44 : 悲しいというなら。1
眠くありませんか、と訊かれてから、はたとツェイルは眠気を思い出し、見慣れた寝室の寝台を視界に入れたとたんにばったりと倒れ込んだ。サリヴァンやリリの声が聞こえた気もしたが、内容が聞き取れないほどに睡魔が襲ってきていて、いつのまにか意識を手放していた。
ふっと、目が覚めたとき、辺りは暗かった。
だからまだ眠っていてもいいのだと思ってまた瞼を閉じたら、パッと室内が明るくなったので驚く。
「まだ眠っていたのか」
そう言ったのはサリヴァンで。
「え、まさか一食も摂らないで眠り続けているんですか?」
続けて、体調の心配をするラクウィルの声も聞こえた。
ツェイルはもそもそと寝台から起き、ぼんやりとしながらサリヴァンの姿を探し、淡い金色を見つける。
「……おはようございます?」
夜だと思ったのだが、もしかしたら早朝なのかもしれない。
そう思って挨拶をしたら、「はは」とサリヴァンが笑った。
「ツェイは、おはよう、だな。今は夜だが」
ああなんだ、やっぱりまだ夜なのか。
「おやすみなさい」
まだ少し眠いので、ぺこりと頭を下げるとツェイルはころんと寝台に転がった。
「ああいや待て寝るな、ツェイ? ツェイ?」
せっかく寝転がったのに、駆け寄ってきたサリヴァンに抱き起こされた。
「ねむらせてください」
「起きろ。どれくらい眠れば気が済むんだ」
「ねむいのです」
「いや、それはわかるがな? 丸一日も眠れば気も済むだろう」
「……まるいちにち?」
「ああ。だから、今度はおれを眠らせてくれ」
あれから眠ってないんだ、と言ったサリヴァンの顔を、ツェイルはじっと見つめる。
長いことそうしていて、漸く思考が回復した。
「! ね…っ…眠り過ぎました」
「放っておいたおれも悪いがな」
「いえ、すみません」
ツェイルは慌てて自分の力で起き上がる。
とたん、サリヴァンがツェイルの膝に倒れ込んできた。
「さ……サリヴァンさまっ」
「一時だ。一時だけ、眠らせてくれ」
「ですが……」
ラクウィルに確認を取ろうと思ったその時には、すでにサリヴァンから寝息が聞こえてきた。
不思議とサリヴァンは、ツェイルのそばで眠るとき、いつも寝つきがいい。
ツェイルの腹に顔の側面を押しつけるようにして、両腕を胴に回してしがみついていたサリヴァンをちょっと抱き直しながら、ツェイルはそう思った。
「どうぞ、姫。今ちょっとリリは席を外しているので、おれでごめんなさいね」
ラクウィルに洗顔用の濡れた布を渡されて、ツェイルは礼を言ってから受け取る。
食事の用意をしますね、と言われたが、それほど空腹を感じていなかったので、とりあえず軽いものを頼んだ。
「沐浴の用意はしてありますから、サリヴァンが起きてからどうぞ。その頃にはリリも戻るでしょうし」
思うが、サリヴァンはツェイルが眠りこけているのを予測し、さらにはリリの不在を知っていて、ツェイルの世話をさせるためにラクウィルを連れてきたのではないだろうか。
「ラクウィルさまは、眠られましたか?」
運ばれてきた軽食をつまみながら、ツェイルはラクウィルに問うた。
「おれはサリヴァンが起きている間の半分くらい眠ってますから、充分に」
「サリヴァンさまが、起きている間?」
「おれはサリヴァンみたいな無理、というか無理ではなく無意識ですが、そういうことができないので」
どういう意味だろう。
首を傾げると、天恵の代償ですよ、と教えてくれた。
「代償?」
「気づくと長椅子や寝台の上にいます。たまに私有地の森にもいますけど」
「……え?」
「ああ、廊下のど真ん中にいて、人だかりを作ったこともありますね。サリヴァンとルカイアが吃驚した顔してました」
「え……あの?」
「城の屋根にいたときはさすがに自分でも吃驚しましたけど……ああ、階段の真ん中にいたときも吃驚しましたねえ。身体のあちこちが痛くて、大変でした」
