Lateral Biography : いまがあるから。1
*本編番外「願わくはこの大地へ。」のあとの物語。
サグザイール公爵の別邸(ルカイアの家)にいるときの話です。
僅かですが残酷描写あります。ご注意ください。
サリヴァン視点です。
たまに、眠っているときに夢を見る。これは夢だ、と自覚できない夢だ。見ているものすべてが現実にあったことであるせいか、あれから数年が経過していても、その夢を見ているときだけはそれが現実になる。
夢を現実と区別できなくて、夢を見ないように眠らなくなって、そのうち眠ることに恐怖を感じるようになって、誰かがそばにいるときは眠らなくなった。人の気配がするところでは、瞼も閉じられなくなった。
だから寝不足で頭痛がひどくなってくると、決まってラクウィルが最初に気づいて、そういうときは部屋に誰も近づかせないようにしてくれるようになった。
今、自分のこの不調に気づいてくれるのは、ラクウィルともうひとり。
「サリヴァンさま……」
心配そうに自分を呼ぶ声に、顔を上げる。
誰もが、なんて表情の乏しい子だ、というその無表情は、サリヴァンには今とても苦しそうな顔をしているように見える。これだけ表情が豊かなのに、どうして誰も気づかないのだろうと不思議に思う。
いや、溺愛して憚らないきょうだいたちには、関係ないようではあるけれども。
「どうした、ツェイ?」
にこりと微笑んで、小さく首を傾げる。すると苦しそうな顔が、もっと苦しそうに歪んだ。いやいや、と首を左右に振り、早足にそばに寄ってきたかと思うと、机に置いていた腕を引っ張られた。
「ツェイ?」
妻となった少女ツェイルは、サリヴァンの仕事を自分の都合で邪魔をするような子ではない。けれども稀に、こうして訪れては、サリヴァンの仕事を邪魔する。まるで、それを使命としているかのように。
「ツェイ、おれはまだ仕事中だ。もう少ししたら終わるから」
「そう言って、もう三日経ちます」
「……そうだったか?」
さて、そうだっただろうか。
そういえば、いつ眠ったかも憶えていない。
「サリヴァンさま……お願い」
「ん?」
「休んで」
ぐいぐいと、ツェイルに腕を引っ張られる。その力に負けるわけもないが、上手いことにツェイルは筆を持っている左腕を引っ張るから、机に広がっている紙に文字を書き続けることはできない。
「ツェイ……だいじょうぶだ。本当に、あと少しだから」
「もう四回も、その言葉を聞きました」
だいぶ記憶が曖昧になっているらしいと、今さら気づく。
さすがに少し休んだほうがいいだろうかと考え直して、苦笑しながらツェイルに引っ張られるまま机を離れた。
ふと、ふわりと感じたツェイルのぬくもりに、くらりと眩暈がする。
「……サリヴァンさま?」
眩暈をこらえて立ち止まったサリヴァンを不審に思ったのか、ツェイルがくるりと振り向く。出逢ってから切らせていない髪が舞い、いつも少年のようなツェイルを少女に見せただけでなく、サリヴァンの欲を刺激した。
思わず吸いつきたい衝動に駆られたサリヴァンだが、眩暈は少女からの誘惑だけが原因ではなかった。
「ツェイ……」
「! サリヴァンさまっ」
眠い。
そう思ったのは一瞬だ。
気づくと足は崩れ、ぐらぐらと視界が揺れている。吐き気すら感じたとき、慌てた様子のツェイルが見えた。
ツェイルを巻き込んで、寝不足で倒れるのはこれで幾度めだろう。
「すまない……ツェイ」
おれはおまえに、いつもそんな顔ばかり、させている気がする。
ぐらぐらしていた視界が真っ暗になると、身体を包む優しいぬくもりにほっと息をついた。
『そなたもイデアのような目で、余を見るか……』
投げかけられた言葉に、ハッと目を見開く。
