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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】
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28 : 慈雨のなかで。1





 誰かの声がした。

 真っ暗な闇の中で、自分を呼ぶ声だ。


「……だれ?」


 どこかで聞いたことのある声だ。ツェイル、と確かに自分を呼んでいる。


 けれども。

 どこから聞こえてくるのか、ツェイルにはわからなかった。


「サリよ」


 ふと、真後ろからそう言われて、振り向いた。


「……、ヒーデ?」


 兄の精霊、ヴィーダヒーデだった。


「久しぶりね、あたしの可愛いツェイル」


 相変わらずの美女ぶりで、その豊満な胸に、ツェイルは抱き込まれた。


「……どうしてヒーデが、ここに?」

「ここって……ツェイル、ここがどこかわかっていて?」


 ツェイルはヴィーダヒーデに抱き込まれたまま、真っ暗な闇の中を見渡してみる。


「どこだ?」

「ガルデアがいるところよ」

「……ガルデア?」

「ツェイルに無茶させたから、お仕置き中なの。だから暗いけれど、いつもは明るいわ。ツェイルに合わせる顔がないから、今は暗くなっているだけというのもあるけれど」


 だから、お互いが確認できるだけで、周りは闇に包まれているらしい。


「わたしは、ガルデアに逢ったことはないのだが」

「そうねえ……ガルデア、いつもツェイルには姿を見せないものね」

「ああ……だから、ガルデアのことはよくわからない。本当にわたしの中にいるのかも、わからない」


 ここはガルデアがいるところだ、と言われても、己れの精霊を見たことがないツェイルは、ただ頷くことしかできない。


「ガルデアはツェイルが好きよ。好き過ぎて、どうしようもないの。けれどそのせいでツェイルは代償を支払わなきゃないでしょう? ガルデアはそれが申し訳なくて、いつもツェイルに合わせる顔がないのよ」

「この身体のことか?」

「そうね。こればかりは、あたしたちでもどうしようもないわ。けれど、一つだけ確かなことはあるのよ」


 ふふ、とヴィーダヒーデは笑った。


「あたしたちは、メルエイラが好きなの。本当に、それだけなのよ」


 そう言って笑うヴィーダヒーデは、けれどもその白い双眸に深い悲しみをたたえていた。


「ツェイルたちを苦しめるために、その中に棲家を作ったんじゃないの。あたしもガルデアも、ただメルエイラの人たちとずっと一緒にいたいだけ。幸せにしたいだけ。好きだから、愛しているから、一緒に幸せを感じたいの」

「ヒーデ……」

「……わかってくれて?」


 なにを、とは聞かない。

 ヴィーダヒーデの想いは、兄の精霊であることを知っているからこそ、わかるものがある。


「ヒーデたちは、メルエイラを護ってくれている……わたしは天を恨みはしたけれど、ヒーデやガルデアを恨んではいない。感謝している。むしろ今は、この力があるおかげで、サリヴァンさまのおそばにいられるから……本当に、感謝している」


