53 : 泣いて、笑って。
最後に絵を載せました。
皆さまのイメージとは異なると思いますが、見てもいいよ、というお方は一番下までおいでくださいませ。
シェリアン公国に四公のひとりであるサグザイール公爵が赴き、跋扈していた悪政が一気に粛清されると、サリヴァンの役目も静かに終わりを告げた。
「サグザイール公が、落ち着くまで滞在すればいいと言ってくれたから、別邸を借りた」
ニッと、嬉しそうな顔をしたサリヴァンが、夜更けに露台のほうから入ってくるなりそう言った。
「城を出るぞ、ツェイ」
「……今から?」
「ああ。おれの役目は終わったからな」
ここに居続ける理由もない、とサリヴァンはツェイルを促す。もとより否はないツェイルなので、手早く着替えると忘れずに銀の剣も持ち、サリヴァンの手を取って露台から外へと飛び出した。
「ラクウィルさまは?」
「先に行かせた。車を用意して待ってくれているはずだ」
サグザイール公爵の別邸は、皇都の外れにあるという。まともに皇都を歩いたことがないサリヴァンでは辿り着けないので、サリヴァンの侍従で騎士たるラクウィルはもちろん共に行く。
数日別邸にて過ごしたあと、機会を見てヴァルハラ公爵の領地へ向かうのだと、サリヴァンは説明してくれた。
「世界を旅することはできないが、国中を旅して歩きたいとは思う。まずは自分の領地だ」
ツェイルの手を取って走るサリヴァンは、それはもう生き生きとしていて、輝いてさえ見える。
サリヴァンは十八年、幽閉されていた。
その間に見て回れた外の世界は、アウニの森と皇都の一部だ。それから今に至るまでの五年は、仮初め皇帝であったがゆえに城から出ることが少なかった。
サリヴァンの世界は狭い。
だからサリヴァンは広い世界に心を躍らせている。
そこになにがあろうと、きっとサリヴァンは、外の世界を見続けることだろう。
「ちょっと甘いんじゃねぇか、サリエぇ」
その声と、姿に、城を走り抜けていた足がぴたりと止まる。
「ジークフリート……」
剣をかまえつつも気だるそうなジークフリートが、もうあと少しで外に出られるというところで、待ちかまえていた。
「ラクウィルならほれ、ルカに捕まってんぜ」
ジークフリートの後方に見えるラクウィルの姿と、そしてルカイアの姿、さらにはリリの姿までそこにはある。車の用意はしてあるが、どうやら見つかってしまったようだ。
「おーい、サライーぃ。ラクウィルは囮じゃなかったぜー」
と、さらにジークフリートはあらぬ方向へ呼びかける。するとジークフリートの視線の先に、ふわりとサライが現われた。ラクウィルと同じ天恵を持つジークフリートによって、サライはここに来たようである。
しかし。
「ぐ……気持ち悪い」
サライは地に足をつけたとたん、べちゃ、と転んだ。
「あぁあぁ……なっさけねぇなぁ、サラ」
転んだサライのもとへ、ジークフリートが呆れながら駆け寄る。
「おまえの手なんぞ借り……うえぇ」
「痩せ我慢もできねぇのかよ、サラ」
「む、無理だ……どうしたって気持ち悪……うぉえぇ」
どうやら空間を移動するその天恵は、サライの苦手なものであるようだ。
「……逃げていいですか、兄上」
「待たんか! ……おぇ」
「苦手ならやめておけばいいのに……」
「うるさい! ……うぷ」
逃げるか、とサリヴァンに促されたので、ツェイルは頷く。
しかし、さて、と一歩踏み出したとき。
「逃げたらシエスタに追わせるからな!」
「やめてください!」
ヴェルニカ皇帝シエスタの名に、サリヴァンが反射的に反応してしまう。そのせいで、「ふふふふ……」と不気味に笑いながら立ち上がったサライが、目をきらんと光らせる。
「おまえのことが大っ好きなシエスタなら、おまえがどこに逃げようと地の果てまで追いかけるだろうな!」
「気持ち悪いこと言わないでください!」
乗せられているのに、とツェイルは思ったが、サリヴァンのシエスタに対する動揺ぶりは知っていたので、仕方ないかと諦めた。
「逃げたければ逃げろ! シエスタが追いかけていくだけだ!」
「やめてくださいと言っているでしょう!」
この攻防はいつまで続くのかな、と思いつつ、ツェイルはそれをただひたすら見守る。唐突に始まった兄弟喧嘩らしきものは、互いの騎士に宥められるまで続いた。
「ちょっとだめでしょー、姫。サリヴァンが無駄に疲れちゃったじゃないですかぁ」
とラクウィルに叱られたが、ちょっと面白かったので、とは言い返せなかった。
「すみません」
とりあえず謝っておいて、肩で息をしているサリヴァンに身を寄り添わせる。
サライのほうも、肩で息をしていた。
「……許さんからな」
「……はい?」
「許さんからな」
「……なにがです」
