、いや……その」
しどろもどろに、サライは答える。
そうだろうな、とナイレンは内心で思っていた。この合同訓練は、今朝いきなり知らせられたものなのだ。
「騎士を使っておれの存在を表立たせて、なんになるんですか」
「ルカ以外の宰相は賛成だった! こうすればおまえの立場も確立されると」
「そんなに死にたいんですか、兄上」
「なっ……そんなつもりはない!」
「おれの存在は兄上の脅威になると、申し上げたでしょう。貴族たちからの反感を買ってからでは遅いんですよ。あなたが思うほど、貴族は綺麗なものではないんですから」
サリヴァンの静かな怒りは、サライを黙らせる。
「……まあいいでしょう」
深々とため息をついたサリヴァンは、すっとナイレンに視線を向けてくる。
「なにもないか?」
「今のところは。隊長と侍従長の登場で、少しざわついていますが」
「ラクにこの場を治めてもらうか……ジークフリート」
目を細めたサリヴァンは、顔を引き攣らせているジークフリートを眇め、前に出ろと促した。
「お、おれが行くのかよぉ」
「殺されてこい」
「ちょ! ひどくねぇかそれ!」
「兄上、よろしいですね?」
「サラ、おれはいやだぞ!」
全力で拒否したジークフリートは、しかしサライに「死なんだろ」と言われて、がっくりと肩を落とした。
「へいへい。殺されてくりゃいいんだろ」
と言って、その肩にかけたマントを翻し、背中に背負ったものをなびかせた。
ものすごい試合になりそうだ、とナイレンが気づいたのは、そのときだ。
「サリヴァンさま、よろしいので?」
「すべての責任は兄上にある」
ぎろり、とサライはサリヴァンに睨まれ、ぷいっと顔を逸らした。どうやら責任は取ってくれるらしい。
「どうなっても知りませんよ、兄上」
そう言ったサリヴァンに、ナイレンとナサニエルは促されて試合の中へと歩を進めた。
リクエストありがとうございます。
またも方向が……orz
スミマセン。
番外編というよりも続編っぽくなって(いえ、番外編には番外編ですね)おります。なにか事件も起きそうです。長くなりそうですが、おつき合いくださると嬉しいです。