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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】
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39 : 溺れたその行方。2





「失礼します、陛下、ツェイルさま」


 その声は、ルカイアだった。

 フェンリスに皇都の上空を軽く一周してもらって部屋に戻り、フェンリスがまた空へと舞い上がる姿を見送ったすぐのことだ。


「また、騒がしくなるか」


 サリヴァンはため息をつき、ルカイアの唐突な来訪を迎える。


「夫人が自害しました」


 告げられたそれは、ツェイルにはわからないものだったが、不穏であることは感じられた。ただ、サリヴァンは目を細めただけだった。


「そうきたか……」


 ぽつりとそうこぼすと、侍従を呼んで着替え始めた。

 そのまま政務へと戻るのかと思われたが、着替えただけでサリヴァンは動かなかった。寝室の隣、居間に移動して、長椅子に腰かける。ツェイルは寝巻のままだったが、リリが来てくれたのでとりあえず上着を羽織らせてもらった。


「ラクたちは?」

「移動中です。捕縛し、護送中でのことだったそうです」

「……自害ではないな」

「では?」

「議会の仕業だろう。あれを夫人に知られるわけにはいかないと、そう判断した者たちの」

「……真実は知らぬほうがよい、ということですか」

「おれを罪深き者と言う人間だぞ。奴が真実を知ればどういうことになるか……面倒ごとはもう御免だということだろうな」

「……これ以上のなにを求めようというのでしょうね」

「ラクとツァインがいたのに、よく誤魔化せたものだ……大老には面倒をかけたな」

「大老からは、むしろ申し訳なかったと」

「謝ることはないのに……な」


 ふっと、サリヴァンは苦く笑う。ツェイルは黙ってそれを見、ふたりの会話を聞いていたが、どうやらラクウィルの姿が見えないのは外に出ていたからだと知った。


「ツェイ」


 急に呼ばれて、ツェイルは少し驚きつつも返事をしてサリヴァンの向かいに座った。


「聞いていた通りだ」

「……説明を求めても?」

「おまえを攫ったナルゼッタ家の夫人のことだ」


 ハッと、ツェイルは瞠目する。


「夫人が……自害を?」

「いや、殺された。おそらくは議会の誰かに」

「……なぜ?」

「真実を知ることを、許されなかったからだろうな」

「……真実とはなんです?」


 それはツェイルが知る必要のないものだろうか。


「ナルゼッタは、おれが十八年幽閉されていたことを知らない」

「え……?」

「そもそも、おれがそういう扱いをされていたことすら、奴は知らない」


 それは、とツェイルは解釈に戸惑う。


「まあ、おれが幽閉されていたと知っているのは、上位十二貴族の中でも、二大卿四公と、ルカイアのところ、ツァインくらいなものだが」

「……兄も、知っている?」


 なぜツァインが、と思う。ルカイアはともかく、いくら上位十二貴族の列に並ぶようになったメルエイラ家でも、それは最近のことで、以前はその列にも及ばない没落貴族だったのだ。


「そういうわけだから、五年前におれが帝位を預かったとき、反対した者たちがいる。議会の少数がそうだ。おれを認めていない」

「ですが……サリヴァンさまには、国主の天恵があります」

「見せたことがない」

「え……そうなのですか?」

「見せろと言われなかったからな」


 頭から認められていないのだから、国主の証を見せろとも、言われなかった。そういうことかとツェイルは理解し、ふと息をつく。


「それに……たとえ見せたとしても、ただルーフを咲かせることしかできないこの天恵が、国主の天恵などではないと言われてしまえば、それまでだ。この天恵に意味はない」

「……それでは、この国の帝が誰であっても同じ、という理論が成立してしまいます」

「成立させたい奴らは多くいる。だが、誰も国の責任は取りたくない。だから人形を欲する」

「サリヴァンさまのご意思を奪いたい、と?」


 そうだな、とサリヴァンは頷き、リリを呼ぶとツェイルを着替えさせるよう命じた。


「サリヴァンさま?」

「一緒に来てもらおう、ツェイ。おまえに知っていて欲しいことがある」

「わたしに……知って欲しい、こと?」

「ああ。着替えたら、おれの執務室においで」


 にこ、と笑ったサリヴァンから、その真意を探ることはできない。


 ルカイアを連れて部屋を出ていったサリヴァンを見送ったあと、ツェイルはリリに手伝ってもらって身を整え、サリヴァン就きの近衛騎士に案内してもらって執務室へと向かった。


