Lateral Biography : 侍従長放浪記。1
ラクウィル視点、ラクウィルの話。
番外編『願わくはこの大地へ。』の一ヶ月後くらいだと思います。
「姫ぇ」
と呼ぶと、ツェイルは必ずひょっこりと窓から顔を出してくれる。だからラクウィルは、庭先でにっこりと笑った。
「ちょっと出かけてきますね。書簡を届けに行くだけなんで、すぐ戻ると思いますけど」
「どこまで行く?」
「城の近くまでは行きますよ。なにかご用でも?」
「少し、待って」
リリではなくラクウィルに頼みたいことがあるとは、ツェイルにしては珍しい。そう思いつつも素直に待っていると、窓の向こうに引っ込んだツェイルは少ししてからまた顔を出した。
「これを」
と、窓からなにか落とされる。ひらひらと落ちてきたそれが手紙であろうことは一目瞭然だ。
「よっ……と。お手紙ですか」
「テューリ姉さまに」
「テューリ嬢? あ、そういえば結婚されましたっけね。するとー……ジーゼル子爵ですね」
「そう。わかる?」
「エーヴィエルハルトのことですから」
「……ハルト医師?」
なぜ、という顔をしたツェイルに、そういえば知らないのかな、とラクウィルは笑みを深める。
「エーヴィエルハルト・コール・ジーゼル。結婚して母方のジーゼル姓をもらって、子爵になったんですよ。結婚相手はテューリ嬢です」
「え……」
そんなの知らない、と珍しく顔に出したツェイルに、ラクウィルは苦笑した。
「まだ婚約してたときに、逢わなかったんですね? テューリ嬢のお相手に」
「……だって」
ぶす、と頬を膨らませたツェイルは、ありありと姉を奪われた腹立だしさをラクウィルに見せる。
このところのツェイルは、サリヴァンだけでなくラクウィルやリリにもさまざまな顔を見せてくれるが、こんなにはっきりとそれを表わすのはめずらしい。本当にきょうだいたちが大好きのようだ。
「逢いに行ったほうがよくないですか? 手紙じゃなくて」
「……ハルト医師なら、まあ……けれど、姉さまの……」
ぶつぶつと言うところからして、随分と葛藤しているようだ。世話になったことがあるだけに、どういう態度をとったらいいのか迷っているのだろう。
仕方ないなぁと、ラクウィルは笑った。
「じゃあ今日はこれを渡してきます。今度は、逢いに行きましょうね」
「う……うう」
うん、とは言いたくないらしい。
「姫は可愛いですねぇ、まったく……じゃあ、おれは行きますね。サリヴァンのこと頼みましたよ」
「気をつけて」
「はい」
ばいばい、と手を振ってから、ラクウィルは天恵を発動させる。
空間移動するラクウィルのこの無属性天恵は、すでに二つの属性天恵による代償に加え、さらに代償を要求してくるものである。
目的地に到着したとたん、その感覚に襲われた。
「うわ……あぁあ、なんで今きますかねぇ」
襲われた眩暈に少しよろめきつつも、失くせない書簡と手紙はしっかりと懐に入れ、足に力を入れて踏み止まる。
便利な天恵だが、あるとき唐突に代償を要求してくるので、面倒なことこのうえない。
けれども。
「サリヴァンが元気な証拠」
サリヴァンの周りが平和な証拠、なんの問題も起きない日という意味でもある。
「ラクウィル?」
「ん? ああ、ちょうどよかったです」
眩暈をこらえていたら、目的地の目当ての人物がちょうど現われてくれた。ルカイアである。
「はい、これ。サリヴァンからの書状です」
筒状の書簡を出してルカイアに渡すと、中身の内容は把握しているらしいルカイアは鷹揚に頷いた。
「ありがとうございます。これで揃いますね」
「そうですか。じゃあ、おれは行きますね」
「お待ちなさい」
あとはハルトのところに行ってテューリに手紙を渡してしまえば、どこでなりと休めると思ったのに、ルカイアに呼び止められてしまった。
「少し休んだらどうですか」
「はい?」
「真っ白ですよ、顔色が」
「……、ああ」
眩暈で視界は危ういが、歩けないほどではない。笑みも絶やしていない。けれどもルカイアはそれに気づいたようだ。
「気にしなくていいですよ。寄るところがまだあるので、それが終わったらどこか適当な場所で休みますから」
「道端で倒れるつもりですか」
「そんなこと」
しませんよ、とは言えなかった。言えない心当たりがあり過ぎる。
「あー……どうせ行き先はエーヴィエルハルトのところなんで、だいじょうぶです。倒れるならそこにします」
「サリエ殿下か妃殿下に、なにか?」
「いえ、手紙を預かったもので」
渡しに行くだけですよ、と言って、これ以上足を止められるわけにもいかないので、ラクウィルはさっと距離を作ると満面の笑みを浮かべる。
「待ちなさい、ラクウィル」
「いやですよ」
じゃ、と天恵を発動させる。逃げるが勝ちだ。
しかしながら、無理は禁物、でもある。
「あー……しっぱいしちゃった」
飛べないかな、と思った時点で失敗だ。
ここは第二の目的地ではない。つまり、思った場所に移動できなかった。
「うーん……ここで休めってことですかねえ」
と、寝転がりながらうんうん唸ってみるも、眩暈は治まらない。脳みそがぐらぐらと揺れているのが、瞼を閉じるとよくわかる。
とりあえずこの眩暈が治まるまでは休んだほうがよさそうだ。
「あなた、なにをしているの?」
おや、と思う。人の気配はなかったのだが、いきなり現われた。
「気にしないでください。ちょっと休んでいるだけなので」
「……顔色が悪いわね」
ふっと、その気配がさらに近くなる。口調と声の感じから少女のようだが、この気配はどこかで知っているような気がして、ラクウィルは閉じていた目を開けた。
「近くに姉の家があるの。そこで休むといいわ。歩けるかしら」
ふんわりと風に流れる薄茶色の髪と、同色の柔らかい双眸が、じっとラクウィルを見つめた。
どこかで見たような気がする。知っているような気がする。けれどもそれが思い出せない。
こんなに可愛い子なら、憶えているものだが。
「……あたしの言ってること、理解できる?」
「あ、失礼しました。いえいえ、お気遣いなく……」
言ってから、目が回ってしまって眉間に皺が寄る。せっかく耐えていたのに、やはり限界がきていたらしい。
「あなた、だいじょうぶ?」
少し慌てた少女が、小さな手のひらでラクウィルの頬を撫でる。うっかり、やっぱり女の子は柔らかくてふわふわしているなぁ、と思ってしまう。
「人を呼ぶわ。ここで休むなんて、そんなの身体を痛めるだけだもの」
ああいえ、放置しておいてくれてかまいません。
と言えたらよかったのだが、残念ながらそこで意識をうっかり手放してしまったラクウィルだった。