06 : 隠れた心をすくうは。4
サリヴァン視点の、サリヴァンのお話です。
しばらく泣きやまず、涙が止まっても嗚咽が続き、顔がひどいことになったツェイルを、リリが朝の沐浴に誘った。気分をすっきりさせましょう、と言ったリリに、ツェイルは声もなくこくんと頷き、ふたり仲良く手を繋いで寝室から出ていく。
サリヴァンは微笑みながらふたりを見送った。
「……ラク」
「なんですかあ」
サリヴァンの微笑みは、苦笑に変わる。
「ツァインを呼んでくれ」
「近衛隊長を? なんでまた」
「犯人がツァインだからだ」
なんの、とは、ラクウィルは訊かなかった。
「やっぱ憶えてんですかい」
「いや。あの妹ばかがしそうなことだろ、闇討ち」
「……まあ、確かに」
「姫はメルエイラ家の天恵者だ。夜襲に後れを取るとは考え難い。となれば、ツァインの仕業だとしか考えられないだろ」
「妹ばかもそこまで来たら気狂いですよね」
「そう言うな。ツァインの忠誠心は、そういうものだからな」
まいったね、と肩を竦めれば、ラクウィルも同じように肩を竦め、呆れた。
「ねえ、サリヴァン」
「ん」
「なんでルカイアが、メルエイラの姫を連れてきたか、わかってますか」
いつも喰えない笑みを浮かべているラクウィルが、このときは微妙な顔をしていた。笑っているわけでも、真剣なのでもなく、ただ真っ直ぐな瞳をサリヴァンに向けている。
サリヴァンはふっと息をつくと、そんなラクウィルから視線を外し、窓から外を見るともなく眺めた。
春が近いから、外は緑に活気がある。
「やっぱりおれは、頼りないか」
「そういうことじゃないですけど」
「そういう、ことだろ……ツァインが差し向けただろう刺客を、ルカは、気づいていながら止めなかったんだから」
今朝は一度だけ現われて、サリヴァンに朝の挨拶をしたあと、夜襲についての謝罪をツェイルにしたルカイアは、それきりこの時間になっても再び来ることはなく、また政務についての文句を言いにくることもない。
「ルカイアの目的は、あなたを弑すことじゃないですよ。今回は姫がいたから、あなたは己れの身も護った。姫を護らなければならないからです。けど、もし姫がいなかったら? あなたはきっと、刺客の好きにさせたでしょう。それがいやだから、ルカイアは近衛隊長の好きにさせたんですよ」
「妹ばかを手許において、その妹のそばにいれば、常に危険だからか? おれに危機感を持たせるために?」
はっ、とサリヴァンは空笑いする。
「無駄だよ。おれはどうでもいい」
「サリヴァン」
「国主となったときから、もう、どうでもいいんだ……おれは国のために在ればいい」
「サリヴァン! だからルカイアは、姫を連れてきたんですよ」
「背後にメルエイラ家があるから? それこそ、要らぬ世話だ。姫を帰してやれ」
サリヴァンは寝台に転がりながら、しかし視線は窓の向こうに残して、言葉を続ける。
「あんな、小さな身体で、笑うことや泣くことを抑えられて、その天恵に振り回されて……このうえ、おれにまで振り回されたら、残酷だろ」
「けれど、サリヴァン。あなたは、姫を泣かせましたよ」
「勘違いに腹が立っただけだ」
そう、あれは本当に、腹が立っただけ。
天恵は神の恩寵。
けして、人を不幸にするものではないはずなのだ。
「でも、サリヴァン……あなた、姫のそばで三日も眠り続けたんですよ」
「そうらしいな。憶えてないが」
「憶えがないくらいに眠ったの、どれくらいぶりかわかってます?」
「さあな」
「五年です」
その数字に、サリヴァンはぴくりと眉を動かす。
「この五年、まともに眠らないあなたを見てきました」
「眠っていたさ。おまえがいるんだから」
「あそこまで起きないあなたを見たのは、五年ぶりでしたよ」
「……おまえ、なにやったんだ」
それが気になって顔をしかめながらラクウィルを振り向いたら、ラクウィルは眉間に皺を寄せていた。
「おれが、というより、姫がやりました。もしおれがやったら、たぶんあなたは起きたでしょうからね」
ラクウィルではなくツェイルのすることならば、それほどひどいことはされていないだろう。身体が痛いのは眠り続けたせいであるし、それ以外で異常はない。
「なに、やった」
「さあ? 騒いでいる声は聞こえましたけど」
なにかされたか不安になるような言い方は、されたくないものだ。
「おれは、あなたを沐浴させたくらいで」
「やめろ、あほ。放っておけ」
「おれとサリヴァンの仲じゃないですか」
「疑わしい関係があるような言い方をするな」
「汚いまんまで姫のそばにいたかったですか?」
「そ……」
言葉もない。いや、どう言葉を切り返せばいいのかわからない。
「ねえ、サリヴァン」
返事をしたくない。
したくなくて、そっぽを向いた。
「護るものがあるって、嬉しくないですか?」
答えたくない。
「護れる力があって、よかったと思いません?」
答えたくない。
