Extra : 祈り。3
サリヴァン視点です。
すぐそばに街道がある場所に、ツェイルはいた。ラクウィルが苦笑しながらツェイルの傘を持ち、それに謝っている様子が見られる。その手には、飾りつけられた飴細工のルーフを一つ持っていた。
「おまえの言ったとおりだな、ツァイン」
サリヴァンは遠目から見つめながら、同じように立ち止まっているツァインに言った。
「この方向なら、両親が眠ったところに行くつもりなんだろうね」
「……モルティエの?」
「もっとも、僕ら一族の中で墓参りなんてするのは、ツェイルくらいだけれど」
「え?」
歩き出したツェイルとラクウィルを追いかけるように、ツァインも歩き出した。慌ててサリヴァンも歩みを進める。
「ツェイだけというのは、どういう意味だ」
「そのままだよ」
「そのまま?」
「人殺しの一族が、死んだ人間を悼むなんて、できるわけないだろ」
ぼんやりとした眼をしながら言ったツァインに、サリヴァンは言葉を呑み込む。
「身内が死んでもそれは同じ。だから両親が死んでも、荼毘に付したあとは骨を砕いて、粉々にして、土に帰したから、実際の墓はないよ。雨風に流されて、もうそこに骨の欠片も残ってないだろうし」
だから墓参りはしない。それがメルエイラ家の者にとっては当たり前のことだと、ツァインは言った。
「墓参りしようにも、墓石もなにもないからね」
それは昔からの習わしだという。
「死んでやっと自由になった者たちを、縛りつけてはならない。それがメルエイラ一族の考え方。だから、昔から墓は持たないし、墓参りなんて習慣もない。死んだら燃やして、土に帰すだけ。僕らの祈りは、そこで終わる」
「祈り……」
「メルエイラという鎖から解き放たれたことへの、祝福だよ。よかったね、これで自由だ、世界はようやく受け入れてくれる……そういう祈り」
悲しい祈りだ、と思わなくもない。けれどもメルエイラが辿った道を考えれば、彼らにとって一番の安らぎは死であったのだろう。彼らに墓がないのも、それゆえのことなのかもしれない。
「悲しくはないのか」
「僕はなにも感じないって言ったでしょ」
「それでも」
「……ツェイルが弔いに歩く姿は、いやなものだよ」
一族の考え方に反しているから、というわけではなく、ツァインはそれがいやだという。
「なにも感じないはずなのに、ツェイルの心だけは、響いてくる……悲しくて、悲しくて、潰れそうになっている心が、響いてくる」
いやなものだよ、とツァインは繰り返した。
「ツェイは、悲しむことを忘れないんだな」
「僕は始めからそんなもの、感じないけれどね。だからいやなんだよ。その分だけツェイルは疲れてしまうから」
「だが、それがツェイだ」
「……そうだね」
感情を殺しても、殺しきれなかった部分が、あの行動なのだろうと思う。いっそツァインのように、本当になにも感じられなければ、きっと楽になれただろうにと、サリヴァンは息をついた。
「ところで殿下」
「ん?」
「城に戻るの?」
あの会話を聞いていたのか、と思う。
「……戻れと、ルカと兄上がうるさい」
「黙らせようか?」
どうやって、て訊ねようとして、やめた。サリヴァンになにかあれば躊躇いなく殺す、と口にしていたのを思い出したからだ。
「……ヴァルハラ家の領地を没収された」
「それ、脅迫だね」
「それを言ったら、すべてがそうだ。初めからおれには無理だったのだと、そう言われているようで腹も立つ」
「どうするの?」
「……考えている」
「答えが出るの?」
「さあな」
どうしたいかなんて、本当はずっと前から決まっている。けれども、それができない立場にあることも、わかっている。
「いっそ利用しちゃいなよ、殿下」
「利用?」
「城に戻って、国庫を使い尽くせばいい」
その権力を使って、とツァインは軽い調子で言う。思いもよらなかった提案に、サリヴァンは苦笑をこぼした。
