Extra : 花舞い。4
ツェイル視点です。
街を少しふらついて、露店の甘い焼き菓子を食べさせてもらったあと、ツェイルたちは邸に帰った。
ラクウィルはあれからずっと不機嫌だった。
そのせいで帰宅が早まった、のもある。
「サリエ殿下、ラッセ宰相閣下がお待ちです」
「ルカが? ふむ……わかった」
帰宅してすぐ、邸の侍従がルカイアの来訪を告げたので、サリヴァンは「ちょっと行ってくる」と言って、ツェイルとラクウィル、そしてリリを居間に残して侍従と出て行った。
そのとたんである。
「姫」
ひっ、とツェイルは身を竦ませ、反射的にリリの背中に隠れる。自分を呼んだラクウィルを見ることもできなくて、必死に顔も隠してみたのだが、そこはやはり最強の騎士でサリヴァンの侍従だ。ツェイルの腕をむんずと掴むと、リリという優しい鉄壁から引き摺り出す。
「姫、おれが言いたいことわかりますか」
びくっと身体が震える。ラクウィルの声は冷えていたし、怒っているというのはとても伝わってくるし、自分がやったことにも罪悪感があるので、とにかくラクウィルが怖かった。
「油断したおれも悪いんですけどね、姫も自覚が足りません。サリヴァンはもう、姫を中心に生きているんですよ」
それはツェイルも同じだ。サリヴァンを中心にして生きている。だから幾度も頷いた。
「ねえ姫、悪いことではありませんよ、姫が自由に行動するのは。でもね、一言サリヴァンになにか言ってからにしてください。いきなりいなくなったりしないでください。迷子になるかもしれない場所なら、サリヴァンから絶対に離れないでください」
うんうん、とツェイルは必死に頷く。
「ねえ姫」
くん、と腕を引っ張られて、少しよろめきながら力に促されて長椅子に腰かけると、その前に膝をついたラクウィルに下から見つめられる。
それはもう怒っている顔ではなくて、心配そうな顔だった。
「サリヴァンのあの天恵は、花舞い、と言います」
「……はなまい?」
「見たとおりの現象で、花が舞うんです。ルーフを咲かせることができるということは、その化身でもあるということですから、サリヴァン自身が花になって舞うんですよ」
「……では、あれは、幻では」
「違いますよ」
まさか、と思ったが、ツェイルはサリヴァンの天恵をよく知らないし、サリヴァン自身もよくわかっていないようなところがあった。サリヴァンのそばにずっといたラクウィルなら、だからこそ知っているものがあって当然だ。
「でもね、姫……花舞いは、綺麗なものじゃないんですよ。あれは歪んだ天恵なんです」
「歪んだ……天恵?」
綺麗だった、と思った心を見透かしたようなラクウィルの言葉に、ツェイルは首を傾げる。ラクウィルは悲しそうな顔をしていた。
「詳しくは言いません。言いたくありません。だから、察してください。サリヴァンに花舞いをさせてはならないと、理解してください」
「……ラク」
「おれは唯一無二のあるじを失いたくありません」
その言葉に、ラクウィルがなぜ説明を拒んだのか、納得した。
「サリヴァンさまが消えてしまうの?」
ツェイルの問いに、ラクウィルはさらに顔を歪める。
「ここから……わたしの前から、いなくなってしまうの?」
ラクウィルはふっとツェイルから視線を外して俯いた。それは無言の肯定だと、さすがのツェイルも理解できる。
「そんな……」
国主の天恵がそんなに重いものだなんて、知らなかった。いや、信じられない。いつも遊ぶようにルーフを咲かせているから、そういう綺麗な天恵なのだとばかり思っていた。
なのに。
働くべき作用の半分を失っただけで、サリヴァンの身はますます儚くなった。国に縛られるというのはこういうことかと、漸く理解し、ツェイルは唇を噛んだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ラク」
「姫……」
「ごめんなさい」
ちゃんと考えて行動すればよかった。
