Plus Extra : 聖王の眷属。
猊下視点です。
サリヴァンを拾ったとき、塔から出ていくとき、のエピソードです。
「猊下、レイシェント猊下」
「……なんだ」
読みかけの書物から顔を上げると、光りの精霊アルトファルが、その優しい容姿を悲しげに歪ませていた。
「森に、赤子がいます」
その報告に、眉間に皺が寄った。
「赤子?」
それは、人の子か。と首を傾げると、アルトファルは小さく息をつきながら頷いた。
「拾ってもよろしいですか?」
「……、拾うものなのか」
いや、放置しろという意味ではないが、だからとて拾ってもいいものでもないはずだ。
「ずっと泣いているのです……あまりにも可哀想で」
鳴き声など聞こえないのだが、アルトファルのことだから、赤子の心の声でも聞こえているのだろう。
「人間に興味のないおまえが、珍しいな」
「皇族は人間ではありませんでしょう。ああいえ、人間ではあるのですが」
「……、皇族だと?」
赤子など産まれる時期であっただろうかと一瞬考え、そういえば今がいつであるかわからないことに気づく。
「今の皇帝は誰だ?」
「ヴェナートさまです」
「……あの愚かな人間が、皇帝だと?」
「おや、憶えておられますか」
忘れるわけがない。あの愚かな人間が煩いから、この天王廟は閉じられているのだ。
書物を閉じて立ち上がると、アルトファルに赤子のところへ案内させた。
「誰の子だ」
「イデアさまは亡くなられました。妹の……メライヤさま、でしたか。彼女は侯爵家に降嫁して、まだ御子がありません」
となると、やはりあの愚かな人間の子ども、ということになる。
「サライはどうした」
「まだ赤子ですよ」
「サライではないのか」
「違いますね」
ではふたりめか、と短く息をつく。
「なぜ森にいる」
「どうやらメルエイラの方が連れてきているようではあるのですが……あやし方があまりにも下手で」
赤子が不憫でならなくて通路を開けてしまった、とアルトファルは言う。人間に興味がないアルトファルには珍しいことではあるが、赤子が皇族で、さらにその力があったから、閉ざしていた天王廟を開放したのだろう。
建物を抜け、外に出ると、一面緑に囲まれたそこに、微かながら力を感じた。
「ふたりめの皇帝国主天恵か……珍しいこともある」
「以前にもあったのですか?」
「記録者が言うには、な」
「なぜふたりに皇帝国主の天恵が……しかもここにひとりを連れてくるなど」
「国に作用すべき天恵が狂っている。それを補うためであろうが……ここに連れてきた理由はわからぬな」
どこにいる、とアルトファルをさらに促し、森となっているそこを突き進む。しばらく歩くと、唐突に開けた空間に出た。
「殿下……だいじょうぶ、だいじょうぶですよ。わたしがお護り致します」
腕に赤子を抱いた青年が、開けたその空間をゆっくりと歩いていた。
「しかし困りましたねぇ……ここはどこでしょ……、おやあ?」
暢気そうな顔をした青年と、ばっちり目が合った。白金に近い金髪と薄紫の双眸には覚えがある。
「メルエイラの者か」
「ああはい、モルティエ・オル・メルエイラと申します。ええと、あなたさまは?」
「レイシェント・アレイル」
名を言ってもどうせわからないだろうが、と思いつつも明かすと、青年は目をまん丸にし、そうしてなぜか涙を浮かべた。
「聖王猊下……?」
「……そう呼ばれているな」
よくわかったな、と思った。
数え間違いがなければ、十年あまり天王廟を閉ざしたままにしているので、青年の祖父あたりなら自分の名を知っているだろうが、それでも薄れてきているだろうと思っていた。
「お願いしたきことがございます、聖王猊下っ」
青年、モルティエは慌てて駆け寄ってきた。目の前で膝をつきそうになったとき、アルトファルが歩み出てそれをやめさせる。
「預かります」
と、アルトファルはモルティエの腕から赤子を預かった。
「やはり皇族ですね……淡い金色の髪に、腕に刻印があります」
「……国主の天恵だったか」
なぜここに連れてきた、と膝をついたモルティエに目で問えば、瞳を潤わせたモルティエはぎゅっと拳を握った。
「陛下が、殺めようとなさりました。この国土を支え、礎たらん尊いお方を、陛下は弑そうとしたのです」
