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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】
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02 : その瞳が語るもの。2





 ルカイアはできる限りのことをツェイルにもすると言ってくれた。そのおかげで、ツェイルはひたすら静かな日々を、後宮で過ごすことができている。

 幾度か妃候補だという姫たちから謁見の申し入れはあったが、ルカイアがことごとくそれらを拒否し、またツェイルが部屋に籠ることで、無駄な争いは避けられていた。


「わたしに、謁見、ですか」


 その日も、未練がましく残っていた姫のひとりから、謁見の申し入れがあった。いつものようにその申し入れはルカイアのところへ届けられたそうだが、なんとその姫はもうすぐ部屋の前にいるそうで、ツェイル就きとなった侍女のリリも困惑していた。


「どうしましょう。姫さまが来られたことも、宰相閣下にはお伝えしたのですが……」

「ルカさまが来られるまで、時間を稼ぐしかありませんね」

「来てくださるでしょうか」

「来てもらわなければ、困ります」


 ここに来て数日、未だルカイアの言う「あのお方」には逢っていない。忙しい時期ではないらしいのだが、少し前から隣国との間に揉めごとが起きていて、そちらの対処に追われているとのことだ。ゆえに、この数日でツェイルは、ルカイアとリリ以外の人に逢っていない。


「ちょっと、まだですの? わたくし、挨拶がしたいだけですのよ? それだけのことに、なぜこうも時間がかかるのですか」


 扉の向こうから、そんな甲高い声が聞こえた。ルカイアの到着を待つまでもなく、突入されてしまいそうである。


「リリ、隠れるところは、ありませんか?」


 逃げてしまえ、とツェイルは簡単に考え、ノリのいいリリが一瞬だけぽかんとしたのち、にんまりと笑った。


「露台の真下は、誰も見ませんの」

「では、リリも一緒に隠れましょう」

「はい!」


 リリはいい子だ。いや、ツェイルより歳上であるから、いい子、では失礼だ。とても面白い、いい人である。

 ツェイルがドレスの着用をいやがれば、リリはどれなら着てくれるのかと模索し、あれこれ見繕ってくれる。よって、今のツェイルの服装は、神官が着用するような長衣に、下衣だ。まったくもって妃候補の娘らしくない、男の子である。姉のようにリリは少し残念がっていたが、生地や色を選んでツェイルに着せたら、なにも言わなくなった。むしろリリは、その男の子のような服装を、好んでツェイルに着せて楽しんでいるようでさえあった。


 よって、ツェイルはそれでいいことにしている。

 ルカイアに求められたのは、メルエイラ家の力。けして、ツェイルの女らしさは求めていない。

 だから、よいのである。

 そういうことにしている。


「ツェイルさま、こちらです」


 リリと仲良く手をつないで、ツェイルは露台に出て、欄干を乗り越えた先、露台の真下に移動する。

 直後、部屋の扉を豪快に開ける音と、それを引き止め損なった侍従の声が聞こえた。


「いないじゃないの! わたくしがわざわざ挨拶に来たというのに、どこへ行ったというの。失礼だわ!」


 あなたの都合になど合わせていられますか、とツェイルは心の裡で悪態をつき、ため息をつく。今日は面倒な日だなぁと思いながら嵐が過ぎ去るのを待った。


 ツェイルが居室として与えられた後宮の一室は、随分と端にある。むしろ端だ。露台から見る庭は広く、木々や草花が無法地帯のようになっていて、森に近い。たまに小鳥が窓辺で歌っていて、どこからか迷い込んだ小動物を見かけることもある。皇城にこんな一角があったのかと、そう驚かせられる居室だ。

 ツェイルは緑の強い場所が大好きであったから、自然に溢れた居室を与えられたことには、感謝の限りである。きょうだいたちに逢えない寂しさや悲しさはあれど、この緑の強さと、能天気で明るい侍女リリのおかげで、多少は慰められていた。


 この日はぽかぽかと暖かい日だったので、リリと一緒に露台の下に隠れて丸くなっているうちに、面倒な姫のことなど忘れかけて、なんだか眠くなってうとうととしていたときだ。


「ああ、ここにいたか」


 そんな声が、頭上からした。なんだろうと思って目を擦りながら顔を上げると、いつのまにか目の前に人が立っていた。面倒な姫に見つかったのかとぎょっとしたが、服装と体格から、その人が男だとわかりホッとする。


「安心しろ。あの姫には強制退去を命じた。もう来ない」


 強制退去。それは部屋からなのか、それともこの城からなのか。どちらにせよもう二度と現われないでくれるなら、幸いである。


「ありがとうございます」


 陽光を背にしたその人の顔はよく見えなかったが、声と口調からルカイアではないことが知れる。同じようにリリもその人が見えていなかったようだが、目を凝らしたあと、慌てて平伏していた。


