Lateral Biography : 侍従長放浪記。2
ラクウィル視点です。
眠いという感覚が、ラクウィルには昔から理解できない。それゆえか、気づくのはいつも眠ったあとだった。いつ眠ったのかは知らない。気づけばそこは寝台の上であったり、寝椅子の上であったり、廊下や屋根の上、階段で目覚めることすらある。
もっとも笑えた目覚め場所は、廊下だったと思う。あまり使われない廊下を、近道と思って歩いていただけだったのに、揺さぶられて起きた。起きた、という事態にも驚いたが、そんなところでぱったりと意識を手放したせいで二日ほど行方不明扱いされていたことのほうに驚き、そして笑った。ラクウィル失踪に焦ったサリヴァンやルカイアは、もう二度とあの廊下を使うなと怒りはしたが、ラクウィルは懲りない。あの廊下はサリヴァンが幽閉されていた塔へ繋がる道の一つで、生きる喜びを知った日々の思い出があるのだ。そして、ラクウィルにその過去を、忘れさせないでくれる道でもある。
そして重要なこと。
どうも人から嫌われる傾向にある、というかサリヴァンとその親しい人たち以外からは忌避されるので、それ以外の友人はおろか知り合いも少ない。さらにその数少ない人たちも、ほとんどは天恵を恐れて近づいてこないのだ。ラクウィルがどこで倒れていようと、必ず放置する。
そう、ラクウィルはどこで倒れていようとも、放置される。
理由は簡単だ。
『忌み子を守護する異形』
サリヴァンの過去を知り、その境遇を知る者たちには、ラクウィルは重宝される。しかし、ラクウィル・ダンガードという天恵術師を知る者からは、どこからその噂が流れたのかは不明であるが、国の忌み子を守護する異形の者と、呼ばれていた。
火と土、二つの属性天恵を所持しているというだけなら問題はない。けれどもラクウィルには、知られてはいないが無属性天恵がある。そのせいか、どの属性天恵の攻撃を受けても、怪我など一切負わない体質だ。物理的なものでしか、ラクウィルは傷つかない。
だから、帝国の術師団のひとりだった頃は、よく動く的にされた。水の攻撃を受けても濡れず、風の攻撃を受けても肌を傷つけず、火と土は加護があるのでもちろん攻撃の意味を為さないゆえのことだ。
今考えてみると、あれはたぶん、いやがらせか虐めか、或いは殺すためのものだったのだろうと、ラクウィルは思う。
「生きてますけどねぇ……」
天恵の攻撃を受けた程度で、ラクウィルは死なない。では剣で、と人は思ったのだろう。それはラクウィルに大怪我を負わせる力ではあったが、それでもラクウィルが死にかけたのは一度きりである。
「ラクさま?」
ふと可愛らしい声に呼ばれて、ラクウィルはもの思いに耽っていた思考を現在に引き戻す。だいぶ下にある視線に合わせて首を折れば、三ヶ月ほど前に出逢った愛らしい少女が首を傾げていた。
「なんでもないですよ、シュネイ嬢」
誰もがラクウィルを遠ざけ、ラクウィルを嫌い、異形として扱い、そういう眼で見ていたのに、この少女はそれらをまったく気にも留めずに、ラクウィルのそばに寄ってきた。
シュネイ・ウェル・メルエイラ。
さすがは姫の妹君、と思うラクウィルである。
「ここがイル姉さまの新しいお住まいになるのね」
「ええ、そうですよ。ちょっと古いですけど」
「立派よ。姉さまは内面の美しさを知る人だから、外面はどうでもいいの」
くす、と笑うシュネイは、あまりツェイルに似ているとは思えない。ラクウィルはそうなのだが、周りはそっくりだと言う。
この微笑みのどこが、ツェイルに似ているのだろう。
確かにツェイルも笑えば可愛らしいが、滅多にそんな顔は見せない。見せても夫であるサリヴァンにだけだ。しかし常に表情を殺しているようなものなので、シュネイのように感情豊かにそれを表現することは、ふだんからなかった。
個体として見るなら、ツェイルとシュネイはまったく似ていない。
と、ラクウィルは思う。
しかしながら、ラクウィルには不明なことがある。
「シュネイ嬢、おれにつき合う必要はないんですよ? 邸の最終確認視察なんて、つまらないでしょう」
ラクウィルは今日、サリヴァンが居を移すと決めた場所、長く放置されていたヴァルハラ家の邸を見に来ている。古さゆえに改修が必要だったので、その工事が入り、そろそろ終わろうかというときのことだ。工事のために働く職人たちがちらほらと見える中、ラクウィルは安全確認をするために訪れているのだが、そこになぜかシュネイはくっついて来たのである。