「わたしの前からいなくなるなど、許さんからな!」
それはサライの叫びで、懇願のようにも聞こえた。
「おまえはわたしの弟だ。この城から去るなど、そんなことはさせん」
「……あのですね、兄上」
「それでも出ていくと言うのなら、本当にシエスタに助力を求めるからな」
「だからやめてください。本気に聞こえるのでやめてください」
「本気だ」
とたん、しんと静まり返る。
「……ラク、天恵の使用を許可する。シエスタを葬れ」
「ぅええ! おれを国家犯罪者に仕立て上げるつもりですかあ?」
「已むを得ん」
「がん! サリヴァンの薄情者ーっ!」
騎士とまで喧嘩を始めてしまうサリヴァンだったので、さすがにツェイルも宥めに入る。よほどシエスタが嫌いなのだと痛感した。
「サリヴァンさまを傷つけるものは、わたしが許しません。わたしが行きます」
そんなにシエスタが嫌いなら、と仄めかせば、サリヴァンの表情も硬くなる。ラクウィルにはやらせても、ツェイルにはやらせたくないらしい。
ツェイルは無表情にサリヴァンをじっと見つめ、サリヴァンも顔を引き攣らせながらじっとツェイルを見つめると、諦めたようにサリヴァンが深々とため息をついた。
「はあ……兄上、勘違いしておいでのようなので、訂正します」
「む、勘違いだと?」
「おれは城を出ますが、国は出ませんよ」
「……、なに!」
「むしろ出たくても出られません。国主の天恵に縛られましたので」
サリヴァンのその訂正は、サライをひどく驚かせていた。
「ほ……本当に、国を出ないのか」
「ですから、出られません。無理です」
「ど、どういうことだ」
「刻印ですよ。傷があるのは知っていますでしょう。それが深過ぎて、作用すべき力の半分が失われているんです。国を出たら刻印の力に圧されてしまうので、身体が耐えられません。もうすでにその兆候はあるんですけどね」
この髪、とサリヴァンは無造作に己れの髪を一房摘む。夜目では見え難いだろうが、月明かりを浴びればはっきりとその色が浮かんだ。
「銀色……?」
「今のところはこれだけで済んでいます。あとはどうなるかわかりません。猊下にも、そのあたりのことはよくわからないそうですから」
瞠目したサライが、ふらりと一歩踏み出す。
「……サリエ、おまえ」
差し伸べたサライの手のひらが、宙で止まる。それはサリヴァンが微笑んでいたからだった。
「兄上にこの天恵が出なくてよかったと、思いますよ」
「サリエ……」
「天恵とは神々の気紛れによってもたらされる、天の恵み……ですが、刻印という形までも与えられたこの天恵は、国を護るために強大な力を有しています。それをおれは傷つけてしまいましたが、兄上が無事であるから、この程度で済んでいるんです」
「おまえのそれは、父上のせいで……っ」
「おれの養父は、猊下です。先帝ではありません」
「だが、サリエ……っ」
「勘違いしないでください、兄上」
にっこりと、サリヴァンの微笑みが深まる。
「おれが選んだことです」
仮初めの皇帝になったことも、歪んでいるこの人生のことも、国主だと認めたことも、すべて自分が選んだものだとサリヴァンははっきりと告げた。
「兄上のよき治世、末永く続くことを、お祈りしますよ」
そう言ったサリヴァンは、ラクウィルの肩をぽんと叩く。なにかの合図であったらしいそれは、ラクウィルの姿をそこから一瞬にして消した。
そうして。
「呼べ、ラク」
それはきっと、最終手段だったのだろう。
素直に城を出られなかったときのために、わざと使わないでいたものだったのだろう。そうでなくてもサリヴァンに負担がかかるものだ。使わずに済むものなら、使いたくなかったことだろう。
「待て、サリエ!」
「しばらく放っておいてください。シエスタを捜索の人員にしたら、恨みますからね」
「ぐ……」
サリヴァンが引き留めようとしたサライに念押しした直後、ツェイルの光景は一瞬にして変わる。
そこは、こじんまりとした邸の前だった。
「……やっぱり疲れるな」
「それだけで済んでるサリヴァンもすごいですよー? サライなんかほら、めちゃくちゃかっこ悪かったじゃないですか」
ラクウィルの天恵で飛んだ先で、やはりサリヴァンは疲労を見せていたが、サライのような状態にはならなかった。
「だいじょうぶですか、サリヴァンさま」
「平気だ……兄上は苦手のようだが、おれは疲れるだけだからな」
それはそうだが、ぐったりしているのはサライと同じだ。
「ここで使っちゃったから、しばらく使えませんねぇ……まあ、どちらにせよあんまり意味ないですけど」
「意味がない、だと?」
「ここ、サグザイール公の別邸なんですけどね」
「……小さいな」
「サリヴァン、忘れてません?」
「なにをだ?」
「さてここで問題です、姫」