あのとき、瞬間的に欲しくなったものを、どうしても手に入れたくて勝手に動き回ってしまったことを、今さらながらツェイルは深く後悔する。
「……泣かないで、姫」
一粒こぼれ落ちた涙を、ラクウィルが拭ってくれる。それで止まる涙ではないから、ツェイルは涙をこらえた。
「このことは、いつか話そうと思っていました。花舞いは、おれと猊下しか知らないことです。サリヴァンに自覚はありません。だからよくわかっていないと思います」
「教えない、のですか?」
「たぶん、理解しないでしょう。代償だと勘違いするかもしれません。花舞いはそんな優しいものじゃないのにね」
こらえようと思った涙が、やはりツェイルの意思を無視してこぼれ落ちる。
天恵の代償は、生死に関わるようなものにはならないのがほとんどであるが、決して優しいものではない。それを優しいとラクウィルは言ったのだ。つまりは代償よりも、もっと過酷なものを要求されるということだ。
「わ、わたし、サリヴァンさまがいないと、いや」
「姫……」
「サリヴァンさまのそばにいたい。サリヴァンさまがいないと、生きられない」
「……ええ、わかっていますよ」
ふわっと優しい笑みを見せてくれたラクウィルに、ツェイルは込み上げてきたものを抑えきれなくて、涙に顔を歪めた。
「ま、まも、まもりたい……っ」
「おれも、そうですよ」
「まもら、ないと……わたしっ」
「だいじょうぶ。そのために、おれがいるんです。だから姫も協力してくださいね」
ぽん、と頭を撫でられる。それはサリヴァンの仕草と似ていて、ツェイルにその想いを彷彿させるものだった。
「らく、わたし、サリヴァンさまが……っ」
「わかってますよ。だからそんなに泣かないで、姫。ね?」
「だって、サリヴァンさま……っ」
「サリヴァンも姫も、おれがちゃんと護ります。それをわかってくれれば、おれはそれでいいですよ」
よしよし、とその腕に抱き込まれて宥められる。まるでツァインのようなことをしてくれるラクウィルに、ああこの人はずっとサリヴァンのお兄さんだったのだと、ふと思った。
「らく」
「はい?」
「わたし、らくのこと、すきです」
「おれも姫が好きですよ。サリヴァンのことも、ね」
腕を離れて、互いに視線を合わせる。
「ふたりでサリヴァンを護りましょう。ね?」
「……はい」
にこ、と互いに自然な微笑みが浮かんだ。
「さて……次は、リリ」
と、ラクウィルは微笑みをにんまりとした意地悪な笑みに変えて、「えっ?」と驚いているリリに振り向いた。ゆっくりと立ち上がり、小首を傾げる。
「姫を巻き込んで家出しちゃだめでしょー?」
「う……」
「姫への注意とリリへの説教は、別の話ですからね?」
「あ、あは……」
「ルカイアに知れたらどうなるでしょうねえ? ちょうど帰って来ているみたいですし、報告しちゃいましょうかねえ?」
「うはっ! そ、それだけは勘弁してくださいぃ!」
リリのその慌てようは、ツェイルには珍しい光景だった。おかげで涙も止まった。
「さあって、ルカイアに報告してきますかねえ」
「きゃあああ! や、やめ、やめてくださいってば!」
「姫の地図になったリリが悪いんですよ?」
「もうやりません、もう二度とツェイルさまを巻き込んで家出しませんから!」
「え、本気で家出しようとしたんですか?」
「う……っ」
ラクウィルは人をのせるのが上手い、と思う。
「い、いえべつに、閣下がいないこのときが好機などとは、思っていませんでしたよ。ええ、もちろん。ツェイルさまを家に送り届けたらお暇をいただこうなどとは一度たりとも」
「思ったわけですね」
「きゃあああ!」
悲鳴を上げながらツェイルのところに逃げてきたリリの後ろには、ルカイアが不機嫌そうな顔で立っていた。その横にはサリヴァンも、苦笑しながら立っていた。
「まったく……先にわたしのほうから報告ができて幸いですよ」
「え! 閣下、喋っちゃったんですか!」
