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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】
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33 : 閉ざされた世界は嘲笑う。2





 夜になっても、サリヴァンは戻らなかった。

 仕方なくツェイルは眠りについたが、もちろん翌日の朝目覚めても、サリヴァンが訪れた形跡は見られなかった。


 サリヴァンの姿を見ない日々が四日続いたその日、ツェイルは外に出てリリと一緒に剣の稽古を始めていた。サリヴァンの様子や兄のことが気になってなかなか集中できずにいたが、それでも身体を動かせばいい気分転換になる。この頃にはもう身体の調子も戻り、剣を握る感覚も戻ってきていた。


「リリ、あの女性はどうなった?」

「女性? どなたのことですか?」

「わたしを拉致した女性だ」

「ああ……ナルゼッタ侯爵令嬢のことですか」

「そう、その人」


 身体の調子が戻ってきたと同時に、ツェイルは朧げだった拉致されたときのことを一部思い出していた。


「わたしは詳しく存じませんが……爵位の降格があったとは聞き及んでいます。ほかにもいろいろと罰はくだされたようですが」

「ほかにも?」

「はい。ナルゼッタ家は罪を犯しました。罰せられるのは当然です。まして隠蔽工作まで練ったうえでの犯行ですから、言い逃れはできません」


 なんだか大ごとになってしまっているようで、ツェイルは少しだけ申し訳なくなる。

 ツェイルがここにいることで罪を犯す人が出てしまうということは、逆を言えばツェイルがいなければその罪を犯すこともなかったということなのだ。


「なんだか……悪いことをした」

「ツェイルさまは悪くありませんよ」

「だが、わたしがいることで、罪を……」


 言いかけたことを、リリが「いいえ」とはっきりした声で否定してきた。


「たとえツェイルさまがここにおられなかったとしても、ツェイルさまを攫ったというその事実がある限り、そういう性根があったことは否定できません。いずれにせよナルゼッタ家は、罰せられていたでしょう」

「……そうなのか?」

「ええ。ですから、ツェイルさまが気にかける必要はないのです。どうかお心を安らかに」


 深々と頭を下げるリリに、それ以上はなにも言えなかった。わかったと、とりあえず頷いてはみるものの、胸中は複雑である。


「ところで……話は変わりますが、ツェイルさま」

「ん、なに?」

「稽古のことで、思ったことを申し上げてもよろしいですか?」


 ああ、とツェイルは今の状況を思い出した。

 リリにはいつも、剣の稽古をするときに相手をしてもらっている。万能な侍女であるリリは、稽古はつけられないと言いつつも、ツェイルが自分では気づけない悪い癖など、直す必要があるだろう部分をたまに指摘してくれた。小柄なツェイルはどうしてもその身を活かした方法で相手を翻弄しようとしてしまうのだが、リリが相手であるとそれほど体格に差があるわけではないので、同じくらいの体格だからこそ見えてくるものがあるのだ。


「懐に潜り過ぎる、というのは、気をつけているつもりだが……まだ深いか?」

「いいえ、それではなく……少し違和感があるのです」

「違和感?」


 なんだろう、とツェイルは握っている銀の剣を見つめる。

 稽古であるので、銀の剣の刃には嵌め込み型の覆いがしてあり、誤って相手に傷をつけないようにしている。いつもなら訓練用の刃が潰れた剣を使うが、今日は銀の剣でメルエイラ家の型式をリリに見てもらっていた。


「剣を振り払う位置が、いつもより低かったり高かったりと、ブレが生じているように見えるのです」

「……ブレ?」

「はい。お気づきでしたか?」


 ブレ、とは、つまり迷っていたり混乱していたりすると生じるものであるが、こうして稽古の合間にある小休憩以外で、ツェイルは剣に迷いを付加させないよういつも「護る」という想いだけを念頭に剣を揮っている。いくら剣の刃に覆いをしていても、人を傷つけないとは限らないのだ。剣を扱うときはいつも慎重になる。