「あのねえ、サリヴァン。おれは、はっきり言って、ルカイアの目論見なんてどうでもいいんですよ」
「……は?」
それの意味はわからなくてうっかり視線をラクウィルに戻すと、ラクウィルはにんまりと不気味に笑っていた。
「今回はしてやられましたけどね」
どうやら悔しい思いをしたらしい。
「メルエイラ家の秘密には、おれも目をつけてたんですよ。というか、おれが調べたんですけどね。ルカイアに持ってかれて、腹ぁ立ってます」
「……おまえの目論見でもあるんじゃないか」
「まあ、ね」
ふん、と鼻で笑ったラクウィルは、相当ルカイアにしてやられたことに腹を立てているようである。
「実際は、まあ確かにルカイアじゃなきゃ、姫を連れて来れなかったでしょうよ。おれはただの侍従長ですからね」
「……騎士にしてやろうか?」
「いやですよ、面倒な」
「って、おまえが言うから、おまえは侍従長だと思ったが?」
「称号を使いたくないんですよ」
「……おれとしては、べつにどっちでも変わらないと思うが」
「変わります。おれの称号は皇帝に在るものじゃない。サリヴァンに在るものです」
勘違いしないでください、と唇を歪めたラクウィルに、苦笑がこぼれる。
「おまえ個人で、姫を連れてきたかったというわけか」
「そうですよ。ルカイアは侯爵の地位と、宰相閣下っていう立場で、姫を連れてきましたけどね」
「なんにせよ余計なお世話だ」
妃は要らない。
娶るつもりはこれからもない。
「あのねえ、サリヴァン」
サリヴァンの意思に、ラクウィルはたびたび呆れたようなため息をついた。
「おれは、べつにルカイアの策に乗るわけじゃないですけど、今回のことについては、同意見なんですよ」
「なにがだ」
「後継者が欲しいわけじゃないんです」
その瞳が語るものに、サリヴァンは顔をしかめた。
「ルカは、世継ぎのことを言われたくなければ、姫を娶れと言ってきた」
「天恵者ですからね。そばに置く理由としては、それが妥当でしょう」
「世継ぎを産ませる必要はないと?」
「ま、言ってしまえば」
「姫に失礼だろう」
「建前ですよ、そんなの」
「なにが建前だ」
「すべてが」
「……は?」
どういう意味だと首を傾げれば、ラクウィルはいつもの喰えない笑みを浮かべた。
「国主として、姫を娶る必要はないんです」
「……なら、なんで連れてきた」
「サリヴァンの奥方にどうかと思って」
「は?」
さっぱり意味がわからない。
「天恵者っていうのは、あとづけです。だから、背後がメルエイラ家っていうのも、必然的にあとづけになんですよ。サリヴァンが姫に惚れるか惚れないか、実はそれだけの話だったりします」
「……おまえ、ふざけているのか?」
「いいえ、真面目ですよ」
ラクウィルは平気な顔で、大真面目な顔で、嘘を言うことがある。簡単に嘘を言えるから、常ににこにこと笑っている。
幼い頃からの仲だから、ラクウィルのそれがわかるだけに、サリヴァンはラクウィルの今の笑顔の真意を量りかねた。
「まあ、おれはあとづけに考えるだけで、ルカイアはそうじゃないですけどね。ばっちり背後まで考えて、ルカイアは動いてます」
「おまえ、それ言ってよかったのか?」
「いいんじゃないですか? だって、おれに言わせるために、ルカイアは今ここにいないんでしょうし」
乳兄弟と幼馴染の考えていることが、いまいち掴めない。
「おれはおまえたちに遊ばれていると考えていいわけか」
「いやいや、遊んでるわけじゃないですよ。けっこう真面目です」
「真面目ならふざけた言い方はやめろ」
「真面目です。サリヴァンに幸せになってもらいたいだけですもん」
その、突拍子もない言葉に、サリヴァンは顔を引き攣らせた。
「姫を攫うように連れてきて、軟禁紛いなことまでして、それのどこが真面目だ。なにがおれの幸せだ」
「……サリヴァン」
ふと、ラクウィルは苦笑した。
「姫は言ったそうですね」
「ああ?」
「あなたは本当に皇帝陛下ですか、と。あなたは誰ですか、と」
それは、初めて言葉を交わしたときの、ツェイルの発言だ。
「あなたは、サリヴァンだ、と答えた。姫にそう答えたのなら、そう答えさせた姫に、おれは感謝しますよ」
なにも言えなかった。
ラクウィルは座っていた椅子立ち上がり、視線を逸らして沈黙したサリヴァンの頭をぽんぽんと撫でると、人の気配が集まり出した隣室の居間に消えた。
少しして、ラクウィルとリリの声に、ツェイルの声が交る。沐浴を終えたにしては早いが、朝ということもあって、手短に済ませてきたのだろう。
少女とも少年もと取れるツェイルの、その姿を脳裏に思い描いて、サリヴァンは嘆息する。
「おまえの目には、おれが、わかるのか……」
どんなに隠しても、隠しきれないもの。
きっと、ツェイルには、見えたに違いない。
「……ぅく」
もう痛むはずもない、傷が疼いた。
痛みに顔をしかめ、その部分を抑えて、身体を丸める。
「こんなもの……っ」
要らなかったのに。
言葉は、声にならなかった。