「……ふん、ヴェナートならやりかねぬ」
「猊下、お願いいたします。どうか殿下をお助けください。殿下はまだ産まれたばかりの赤子……まだなにも、できぬ身で…っ…こんなひどいことはありません。殿下をお救いくださいっ」
「そのような義理はない……と言いたいところだが」
ちらり、と赤子を見やる。
アルトファルは泣いていると言っていたが、そんな様子はない。むしろただ静かに、ひっそりと眠っている。いや、赤子にしてはいやにおとなしく、不気味なほど静かだ。
なるほどな、と思った。
「背負うべきものは理解しているようだな……」
自分がどんな存在であるか、理解しているようだ。それゆえにどうすべきかも、おそらくわかっているのだろう。
「猊下、わたしはかまいませんよ」
アルトファルが、腕の中の赤子を揺らしながら言った。
「一度、育ててみたかったのです」
「……基準にはできぬ育ち方をするぞ」
「それでも」
面白そうですし、楽しそうです、とアルトファルは笑う。それを見たモルティエが、パッと表情を輝かせる。
「お助けくださいますかっ」
「いいや」
「え……?」
助けるわけではない、とモルティエに背を向け、天王廟に戻るべく歩を進める。
「要らぬならもらうだけだ」
どうなるかは知ったことではない。しかし、国主の天恵を持つ者を、失うわけにもいかないことは確かである。
「わたしの眷属だからな」
ヴァリアス帝国は、聖国だ。聖国に産まれた天恵者は、すべて聖王の眷属である。
要らないなら、その命はこちらがもらうだけだ。
「げ、猊下……っ」
「去ね。ここに立ち入ることは許さぬ」
言い捨てて緑の中に戻ると、モルティエの声は聞こえなくなった。
「見てください、猊下。可愛いですよ」
赤子をあやしながら後ろをついてきたアルトファルが、嬉しそうな顔で赤子の頬を突く。
「……名はないのか?」
「殿下ですよ」
「それは地位の名称だ」
「ああ、そうでしたね……どうしましょう?」
赤子に名があるなら、と思ったが、要らないとされた赤子なら、つけられたその名で呼ぶ必要もないかと思い直す。
「……サリエ」
「はい?」
「サリエ・ヴァラディン」
「おや、名づけてくださりますか」
それくらいならしてやる。
「……サリヴァンと呼んでやれ」
「サリエ・ヴァラディン……サリヴァン……どちらも古語で《導きの王》ですね」
「それは皇となるべき皇族だ。そのくらいの名でちょうどよかろう」
「皇帝になる子なのですか?」
さあな、と肩を竦める。
「基準にはできぬ育ち方をすると言ったはずだ」
「ふむ……そうですか。なんだか楽しみですねぇ。ねえサリヴァンさまぁ」
可愛くてたまらない、という顔をしながら赤子を見つめるアルトファルに、よくわからない生きものだと思いながら、天王廟に戻った。
人間の赤子は育つのが早い。いや、人間は生きている時間が短い。そう思うのはきっと、高慢なことだろう。
「養父上……ルーフは、本当は白いそうですね」
いつから「養父上」と呼ばれるようになったのか、それは憶えていないけれども、とくにいやだとも感じないので放っておいたら、いつのまにかそれが定着して、養父上と呼ばれるようになっていた。
「ヴァリアス・デ・ルーフは、白を好んだらしいからな。贈り主たる天上の王の気紛れだろう」
窓から見えるルーフの花を、ぼんやりとしながら眺めていたサリヴァンだが、言葉を返すと「はは」と笑った。
「養父上みたいに、神さまはみんな気紛れですね」
「……人間ではいられなくなった者だ。気儘に生きねばその意味もない」
「んー……なるほど」
サリヴァンの、ルーフを見つめる瞳は虚ろだ。まるで自分を見ているようだと思いながらも、つられるように窓の向こうを見つめる。
本来なら白くしか咲かないルーフは、しかし赤く色づいて咲いている。サリヴァンが天王廟に来てからというもの、ルーフはずっと赤かった。
「いっ……」
「どうした」
「いえ、腕が、痛んで……雨が降るのかな」
右腕を押さえたサリヴァンは、その痛みをこらえるかのように、身体を強張らせる。
アルトファルでも癒せない傷をサリヴァンが負ったのは、いつだっただろう。
肉を抉るように斬られ、そこにある刻印を真っ二つにされ、それまで握れていた剣や筆を持てなくなってから、サリヴァンの瞳は虚ろさを増したように思う。