それはつまり、とツェイルは顔を引き攣らせる。
「いきなり眠られてしまう……のですか」
「はい」
にっこりと笑って、ラクウィルは肯定した。
「なので、眠いと思ったことがないんですよ。気づいたときには眠ったあとですから」
「それが、天恵の代償、ですか」
「みたいですねえ」
「……みたい?」
「天恵が三つもあると、どこに負荷がかかっているのか、よくわからないんですよー」
んー、と顔をしかめながら首を傾げるラクウィルに、つられるように一緒になって首を傾げてみる。
「気づくと眠ったあとなのは、昔からですからねえ。まあ、ちょっと疲れ易い体質なので、それかなぁとも思うんですが……おれはともかく、ルカイアはそうだと確信していますね」
ルカイアではないが、それが代償ではなかろうかと、ツェイルも思う。
一般的な法則から外れた天恵者には、それぞれの代償がある。ツェイルのような代償もあれば、本人もよくわからないというラクウィルのようなことも、ないとは限らない。
「そういうわけで、おれは充分に休んでますから、気にしなくていいですよ。それより腹ごなしです。まさか丸一日眠っていらっしゃったなんてね」
そうだった、とツェイルは食事を再開し、食べている合間にラクウィルとちょっとした会話をする。ラクウィルは話し上手だが、また聞き上手でもあった。
外出から戻ってきたリリが混ざり、そのままサリヴァンがきっかり一時間後に目を覚ますまで、ツェイルは会話を楽しんでいた。
「今日を乗り越えればなんとかなる……か」
そう言いながら、まだ眠そうな眼を擦りつつサリヴァンは身体を起こした。
「そんなに忙しいのですか?」
「やることは探すまでもなく、常に山積みにされているからな」
国主だから、とサリヴァンはため息をつく。名残惜しげもなく寝台を離れると、ツェイルに背を向けて服を着直した。
「ツェイ、一度メルエイラ家に戻れ」
その唐突な申し出に、ツェイルは声もなく目を見開いた。
「忙しくはないが、いろいろと面倒が起きそうになっているんだ。ここは安全だと、そう言えたらいいんだが、メルエイラ家ほどの戦力には乏しくてな。ここにおまえとリリだけ置いておくには忍びない」
サリヴァンにそう言われたことに、ツェイルは思いのほか動揺して、言葉を紡げなかった。
「ツァインが迎えに来るから、とりあえず夜のうちにメルエイラ家に戻れ。いいな?」
サリヴァンはツェイルのほうを一度も振り返らず、背を向けたまま言うとそのまま寝室を出て行こうとする。
ツェイルは慌てた。
「ま……待って、サリヴァンさまっ」
寝台から降りようとして、足が痺れていることに気づいた。膝を貸していたから、気づかないうちに負荷がかかってしまっていたのだ。
「サリヴァンさまっ」
歩けなくても、動けなくても、それでもツェイルは声を上げてサリヴァンを呼び止めようとしたが、サリヴァンは振り返らなかった。
どういうことか教えてほしい。
なぜいきなり帰れなどと言われなければならないのか、その理由が知りたい。
だのに、サリヴァンは寝室から出ていってしまった。
「……、ラクウィルさまっ」
サリヴァンに続いて出て行こうとしているラクウィルを呼び止めるが、また彼も「ごめんね」という素ぶりだけを見せると、足早に立ち去ってしまう。
ツェイルは茫然とした。
「……リリ」
部屋に残ってくれていたリリに、ツェイルは説明を求める。しかし、リリもまた声もなく、首を左右に振るだけだった。
「なにが……どうなっているんだ」
「わたしからはなにも申し上げることができません。すみません、ツェイルさま」
深々と頭を下げたリリは、ツェイルの前に着替えを置き、無情にも「沐浴しましょう」と、今のツェイルに必要な身支度を促した。