 だから悲しそうに笑わないで、とヴィーダヒーデの頬を撫でると、ヴィーダヒーデはうっとりと微笑んだ。


「好きよ、ツェイル。愛しているわ。ガルデアも許してあげて」

「もちろん。いつか、ガルデアに逢いたい」

「ええ、そうね。ありがとう、ツェイル。あたしたちの勝手を許してくれて、本当にありがとう」


 そんなことはない、と首を左右に振ると、再び耳に、ヴィーダヒーデのものではない声が聞こえた。


「……サリが呼んでいるわね」

「さり?」

「サリヴァン、と呼ばれていることもあるわね」


 ハッと、ツェイルは周りを見渡した。相変わらず暗闇ではあるが、この声がサリヴァンであるなら、早く逢いたいと思う。


「ツェイル、サリが好き?」

「……え?」

「サリを好きだと、思う?」


 ヴィーダヒーデの唐突な問いに、ツェイルは首を傾げた。


「嫌いだとは思ったことがない。だから、好きなのだとは思う。いとしいとも、思うことがあるけれど」

「……そう、少しは自覚があるのね」

「自覚?」

「いいの、こっちの話。さあ、戻ってツェイル。今度逢うときは、ガルデアも一緒よ」

「ヴィーダヒーデ?」

「また逢いましょう、あたしの可愛いツェイル」


 なにを言わんとしているのか、それを教えないまま、ヴィーダヒーデの姿が遠くなっていく。いや、ツェイルがヴィーダヒーデから離れて行っていた。


 そうして闇に包まれたそこに、眩しい光りが差し込んでくる。

 手のひらで目を庇い、顔を背けつつそちらを見直したとき、ツェイルは自分の身体が浮上していく感覚に捕らわれた。


 ああ、これが目覚めるということだろうか。


 そう思いながら目を閉じて、浮遊感に身を任せた。


「ツェイル……」


 はっきりとした声が、ツェイルを覚醒へと導く。

 同時に、身を包むぬくもりも感じた。


「……サリヴァン、さま?」

「! ツェイルっ?」


 ぼやりけた視界に、サリヴァンの淡い金髪が映る。

 碧い瞳が映る。


「サリ……ヴァン、さま?」


 なぜぼやけて見えるのだろう。

 なぜはっきりと見えないのだろう。


 目を擦ろうとしたら、その手をサリヴァンに掴まれた。


「使われた薬の影響だ。治るのに少し時間がかかる」


 ああ、そういえばあの女性に拉致されたのだった。


 それを思い出して、とたんにあのおぞましい感触が蘇ってくるようで、ツェイルは叫びそうになった。


「もうだいじょうぶだ、ツェイ」


 ぎゅっと、強く抱きしめられて。


「だいじょうぶだ。おれがおまえを護るから」


 優しい声を、耳許に感じて。


「サリ……っ、さま」

「ああ、おれだ」


 自分を抱きしめるこの腕も、優しい声もサリヴァンものだとわかれば、ツェイルは叫ばずに済んだ。


 ホッと、安堵した。

 その深い安心感に、ツェイルはサリヴァンの背中に腕を回してしがみついた。


「サリヴァ、さま…っ…サリヴァンさまぁ」


 どうしてこんなにも、サリヴァンの腕の中は心地いいのだろう。雇い者たちに触られたときはただただ不快でしかなかったのに、サリヴァンとはもっと触れられていたいと思うほどに安堵する。


 やはり自分はサリヴァンに惹かれている。

 いとしいと想う。


「すまない、つらい思いをさせた」


 そんなことはないと、ツェイルは首を左右に振る。

 確かにつらかったけれども、こうして今はサリヴァンが抱きしめてくれている。どうしてこの状況になっているのかは憶えていないが、こうしてサリヴァンがいてくれるのなら、もうつらくはない。


「ツェイ……許してくれ」


 許すもなにも、サリヴァンは助けてくれた。

 もう二度とサリヴァンの剣にはなれないかもしれないと、そう絶望したツェイルを、力強い腕で抱きしめてくれている。

 それに、護るとまで、言ってくれた。


 嬉しくて、幸せで、ただひたすら「サリヴァンさま」と呼ぶことしかできなかった。


 涙が溢れて、さらに声も出せなくなったツェイルが、サリヴァンにただしがみついていたときだった。


「あのー、お取り込み中申し訳ないですけどー……起きたなら、ふたりとも医者に診られてくれませんかぁ?」

「だ、ダンガード侍従長っ!」

「だってそーでしょーリリぃ?」

「わたしは邪魔したくないのにぃ! あ、でもツェイルさまはお医者さまに診ていただかないと!」


 ラクウィルとリリの声に、懐かしさを感じた。


 サリヴァンから少し離れて声のしたほうを見れば、やはりぼやけた視界でははっきりと姿を捉えることはできなくても、ラクウィルらしい白いものと、リリらしい茶と白が見えた。


「……リリ?」

「! はい、ツェイルさま!」


 だだだだっ、とリリが、どうやら寝台にいたらしいツェイルのところに駆け寄ってきて、床に膝をつくとその顔を見せてくれた。


「申し訳ありません、ツェイルさま。わたしがいながら、おひとりにしてしまったせいで……っ」

「……リリ」


 リリの両目は、真っ赤になっているようだった。

 自分がいなくなったことで泣いてくれたらしいリリに、不謹慎なことではあるが嬉しさが込み上げた。


「ごめんなさい…っ…ごめんなさい、ツェイルさま」


 ツェイルはサリヴァンにしがみついていた手を離すと、そっとリリの頬に触れた。


「ありがとう、リリ」

「ツェイルさま……っ」

「ありがとう」


 撫でると、手のひらが濡れた。どうやらリリはまた泣いてしまったようだ。


「ああもう大惨事……まあ、いいですけど」


 姫、とラクウィルもそばに寄ってきた。


「おかえりなさい」


 どうしてかしっくりきたその言葉に、ツェイルは「はい」と答えた。


「ということで、医者、呼びますよ。姫はその目、治すために薬飲まないといけないですし、身体もまだ自由に動かせないでしょう。サリヴァンに至っては、脇腹の怪我を診てもらう必要がありますからね」

