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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】
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30 : 慈雨のなかで。3





 サリヴァンの横顔を見ていて、ふと思ったことがある。


 メルエイラの家は大切だ。

 家族も、仕えてくれている人たちも、みんな大切だ。

 けれども、ツェイルは見つけてしまった。

 本当なら許されることではないけれど。

 望んではいけないことだけれど。

 願ってはいけないことだけれど。

 ああ、ヴィーダヒーデが言っていたのは、こういうことか。

 そう思った。


 己れの気持ちに漸く理解と納得を得ると、ツェイルはそのぬくもりを子守唄に、眠っていた。

 目覚めてから、そこにサリヴァンの姿がないことにはがっかりしたけれども、気分はすっきりとしている。


「ああ、お目覚めのようですね。気分はどうです?」


 そこにいたのは、医師だった。その傍らには、見憶えのある薬湯が置いてある。


「ん? ああ、テューリ嬢には、助言をいただきました。メルエイラ家の医術はすごいですね。わたしもまだまだ勉強しなくては……あ、そういえば名乗っていませんでしたね。わたし、エーヴィエルハルト・カリステルと申します。ハルト、とお呼びください。無駄に名前が長いので」


 よく喋る人だなぁと、ツェイルはうっかり関係ないことを考える。


「……ハルト、さま?」

「はい。以前、祖父とは逢っているとは思いますが、本来はわたしがサリヴァンさまの主治医ですので、お見知りおきください」


 そういえば、サリヴァンが眠り続けていたときに、医師を呼んでもらった。エーヴィエルハルト、ハルトという青年の祖父だったらしい。

 しかし気になるのは、ハルトの家名のほうである。


「カリステル、とは……公爵家の」

「レイル・カリステルは、わたしの父です」


 やはり、上位十二貴族、四公の一つであるカリステル公爵家だ。


「とはいえ、公爵は父であってわたしではありませんから、畏まったりしないでくださいね。三男坊の末っ子なので、けっこう自由に育てられましたから」


 礼儀がよくわからないのです、とハルトは笑った。


「あの……わたしも」

「それ以上は言わないように。あなたは今、サリヴァンさまの婚約者です。わたしは礼儀知らずなので、それをお許しいただきたいだけですから」


 生粋の貴族でもない自分に敬語は不要だ、と言おうと思ったのだが、そこの礼儀だけは通させてもらいますと、笑顔で断られた。どうやらラクウィルのようにはいかないらしい。


「気分はどうです?」

「すっきり、しています」

「目は、見えます?」

「はい。少し、まだぼやけていますが」

「そうですか。さすがテューリ嬢……お逢いしたときは、殺されるかと思いましたけど」

「姉に逢ったのですか……すみません」


 容易に想像できる光景に、ツェイルは申し訳なくなった。

 兄もそうだが、姉の愛情表現もかなり偏っているらしいという認識は持っているので、この状態のツェイルを姉が許すはずもないのだ。


「よい家族ですね」

「え……」

「稀に見る、暖かい家族でした。羨ましいですよ」


 そう言ったハルトの表情に嘘はなく、本当にそう思っているのだと、語っていた。

 褒められて嬉しくないわけもなく、ツェイルはホッとする。


「元気、でしたか」

「ええ。みんな、ツェイルさまを心配しておられたので、リリがいろいろと説明しましてね。サリヴァンさまからの書状も一緒に届けましたので、とりあえずは安心してくれたみたいです。だいじょうぶですよ」


 リリも一緒に出向いてくれたのなら、ツェイルの生活ぶりをきちんと話してくれたことだろう。サリヴァンがどんな手紙を書いたのかはわからないが、それでも安心させてくれるようなものを書いてくれているだろうから、家族に心配はないはずだ。


「サリヴァンさま、は……?」

「事後処理に。今朝までは、ツェイルさまのそばにいたんですけどね」


 視線を外に転化させると、雨の粒が窓硝子に当たっていた。眠ってしまう前も雨が降っていたはずであるから、それほど時間も経っていない気がする。


「わたしは、どれくらい眠っていましたか?」

「ええと……熱が出る前からですと、四日ほど。熱が出てからは三日です」

「……熱?」

「はい。焦りましたよ。どうやら中和薬が合っていなかったようで、状況を説明したらテューリ嬢に殺されかけましたから」

「……すみません」


 たびたび姉の過剰な愛情に申し訳なさが込み上げた。


「ずっと雨が降りっぱなしなので、三日も経っているように感じないでしょうけど、今日お目覚めになったのならもうだいじょうぶですね。テューリ嬢にもそう言われました」


 時間の経過を感じさせない雨は、どうやらずっと降り続いていたらしい。


「もう少し、休んでいてください。ちょうどリリが食事の用意をしていますから、それを食べたら、また、ね」

「もうだいじょうぶです」

「油断は禁物です。ツェイルさまに使われた薬ですが、毒薬にもなるものなんです。よく手に入れられたな、と思うくらいに珍しい薬でもあるんですよ。だから、ここは、ね」


 医師の言うことを聞いてください、とお願いされては、頷くしかない。

 ラクウィルの適当な診察を信じられなくても、医師であるハルトの言葉には従うツェイルだ。


「久しぶり、だな……」


 ハルトが、リリに知らせてきます、と言って寝室を出て行ってから、ツェイルはひとり心地にそう呟く。


 寝込むのは、久しぶりだ。

 兄と同じように頑丈な身体だと思っているツェイルは、憶えている限りでは毒に耐性を作ろうと訓練したときのほかに、こうして寝台から動かないのは片手で数えられる程度のことで、寝込む、ということがなかった。


