Extra : 花舞い。2
サリヴァン視点です。
ツェイルが着替えをしている部屋に、窓のほうから侵入すると、そこにはツァインの姿はなかった。
「……ツァインは?」
問うと、ツェイルは扉を指差す。
どうやらすぐに出て行ったらしい。逃げた行動の意味がわからない。
「そうか……」
それにしても、とサリヴァンは着替えたツェイルをじっと見る。
「あ、あの……」
踝まで隠れるほど長くて柔らかそうな上着に、その中は下衣だろうか。
言ってしまえばいつもの恰好であるツェイルのその姿は、しかしいつもは下ろしたままにしてある髪を、横に結えつけていた。
ツェイルの横でリリが深々とため息をついた。
「どうしてもだめでした……」
それはきっと、ツェイルに女性らしい衣装を着せられなかったことに対しての無念だろう。
サリヴァンは苦笑する。
「ツェイにはそれが一番似合う」
華やかな衣装など着せられた日には、きっとツェイルはツェイルでなくなってしまう。それはサリヴァンの望むところではない。
サリヴァンはありのままのツェイルを気に入っている。変わって欲しいなんて思わない。
部屋に入り切ってツェイルに歩み寄ると、結えられた髪の一房に触れた。
「髪、結えられるくらい、伸びたな」
出逢った頃は短かった。結えられるだろうくらいの長さはあったが、リリに手間をかけさせるくらいのものではなかった。そのときはそれでもかまわなかったのだが、これからは違う。
「外に出るときは、軽くでも結えておく必要があると、リリが……」
そうだ。
髪をきっちりと結えることは、婚約者がいる、或いは既婚者であることを意味する場合がある。最近ではそういう風習も薄れているが、貴族社会ではまだ根強く残っていた。
「いやなら結えなくていい。ただ……街に出るときは、できるだけ結えるようにしてくれ」
髪を伸ばさせようと思っている。それはサリヴァンの狭い心によるものだ。
「少しだけ、ツェイの自由を、縛らせて」
サリヴァンの視線の先に気づいたツェイルが、恥ずかしそうに身を引く。逃がさないように手を繋ぐと、サリヴァンは微笑んだ。
「行くか」
街はいつでも賑やかだ。
それを知ったのは、城を出て生活を始めてから。
見るものすべてが珍しく、活気にあふれた人々の行動を眺めることは、とても新鮮だった。
「いつもながら賑やかだな。城とは違う喧騒がすごい」
「そうですね」
ツェイルとふたり、手を繋いで街をふらふらと歩く。なんの目的もなく歩くことが、ツェイルとふたりでいると楽しいものに思えるから不思議だ。
「なにか欲しいものはないか、ツェイ」
「サリヴァンさまこそ」
「おれは……」
なにかが欲しいと思ったことは、あまりない。必要にかられて欲しくなるときはあるが、それ以外はとくに、サリヴァンは欲しいと思ったことがない。
「あ……」
「どうした?」
「あれを……見てきてもいいですか?」
「……ああ、エンバルの武具か。いいぞ」
剣を扱えないサリヴァンには縁遠いものではあるが、ツェイルには身近なものだ。なにが見たいのかはわからないので、一緒に来ていたリリに追従を任せ、サリヴァンは遠目からツェイルを眺めることにする。
「一緒に見ないんですか?」
ラクウィルがそう訊いてきたが、サリヴァンは首を左右に振った。
「おれよりリリのほうが、話がわかるからな」
多少ならサリヴァンも武具の話はできる。しかし、ツェイルについていけるほどの知識はない。
「まあ、サリヴァンには縁がなかったもの、ではありますかね」
「情けないがな」
「そうでもないですよ? 剣が鍬の人もいるんですから」
「……なるほど」
「それだけじゃないですよ。戦い方はいろいろとあるものです。ほら、あの露店のおじさんだって」
ラクウィルに促されて目にしたのは、露店で焼き菓子を売る人だ。あたりに漂っていた甘い香りは、どうやらそこの焼き菓子だったようである。
「ツェイは甘いもの、好きかな」
「女の子ですからね」
「じゃあ、戻ってきたら食べてみるか」
「サリヴァンは苦手でしょう」
「知りたいものがたくさんある。選り好みしている余裕なんかない」
「……それはよい傾向です」
にっこりと、ラクウィルは嬉しそうに笑う。
サリヴァンは再び視線をツェイルの後ろ背に戻した。
「……小さいな」
「へ? ああ、姫のことですか」
「壊しそうだ」
「……ほどほどに」
そうだな、と笑ったときだった。
武具屋の店員なのだろう若い青年が、ツェイルに話しかけた。その頬は紅潮していて、商売のためとは思えない笑顔を振りまいている。
それを見ていて、なんだか胸がざわついた。
「サリヴァン?」
「……おれは心が狭い」
「……そうですかねえ」
ツェイルはいつもどおりだ。青年が頬を紅潮させて話しかけていても、愛敬すら振りまかない。
それでも、ざわざわと、胸中が震える。
今すぐにでもツェイルに駆け寄って、青年から引き離したい。
そう思った矢先、いかにも傭兵然とした大柄な男が、ツェイルと青年に話しかけた。
瞬間的にラクウィルが剣の柄を握る。
「姫になにかしたら、斬りかかりますよ」
そう言ったが、待て、と制止する。ツェイルの表情が変わったからだ。
「知り合い……か?」
ツェイルは大柄な男に、サリヴァンにも見せる穏やかな微笑みを見せた。また大柄な男のほうも、ツェイルを敬うように軽く頭を下げ、その視線に合わせて身を屈めて話している。リリが慌てて間に入ろうとしていたが、それをツェイルは「だいじょうぶだ」とでも言うかのように宥めてもいた。青年のほうは大柄な男の登場に気まずくなったのか、店の奥へと消えている。