「ツェーイルぅー!」

「え?」


 サリヴァンの執務室を前に、聞き憶えのある声がツェイルの足を止めた。

 振り向くと、満面笑顔の眩しい兄ツァインが、自分に向かって駆けてくるところだった。


「兄さま……?」

「僕の、可愛い、ツェイルぅ!」


 瞬きをした次には、もうツァインは目の前にいて、気づけば抱きしめられていた。


「ツェイル、ツェイル、ツェイルぅ」

「に、兄さま……っ」


 相変わらず足が早い人だ。まあこの瞬間移動のような素早さはツァインの得意とするものではあるが。


「ああツェイル、無事でなによりだよ。僕にその顔をよく見せて」


 元気だ。

 ツァインは、あの頃と変わらず元気だ。


「ま、待って、兄さま」

「僕のツェイルに無体を働いた奴は、僕がぶっ飛ばして……んん?」


 ぎゅうぎゅうとツァインはツェイルを揉みくちゃにしていたが、首にある傷を見つけたとたん、その顔に笑みを張りつけた。


「これはなにかなぁ?」

「え……あ、これは」

「攫われたときにはなかったけれどなぁ?」


 あれ、と思う。ツァインは、ツェイルが拉致された事件のことを知っているらしい。


「んー……あれからなにもなかったはずだしぃ? これ、彼の仕業かなぁ」

「あの、これは……その」


 首の傷はサリヴァンが気にするから、医師であるハルトがよく効く傷薬を塗ってくれて、もうほとんど赤いだけになっている。だから痛みもない。


「……そう、やっぱり彼なんだね」


 にぃっこりと笑ったツァインに、ツェイルは顔を引き攣らせた。


「兄さま、待っ……」


 止める暇もなく、ツァインは執務室の扉を蹴って開けた。


「ん……ああ戻ったのか、ツァイン」


 そこはサリヴァンの執務室であるから、ツェイルを待っていたサリヴァンがいるわけで。


「覚悟しろっ」

「はっ?」


 瞬間的なことだった。

 ものすごい音が聞こえたと思ったときには、ツェイルを案内するためにそこにいた近衛騎士が、なぜか執務室の中に投げ込まれていた。それも、執務室にあった長椅子ごとひっくり返っており、サリヴァンは部屋の隅に退避していた。


「おまえな! そうほいほい人を投げるな!」

「僕のツェイルになにかあったら、容赦しないよって遠回しに言ったよねえ」

「おまえの場合はわざわざ遠回しにしなくても、その行動が示してるだろうが! というか、なにもないだろうが!」

「僕のツェイルを傷ものにしたの、きみでしょお?」

「はあっ?」

「覚悟しろっ」


 ツァインは、同僚が投げ飛ばされたのを見て引け腰になっている、もうひとりの近衛騎士を無情にもむんずと掴むと、また軽く投げ飛ばした。それも、サリヴァンに向けて。


「投げるなと言っているだろうが!」

「きみが避けなきゃ彼も救われるっ」

「だから投げ……うわっ」


 サリヴァンは悲鳴を上げつつ、投げ飛ばされた可哀想な近衛騎士を、無情にも避けた。壁に激突した騎士は呻きながら気絶する。


「ちっ」

「投げるものを探すな!」


 ツェイルは呆然と、兄の暴挙を眺めていた。いや、眺めていることしかできなかった。


 なにが起こっているのかわからなかった。


「とっとと僕の餌食になりなよねえ」

「なるか!」

「我儘言わないっ」

「言ってない、投げるな!」


 ハッとしたのは、ツァインが帯剣したそれの鞘をサリヴァンに投げたあとのことで、剣がサリヴァンに投げられようとしていたときだ。


「サリヴァンさまっ!」


 肩で息をしているサリヴァンに駆け寄り、その間にツェイルは入った。その背をサリヴァンに押しつけて、なぜか狂気に駆られているツァインを見据える。


「こぉら、ツェイルぅ? そこ、退きなさい」

「い……いや、だ」

「だめだよ、ツェイル。そこの彼を庇ったりしたら」


 ぺったりと笑みを張りつかせたままのツァインは、幾度も見たことがある。

 戦いの場で、その笑みが崩れたことはない。終始笑っているから、ツェイルはこういうツァインがなにをするかよくわかっている。


 サリヴァンを殺そうとするかもしれない。


 だから、キッと強く、ツァインを睨んだ。


「わたしは、サリヴァンさまの剣。すべての脅威から、サリヴァンさまをお護りする……たとえ兄さまであろうと、サリヴァンさまを傷つけるなら、わたしは許さない」


 ツァインは表情を変えなかった。笑みを張りつかせたままじっとツェイルを見つめ、ツェイルも目を細めてツァインを睨み続ける。


 たとえツァインが最愛の兄であろうとも、サリヴァンを傷つけるのなら、許さない。そう思えるほどに、ツェイルはサリヴァンがいとしいと想う。

 もうこの心は誰にも変えられない。


「……ツェイル、離れなさい」

「いやだと、言った」


 にこにこと笑っていたツァインは、ツェイルの二度に渡る拒絶の言葉を聞くと、スッとその笑みを消した。


「それが答え?」


 その低い声は、冷たいのではなく、しかし暖かくもない、ただ抑揚のない無機質な音だった。


「ツェイル、きみは僕の妻だ。ずっとそう言い聞かせてきたよね。僕のそばにいれば、きみは幸せになれるからだよ。それなのに、彼を選ぶの? きみを危険なことばかりに巻き込んで、きみを傷つけていく男なのに?」