「どういうブレか、わかるか?」

「……素直に申し上げても?」

「かまわない」


 リリの意見は参考になる。悪い癖がいくつか直ったくらいだ。剣の師と思ってもいいくらいには、ツェイルはリリの観察眼を信用している。


 ただ気になるのは、今日に限ってリリが意見を述べることを躊躇っている素ぶりだ。


「ブレは、僅かです。見慣れたわたしがそう感じるだけであると、それは承知しております。ツェイルさまは身体で剣を覚えていらっしゃいますから」

「うん」

「ですが今日は……いえ、実は稽古を再開されてから感じてはいるのですが……ツェイルさまの視線が、わたしにはないのです」

「……リリに、わたしの視線が?」

「はい。おそらくブレは、そのせいかと」


 稽古をしているとき、相手が必ずしもいるとは限らない。それでも、ツェイルの視線は相手に向けられる。相手の動きを見るのは、それは単に全身で感じるものの補足であるだけなのだが、リリが相手を務めるとき、リリはツェイルになんの感情も向けないので、気配を掴むには目でその動きを捉えなくてはならない。リリのその姿勢は、それも訓練の一つであるから、とくに気にしたことがなかった。


「わたしの視線は、どこにあった?」

「どこ、と訊かれましても困るのですが……いえ、逆を言わせていただきます」

「うん?」

「ツェイルさま、わたしが見えていますか?」


 その問いに、ツェイルはうっかりぎくりと、身体を震わせた。

 知らず背筋に、いやに冷たい汗が流れた。


「なにを言っている、リリ……」


 否定しようとした言葉が掠れ、ツェイルは内心で焦った。自分の顔に表情というものが皆無であることを、これほど嬉しく思ったことはない。


 完璧だと思っていた。

 剣を持ち、身体を鍛えているから、だいじょうぶだと思っていた。

 気づかれるわけがないと、思っていた。

 神経はほかより機敏であるし、それに付随して身体は機能するよう訓練しているから、常に緊張していればそのうち意識しなくなると思っていた。


 けれども人間、やはり利用できるものは利用したくなる。

 役に立たないとわかっていても、使えるものなら使いたくなるし、頼りたくなる。


「……やはり、そうなのですね?」


 リリのその沈んだ声音に、ツェイルは失敗したと思った。

 リリとはいつも気配のない稽古をしている。リリが、ツェイルに殺意にも似たようなものは向けられないと、木のようにただ静かに見守ることしかできないと、そう言ったからだ。ツェイルに怪我をして欲しくないから、できればそういう場所にも行って欲しくないから、だからリリは稽古のとき、ツェイルに感情を向けない。ツェイルの身を案じ、ひたすら観察しているだけだ。


 まさか、リリの観察眼がここまでのものとは、ツェイルも予想できなかった。


「なぜ隠そうとなさるのです」


 ツェイルに寄ってきたリリは、咎めるように、けれどもつらそうに言った。

 リリの手のひらが肩に置かれたとき、ツェイルは思わずびくりと身体を震わせる。そっと、目線が少し上にあるリリを見た。


「この距離で、わたしが見えますか?」


 いつも稽古のとき、一番に見せる心配そうな顔をしたリリがいた。


 ああ、隠しても無駄なのだ。


「……どうして、わかった」


 ツェイルは諦めて俯くと、リリの肩口に額を置いた。


「瑣末なことです。ツェイルさまは戦うということがどういうものであるか、わかっていらっしゃいますからね。目で人の動きを捉えようとはなさいません」


 やはり、リリとの稽古の仕方が、リリにそれを気づかせてしまったらしい。


「本当のところはどれくらい、見えておられますか?」

「……わからない」

「え?」

「わからないんだ……」


 説明に困った。


 ツェイルは、目に違和感を覚えている。見えているものではなく、目そのものだ。

 視力には問題ない。以前より見えていないような気はするが、それは気になるほどのものではなく、また剣を揮うことにも支障はない。


 けれども、目に違和感がある。


「視界が狭まっている、ような気がして……目が、思うように動いてくれない」


 寝込んでいたときは気づかなかった。起きてからも気づかなかった。あれ、と思ったときには、もうそうなっていた。


「すぐにお医者さまを……」

「呼ばないで」

「……、ツェイルさま」

「呼ばないで……お願い、リリ」


 サリヴァンに迷惑がかかる。もうそれだけはしたくない。

 あの雨の日、寝台を抜け出したツェイルを、サリヴァンは必死な形相で追いかけてきた。ふだんから冷静そうなサリヴァンを動揺させただけでなく、怒鳴らせることまでした。あのときツェイルは不謹慎にも嬉しく思ってしまったが、本当なら、一国のあるじをツェイルごときのことで振り回してはならないのだ。


