Extra : 花舞い。1
本編完結、数日後の話です。
サリヴァン視点です。
街を歩いてきたらどうですか、とラクウィルに言われて、サリヴァンは目立たない衣装に着替えるとツェイルを誘った。
「……似合わないか?」
正装に近いそれは、しかし貴族なら当然の衣装だとラクウィルが言うので着てみたのだが、ツェイルは声もなく目をまん丸くするだけだった。
「夜会に出かけられるのですか?」
やっと出てきた第一声がそれだ。
「いや……ラクが、貴族ならこういう格好をすると言うから」
まさか騙されたのだろうか、と思ったが、そばで控えていたリリが首を上下に振ったので、どうやらツェイルの感覚が違っているようだ。
「ツェイルさまも着替えましょう」
「え?」
「殿下、少々お待ちくださいね」
「え、ちょ、リリ?」
一般の感覚から離れているツェイルを、リリが引きずるようにして隣の部屋へ連れて行く。サリヴァンはそれを見送ってから、長椅子に腰かけた。
「あれ、姫は?」
自分も着替えたラクウィルが、ひょっこりと顔を見せたとき、サリヴァンはルーフを咲かせながらツェイルを待っていた。
「リリが着替えさせに連れていった」
「ああ……ドレスでも着せるつもりですかね」
「ドレス?」
「見たことないでしょう、サリヴァン」
そういえば、ツェイルの礼装姿は見たことがない。いや、見たいとは思うこともあるのだが、いやがるというのもわかっているので、求めたことがないのだ。
「ドレスか……」
ちょっと見てみたい、と思うのは、ふだんとは違うツェイルを見たいからだろう。
「そろそろ悲鳴が聞こえるんじゃないですかねえ」
と、ラクウィルが予想を立てた瞬間、ツェイルの叫び声が聞こえた。サリヴァンは驚いて椅子を立ったのだが、ラクウィルはのんびりと笑うだけだった。
「だいじょうぶですよ。やっぱりドレスを着せられてるみたいですね」
「あの悲鳴が?」
「ツァインに聞いたんですけど、だいぶ嫌いみたいですよ、ドレス」
「……そんなに?」
「どうしても胸を気にするみたいで」
「胸?」
なにか関係があるのか、とサリヴァンは首を傾げる。
「ちっちゃいでしょ、姫のは」
「小さい?」
「……ああ、サリヴァンは気にならないんですね」
「なにが?」
ラクウィルがなにを言っているのかわからない。
「姫の胸、ちっちゃいでしょっていう話ですよ」
そう言われて、しばらく考える。大きさなど気にしたことがなかったので、考えたこともなかったのだ。
「あんなもんじゃないか?」
「はい?」
「すごく柔らかいし……抱いていると気になるのはむしろ浮いている肋骨だな。もう少し太らせたほうが……いや、難しいのか。身体が小さいから、たまに怖くなるんだよな……壊しそうで」
「そういうこと真顔で言わないでくれますかねえ、サリヴァン」
「……、あ? なにか言ったか?」
「……なんでもないです」
サリヴァンにとっては、ツェイルの身体的事情は本人が気にしていようが関係ないと思っている。ツェイルがツェイルであればいい。華奢過ぎる傾向があるのは気になるが、あの小ささが可愛いのだ。
だいたいにして、サリヴァン自身が周りと比べるとひときわ華奢である。自分が言われたくないので、ツェイルになにを言うつもりもない。
さてどんな衣装を着せられているだろう。
「ちょっと、楽しみだな……」
外出用の衣装であろうから、皇城の衣装部屋からごっそり持ってきたどれかを着せられているだろう。見たことのないものを目にするというのは、とても楽しみなことだ。
「そりゃ僕のツェイルですから。可愛いのは当然ですよ。着るのが本当にいやだから、ぷるぷる震えて拒否するところなんかがまた最高に可愛いんですけれどね」
「それも見てみたい……って、ツァイン?」
ラクウィルかと思ったらツァインの声で、ちょっと吃驚した。しかも庭へ続く露台からの登場だ。
「どうも、殿下。よくも城から逃げてくれましたね。それも僕のツェイルを連れて」
「おまえのじゃないし」
「僕のです。殿下のせいで、僕は閣下に散々こき使われましたよ。事後処理だなんだと、どう考えても僕の仕事じゃないものに振り回された挙句、さっさと殿下のところに戻れと城から追い出されたうえ、実家では妹たちに殴り飛ばされて弟には小言をもらって、本当にもう最悪ですよ」
ねえ、とにっこり微笑まれる。端正な顔には一際目立つ目許の痣は、妹に殴られたせいらしい。
「しかも、真っ先にツェイルのところへ行ったら、悲鳴を上げられるし」
「……、さっきの悲鳴はおまえが原因か!」