『余には与えられぬ天恵が、それほど価値のあるものだというのか』
『……ヴェナート、陛下』
目の前には、焦燥に駆られて瞳をぎらつかせた先帝がいる。その手には、血に汚れた剣を持ち、床には赤い水溜まりが作られている。
『余には与えられず、イデアには与えられ、サライに与えられ……そなたに与えられるとはどういうことか』
『陛下、おれは、べつに……』
『黙れ』
振り上げられた剣から、付着していた血が飛ぶ。
ああ、おれはここで死ぬのか。
陛下であり、父であるこの人に、殺されるのか。
そうか。
そうか、それが運命なのか。
このときのために、生きていたのか。
生かされていたのか。
それなら。
それなら今度は。
しっかりと首を狙って斬ってくれ。
腕を斬られたところで、人間、死にはしないのだ。
だから。
だから。
だから。
『天恵を授かりしことこそ己が罪過と知れ』
振り下ろされる剣よりも、先帝のその顔をしっかりと見つめる。
産まれて初めて見た陛下は、産まれて初めてみた父親。
産まれて初めて向けられた感情は、憎悪。
『……へいか』
一度でいい。
父上と、呼んでみたかっただけなのに。
呼ぶことさえも、許してもらえない。
呼んでみたかったと思った心は、ひたすら向けられている激しい憎悪に、押し潰された。
『サリヴァン! サリヴァンっ!』
先帝が望むように死ねたのだろうかと、そう思ったら、自分にはまだ息があって。
『逃げて…っ…サリヴァン!』
『邪魔をするな、忌まわしい異形の術師が』
『逃げてっ!』
先帝の剣を、傷だらけで包帯だらけのラクウィルが剣で受け止め、自分は庇われていた。
『ラク……ラク、やめろ。いいんだ。もう、いいから』
『逃げてって、おれが頼んでるんです! 逃げなさい!』
必死の形相で捲くし立てるラクウィルに、頭が混乱した。
先帝の剣を押し返せないほどの大怪我をして、今も動けるわけがないはずのラクウィルが、なぜここにいるのかもわからない。
『退かぬか、異形の術師』
『うるさい。あなたに、あなたなんかに、サリヴァンは殺させません』
『退け!』
ぎりぎりと、ラクウィルの剣は押される。先帝の言うとおりだと、そこと退けと、そう言っているのにラクウィルは聞かなかった。
『やめろ、ラク……っ』
『いやです』
『ラクっ』
『おれはサリヴァンの騎士です』
叱るように、ラクウィルが怒鳴ったときだ。
ぐにゃりと、ラクウィルの姿が歪む。
『……ラク?』
ラクウィルの姿が歪んだのを見たのは、サリヴァンだけではなく、先帝もだった。サリヴァンと同様に驚き、目を見開いている。
『そなた…っ…よもや』
『あなたにサリヴァンは殺せない。殺させない。おれがそばにいる限り』
『……っ!』
先帝が怒り狂い、振り下ろす剣に力が込められる。同時にラクウィルは、先帝の剣を押し返した。
そうして、天を仰ぐ。
『猊下ぁ!』
そう叫ぶと、ラクウィルは剣を握り直し、先帝に突っ込んでいく。
やめろ、と制止する言葉を出せたかわからない。
気づくと馴染みのあるぬくもりに包まれていて、目の前を見憶えのある後ろ姿に塞がれていた。
『サリヴァンさま……っ』
ぬくもりは、いつも細々と世話をしてくれる精霊アルトファルだ。血を苦手とするくせに、無理をして駆けつけたらしい。
アルトファルがここに来たのなら、と目を凝らせば、見憶えのある後ろ姿は、間違いようもない。
『養父上……』
『やはりあれは、おまえの《天地の騎士》であったようだな』
『……ディバイン?』
『ラクウィル・ダンガード……あれは《天地の騎士》だ』
『……ラクが……、ラクはっ?』
養父上と呼び慕っている聖王は、ふらりと振り向いて、塞いでいた視界を明らかにしてくれる。
『……ラク?』
いるはずのラクウィルと、そして先帝の姿が、消えていた。