Extra : 祈り。1
『花舞い。』から二日後くらいの話、サリヴァン視点です。
その日は朝から雨が降っていた。
目覚めるなり腕が痛んだため憂鬱になりながら起き上がり、ふとサリヴァンは隣にツェイルがいないことに気づいた。
「ツェイ?」
呼んでみるが、もちろん返事があるわけもない。
「あ、やっと起きましたねえ、サリヴァン」
「ラク、ツェイは?」
「とっくに起きて、遊んでますよ」
「遊ぶ?」
「混ぜてもらいたいなら、さっさと着替えて顔洗って、食事することですね」
ほらほら、とラクウィルに追い立てられて、サリヴァンは言われたとおりに行動する。
言われたことをすべて終えた頃に、その香りに気づいた。
「……甘い匂いがする」
「姫が遊んでますからねえ、厨房で」
どこでなにをして遊んでいるのかと思いきや、どうやらツェイルは厨房にいるようである。
「菓子でも作っているのか?」
問うと、なぜかラクウィルは微妙な顔をした。
「あれを菓子というのか……芸術というのか……おれには判断できませんね」
「どういう意味だ」
「見ればわかります」
とラクが言うので、サリヴァンは厨房に向かう。
仄かに香る甘い匂いは、それだけではどんな菓子なのか想像がつかない。もともとサリヴァンは甘いものが得意ではないので、その知識も乏しいこともあり、首を傾げながら厨房を覗いた。
「ツェイ?」
声をかけると、厨房を預かる料理人たちがサリヴァンの登場に驚き、慌てて壁際まで退いた。そこまで驚かれるのもなんだか悲しいなと思いつつ、手前にいた若い料理人を捕まえておく。
「ツェイは?」
「あ、あそこにおられます」
と、料理人が指差した場所は、火元から近い作業台だった。サリヴァンに背を向けて、少し身を屈めながらなにか作業している。周りにいる者たちが、興味深そうにそれを見守っていた。
「なにを作っている?」
「あの、それが……」
よくわからないのです、とその料理人は言う。ラクウィルと同じようなその反応に、サリヴァンは怪訝に思いつつもツェイルのほうへと足を向けた。
「ツェイ?」
呼ぶが、もちろん返事はない。かなり集中しているようで、幾度か呼びかけてやっと振り向いてくれた。
「あ……サリヴァンさま」
「なにを作っている?」
振り向いたツェイルの手許を覗いて、沈黙する。
ラクウィルや先ほどの料理人が言っていたことが、理解できた。
「……硝子細工?」
「食べられますが」
「え?」
透明感の強い薄青のそれは、サリヴァンの目には美しい硝子細工に見えた。しかし、食べられるという。
まさか。
「飴か?」
問うと、ツェイルはこくんと頷く。
「それは……すごいな」
ツェイルが作っていたのは、ルーフの花を模した飴細工らしい。
花びらはもちろん、雌蕊や雄蕊まで精密に彫られてあり、ルーフがそのまま結晶化したような、とても美しい細工になっている。
「本当に食べられるのか?」
疑うわけではないが、そう訊き返したくなる逸品である。ラクウィルが芸術と表現した理由も頷けるというものだ。
「ただの飴ですから」
「これがただの飴か? 職人並みじゃないか」
いったいどこで、こんな技術を身につけたのか。
食べられると言うが、それすら勿体ないと思わせる飴細工だ。細工に使ったらしい道具に手のひらほどの小剣があるというところがツェイルらしい部分だが、それにしてもこれは美しい芸術である。
「すごいな、ツェイ」
「え……あ、ありがとうございます」
「触ってもいいか?」
「もちろんです。よかったら食べてください」
「それは勿体ない、が……飴だからな」
食べてしまうには勿体ないのだが、永久保存できるものではない。それでも一日や二日くらいなら飾れるだろう。
「もう少し鑑賞してからいただこう」
「……、はい」
ツェイルにそれを手渡されて、まるで本物のルーフのように指先で摘んで持つ。
「ルーフそのものだ……綺麗だな」
「ありがとうございます」
「ほかには?」
「今はそれだけ……もういくつか作ろうかと」
「ぜんぶおれにくれるか?」
「こんなものでよければ、もちろん」
にこ、とツェイルは微笑む。よく笑うようになったこの頃だが、それでもいつ見てもいとしさが込み上げる微笑みだ。
「ラクに見せてくる」
なんだか嬉しくなって、それを自慢したくなって、サリヴァンは踵を返すと厨房を出た。
繊細な飴細工を壊さないように注意しながら、ラクウィルの姿を探して邸内を早足で駆ける。
「ラク!」
寝室の掃除でもしていたのか、そこから出てきたラクウィルを見つけた。
「おや、もう戻ってきたんですか、サリヴァン」
「見ろ!」
「ん?」
ずい、とラクウィルの目の前に飴細工をかざす。ちょっとだけ目を瞠ったラクウィルは、すぐに目を細めた。
「ああこれ、芸術ですよねえ……飴とは思えません」
すでに正体は把握しているようで、ラクウィルは感心したように言った。
「ツェイは手先が器用だな」
「ほんとですよ。だってこれ、食べれちゃうんでしょ?」
「ああ。おまえにはやらん」
「え、くれてもいいのに」
ひどいなぁ、と言うラクウィルにニッと笑いかけたあと、サリヴァンは再び厨房に戻るべく身を翻し、廊下を走った。
厨房に戻ると、最初に来たときのような光景があった。声をかけてもツェイルに反応はなく、飴の塊に向かっている。