「いい考えだな」
「だろ? それくらい簡単に考えればいいよ」
「簡単に?」
「国から出られないのだとしても、国中は歩ける。けれどそのためには路銀が必要だ。城に戻ってやるから国を歩かせろ、って感じに」
確かに、それもそうだ。
「拘り過ぎたかな……」
「閣下は真面目だから、流されちゃだめなんだよ。それに殿下は、本当の意味での自由を得たわけじゃない。もっと我儘になりなよ」
「おまえにそう言われると、変な感じがする」
「僕は侍従長と違って、気儘な狂犬だからね」
「だから厄介だ」
「使い易くていいでしょ」
それはどうかな、と苦笑しながら肩を竦めたとき、前方のツェイルの足が止まり、その場に屈んだ。
「……あそこか?」
「どうだったかな……あれ以来、僕は足を運んでいないから」
正確な位置は憶えていない、とツァインは困ったような笑みをこぼした。
ツェイルが屈んだ場所は、街道からだいぶ外れた、野草や野花が群生しているところだ。そこに墓石のような目印はなく、死者が眠った場所のようには思えない。
それでも、ツェイルはそこに飴細工のルーフを置くと、じっとそれを見つめて動かなかった。祭神殿の神官のように、両手を組んで目を瞑ることもない。ただ一点を、じっと見つめ続けている。
だから、きっと、あれがツェイルにとっての祈りなのだろうと、サリヴァンは思った。ツァインが言っていたように、悲しくて悲しくて、潰れてしまいそうな心を、いつもああやって抑え込んでいるのかもしれない。
「強い、祈りだな」
「やめろって、言えないでしょ」
「ああ……」
あの行動に、口を出してはならない。邪魔をしてもいけない。
ツァインが、あの行動をいやがりつつもやめさせない理由が、なんとなく頷けた。
しばらく動かなかったツェイルが漸く立ち上がったとき、いつのまにか雨脚は弱まり、晴れ間が覗くようになっていた。
「サリヴァンさま?」
ついて来ていたサリヴァンに気づき、ツェイルはきょとんとした顔でこちらを見ている。
「おれも、挨拶をしていいか」
「え?」
「モルティエには世話になった。奥方にも、逢ったことはないが、挨拶しておきたい」
「……どうして、ここが」
言いかけて、サリヴァンの後ろにツァインを見つけた。
「兄さま……」
「僕はなにもしないよ。父上も母上も、消えていったメルエイラの者たちも、ここにいてはならないからね」
ふい、と視線を逸らしたツァインは、ツェイルに歩み寄るサリヴァンには続かず、そこから動かなかった。
「ツァインから話は聞いた。ここに、モルティエを帰したと」
ツェイルの隣に並んで、置かれた飴細工のルーフを見つめる。
「報告を、しようと思って」
「報告?」
「大切な人に、巡り逢えたから……」
うっすらと頬を赤く染めているその顔を見れば、大切な人、というのが自分であろうことくらい、サリヴァンにもわかる。
「そうか」
少し嬉しく思いながら、サリヴァンは傘を閉じてラクウィルに渡し、膝を折ると礼式を取る。胸に右手を当て、ツェイルがそうしていたようにじっと一点を見つめたまま、心の裡で「ありがとう」と呟く。
ありがとう。
あなたのおかげで、おれは生き延びた。そうしてたくさんの人と出逢い、別れ、いとしき者に巡り逢えた。命が惜しいと思うようになった。いとしき者との幸せを望むようになった。すべてはあなたが、利己心だと言いながらも取ってくれた行動のおかげだ。
ありがとう。心から、感謝している。
サリヴァンは胸に当てていた手のひらをぎゅっと握ると、ゆっくりと開いて一輪のルーフを咲かせた。それを、飴細工のルーフと並べて置く。
立ち上がって、ツェイルの手を取った。
「帰ろうか、ツェイ」
「……はい、サリヴァンさま」
きゅっと握り返されたぬくもりに微笑むと、綺麗に晴れた空の下を、ゆっくりと歩き出した。
番外編『祈り。』はこれにて終幕です。