 おとなしくしているのは苦ではないが、身体を動かしたいという気持ちは抑えられるものではない。

 そろそろと、寝台から起きて床に両足をつけると、ツェイルは立ち上がってふらつきながらもゆっくりと窓辺に歩いた。


「ぎしぎし、する……」


 三日眠り続けたサリヴァンが「身体がぎしぎしする」と言っていたが、本当にそうなるらしいと知った。


 窓に両手をついて深呼吸すると、薄暗い空を眺めた。


「雨……誰かが、泣いている、みたいだ」


 降り続いている、という雨に、なぜかそう思った。

 誰かが泣いている。それはサリヴァンでなければいいけれど、と思う。


 少しひんやりしている窓を押し、あっさりと開いたその向こうへ身体を滑り込ませると、ツェイルは湿り気のある外へ出た。

 潤いを帯びて生気に溢れた植物たちが、青々とその魅力をツェイルに見せつける。

 森が元気なのはいいことだ。そこに住まう生きる者たちを、ときには脅かすこともあるが、今ツェイルが感じているように励ましてくれることもある。


 ふと、その森のなかに人影を見た。


「……サリヴァンさま?」


 ちらりと見えた淡い色の金髪、そして実は華奢な身体の線は、見間違えようのないサリヴァンのものだ。

 ツェイルは周りを見渡し、まだしとしとと降る雨を考え、これくらいなら露台から向こうへ出てもそれほど濡れはしまいと判断して、ゆっくりとした足取りでそこを離れる。


 靴を履いていない足に、心地いい冷気が伝わってくる。

 幼い頃の泥遊びみたいで、少し楽しみながら森へ向かった。


「ツェイ!」


 と、大きな声に、びくりと肩が竦む。


「どこに行く、ツェイ!」


 ツェイルを「ツェイ」と呼ぶのは、サリヴァンただひとりだけである。

 後ろからの呼び声に振り向けば、露台から身を乗り出したサリヴァンが、欄干をひらりと飛び越えていた。


「……サリヴァンさま?」


 森の向こうに見えたはずの姿が、なぜこちらにあるのだろう。

 疑問に思いながら、しかし必死な形相で駆けてくるサリヴァンを、ツェイルは見つめた。


「病み上がりが、なにをしている!」


 言うなり、サリヴァンはツェイルをその腕の中に入れた。


「雨の中外に出るなど、なにを考えているんだ!」

「え……いえ」

「熱が引いたばかりなんだぞ!」


 怒鳴るサリヴァンに、思わず身が竦む。

 思い返してみれば、ツェイルはサリヴァンのこういった姿を見たことがなかった。


「ばかが……っ」


 ぎゅっと抱きしめられれば、そのぬくもりを感じて、心がホッとする。怒鳴られてもそれは変わらないのだなと、ツェイルは思った。


「ごめんなさい……」

「部屋に戻るぞ」


 はい、と頷くと、とたんに視界がグンと高くなった。


「は……、え」


 両足が地面から離れているのだと気づいたときには、ツェイルはサリヴァンの腕に抱き上げられていた。


「さ……サリヴァンさまっ」


 こんな貧相な身体でも、それなりの重さというものがある。

 ツェイルは慌てたが、しかしサリヴァンは気にした様子もなく、しっかりとツェイルを支えた。


「……消えるかと、思った」


 ふと、そんな声がいつもより下の位置から聞こえた。


「おれを置いて、どこかに消えるのかと思った」


 絞り出すようなその声音は、少し震えていて。

 そういえば怒鳴っていた声も、震えていた気がする。


「頼むから、急にいなくならないでくれ」

「……、サリヴァンさま」

「おまえが部屋から消える、その恐ろしさが、これほどのものとは思わなかった……頼むから、おれが見える場所にいてくれ」


 ツェイルを抱き支える腕に、力が込められた。それでも震えている声や、サリヴァンの窺いしれない顔に、ツェイルはふっと身体の力を抜く。


「ごめんなさい」


 三日も寝込んでいたのに、急に寝台からいなくなったら、それは誰でも驚くだろう。

 サリヴァンを動揺させるほどに驚かせてしまったことを申し訳なく思いながら、けれどもそれほどまでに心配してくれたことが嬉しくて、ツェイルはサリヴァンの頭を両腕で抱き込んだ。


 ああ、この人に好かれたら、どんなにか嬉しいことだろう。

 この人に愛されたら、どんなにか幸せなことだろう。


 それは高望みではあるけれど。


 せめてこの、しとしとと降り続く雨だけは、この心を自由に受け止めてくれはしないだろうか。


「ごめんなさい……サリヴァンさま」


 慈雨のなかで、ツェイルはサリヴァンに愛されたいと思った。







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