37 : 閉ざされた世界は嘲笑う。6
サリヴァン視点です。
ツェイ、と幾度か呼んだが、腕の中で真っ赤になって固まったツェイルから反応はなく、サリヴァンは苦笑をこぼした。
「早過ぎたか」
ツェイルはまだ子どもだ。いや、子どもの領域にいなければならない年頃だ。そろそろおとなな考えを持って当然の年齢ではあるが、そういう考えを見せてもくれるが、ツェイルは思いもよらなかったのだろう。
「見せつけてくれますねえ」
そう言ったのは呆れたハルトだった。
「いいものを見させていただきましたっ」
そう言ったのは今にも泣きそうなほど喜んでいるリリだ。
ルカイアは。
「これで早過ぎなのですか?」
と、驚いていた。なぜここで驚くのか、サリヴァンは怪訝に思う。
「ツェイは成人してないんだぞ」
「まだあと二年ありますが、関係ないでしょう。娶られるのですから」
「おまえな……」
たまに一緒に眠っているから、とうにサリヴァンがツェイルに手を出しているものだと、ルカイアは思っていたらしい。
サリヴァンもそのあたりはそれなりに考えてはいるものの、ツェイルの心を完全に手に入れるまでは、その言葉を聞くまでは、手を出さないよう心がけている。寝台を共にしているのだから、サリヴァンにその衝動がないわけではないのだ。
サリヴァンとてひとりの人間、愛する者を隅々まで愛したいと思うのは当然である。
「まあ……少しは手を出すが」
「少し……?」
眠っていて意識がないところをちょっと触るくらい、可愛いものだろう。
「苦労されておいでのようで」
ハルトの苦笑に、そう思うだろう、と短く息をつく。
「これが無防備過ぎるんだ。おれだって、健全な男なんだぞ」
「ツェイルさまを花開かせるのは、サリヴァンさまですからね」
「……揶揄に聞こえるのは気のせいか、ハルト」
「えっ、なにがです?」
ラクウィルと同じことを、ハルトは含みもなにもなく素で言うのだ。
しかしながら、たとえそれが本当に揶揄であったとしても、サリヴァンは聞き流せない。
「まだ、早い」
ツェイルが成人するまであと二年ある。
待てるだろうかと考えて、すぐに無理だろうと自答する。ツェイルの口からその想いを聞き出してしまえば、自分を抑えられないだろう断言できる。
ツェイルは己れを貧相だと、魅力がないと思っているようだが、サリヴァンにその感覚はない。すべてが小ぶりなだけだ、と思っているし、両腕にすっぽりと収まるところがもうたまらない。小さくて、ふわふわしていて、ちょこまかと動いたあとにちんまりと椅子に座られると、たまらなく可愛い。一日中眺めていても飽きないくらいには、ツェイルが可愛くてならない。
いつになったら気づくだろう。
サリヴァンを魅了してやまないのだという、その事実に。
「まあ、いいか」
この魅力を知るものはサリヴァンただひとり。
ほかは知らなくもいい。
花開かせるはサリヴァン。
「……ルカ」
「はい」
「感謝する」
「……はい?」
サリヴァンはにっこりと笑い、未だ硬直したまま戻らないツェイルを深く抱き直した。
「外に出してくれたことだ」
「……連れ出したのはラクウィルですよ」
「それでも、おまえがきっかけを作らなければ、おれは外に出なかっただろう。あの閉ざされた世界で、ただ死を待つだけだった」
サリヴァンが育った、閉ざされた世界。
今を生きるこの、閉ざされた世界。
天は嘲笑う。
閉ざされた世界は嘲笑う。
見よ、死を待つだけだったものが、息を吹き返した。
生きることを望み、その姿に魅入られ、大地立つ者となった。
閉ざされた世界は嘲笑う。
見よ、息を吹き返し、根づいたではないか。
大地立つ者、ここに確かな存在を示したではないか。
「ルカ……おれは、国主だ」
「……はい」
「今までも、これからも、おれは国主だ」
「はい、サリヴァンさま」
サリヴァンは右腕を露台のほうへと伸ばすと、手のひらでふっと空気を撫ぜた。
「認めよう」
とたん、空気が震える。
柔らかな風が舞う。
緑の絨毯であった露台の向こうが、白いルーフの花畑へと姿を変えていた。
「……、サリヴァンさま」
白い絨毯が、風にそよぐ。
赤い絨毯しか見たことがなかったサリヴァンは、外に出てから、漸く白い絨毯を手に入れた。
それでも、欲しいとは一度も思わなかったもの。
できると、持っていると、認めたくなかったもの。
認めることを、許せなかったもの。
「これが、国主という、天恵」
ルカイアがハッとして、ルーフの花畑を凝視していた目を、サリヴァンに戻した。
「父は咲かせることができなかった……憐れな人だ」
先帝は、真の皇帝でも、国主でもなかった。
ルーフを咲かせることができる者、それが国主だと知っていたからこそ、その者を殺め帝位を奪い、その座に就いた。
だからサリヴァンを斬った。
己れの子に、それが出たから。
だが。
「運命とは、宿命とは、宿世とは、皮肉なものだな」
父がサリヴァンを斬りつけたのは、それだけの理由ではない。
サリヴァンは咽喉の奥で笑うと、ツェイルに目線を落とした。
「ツェイ、ツェイ、見ろ。ルーフが綺麗だぞ」
幾度か頬を突いてやると、ハッとツェイルの薄紫の瞳が見開かれる。
「は……あ、え? ええ?」
やっと戻ってきたツェイルは、真っ白になった庭を見るなり驚き、その目をまん丸にした。なにが起こったのだと、そう全身で訴えているが、サリヴァンはただ微笑む。
「ツェイ」
見ていろ、とサリヴァンは手のひらをツェイルの目の前にかざし、握る。ふっと開いて、その中に一輪の白いルーフを出して見せた。
「わぁ……っ」
感嘆の声を上げたツェイルは、瞳をきらきらとさせた。
「さ、サリヴァンさま、花をっ」
「ルーフだけな」
すごい、と言ったツェイルに、ルーフを手渡す。どうやって出したのか仕掛けを探しているようだったので、もう一輪、ぽんと出して見せた。
「いくらでも出せるぞ。天恵だからな」
「天恵? ルーフを、咲かせることが?」
「むしろそれしか能のない天恵だ。役に立つのか立たないのか、微妙だろう」
「そんなことありません」
ぶんぶんと首を左右に振ったツェイルは、ぽんぽんとルーフを咲かせるサリヴァンを止めさせてから、ふんわりと笑った。
「サリヴァンさまが綺麗だから、ルーフはいつも綺麗に咲くのですね」
そう言ったツェイルに。
ルーフに囲まれて微笑むツェイルに。
「おまえは……」
いとしいという衝動が、激しく込み上げる。
「サリヴァンさま?」
ぎゅっと腕の中に抱き込んで、逃がすまいと閉じ込めた。
この想いはもう止められない。
そう思った。
閉ざされた世界は嘲笑う。
息を吹き返し大地立つ者となったそれは、いとしい者を手に入れて安寧を得た。もう誰にも、それらを否定することはできない。
見よ、ここには確かなものが在る。
閉ざされた世界は高らかに、ひそやかに、開かれた世界を嘲笑う。
楽しんでいただければ幸いです。