すごい集中力だと思いながら眺めていると、誰かが横に立った。
「まだ続けてたのか」
「……ツァイン」
出かけていたのか、騎士の装いをしたツァインだ。
「ツェイルのあれね、昔の名残り。末の妹が産まれたあたりだったかな……食料が無くて、明日食べるものにも困ったことがあるんだよ」
「え……?」
生粋ではなくとも、貴族であるのに、そんなことがあるのかと驚いた。
「ちょうどその頃は、ツェイルに天恵があるとわかった時期でもあった。僕が初めて戦場というものを知った頃でもあるけれど」
「……それは」
先帝が下した愚かな命令、それは嫡子であるツァインを始めとしたメルエイラ家の者たちを生死の境目に追い込んだ。それはサリヴァンもルカイアから聞いて知っている。
「なんできみがそんな顔するの」
「……先帝の罪だ」
「きみは関係ないよ。滅ぶべき一族だった僕らは、きみを最後のあるじと決めたんだから」
至極真面目な顔で、ツァインはそう言った。城でよく見ていた感情のない顔つきであっても、その薄紫の瞳に嘘はない。
「ただね、それでも食うに困って、どうしようもなくなった時期があるんだよ。だから傭兵紛いなことはたくさんやったし、人もたくさん殺した。生き延びるために、なんでもやったよ。ここ数年はきみのおかげで平和だけれどね」
ふっと、ツァインの横顔が微笑みを取り戻した。
「もしおれがあの塔から出ることがなかったら……城から出ることがなかったら、どうするつもりだったんだ」
「そんなの決まってる」
カシャン、とツァインの剣が音を立てた。
「メルエイラの者らしく、城の人間すべてを抹殺して、きみを攫っていただろうね」
それはあまりにも過激なことだ。
「国を潰す気だったのか」
「それくらいの覚悟はある。むしろ、閣下はそれを目論んでいたようだけれどね」
「ルカが?」
「腐れた連中を殺せるのは、僕みたいな異形の者だけだよ」
また己れを異形と言うツァインに、サリヴァンは顔をしかめる。
「おまえはただの人間だ」
「言ったでしょ。僕は閣下にとって道具なんだよ。きみも、僕のことは道具として扱ったほうがいい。人間だなんて思わないことだ」
そう言いながらサリヴァンに笑みを向けるツァインに、胸が痛んだ。
「ツァイン……」
「きみがツェイルのために国を護るなら、僕も国を護るよ。そのためだけにサライ陛下を生かしているからね。もしサライ陛下がきみになにかしたら……僕は躊躇わずに彼を殺すよ」
ツァインの瞳は変わらない。だからこそ本気なのだということが伝わってくる。
「……そんなことは許さない」
「残念ながら、その命令は聞けないよ。きみになにかあったら悲しむのはツェイルだから、僕はその報復のために必ず動く」
「ツァイン」
「それにね、殿下」
ついっと視線をツェイルに戻したツァインは、その目を細めた。
「いくら心が空っぽでも、記憶というものはなかなか消えないものでね。僕はもう二度と、あんな思いをツェイルに与えたくないんだ」
どんな生活をしていたのかは、ツァインの横顔を見ていればわかる。聞いていたメルエイラ家の噂以上のものだったのだろう。
「だから僕は、ツェイルのあの姿がすごくいやだ」
「いや?」
「ツェイルが初めて人を殺したときのことを思い出すから」
「……っ」
「僕ら一族はそうやって生き延びた。あの苦しい日々を、ツェイルの天恵に頼って、生き延びたから」
ツァインのその告白は、サリヴァンの心をひどく、痛めつける。
「おまえも、そうだったんだろ」
吐き出すように問えば、ツァインの横顔は歪む。
「僕は空っぽだからなにも感じない。けれど確実に、ツェイルは傷つき、悲しむことすらできなくなるくらいに、壊れていった。僕と同じ代償を支払っているようなものだよ……それでも、僕らは生き延びるために、ツェイルに耐えてもらうしかなかった。まだ十歳にも満たない子どもだったのに……ツェイルは僕と一緒にその道を歩いた」
サリヴァンは自分の人生が歪んだものだと思っている。けれども、それ以上に過酷な道をツェイルやツァインは歩いていたのだ。それを慮ると、今のこの生活が少しだけ不安になる。
「……ツェイは、なぜこれを作る」
ふと視線を、硝子細工のように美しい飴に落とした。
「ルーフの花なら、たぶんきみを想っているだけだよ」
「どんなものでも作るんじゃないのか」
「そうだね。大抵はツェイルのそのときの気分で作る。けれどルーフは初めて見るよ」
「これが、初めて?」
ここまで精密にルーフを彫れるのなら、作ったことがあると思っていた。しかし、どうやら違うらしい。
「ほとんど無意識だけれど……子どもが好きそうなぬいぐるみとか、おもちゃとか、そういう形のものを飴で作るんだ」
「子ども……?」
「そうして作っては、僕ら家族や、周りの者たちにあげて、喜んだ顔を見て安心を得る。けれど……作ったうちのいくつかは、弔いのために墓地へ持っていく」
「……なぜ、墓地に」
「僕ら兄妹が、メルエイラが、いったいどれだけの命を奪って生き延びたと思っているの」
無表情にサリヴァンを見たツァインは、瞠目したサリヴァンのその反応に少しだけ目を細め、そうしてふいとそばを離れて行った。
サリヴァンは動けなかった。
*ツェイルは飴は練ったり捏ねたり、彫ったりしています。
料理しているというよりも、工作している状態に近いです。