「当たり前ですよ。わたしはあなたの夫ですよ」
「わたしからお話しようと思いましたのにぃ」
「そのためにツェイルさまと一緒に行方をくらませた、などと言ったら、足枷をつけて寝台に縫いつけますよ」
「本気に聞こえるのでやめてください!」
「本気ですよ。ここまで来て諦めを知らないなど、呆れるばかりです」
「諦めませんよ」
「はぁぁ……やはり、ツェイルさまに頼むしかありませんね」
ん、とツェイルは首を傾げる。ルカイアが話の矛先をツェイルに向けてきたのもあるが、なにかものすごい話を聞いた気がしなくもない。
「ツェイルさま、お頼みしたいことがあります」
「……その前に、一ついいですか?」
「なんでしょう?」
「あの……リリの旦那さまというのは」
「わたしですが、なにか?」
瞬間的にツェイルは目を丸くし、じっとルカイアを凝視してしまう。
「婚姻……されていたのですか」
「この前までわたしも知りませんでした」
「え、リリ?」
本人の承諾もなしで婚姻ですか、とツェイルはさらに驚く。
「とくにお話するようなことでもありませんでしたら、説明はしませんでしたが……気に障ったのでしたら謝罪致します」
「い、いえ、そんな」
リリが人妻であったことは驚きだが、べつにそれ知らなかったからと責めるつもりはないので、慌てて首を左右に振る。
「ツェイ」
「は、はい」
ルカイアの隣でずっと苦笑していたサリヴァンが、ゆっくりとした歩調でツェイルのところまで来ると、ツェイルの隣に腰かけて小さく息をついた。
「リリをしばらく見張ってくれ」
「……、はい?」
なんのことだ、と思う。
「ツェイルさま、お頼み申し上げます。リリを、見張ってください」
ルカイアにまでそう言われて、ますます意味がわからなくなる。
「どういう意味ですか」
なぜリリを見張らなければならないのか、と当人を見上げれば、顔を引き攣らせたリリがなぜか逃げ腰になっていた。
もちろん先回りしていたルカイアに捕まったが。
「ご報告申し上げます。このたびわが妻、リンリィが懐妊致しました」
「……かいにん?」
「はい。つきましては、妻の悪癖につき合っていただきたく、ツェイルさまにお願い申し上げます」
「……え?」
ちょっと待って、と思う。
「あの……リリが、かいにん?」
「おおよそ半年ほどかと思われます。太ったように見えていたでしょうが、単に身篭ったというだけのことでして。しかし身篭ったというのに家出をしたがるという悪癖が抜けませんので、ツェイルさまに見張っていただきたいのです」
瞬間的にツェイルはじっとリリを見つめてしまう。顔は引き攣ったままであったが、どうやらそれは照れ隠しだったようで、頬がちょっとだけ赤らんでいた。
「……リリ」
「は、はい」
「赤ちゃんが、できたのか?」
「う……はい」
なんてことだ、とツェイルは勢いよく長椅子から立ち上がる。
「みっ、身重の身体で、わたしの侍女などしてっ」
「いいえ、わたしが望んだことです!」
「でも!」
「だいじょうぶです、ツェイルさま。わたし、ツェイルさまの侍女を辞めたくありません。ただ……」
どの頃合いで話を切り出せばいいのか、わからなかったとリリは俯く。
「それに、わたしはただの侍女ですし、ルカさまの妻だなんて……」
不安なのか、とリリの気持ちに思い至ると、自分とは正反対なその気持ちにツェイルは肩の力を抜いた。
「リリ」
「……はい」
リリの手を取り、にこりと微笑む。
「おめでとう、リリ」
自分のことだけで手いっぱいになっていたことを、情けなく思う。もっと周りを見て考えればよかったと思う。
けれども、そうした中でリリが身篭ったことには、なにか意味があるのかもしれない。
もっともっと、視野を広げよう。
サリヴァンのように、見るものすべてを受け入れよう。
きっと楽しいことがたくさんある。
嬉しいことがたくさんある。
ツェイルはにっこりと、笑った。
番外編「花舞い。」はこれにて終幕します。