「相変わらずちっちゃかったなぁ……」
がん、となにか衝撃のようなものがサリヴァンの全身を襲う。
ここに来てすぐツェイルに逢いに行き、あの頃合いで悲鳴があがったのならば、ツァインはツェイルの着替えを覗いたということになる。
「み……見たのか、おまえ」
ふらりとツァインのほうへ一歩踏み出せば、きょとんとしたツァインは次の瞬間にはにんまりと笑った。
「隅々までしっかりと」
がん、と二度めの衝撃がサリヴァンを襲う。
「……もしかして、姫の生着替えを覗き見したんですか?」
「いつものことですけれど」
がん、と三度めの衝撃に襲われた。
「あー……ツァイン」
「なんです、侍従長」
「とりあえず、剣かまえて?」
「はい?」
「斬るから」
ひゅっと風の切る音と同時に、金属同士が交わった鈍い音が聞こえる。
剣を抜いたラクウィルがツァインに斬りかかり、ツァインはそれを受けていた。
「あっはー。僕だからできることですもんねえ」
「それ犯罪ですからねえ、ツァイン」
「僕の特権でしょー」
「姫はサリヴァンの奥さんですよー?」
「僕の妹ですもーん」
「それですべて片づけられると思わないでくださいねー?」
「片づきますよー。だって僕お兄ちゃんですもーん」
と、ラクウィルとツァインの会話を適当に耳に入れつつ、サリヴァンはゆらりと踏み出す。
「退け、ラク」
「お?」
「ぶっ殺す!」
ツァインを。
「……、どこでそんな言葉憶えてきたんですかー」
「街っ!」
とにかくそこを退け、とサリヴァンは駆け出すと、帯剣しているそれの柄を左手に持つと鞘から抜く。
「僕に敵うと思っているんですか、殿下」
余裕顔のツァインに腹が立たないわけがない。
「一瞬だけ気を逸らせればそれでいいさ!」
ラクウィルがツァインの前からふっと消えてすぐ、サリヴァンは正面からツァインに斬りかかった。
「殿下の剣は軽いんですよ」
「だろうな」
もとより剣には頼っていない。
サリヴァンはふと身体を正面からずらし、剣を手放した。
「え……?」
サリヴァンの唐突なその行動はツァインの意表を突くことになり、体勢を崩させた。前倒れしかかったツァインの隙をサリヴァンは見逃さず、懐に入り込むと胸元を掴み、身体を反転させながら背負い投げる。ズダンッ、と床に叩きつけられたツァインは、その頑丈さから痛みに顔を歪めることなく、サリヴァンのその動きにびっくりしていた。
床に仰向けになったツァインの頭許で、サリヴァンは仁王立ちする。
「どこから踏まれたい?」
にんまりと笑って見下ろせば、ツァインは顔を引き攣らせた。
「踏まないという選択はないんですかね?」
「ないな」
と言いながら、サリヴァンはツァインの顔をめがけて足を踏み出す。もちろん避けるだろうというのは予測済みだったので、案の定避けられてもふらつかない。
サリヴァンの踏みを避けて身体を起こしたツァインは、あっというまに防御の姿勢に入った。
「二度めはないですよ?」
そんなのは承知だ。
とりあえず一矢報いたということに、サリヴァンは満足しておく。
「二度とツェイの部屋に入るな」
「無理なお願いですね」
「願いじゃない。命令だ」
「……僕がきみに逆らえないと知っていてそれですか」
「ああもちろんだ」
ツァインに対してはすべて命令形にしてやる。そう決めてツァインを見れば、今までにない仏頂面のツァインがいた。せっかくの美形が台無しである。
「……ねえ、殿下」
その表情を見られないようにするためか、ツァインがふと俯いた。
「あの子を幸せにして」
その言葉に、急に気持ちが引き締められる。
「僕じゃできないことを、殿下ならできるんです……だから……あの子を誰よりも幸せにしてください」
それはツァインの、兄としての本音なのだろう。
「……ああ、幸せにする」
そう返事をすると、ツァインは深々と息をついて、サリヴァンに背を向けた。
そうして進んだその先は。
「言ったそばからツェイの部屋に行くか!」
「だってお兄ちゃんだもーん」
言うなり駆け出し、ツェイルがいる部屋に駆け込まれる。ばたん、と扉が閉まり、慌てて追い駆けて扉を開けようとしたが、鍵をかけられてしまった。
「ツァイン!」
油断した、と後悔しても遅い。
「ちょっとかっこいー、とか思ったのに……サリヴァンかっこ悪ぅ」
「うるさいっ」
ダンッ、と地団駄を踏み、サリヴァンは庭へと回るべく身体を反転させた。
一話ずつ読み切りの番外編にしようと思いましたら、なぜかこんなことに。
またおつき合いください。