Plus Extra : 国を継ぐ者。1
ツェイル視点で始まります。
残酷描写、と表現すべき部分が、話の全体に散らばっていると思われます。
ご注意ください。
求められるというのは、とても嬉しくて幸せなことだ。だから涙がこぼれる。嬉しくて、幸せで、夢のようだから。
けれども。
「ツェイ、もう少し」
もう無理だ。息ができない。身体に力が入らない。
訴えても、求められるとその感情も揉みくちゃにされてしまう。
心とは厄介なものだ。
「サ、リ……ヴァ、さま」
「ん……可愛い、ツェイ」
深い口づけに戸惑っていた頃が懐かしい。今でも慣れないことではあるが、あの頃とは比べようがない。
ああ、幸せだ。
そう思うから。
「こら、おれを見ろ。おれ以外のことを考えるな。ひどくするぞ」
もうひどくしているくせに、とは言わせてもらえず、その激流に呑み込まれた。
* *
住まいを変えてから、食器を一度だけ新しくした。古びていた椅子や脚が欠けた卓は修理され、襤褸同然になっていた絨毯も新しくされた。
生活をするにあたって、必要とされた邸の改修が終わったのはもう去年のことである。ヴァルハラ公爵の住まいは、あるじたるサリヴァンの要望により、皇都の外れで長く放置されていたヴァルハラ家の別邸を本邸として生まれ変わらせた。
だが今日は、そのサリヴァンがいない。昨日も、いなかった。たぶん明日もいない。
「こうなるから城に戻りたくなかったのか……」
ツェイルはひとり心地に呟く。この数日のサリヴァンの不在には、もう慣れてしまった。寂しいことだけれども、慣れるしかなかったからだ。
「イル姉さまがおとなしいのは、ちょっと怖いわ」
その声に振り向くと、末の妹シュネイが部屋に入ってくるところだった。いつのまに来たのだろう。
「行かないの?」
「……どこに」
「殿下がいらっしゃるところに」
「……わたしは、騎士ではないから」
肩を落としてシュネイの言葉に項垂れれば、愛らしい末妹は小さく笑った。
「イル姉さまらしくないわ」
「わたしらしいって?」
「イル姉さまは騎士で、剣士だもの」
このところのシュネイは、幼い少女の名残りを持ちつつも、おとなの女性になろうとしている。言葉や仕草はもう、ひとりの美しい女性だ。
隣に来たシュネイと、目が合う。姉妹なのに、似ているのは顔つきだけだなと思った。
「……綺麗になったな、ネイ」
「あら、それあたしに言うこと? イル姉さまだって、また綺麗になったわ」
たとえお世辞だとしても嬉しい言葉に、ツェイルはやっと微笑みを浮かべる。
「ラクと婚約したって、聞いた」
「反対?」
「いいや。ネイは綺麗になった」
まだ幼い少女が恋をした。だから美しい女性になった。恋しい人を、夢中にさせるために。
シュネイが恋をしたのは、サリヴァンの侍従であるラクウィルだ。いつのまに出逢っていたのか、ツェイルは知らない。ただ、居を移してからはよくシュネイが来るようになって、そうしてつい最近、サリヴァンからラクウィルのことを聞き、シュネイが来ていた理由を知った。
「ラクが好き?」
「好きよ。アイン兄さまやウーラ兄さまは反対してるけど……あたしが好きなの。ラクさまは、それをただ受け入れてくださっただけよ」
少しだけ頬を朱に染めて、けれども臆面もなく幸せそうに、シュネイは微笑む。ラクウィルがシュネイのこんな表情を引き出しているのだと思うと、反対する兄と弟の気持ちが少しだけ理解できた。
「奪われた気分だ……少し、寂しいな」
「あたしも、ユーリ姉さまやイル姉さまが結婚なさったとき、そう感じたわ。あたしの姉さまなのに」
「……ああ、そうか。兄さまも、こんな気持ちだったのか」
「皆そうよ。寂しくならないことなんて、ないの」
寂しいことなんてなに一つない、なんて、言えない。シュネイはそう言った。ツェイルよりもよほどしっかりしている妹だ。