「……怪我?」

「そうですよ。姫が目覚めるまで触るな、と言われて今の今まで待ちましたので、強制的に医者に診ていただきます」


 そう言ったラクウィルは、部屋の扉に向かって「入ってくださいー」と声をかけた。

 ツェイルは慌ててサリヴァンに振り向く。


「怪我を?」


 訊ねると、サリヴァンはそっぽを向いた。


「サリヴァンさま」

「……おまえほどではない」


 隠すつもりだったらしいサリヴァンに、ツェイルはさらに慌てた。確かラクウィルは「脇腹の怪我」と言っていたから、自分がしがみついていてはその怪我を悪化させるだけだ。


「なぜ離れる。いいから、くっついていろ」


 まだ掴んでいた片手を離して距離を開けようとしたら、不服そうにしたサリヴァンに深く抱き込まれる羽目になった。


「サリヴァンさま……っ」

「いい。おれの怪我は、大したことない」


 だとしても、痛むはずである。

 押し退けてでも離れようともがくが、いかんせん、どこに力を入れても怪我の悪化を促進させるだけのような気がして、ろくにもがくこともできない。それに、ツェイル自身もまだ、身体を自由に動かせなかった。


 そうこうしているうちに、抵抗にもならないツェイルをサリヴァンは抱き直し、身体を起こすと足の間にツェイルを座らせた。


「軽いな」


 などと笑って言う始末で、まだ自由に身体を動かせないツェイルは項垂れるしかなかった。


 そんなサリヴァンとツェイルの攻防を見ていたのはラクウィルやリリだけでなく、呼ばれてやってきた医師までも呆れて見ていた。


「陛下、ツェイルさまには安静が必要なのです。寝かせて差し上げてください」


 そう医師に言われて、しぶしぶサリヴァンはツェイルを寝台に寝かせたが、そばを離れることはなかった。


「ふむ……やはり治るまで二、三日はかかりますね。頭痛や吐き気はありますか?」

「……少し」

「目は、目薬で少しずつ様子を見ていきましょう。身体のほうは、これは中和薬を飲んでいただくことになります。だいじょうぶ、治りますよ」


 目が見えるようになる。身体も動くようになる。

 それを言われるとホッとした。


 用意された目薬をリリにさしてもらって、粉薬を飲み終えると、医師はサリヴァンに視線を向けた。


「さて、次は陛下ですね」

「おれはいい」


 案の定、サリヴァンは診察を断った。

 だが、それをツェイルが許すはずもなく、ラクウィルや医師たちも同意見だった。


「姫、サリヴァンをじっと見つめてください。それで落ちますから」


 ラクウィルにそう耳打ちされたので、言われたとおりにツェイルはサリヴァンをじっと見つめた。

 はっきりと見えているわけではないが、目薬のおかげでいくらか視界は回復しており、顔の輪郭はなんとなくわかる。


 碧い双眸を、ひたすら無言で見つめた。


「……ツェイ、わかった、わかったから、そんな顔でおれを見るな」


 と、目許をサリヴァンの手のひらで覆われた。

「よしっ」とラクウィルの小さい声が聞こえた気がする。どうやら作戦は成功したようだ。


 ため息をついたサリヴァンが上着を脱ぎ始めて、まさかここでそのまま診察を受けるつもりかと驚いたツェイルだったが、上半身を露わにしたサリヴァンのその肩や腕を、役に立たなくなっている目で見て、瞠目した。


「……傷跡」


 きちんと見えているわけではないが、右側の、肩から肘にかけて、白い肌が茶色に染まっているほど引き攣れたものがあり、それが傷跡のように見えた。しかもその傷跡は、今の目で見てもはっきりとわかる花の刻印らしきものを、真っ二つに両断していた。


「ん? ああ、これか……昔の傷だ」


 サリヴァンは、ツェイルの視線がどこに向けられているのかわかったようで、自分もそこに視線を落として手のひらで撫ぜてみせた。


「この刻印があると知られて……父に斬られた」

「え……?」

「おれにあってはならぬもの、だったらしい」


 花の刻印は、ツェイルの目には、とても美しいものに見えた。おそらくルーフの花を表現した刻印だ。


 それを、あってはならないものと、父親に斬られたという。


 なぜそんなことに、とツェイルは眉をひそめた。

 こんなに美しいものを、なぜ斬ることができたのだろう。


 しかし、サリヴァンは口を開かなかった。

 脇腹の、剣で掠ったような傷の治療を無言で受け、痛み止めと熱冷ましの薬を飲み終えるまで、ツェイルに顔を向けることすらなかった。






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