Extra : 願わくはこの大地へ。1
番外編『祈り。』から数日後、途中からサリヴァン視点になります。
手許を明るくした光りに、ふと顔を上げる。明りが必要になるほど辺りが暗くなっていることに気づき、少しだけ驚いた。
「……どうした」
「サライさまがお逢いしたいとのことです」
「わたしに用はない」
「先日保護しました元公子のことで、どうしてもお訊ねしたいことがあるとのことです」
「……なんのことだ?」
元公子など保護した憶えはなく、またいつのことかもわからず、怪訝に思って顔をしかめれば、「サリヴァンさまがお連れした公子ですよ」と教えられる。
「……ああ、あの天恵者か」
「はい」
「サリヴァンの判断することだ。わたしには関係ない」
「それが……サリヴァンさまから、言伝があるとか」
「要らぬ」
「そう言うと思いました。仕方ないですね……サライさまにはお帰りいただきますよ」
「領域に入れるな」
「御意」
ことりと卓に明りが置かれ、手許を照らし続ける。
なにごともなかったかのように、再び書物に目を落とした。
* *
軽くうんざりとしながら、サリヴァンはそれを聞いていた。
「おれに、登城しろと?」
「はい」
こともなげに即答したのはルカイアで、その後ろではジークフリートが、ラクウィルの急襲に備えて空気をピリピリさせている。
「おい、サリエ。ラクウィルは本当にいねぇんだな?」
「しつこい。見ればわかるだろ。今はおれとツァインと、ツェイしかいない」
ラクウィルがリリの買い出しの手伝いで外に出ているのは、幸いなのかそうでないのか。
「なんか……どっからか冷気が」
ああ、ツァインだろうな。と思う。笑みを張りつかせているツァインも、危険ではあるのだ。
「それで? おれが登城してどうにかなるのか、ルカ」
話をルカイアに戻して、サリヴァンは唇を歪める。
ルカイア曰く、聖王猊下にお逢いしたい、とのことだ。しかしそれができないので、サリヴァンに登城して欲しいらしい。
「われわれでは猊下に逢うことすら叶いませんので」
「逢えるだろうが。森の中に抜け道があったはずだ」
「通れなくなっています。通じていた扉はすべて、閉ざされてしまいました」
「……なにをやったんだ、兄上は」
ため息が止まらない。
開放的だった、というわけではないが、聖王がおわす場所にはいくつか扉がある。実際の場所は皇城の中心、私有地の森の真ん中に建立した淡の塔であるから、森の中に入れば辿り着けないこともない。むしろ辿り着けないことのほうがおかしいとサリヴァンは思うのだが、通じる扉に仕掛けがあるように、森にもなにか仕掛けがあるらしい。
「アルトファルを怒らせたのか?」
「いいえ、そのようなことは」
「塔はアルトファルの領分だ。猊下の命令で塔を閉ざしたのだとしても、なんの理由もなくそんなことはしないぞ」
「そう言われましても……」
言葉を濁すのは、ルカイアにしては珍しいことだ。つまり、本当に身に覚えがないのだろう。
同時に、サリヴァンの登城要請が、それを口実にしてはいるものの、猊下への面会が叶わないゆえのことであるというのは嘘ではないとわかった。
「サリヴァンさま」
ため息をどうにか止めようとしていたところでツェイルに袖を引っ張られ、サリヴァンはすぐに笑みを取り戻す。
「どうした?」
「庭に出ていても、いいですか? 木苺の収穫をリリに頼まれていたのです」
傍らの癒しを失うのは痛手だが、そもそもその空気を割ったのはルカイアとジークフリートの登場であったから、サリヴァンはそれらを撃退すべくツェイルを退避させることにした。それにツェイル自身も、この空気の中は居辛いだろう。
「見えるところにはいてくれ」
「はい」
いざというときにはツァインに追い払ってもらおうと、庭へはツェイルひとりで行かせた。ツェイルが収穫を頼まれたという木苺は、サリヴァンがいる位置からも見えるところにある。ひとりで外に出しても問題はないだろう。
ツェイルを庭へ送りだしてから、サリヴァンは視線をルカイアに戻した。
「猊下のところに赴くのはかまわないが、扉を閉ざされた理由は見つけておいたほうがいいぞ」