「でもね、それでも、あたしはラクさまが好きなの。姉さまが殿下を愛していらっしゃるように、あたしもラクさまを愛してるの。こんなの子どもの気持ちだって、違うんだって、兄さまたちは言うけれど……いいの」
「運命の人だから?」
「だって、もう誰も見えないの。あたしはもう、ラクさまを中心にものを考えるようになったしまったもの」
「そこまで自覚しているなんて……ネイはおとなだな」
「子どもよ。あたしのただの我儘だもの」
それでも、と思う。おとなになろうとしているから、きっと、自分の気持ちが歯痒いのだろう。
「姉さまも、我儘を言ったら?」
「わたしの我儘なんて……」
「殿下のおそばにいたいなら、いていいのよ。だって姉さまは騎士だもの」
「もう騎士ではないよ」
「いいえ。自分がその人の騎士だと思うなら、それはずっとそうなのよ。だから姉さまは、殿下の騎士だわ」
「……そうかな」
そうよ、と誇らしげに言うシュネイに、苦笑がこぼれる。
「飛び出していいのよ、姉さま。姉さまは強いんだから」
シュネイの言葉に、不思議と元気づけられる。きっと、自分でもそうしたい気持ちが強いから、肯定されて嬉しいのだ。
「そばに……行っても、いいのかな。邪魔に、ならないかな」
「騎士だもの、邪魔でいいのよ」
「いいのか……」
「文句は好きなだけ言わせるといいわ。護りたい人のそばにいて、なにが悪いのよ。それに、互いに護りたいと思ってるのよ? 文句を言うほうが筋違いじゃない」
「……ネイは、強かだね」
「あたしにも護りたいものができたからよ」
ここ数日サリヴァンが不在であるように、サリヴァンについて歩くラクウィルも不在の日々が続いている。だからシュネイも、ツェイルのようにいとしい人のそばに行きたいのだろう。
「……行こうか、ネイ」
「あたしも連れて行ってくれるの?」
「きっとラクも、ネイに逢いたいだろうから」
「……そうかしら。逢いたいと思うのは、いつもあたしのほうが強いのよ」
子どもだから、とシュネイは少し落ち込んでいたが、この少女を見てラクウィルがどう思うか、考えなくてもわかることだ。
「行こう、ネイ」
ツェイルはシュネイの手を取る。
歩き出そうとしたところでふと、腹部に痛みを感じた。気になるほどの痛みではなかったので、かまわず一歩を踏み出した。
しかし。
「イル姉さま? イル姉さま、どうしたの?」
数歩進んだだけで、腹部の痛みが急激に強まり、耐えきれずツェイルは床に膝をついてしまった。
「な、んでも、な……うぅ」
「姉さまっ」
痛い。なんだろう、この痛みは。
身体を丸め、痛みをやり過ごそうとしたけれども、増すばかりだった。
「姉さま、まさか……っ」
なにに気づいたのか、ツェイルの身体を抱きしめたシュネイが、「誰か!」と扉の向こうに向かって叫ぶ。
「ガルデア、ガルデア! 姉さまを護って! 負担をかけているだけなら、今だけでいいから出て行って!」
「ね、い……っ」
だいじょうぶだ、ヴィーダガルデアはなにもしていない。
そう言いたかったが、息が続かなかった。
「ああ、姉さま…っ…だめよ、だめなの、我慢しないで。誰か、早く……ラクさまっ」
だいじょうぶ、だいじょうぶだ。ただ痛いだけ。痛くてどうしようもないけれども、おとなしくしていればだいじょうぶだ。
慌てふためくシュネイのほうが心配で、ツェイルは痛みを我慢しながら無理に笑みを作る。そうするとシュネイがもっと動揺してしまって、大変だった。
やっぱりまだ子どもだな、と痛みで朦朧とし始めた頭で思ったとき、駆けつけてくれたリリの姿を見た。
「ツェイルさま!」
リリの姿にほっとしたところで、ずん、と襲われたひどい痛みに頭がいっぱいになった。
リクエストいただきました。ありがとうございます。
楽しんでいただけたら、幸いです。