「そのお願いは聞けません」

「……っ、リリ!」


 なぜ、とツェイルは顔を上げて詰めよる。しかし、そこに見たリリの表情は硬かった。


「もっと我儘をおっしゃって、わたしを困らせてくれてかまいません。ですが、その我儘はわたしを困らせるものではないのです」

「なんで、リリ……」


 裏切られたような気がした。ここに来て、一番身近であったのはリリであったから、それはひどい裏切りのように感じた。


 けれども。


「その我儘は、わたしを悲しませるものです」


 リリの顔が、くしゃっと歪む。明るく朗らかな彼女の、その今にも泣き出しそうな顔は、ツェイルが拉致されたのちに救出されたときのものとは別の、心が痛む泣き顔だった。


「……リリ?」

「もっと、頼ってください。目を治せと、命令してください。このままではいやだと、泣き叫んで嘆いてください」


 みるみるうちにリリの茶色い瞳が潤んでいく。


「なぜ、我慢するのです……っ」

「リリ……」

「ご無体なことばかり強いられているのに……どうして、我慢ばかりするのですか」


 ポロリとこぼれ落ちたその涙を見たとき、ツェイルは、己れの過ちに気づいた。


 心配されるのは嬉しい。

 けれども、強い心配はただただ悲しみを与えることと同義だ。そしてその心配は、相手の心を傷つける凶器にもなりうる。


「……ごめんなさい、リリ」

「謝ってほしいのではありません。そのお気持ちがあるのでしたら、お願いですから、お医者さまを呼ばせてください」


 サリヴァンに迷惑をかけてしまう。けれども、こうして心配をかけさせ続けるのも、よいことではない。


 ツェイルは小さく頷くと、リリの柔らかな頬を両手で挟み、その涙を拭った。


「リリ、心配してくれて、ありがとう」

「いいえ…っ…いいえ、ツェイルさま。このリリには、もっと我儘になっていいのです。いいえ、わたしだけでなく、もっと周りを巻き込んだ我儘をおっしゃっていいのです」

「うん……ありがとう、リリ」


 リリを泣かせたくない。リリを泣かせるようなことは、してはいけない。それはリリが大切だから。

 いつのまにかツェイルにとって、リリは家族のようなものになっていた。


「お医者さまを呼びます…っ…いいですね?」

「うん。リリに任せる。けれど……」

「なんです?」

「サリヴァンさまには、もう少しだけ、黙っていて」

「ツェイルさま!」


 違う、とツェイルは首を左右に振る。困らせようと思っているわけではない。


「自分で言う。目が少しおかしいんですって、自分で言うから」

「ですが……」

「わたしのことで、サリヴァンさまのお手を煩わせたくない……その我儘は、聞いてくれないか」


 涙を引っ込めたリリは、ツェイルのその想いに渋面を浮かべたが、とりあえず医師を呼ぶことが先決だと思ってくれたらしい。


「だいじょうぶ。ちゃんと、自分で言うから」

「では約束を。陛下が今度戻られたときには必ず言う、と」

「うん、わかった」

「もし言わずにいましたら、わたしは独断で陛下にお伝えしますから」

「いいよ」


 口許を緩めれば、リリは安堵したようにホッと息をつき、頬に触れていたツェイルの両手を取った。


「お医者さまを呼びますので、部屋でお待ちいだだけますか?」

「ん、わかった」


 繋いだままのリリの手は少し震えていたけれど、ツェイルはおとなしく部屋に戻った。







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