「理由の一つでしたら、思い当たります」
「なんだ?」
「殿下が城におられないことです」
またそれか、と肩が落ちる。
「理由にならん」
「なります。殿下をお育てになったのは、実質は光りの精霊アルトファルだと伺っております」
「だから扉を閉ざしたと? そんなわけがあるか。アルトファルのあるじは光りの天恵者エイリ・ノ・フィーノ、そして猊下だ。おれじゃない」
「それでも」
どうしてもサリヴァンを城へ戻したいらしいルカイアは、その可能性を強く信じているようだ。
こうなってくると、ツァインが言っていたように、単純に考えてしまったほうがいいかもしれない。けれども素直に頷きたくもない。城へ戻ったら、以前のような生活が待っているだけかもしれないのだ。
「……ツァイン、どう思う」
視線をルカイアからツァインへ転化し、サリヴァンは息をつく。
「どう、と訊かれてもねえ……猊下の真意も、光りの精霊の気持ちも、僕なんかに理解できるものじゃないからねえ」
「おれが城に戻れば済むことか」
「どうだろう。それとは関係ないように思うけれど」
人間はいつだって神々の事情に振り回されるものだからね、とツァインは肩を竦める。
どうしたものかと考えながら、サリヴァンは視線をルカイアに戻した。
「なぜ猊下に逢いたい?」
問えば、元公子についてのことで、と返される。
「キサネ? キサネのことなら、おまえが後見だろうに」
「天恵の発現は、わたしの手に負えるものではありません。まして彼の天恵は、神々に匹敵するものです。神学者の話では、神の代替わりではないかとも」
「……発現したのか」
「殿下が城を出られてすぐ、われわれには三日ほど前にその旨を」
「であれば、確かに猊下の意見が欲しいな」
そのことについてなら、やむを得ない、とも思う。
「どんな力だ?」
「曰く、破壊である、と」
「破壊?」
まるでツェイルの天恵を嘲笑っているようだな、とサリヴァンは顔をしかめる。
「ちらりと拝見しましたが、ツェイルさまとは種の違う力のようでした。ゆえに、判断がつきません」
「聖か、魔か?」
「はい。シェリアンはわが帝国の属国、ゆえに属性でいうなれば聖、魔ではありません。しかしキサネさまの力は、魔のそれに近いのではと」
「そう言われると、ツェイの属性が聖ではないと言っているように聞こえる」
「ですから判断がつかないのです。猊下のお言葉を賜りたいのは、キサネさまのこれからを考えてのことでもあります。もし属性が魔であるのなら、その身柄はわが帝国ではなく、ヴェルニカ帝国に預けるべきかと」
「ツェイをヴェルニカへ送れと、言っているように聞こえるが?」
おれから奪うつもりか、と睨めば、滅相もない、とルカイアは顔を歪めた。
「ツェイルさまはわが帝国にいるべきお方です」
「ツァインもいるし?」
「メルエイラがわが帝国を永住地とした、それが答えではありませんか」
「……そうとも言えるな」
好きなように言うことも、決めることもできるものではあると、サリヴァンもわかる。
しかしながら、元公子であるキサネ・クロフトのことをルカイアに一任したのはサリヴァンであるから、そのルカイアが猊下の判断も仰ぎたいと言うのであれば、猊下には表に出てもらう必要があるだろう。閉ざされた扉が開かなければ、それらは始められない。
サリヴァンはツェイルの姿が見える露台を向くと、窓を開けた。
「フェンリス、聞こえるか」
室内に入ってくる風に、その声を乗せる。
「来てくれないか。猊下に逢いたい」
昔、いつもそうして呼んでいたように、或いは呼ばれていたように、聖鳥フェンリスに語りかけた。
耳を澄ませば、反応が早いフェンリスの声が聞こえてくる。
『聖王はそちらにおるぞ』
「……こちらに?」
『われは邸の真上におるしの』
「邸?」
どういうことだ、と露台に出て、空を仰ぐ。屋根の端に、白いものが見えた。
「フェンリス?」
呼びかけると、ひょっこりとフェンリスが顔を見せた。
「聖王も漸くわれの乗り方を理解してくれたようでな」
「……ということは」
近くに猊下がいる、ということだ。
「猊下はどこだ」
と探すまでもなく、ツェイルの横にその眩しい姿を見つけた。