45 : 悲しいというなら。2
ツァインが本当に迎えに現われたとき、ツェイルは絶句した。
サリヴァンの言葉が嘘であると思いたかったから、そこにツァインが現われても認めることができなかった。
ツァインはそんなツェイルを見てなにを思ったのか、いつものような過激な挨拶はなく、ただにこりと微笑んでツェイルを促すだけだった。
「戻るよ、ツェイル」
そう言ったツァインに差し出された手のひらを、ツェイルは拒絶した。
行かない、戻らない、帰らない、と首を左右に振って拒否したが、苦笑したツァインに手を取られると、半ば強引に部屋を連れ出されてしまう。
「いやだ……兄さま、いやだ」
「言うようになったね、ツェイル」
「帰らない……わたしは、ここにいる……サリヴァンさまのそばに」
「戻れと言われただろう。だから僕はここにいるんだ。さあ、戻るよ」
「いやだ、兄さま……っ」
「ツェイル」
「いやだっ」
「……手荒な真似をされたいの?」
ツェイルの手首をぎっちり掴んだまま立ち止まったツァインは、本当にただ微笑んでいるだけで、その真意を掴ませない。
つまりはそれだけ真剣に言っているということだ。
「ヴィーダヒーデ、しばらくツェイルの中に。ガルデアを抑えてくれるかな」
「な……兄さまっ」
天恵を封じるという手段まで用いようとしたツァインに、ツェイルは息を呑む。
そうして動揺しているうちに、ヴィーダヒーデがツァインから出てきた。
「ごめんね、あたしの可愛いツェイル。許してね」
ヴィーダヒーデは本当に申し訳なさそうに謝ると、天恵を封じられるものかと身じろいだツェイルに、するりと入ってくる。
「いやだ、ヒーデっ」
ヴィーダヒーデに裡へ入られると、ツェイルは天恵を使えなくなる。
それだけでなく、もともとツェイルの裡にはヴィーダガルデアという精霊も宿っているからか、ふたりの精霊を宿すことになった身体には想像以上の負荷がかかって、意識を保っていられなくなる。
呆気なくヴィーダヒーデに裡へと入られてしまったツェイルは、とたんに遠のく意識を繋ぎ止めようと必死になるが、全身から力を吸い取られていくような感覚には勝てなかった。
「ひどい……兄さま……っ」
「仕方ないよ。可愛いツェイルのことだから、僕は殿下のこの命令には逆らえない……それにね、約束なんだよ」
「やく、そく……?」
「僕のツェイルを、殿下が好きになって、僕のツェイルも殿下を好きになってしまったそのときは……僕は一生を殿下に捧げる、とね。そういう約束をしてしまったから、僕はもう二度と、殿下には逆らえない。ごめんね、ツェイル。僕の可愛いツェイル」
本当は信じたくなかったよ、と聞こえた。
ツェイルが殿下を好きになるなんて、あり得ないと思っていたよと、そう聞こえたのを最後に、ツェイルは意識を手放した。
だから。
気づいたときには、馴染み深い部屋の寝台の上に、ツェイルはいた。
あれは夢などではなく、ツァインが迎えに現われたのも本当のことで、抵抗したから手荒な真似をされたのだと、目覚めてすぐに理解できた。
「……ひどい」
茫然と、朝日に溢れた室内を見渡した。
皇城へ連れて行かれたときとなんら変わっていないメルエイラ家の自室が、とても懐かしいのと同時にとてもよそよそしく感じる。
ここはもうわたしの部屋じゃない。
そう思ったら、とたんに目がしらが熱くなった。
「……ひどい、サリヴァンさま」
なぜわたしはここにいるのだろう。
どうしてここに、わたしは戻ってきたのだろう。
「サリヴァンさま……っ」
手放さないと、言ってくれたのはサリヴァンだった。
おれと結婚してくれ、と言ってくれたのはサリヴァンだった。
ツェイルに、その夢を与えてくれたのは、サリヴァンだった。
「どうして…っ…どうして」
今になって、急に、サリヴァンがツェイルをメルエイラ家に戻したのか、そう思ったのか、わからない。
サリヴァンに愛されたいと想った。そう自覚したときには、ツェイルはサリヴァンが好きで、いとしくてならなくて。
結婚してくれと言われたとき、どれほどの喜びを感じたことだろう。
今まで逆らったことなどないツァインを相手に、この胸からそれらを奪われたくない一心で抵抗してまで護った想い。
それらすべてが、やはりツェイルには傲慢なことだったというのだろうか。
「サリヴァン、さま……っ」
どうして。
どうして。
どうして。
「ひとり、に……しないで」
どこか遠くへ行けたら、ついて来てくれるか、とサリヴァンは訊いてきた。ツェイルはずっとサリヴァンのそばにいるつもりであったから、訊かれたときはとくに返事もしなかった。
だからまさか。
こんなふうに。
「置いて、いかないで」
ひとりぼっちにさせられる、なんて、思わなかった。
ここは、メルエイラ家はもう、ツェイルの居場所ではなくなってしまったのに。
「サリヴァンさま」
どうして、ひとりにするの。
どうして、置いていくの。
どうして、与えるだけ与えておいて、目の前から消えるの。
ツェイルはもうサリヴァンという人を知ってしまった。
サリヴァンというぬくもりを知ってしまった。
サリヴァンという人を、好きになってしまった。
たとえ傲慢なことだったとしても、これは、これだけは、失いたくない想いだ。
なにも知らなかったあの頃には戻れない。
だから、メルエイラ家では生きていけない。
「サリヴァンさまぁ……っ」
あなたのいない世界は、わたしの世界ではなくなった。
ここは、あなたのいない世界。
そんな世界には、いられない。
そんな世界では、生きられない。
ツェイルはわんわんと、朝日に満ち溢れた中で、泣き続けた。