気づけばサリヴァンは足を踏み出していた。
「ツェイ」
呼ぶと、ツェイルの視線がサリヴァンを捉え、パッと笑顔を見せる。
ああ、やはりこの笑みは自分にだけ与えられた特権のようだ。
そう思いながら、サリヴァンも微笑む。
「サリヴァンさま」
あとちょっと、というところでツェイルのほうから駆け寄ってきたので、サリヴァンはそれを抱きとめる。
「イルのいい人か、そいつは。なんか軟弱そうだなぁ」
そう言った男の声に、せっかくの笑顔も引き攣る。
「サリヴァンさまに失礼なこと言わないで、ジェダ」
「そう見えるもんは仕方ないだろう、イル」
「ジェダ」
ツェイルにジェダと呼ばれ、ツェイルをイルと呼ぶその男は、長身のラクウィルよりも確かに背が高く、そしてサリヴァンよりも遥かに大柄だった。
グッと、悔しさに言い返したい言葉が詰まる。同時に情けなくもなってくるが、ツェイルと並んでちょうどいいのは自分であることが、救いだった。
「なあイル、こんな男のどこがいいんだ? おれのほうがいい男だろう」
ジェダのその言葉は、サリヴァンの胸を鋭く刺す。ざわめいていた心を、大きく揺さぶるものでもあった。
「だから、なに?」
「おれにしておけってこと」
ジェダがそう言ったとたん、サリヴァンはツェイルを両腕に抱き込んで、ジェダを睨みつけた。
「ツェイはおれのものだ」
「さ、サリヴァンさま……っ」
ツェイルは慌て、ジェダはきょとんと目を丸くする。
「おれのものだ」
諦めてばかりで、求める前からそれを断たれてていたから、欲しいと思うものがなかった。
だから、初めて欲しいと思ったものがある。
「誰にもやらない」
子どもみたいだと、自分でも思う。けれどもそんなことすらかなぐり捨てて、欲したものがある。
「ツェイは、おれのものだ」
ぎゅうっとツェイルを抱きしめ、そこに人目があっても関係なく、サリヴァンはジェダを睨み続ける。
ふと、呆けていたジェダが、ふっと笑った。
「おれの名前、教えてやろうか」
「……は?」
「ジェライダ・メルエイラだ」
したり顔をした男は、自分はメルエイラの者だと名乗った。
「メルエイラの……?」
「ああ。とはいえ、おれは傭兵になったから、あの邸には住んでないけど」
僅かだが血も繋がっている、とジェダは言う。
「そうか……あんた、イルのこと大事なんだな」
静かに苦笑したジェダは、サリヴァンに抱きしめられたツェイルの頭をポンと撫でる。
「よかったな、イル」
「ジェダ……」
「メルエイラには変な掟があるだろう。どうなることかと心配だったが……よかったな」
どうやらジェダはサリヴァンを試したようだと、それに気づいたのは、ジェダがメルエイラ家に挨拶してくると言ってそこを立ち去ったあとのことだった。
「本当に、親戚なのか?」
「はい」
年に数度しか逢うことがないけれども、数少ないメルエイラの関係者であることは確からしい。よく剣の相手をしてもらったと、ツェイルは言った。
「天恵を使っても、ジェダに勝ったことが一度もありません。トゥーラ以外では、ジェダだけです」
「それは……かなり強い、のか?」
「兄さまと互角かと」
それはラクウィルとも互角であるということだ。
さすがはメルエイラの者、と言うべきだろうか。
「手合わせしてみたいですねえ」
ラクウィルがにやりと笑いながらそう言うと、ツェイルもふと微笑んで「ぜひ」と頷く。
「そこで笑っちゃだめでしょー、姫。危ないですよ、って言うところですよ」
「ラクは強いでしょう?」
「う……」
ツェイルの返しが意外だったのか、ラクウィルはちょっとだけ言葉に詰まり、そうして苦笑した。
「姫とは手合わせしませんよ」
「なぜですか?」
「姫と手合わせして、もし怪我でもさせたら……」
ちらり、とラクウィルが視線を寄こしたので、サリヴァンは思いっきり笑顔を振りまいてやった。
「おれまだ楽しく生きたいです」
「はい?」
「それより姫、なにを見てたんです?」
「あ……」
サリヴァンの笑顔の意味をきちんと理解したラクウィルは、その笑顔から逃げながら、ツェイルの気を逸らすために今まで見ていたと思われる武具屋の品物を見やる。
「あれを……見ていました」
「小剣、ですか?」
「いえ、その隣の……」
ツェイルが見ていたのは、武具屋では滅多に見られないものだった。
「鉱石……か?」
「はい」
返事をしながら、ツェイルはサリヴァンの腕の中からするりと抜けて行く。名残惜しくて追いかけたら、見ていたという鉱石の前で、ツェイルは顔だけ振り向かせた。
「サリヴァンさまに、この鉱石をどうかなって」
「おれに?」
サリヴァンが装飾物を好まないことを知っているのに、なぜ、と思う。
「この鉱石は本物です。ガルデアがそう言っています。だから、サリヴァンさまを護るものになるって」
にこ、とツェイルは微笑む。それは宝ものを見つけた子どもみたいな笑みで、サリヴァンは少しだけ驚いた。
「リリ、わたしが自由に使えるお金はあるか?」
「あ、はい。少々お待ちくださいね」
ほんの僅かな時間だけ動揺していたのだが、その間にツェイルはあっというまにそれを購入してしまっていた。
それだけでなく、ツェイルの買いものは続いた。
「リリ」
と、ひたすらリリを連れ回し、なにかを探して歩く。サリヴァンとラクウィルはその後ろを追いかけた。