顔はいつも笑っているのに、心がない。
そういえばアルトファルが嘆いていたな、と思い出した。
「ああ、やっぱり雨だ……養父上、久しぶりの雨ですよ」
「旱でも続いていたか」
「ええ。作物が育たないそうで……ここはいつも緑に溢れているのに、農家がある地方は旱魃の被害がひどいらしくて」
「誰から聞いた」
「……ルカイアに」
その名には聞き憶えがなく、誰かもわからない。しかしサリヴァンは言い難そうにその名を明かした。
「ルカイア・ラッセ……さっき、来たんですよ」
「来た? 扉は閉ざしたままだぞ」
サリヴァンがその腕に傷を負ってからは、こちらからも渡れないように天王廟は閉ざしている。誰からの侵入も受けない代わりに、ここにいるサリヴァンだけはここから出ることすらできない状態にしていた。
「ラクが、帰ってきて……くっついて来たんですよ」
「侵入を許したのか」
「そういうわけでは……あれは不可抗力ですよ。ラクなら通れるとわかっての行動です」
確かに、サリヴァンが拾ってきたラクウィルという少年だけは、サリヴァンの破天荒な《天地の騎士》ゆえに自由な行動を取らせていた。それがサリヴァンの願いであったし、自分の立場を理解して我儘も言わないでおとなしくしているサリヴァンの言葉であったから、自由にさせていたのだ。
いつか仇になるだろうとは思っていたが、予想より早かったと思う。
「なにか言われたのか」
「……殿下が、流行り病に倒れたそうです。次いで陛下も」
「ああ、皇族の天恵が狂っているからな……地方の旱魃も原因はそれであろう。ほかになにか言われたか」
皇族にしては珍しく愚かなあの皇帝であれば、まあ当然だと思う。
「ルカイアが……おれに、城へと」
「ここも城の一部だ」
「外に出ないかと、言ってきたんです」
「出たいのか」
そういうわけではない、と首を左右に振ったサリヴァンは、その視線をこちらに向けてきた。
「……待つのも飽きてきました」
ふっと、サリヴァンは自嘲気味に笑って俯いた。
「養父上のそばにずっといられるわけでもありませんし……ラクだって、もっと自由にしてやりたいのに、してやれないし……もういいかなと、思うんですよ」
「……死にたいのか」
「ずっと待っているだけだったので、自分から歩み寄ろうかと」
投げ捨てたように言うサリヴァンに、顔をしかめる。
厭世している自分とは違い、サリヴァンはいつも死にまとわりつかれている。だから瞳はずっと虚ろで、光りがない。笑っていても、どこか冷めている。
捨てられたその命を、眷属だからともらったが、やはり基準にはできない育ち方をしてくれたサリヴァンに、ため息がもれた。
「好きにしろ」
「……養父上」
「思うように、動けばよい。どうせわたしはここから動かぬ」
怖いのだろうと思う。サリヴァンは人間で、人間ではいられなくなった自分とは違う。その生き方は、真似できるものではない。離れたくなるのも、わからなくはなかった。
「なら……ちょっと、その話を伝えに行ってきてもいいですか? お茶くらいしませんかと誘われたんです。ラクがまた術師宿舎に戻るみたいなので、そこで」
「扉は開放する」
「……ありがとう、養父上」
にこ、と控えめな笑みを浮かべたサリヴァンは、ゆっくりとした足取りで部屋を出て行った。
その後ろ姿の残像に、やはりあれは皇となるべき皇族であったか、と思う。
ここには帰ってこないかもしれない。
「赤子の成長は早いものだ……」
また静かになるなと思いながら、雨が降り出した窓の向こうに視線を投げる。
豪雨となりそうな雰囲気だったが、しばらくすると急に弱まり、しかしまた強まり、そして唐突に雷鳴が轟いた。
「……死んだか」
あの愚かな皇帝が死んだ。
ああやはり、サリヴァンはもう二度と、ここには帰るまい。
「……サリヴァン」
わが眷属、わが子よ。
おまえを脅かす存在は潰えた。
おまえの瞳を曇らせる存在は消えた。
おまえから生を奪った存在は死んだ。
「自由に生きよ……サリヴァン」
それまで赤く咲いていたルーフが、真っ白に咲き誇っていた。
リクエストありがとうございました。
また方向がずれた気もします……orz
楽しんでいただけたら幸いです。