「姉さまに逢うために、というのは口実よ。と言ったら、どうする?」
「どうもしませんが……それではなんでおれと一緒にきたのか、と疑問になりますね」
「もう……ラクさまに逢いに来た、ではだめなの?」
「おれに? なぜですか」
シュネイは姉想いだ。というかむしろ、メルエイラのきょうだいたちは、非常に仲がいい。長男ツァインを筆頭に、五人のきょうだいたちはまるで恋人と接するがごとく幸せそうにじゃれ合うのである。
ゆえに、シュネイはラクウィルがサリヴァンの侍従だと知った翌日からは、ラクウィルの体調を心配することを口実に、ツェイルに逢いにくることが多くなった。
口実にするならむしろ、ラクウィルのことに対して、のはずである。
「言ってもいいかしら……ちゃんと真剣に聞いてくれる?」
「はい?」
「あたし、運命の人に出逢ったの」
「……はあ」
それがどうした、と首を傾げる。運命など信じたくない、というか頭から信じていないラクウィルには、どこをどう真剣に聞けばいいのかわからない。
「ラクさまよ」
「へえ……、え、はい?」
なに、と目がまん丸になり、聞き流せなかった。
「ラクさまが、あたしの運命の人なの」
「……ええと?」
おれは運命なんて信じていませんよ、と言うようにラクウィルは聞き返すが、そこは夢見る乙女のシュネイである。
「あたしを恋人にして」
目下の少女を、思わずまじまじと見つめてしまう。
「あの……おれ、二十四歳で、シュネイ嬢からしたらおいちゃんですが」
「歳の差? そういえばそうね……でも、いいの。あたしはラクさまがいいから」
歳の差なんて関係ないわ、とあっさり跳ね除けられてしまう。いや、夢見る乙女な少女なら、当然のことだろう。
「おれのどこがいいんですか」
問うと、シュネイは花が綻ぶように笑った。
「ぜんぶ」
ああ可愛いなぁ、なんて思うのは、きっとシュネイが本当に愛らしい少女であるからで。
「あたし、ラクさまに恋したの……一目惚れよ」
「それも運命とかいうやつですか」
「そうよ。あたしがそう願ったから、運命になったの」
「うーん……」
子どもだなぁ、と思う。
「ラクさま、恋人はいて?」
「一夜限りならたくさん。ほかはおれを嫌って、近づきもしませんからね」
「あら、じゃあ真実の恋人はあたしだけね」
「いや、なぜそんなことに?」
「あたしはラクさまと幸せになるの」
うむ、子どもだ。話を聞いてくれない。というかラクウィルのほうが話についていけない。
歳を取ったものだ。
けれども、まあいいか、と思うことまで、歳のせいにはできないだろう。
「まいりましたねぇ……」
子どもに好かれるほうではないのだけれども。
「好きよ、ラクさま。好きなの」
臆面もなく、恥じらいもなく、ただ素直な感情を一方的に与えてくる。
煙たがれることが常だったせいか、それはとても心地いい。
「おれなんかでいいんですかぁ?」
「あたしにはラクさましかいないの」
子どもだなぁと、やはり思う。その遊びにつき合う義理はないが、幸せそうに笑う少女に今それを言っても、意味は為さないだろう。
そのうち心変わりするはずだ。この少女は愛らしく、美しい。誰もが放っておかない娘になる。
それはまでは一緒にいてもいいかな、とラクウィルは思う。
「仕方ないですねぇ」
子どもの我儘は可愛い。サリヴァンやツェイルにも我儘をたくさん言ってもらいたいラクウィルは、甘やかされたことがないから、甘やかしてやりたい気持ちが強いのだ。
たとえそれが、一時の夢であったとしても。
「視察はまだ続きます。安全点検が目的ですからね。どうぞ手を、シュネイ嬢」
「ネイ、と呼んで、ラクさま」
腕に絡んできたシュネイに、ラクウィルは微笑む。
「はい、ネイ」
ちょっとお父さんみたいな気持ちになりながら、それでも自分に好意を寄せてきてくれている少女を、恋人のように想う。
可愛いなぁ、とただ思ったことが、のちに自分にその真実を気づかせることになるとも知らずに、ラクウィルはシュネイと手を繋いで歩き出した。
ラクウィルのお話、終わります。
読んでくださり、ありがとうございます。