「なぜそこでツェイに話を振る」
「いいからいいから」
問題ですよ、とツェイルはラクウィルの笑みを受ける。なんだろうと首を傾げると、隣でサリヴァンも疑問を浮かべる。
「サグザイール公は、誰のお父さんでしょー?」
「……おとうさん?」
「はい」
誰の父、と訊かれても、わかるわけがない。そもそもツェイルは、サグザイール公爵に逢ったことがないのだ。
しかし、わからないツェイルに反し、サリヴァンは気づいたようである。
「あ……」
と顔を引き攣らせて、ついでに一歩後退した。
「思い出しましたか、サリヴァン」
「……ルカの父親」
「はい、正解でーす」
え、とツェイルは目を丸くする。
「サグザイール公アーヴァイン、ルカイアのお父さんです」
「本当に、ルカさまの……?」
「ちなみにルカイアは、ラッセ候ルカイアですが、ラッセという家名は母方のものなんです。ほら、宰相になったときに戸籍が独立しましたから。それと、ルカイアはサグザイール公と後妻さんとの間の息子ですので」
家名が違うのは、そういう理由からであるらしい。
「ラク、それとこの邸と、どういう関係がある?」
「ここ、別邸だって言いましたよね?」
「ああ」
「実はルカイアの住まいだったりして」
えへ、とラクウィルは可愛らしく笑ってくれたが、サリヴァンの顔は最悪である。
「……これもルカの策か?」
「いえ、たぶんサグザイール公の策かと」
「騙したな!」
ガッとラクウィルの襟首を掴んでサリヴァンは乱暴に揺するが、ラクウィルは「おれじゃないですよう」と笑う。
「国は出ないと、言っただろうが!」
「あんまり深い意味はないと思いますから、気にしないほうがいいですよー?」
「じゃあどんな意味があるんだ!」
「まずは街に慣れて、人間に慣れて、それから外に出たらいいって意味じゃないですかねえ」
ラクウィルがそう言ったとたん、サリヴァンはぴたりと揺すっていた腕を止める。
ラクウィルのそれは、ツェイルにも頷けるものがあった。
「サリヴァン、外に出ていたとはいえ、それって垣間見た程度じゃないですか。城で生活していたときはアウニの森に行くくらいで、街にもあんまり下りなかったでしょう。自分がどんな生活をしていたか、わかってますか?」
「……それは」
「この前はエンバルの末番街に行きましたけど、それだって初めて行った場所だったからけっこう戸惑っていたでしょう。これからはその戸惑いばかりの生活になるんです。姫に教えられることがたくさんあるでしょう。街や人に教えられることも多くあるでしょう。サグザイール公は、本気でサリヴァンを心配していました。なんせルカイアの父親ですからね。ルカイアだって、おれは好きじゃないですけど、サリヴァンを想う気持ちは本物だってわかっています。心配せずにはいられないでしょう?」
ラクウィルの苦笑に、襟首を掴んでいたサリヴァンの腕が下がる。右腕が動かなくなってしまったのもあるのだろうが、ラクウィルのその言葉に思うことがあるのだろう。
ツェイルはそっとサリヴァンの右腕を撫でながら、寄り添った。
「ねえサリヴァン、もうここは外です。おれはやっとあなたに自由をあげられると思っています。時間はいっぱいあるんですから、そんなに焦らないでください」
ね、とラクウィルはサリヴァンの頭をぽんと撫でる。悔しそうに唇を噛んだサリヴァンは、それをツェイルに見られたくないのか、寄り添っていたツェイルを強引に腕の中にしまい込んだ。
「おれは外の生活を知らない」
「……わたしがいます」
「なにも、できないかもしれない」
「わたしがそばにいます」
だいじょうぶだ、とツェイルは落ち込んだサリヴァンの背を撫でる。
なにも知らなくてもいい、なにもできなくてもいい、それらはこれから知り、できるようになればいいのだ。
泣いて、笑って、どんなことも受け入れよう。
泣いて、笑って、手を繋いで。
行けるところまで行こう。
サリヴァンが一緒なら、ツェイルはなにも怖くない。
「さて……じゃあまず、リリに来てもらいましょうかね」
まずは街での生活に、そして人々との交流に、慣れていこう。
ラクウィルのその提案に、ツェイルは頷いた。
「……ツェイ」
「はい」
「こんなおれで、本当にいいのか?」
まだそんなことを言うのか、と思ったが、ツェイルは微笑むだけにした。
「あなたがいいのです」
そう言えば、サリヴァンはホッとしたように、微笑み返してくれた。
本編はこれにて完結致します。
おつき合いくださりありがとうございました。
またお気に入り登録してくださった皆さま、本当にありがとうございます。
本編はこれにて完結しますが、いくつか番外編らしきものを書きたいと思います。
もう少しだけおつき合いくださると嬉しいです。