「リリ……?」


 どうしたのかと思ったら、その人が屈んだことで漸く見えたその顔に、ツェイルは瞠目した。


 淡い金の髪、同じくらい淡くて透けてしまいそうな碧色の双眸、その肌の色さえも透けてしまいそうで、着用している衣裳が見せる幻影か、まるで人間ではないような儚さと、人間であるがゆえの危うさを具現化したような容姿をした男の人だ。


 息を呑んでその人を見つめれば、その人はにっこりと微笑んだ。


「小さいな、おまえ」

「……は」

「露台の下に隠れるなんて、よくできたな。狭くないか?」


 言っていることと、表情が一致しない。そう感じるのはツェイルだけだろうか。


「あ、の……」

「いくつになる?」


 誰なのだろうと、それを問おうとしたら、遮られた。


「え……と、十五に」

「うわ……」


 華麗に微笑んでいたその人は、とたんに顔をしかめた。いやそうなのではない、なにか拙いことでも知ったような顔だ。


「おれ、二十三だぞ……やばくないか、この歳の差」


 なんのことかわからない。


「よい具合の差だと思いますが」


 と、ルカイアの声が降ってきた。どうやら来てくれたようある。


「おまえが連れてきたというから、珍しいとは思ったが……まさかメルエイラ家の娘を連れてくるとは思わなかったぞ」


 その人が、うんざり、とでも言いたそうな顔でルカイアを見上げ、そう言った。


「なんてことしてくれたんだ、おまえは」

「連れてきただけですよ、妃候補として」

「余計なお世話だ」

「それより、ツェイルさまにご挨拶を。初対面でしょう」

「ん……ああ、それもそうか。おれは知っているが」


 その人の視線が、ルカイアから再びツェイルに戻った。


 ドキッと胸が高鳴ったのは、ときめいたからではないと自分に言い聞かせる。その人が、人としてあまりにも危うげで、壊れてしまいそうだと感じたからだ。


「サリヴァンだ」


 その人は、それだけ名乗った。


「このヴァリアス帝国の、国主を任されている」


 それは、つまり。


「……陛下?」


 このヴァリアス帝国の、国主といったら。

 皇帝陛下。

 ルカイアが「あのお方」と呼ぶ、その人だろうか。


「ああ。今は、そういう立場にある」


 サリヴァンと、そう名乗った皇帝陛下は、笑いともつかない顔で肩を竦めると、すっとツェイルに手のひらを差し出した。


「ツェイル、でいいんだな?」

「は……はい」

「手を取れ。いつまでもそこにいては、身体が冷える」


 国主に手を取ってもらうなど、恐れ多くてできることではない。たとえこのお人に嫁ぐのだとしても、それだけは拭い去れない感情だ。


 けれども、ツェイルは。

 国主だという、皇帝陛下だという、サリヴァンという人の危うさと儚さに、その手を取ってでも、ぬくもりを確かめてみたかった。


「……少し、冷たい」

「ん?」


 不敬ながらも、ツェイルはサリヴァンの手に掴まり、露台の下から出ると立ち上がる。

 手のひらを通して伝わってくるサリヴァンのぬくもりは、少し、冷たかった。


「……ああ、手か。悪いな。おれは体温が低いんだ」

「いえ、不躾を申しました。申し訳ございません」


 ツェイルは手を離そうしたが、サリヴァンは握ったまま放そうとしない。どうやら部屋の中へ送り届けるまで、離すつもりはないらしい。


 サリヴァンと手を繋いだまま部屋に戻り、寝椅子に腰かけるまでその手は離れなかった。


「逢いに来るのが遅くなって、悪かった。もう少し早く来ていれば、おまえを帰してやれたんだが……」

「帰す?」

「ルカに攫われてきたようなものだろう」


 知っていたのか、と思う。


「帰してやりたいところだが、しばらくは我慢してくれ。今は己れの身の振りより、国政が大事だ。隣国との問題の話は聞いたか?」

「はい。なにやら揉めている、と」

「おまえにはつらい思いをさせるが、その問題が片づくまでは、ここへは遊びに来たと思って過ごしてもらいたい。終わったら、ちゃんと帰すから」

「え……?」


 どういう意味だろうと、ツェイルはサリヴァンではなくルカイアを見上げた。渋面を浮かべたルカイアは、控えていたところから一歩前に進むと、軽く頭を下げる。


「陛下、ツェイルさまは妃候補にございます」


 ルカイアのそれに、サリヴァンはいやそうな顔をした。


「だから、余計なお世話だと言っている」

「いいえ。陛下には妃を、或いは側室でもかまいません、娶っていただきます」

「ルカ、おれは要らないと言っている」


 サリヴァンの声は本気で、嘘は見られなかった。それから察するに、サリヴァンにとってこの状況は望ましくないことで、また考えたくもないことなのだとわかる。