「わたしが、選んだこと。わたしが、望んだこと。だから、いい」


 後悔などしない。これはツェイルが選んだことで、もうどうしようもなくサリヴァンに惹かれた心が、サリヴァン以外を選ぼうとしないのだ。


「ツェイル、考え直しなさい。彼のそばでは、きみは不幸になる。僕のそばなら、絶対に幸せになれる」


 ツェイルは首を左右に振った。

 サリヴァンのそばにいると、決めた。そう望んだ。好きだと、いとしいと想ったから、そばにいたいと願っているのだ。

 それに、結婚してくれと、サリヴァンは言ってくれた。こんな貧相な娘、それも厄介な天恵持ちの男みたいなツェイルを、サリヴァンは欲しいと思ってくれた。


 それがどれほど嬉しいことか、ツァインにはわからないのだろうか。


 一生をメルエイラの中だけで過ごし、人を殺め続けて生き延びなければならなかった。自分の家族を作る夢を持てなかった。きょうだいたち以外との触れ合いなど、望めなかった。


 ツェイルが、夢を見なかったわけがない。

 それを、願わずにはおれなかったわけがない。


「わたしは……っ」


 ぼろっと、涙がこぼれ落ちた。


「兄さまが、好き……姉さまも、トゥーラも、シュネイも……でもっ」


 想うだけで、涙が溢れる。


「サリヴァンさまがいいっ」


 この心は、ツァインによってずっと護られ続けていた。ツァインがいなければ、ツェイルは愛情を理解できなかっただろう。天恵を恨み、家族を恨み、闇に囚われ続けていたことだろう。


 それでも、そうやって護られた心は、サリヴァンとの出逢いがさらに護ってくれた。

 サリヴァンが涙を思い出させてくれた。

 感情という忘れかけていたツェイルの一部を、思い出させてくれた。

 ツェイルに、人のぬくもりを感じさせてくれた。

 その暖かな眼差しを、ツェイルに向けてくれた。


「わたしから、サリヴァンさまをとらないでっ」


 奪わないで。

 この、気持ちを。

 この、喜びを。

 この、幸せを。


「……彼の真実を知っても、それが言えるの?」


 ツァインの静かな問いに、ツェイルは涙も拭わず睨み続けた。

 サリヴァンの真実など知らない。そんなのは、関係ない。ツェイルが好きだと、いとしいと想うのは、ここにいるサリヴァンという人間なのだ。


「そう……なら、腹を据えるしかないね」


 ふっと息をついたツァインは、鞘を失った剣を帯に戻すと、再び笑みを取り戻した。


「ツェイルを悲しませたらぶっ飛ばすから、その覚悟でね、陛下」


 そう言ったツァインに、ツェイルはそれまでツァインに感じていたものが消えたことを察した。


「僕はツェイルが大切だから、なにをするかわからないよ? 上手く飼い慣らさないと、痛い目を見るからね」


 それじゃあ、とツァインはあっさりとこちらに背を向ける。


「部下を道端に忘れてきたから、拾ってくるよ」


 まるでなにごともなかったかのように、ツァインはその名残だけを場に残して、さっさと立ち去った。


「……兄さま」


 先刻までのあれはなんだったのだろう。

 そう思ったが、呆気ない立ち去り方ではあったものの、サリヴァンが傷つけられる事態は避けられた。そのことに安堵すると、背後のサリヴァンから深いため息が聞こえてきた。


 はああ、と憑きものが落ちたように長く息を吐き出したサリヴァンは、ツェイルに両腕を回すとぎゅっと抱きしめ、まいった、と小さくこぼした。


「これが、溺れたその行方、ですね」


 どこからかルカイアの声がした。


「おれを置いてどこに隠れていやがった、ルカ」

「部屋の隅にひっそりと。まさかツァインが本気で切れるとは思いませんでしたので、うっかりそのまま眺めておりました」


 存在感を消して、ちゃっかり己れの身を護って退避していたらしいルカイアを、サリヴァンはツェイルの肩口から顔を上げて睨んだ。

 しかしルカイアはどこ吹く風である。


「クラウス、シュベルツ、さっさと起きなさい。今日の任務はほかの騎士と交代して、下がっていいですよ」


 投げ飛ばされたふたりの近衛騎士にそう言ったおまけに、


「ご無事でなによりです、陛下」


 にっこり笑ってすべてを片づけた。

 己れの油断はなかったことにするつもりらしい。


 見え透いたその行動にツェイルは顔を引き攣らせたが、サリヴァンは諦めたように目を据わらせるだけだった。


「溺れたその行方か……約束しておいてよかったな」


 そうサリヴァンから呟きがこぼれたが、ツェイルにはよくわからなかった。







楽しんでいただければ幸いです。


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