 ツェイルは、ルカイアの渋面を見つめ、そうしてサリヴァンに視線を転化させた。


「陛下」

「……ん、ああ、おれか」


 この人は、なぜこうも、人としての危うさと儚さを、体現しているのだろう。

 どうしても、サリヴァンの所作一つ一つに、それを感じてしまう。


「わたしは、ここにいます」


 言うと、サリヴァンが目を細め、眉間に皺を寄せた。


 けれども、ツェイルは決めたのだ。

 日蔭者だったメルエイラ家は、この帝国で安寧を得た。その技術は後世に伝えられ、帝国に差し出し続けていても、メルエイラ家はその安らぎを求めた。郷里を求めた。国主に裏切りの疑いをかけられても、それらを求める業が強かった。

 それは今も変わらない。

 再び日蔭者となり、殺したくもない人を殺しながら、帝国に追われ続けたくなどない。

 ツェイルがここにいることで家族の未来が護られるのなら、護ってみせる。

 欲しくもなかったその天恵は、使いたくなくても使わざるを得なくて、そうして実は家族を護っていたことをツェイルはわかっていた。だから、出し惜しみしたところで、それは家族を失うだけなのだ。

 たとえ利用されるだけだとわかっていても、むしろ利用させてやるという意気込みで、この天恵を曝してしまったほうがいい。


「わたしを、そばに置いてください」


 ツェイルはルカイアの一存でここに来た。だから、サリヴァンの言質を取って皇城をあとにしたならば、ルカイアはその刺客をメルエイラ家に送るだろう。用済みとされ、取り潰しとなって、再び流れ者になるしかなくなるだろう。

 曾祖父の代に漸く得た安住の地、すでに流れ者として世界を渡るすべも消えつつあるのに、失うわけにはいかない。このヴァリアス帝国は、メルエイラ家にとってすでに郷里である。ここで生まれ、ここで育ち、これからも生きていく場所だ。

 失えない。


「道具として、お使いください」


 欲しくもなかった天恵で、家族を護れるなら。


「人としての存在意義は、必要ありません」


 この天恵を持ち得たことに、感謝しよう。


 ツェイルは座っていた寝椅子を離れ、柔らかな絨毯が引かれた場所を避けて移動すると、冷たい床に膝をついて平伏した。


「わたしは、ツェイル・メルエイラ、破壊の天恵者。万物を闇に葬る、闇の一族を身に宿した者。その罪を、背負いし者。この力、帝国のために在るべきと考えます」


 サリヴァンが、息を呑んでいた。ツェイルがメルエイラ家の娘であることは知っていたようであるから、メルエイラ家が持つ天恵のこともわかっていただろうに、それをツェイルが隠しもせず口にしたことに驚きを隠せなかったらしい。


 それもそのはずだ。

 メルエイラ家は、自らの天恵を口にしたことがない。仄めかしはしても、はっきりと告げたことは、今まで誰にもないことだ。


 その秘密を暴きツェイルに突きつけたルカイアでさえ、ツェイルの発言には軽く瞠目していた。


「……猊下(げいか)の判断を仰ぐ」


 そう言ったサリヴァンに、ツェイルは顔を上げた。サリヴァンはツェイルを見ていなかった。


「陛下、これはご自分で決められることです」


 ルカイアがなにか窘めたが、サリヴァンはその姿勢を崩さなかった。


「ルカ、言っておくが、おれは要らないと言ったんだ」

「必要です。あなたは今、国主であられる。お世継ぎを、という声は絶えません。それらを聞きたくないのであれば、メルエイラ家の娘を娶るべきです」

「おれの歪んだ道に、ラク以外の人間を引き摺り込めと言うか!」


 サリヴァンの怒鳴り声に、それはあまりにも不似合いゆえ、ツェイルは瞠目した。


 ああ、この人が、人として危うげで儚げで、壊れてしまいそうだと思ったのはこれだ。


「あなたは本当に皇帝陛下ですか」


 威厳はある。

 器量は溢れんばかりだ。

 ルカイアが自分勝手をしてまでも、できることをしたいと思わせただけある、賢帝そのものだ。


 けれども、この人は人として危うく、儚く、壊れてしまいそうだ。


「あなたは誰ですか」


 この人には、己れという、確固たるものがない。

 まるで、誰かのために、皇帝陛下を演じ続けているようだ。


「……おまえ」


 一瞬だけ目を瞠ったサリヴァンは、しかし次にはその美しい顔を歪ませた。

 その歪みさえも美しいと思うのは、きっとツェイルがサリヴァンに対して感じたことへ対しての、心の在り方だろう。


「そうか……おまえには、わかるのか」


 なにが、とは、問えなかった。


「おれは、サリヴァンだよ」


 まるで、おれを皇帝陛下として見ないでくれと、そう言っているかのような瞳をしていた。






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