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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】
28/170

27 : それは赤い花びら。5

暴力描写、流血描写あります。

苦手な方は充分に注意してください。



サリヴァン視点です。





 ルーフ、という白い花がある。

 皇族が好むルーフの花は、初代ヴァリアス皇帝の名がつけられており、一年のうちで雨期がもっとも見頃な、手のひら大の花だ。

 しかしルーフは、ヴァリアス帝国でしか群生せず、品種改良しても、なぜか白くしか咲かない不思議な花である。

 それゆえか、人々はルーフを、天恵の象徴だ、と言うことがあった。


 白いルーフが、色づくときに。


「サリヴァン……ルーフが」


 なりふりかまわず向かった先、ナルゼッタ侯爵家の別邸に辿り着いたサリヴァンは、ラクウィルに促され侯爵家の敷地に群生したルーフを見て、瞠目した。


「……赤いルーフ」


 白くしか咲かないルーフが、赤く色づいている。

 白く咲いていたはずであるのに、すべて赤く染まっている。


 認識したとたん、右腕の古傷が疼いた。


「ぐ……っ」


 赤いルーフを目にしたせいで、ふと過去の記憶が呼び起こされる。


 古傷の疼きを耐えたがためによろめくと、誰かに背を支えられた。


「久しぶりにみたなぁ……赤いルーフ」


 サリヴァンを支えたまま、どこか懐かしそうにツァインが呟いた。


「僕らが天恵を使うと、ルーフが赤く染まるんだよね。だから僕は初めて見たわけではないけれど……」


 赤く染まっているルーフをしばらく眺めたあとに、ツァインはサリヴァンに視線を向けた。


「きみも、初めて見たわけではなさそうだね」


 ルーフは赤く染まることがある。

 サリヴァンはそれを知っているし、見たこともある。これが初めてというわけではない。


 むしろ。


「……いつも見ていた」

「ん?」

「五年前まで、おれはルーフが白く咲いたところを、見たことがなかった」


 ルーフが白い花であると、知識ではわかっていた。けれどもサリヴァンは、五年前まで赤いルーフしか見たことがなかった。

 白いルーフを見たのは、五年前の、先帝であった父が崩御した日の、翌日からのことだった。


 ルーフが白くしか咲かないという根拠は、植物学者たちが今もなお探求し続けているが、稀に赤く染まるルーフを見た人々が「天恵の象徴だ」と言う見解に間違いはないと、サリヴァンは思っている。


「そう……きみも、ルーフに心配されているんだね」


 困ったように、ツァインは苦笑していた。ツァインも、サリヴァンと同じ解釈で、ルーフを見ているようだ。


「だから僕は、きみに忠誠を誓えるのだろうけれど」


 ポンポンと、疼いていた右腕をツァインに撫ぜられる。強張っていた右腕は、ツァインのその気遣いと、隣に並んだラクウィルの苦笑を見ているうちに、ゆっくりと解けていった。


「……行くぞ」

「そうだね。国主自らお出ましになるなんて、ここの貴族には思ってもみない事態だろうけれど」


 くっきりと唇の両端を上げて笑ったツァインだが、その薄紫の双眸は恐ろしく冷え切っている。自分も同じくらいの目をしているのだろうけれども、とサリヴァンも唇を歪めて笑った。


「そんな大層なことにはならないさ」


 言うと、ラクウィルが「そうでもないですけどねえ」とぼやいた。軽口ではないそれに、サリヴァンは肩を竦める。


「おれもひとりの人間だ」


 ツェイルが言っていた。

 あなたはひとりの人間だ、と。

 わたしもひとりの人間だ、と。

 肩書きの前にはそれがあるのだということを、サリヴァンは漸く理解することができた。


 サリヴァンはここに、国主として赴いたわけではない。

 ひとりの人間として、ひとりの男として、わが妻を取り戻しに来ただけである。


「さっさと行くぞ」


 しっかりと己れの足で立つと、大きさだけは一流のナルゼッタ侯爵の邸へと、サリヴァンは歩を進めた。


「……ああ、ツェイルがいる」


 斜め後ろをついてくるツァインが、邸の中へと続く大きな扉を前にしてツェイルの存在を確認する。

 とたんに、大きな木製の扉は轟音を立てて破壊された。

 頬にそよ風を感じながらちらりと横を確認すれば、ツァインの薄紫の瞳が、白く濁っていた。天恵発動の特徴だ。


「……あまり壊すなよ」

「どうして? 邪魔なものは破壊しないと」


 言葉と表情だけ見れば享楽者のようだが、その声は怒りに支配された冷たいものだった。


「僕は破壊にしか、天恵を使えない。ツェイルは、違うけれど」


 言うたび、ツァインは邸の壁や調度品を壊す。いや、一歩進むごとになにかしら破壊している。

 瞳と声は冷めているが、顔には笑みを張りつけてあった。


「へっ、陛下!」


 と、前方から数人がこちらに駆けてくる姿を、サリヴァンは視界に入れた。

 ツァインが周りを壊して歩いたことで、その轟音が邸内の者たちを呼び寄せたらしい。


「……殺していいかな」


 ぼそりと、ツァインは言った。


「無駄な殺生はしないようにねえ、ツァイン」


 聞き洩らさなかったラクウィルが、あくまで制する。ツァインが実際にそう動いたとしても、さしたる問題はないかのようだ。


「無視しろ、ツァイン」

「……邪魔なんだけれど」

「ラクが言うように、無駄な殺生は避けたい」

「無駄じゃないよ。ここの貴族は、僕に殺されたいからツェイルを連れて行ったわけだし」


 まるでナルゼッタ侯爵家すべての者がそう望んでいると言わんばかりに、いや、そうだと確信しているかのように、ツァインは平然と天恵を行使しようとする。


「それに、きみの敵になりたいと立候補している貴族だろう」

「……ツァイン」

「死にたいと願っている者を死なせてやって、なにが悪いの」

「ツァイン」


 サリヴァン以上に怒りでわれを忘れかけているツァインに、サリヴァンは深々とため息をついた。


 できることならサリヴァンも、怒りでわれを忘れたい。いや、この冷静さを考えれば、充分サリヴァンも怒りに支配されている。


「誰も殺すな……あれらには、相応の罪を、贖わせる」


 死ぬよりももっと、過酷なことを。

 死ぬことことすらもなまぬるい、生きる絶望を。


 己れの裡に渦巻く黒いものを、サリヴァンは自覚している。


「退けっ!」


 駆け寄って来ようとする者たちを一喝し、睨みつけ、道を開かせる。

 進むごとにツァインは壁などを破壊していたが、サリヴァンの声になにかしら感じるものがあったのか、「殺すな」という命令には従う理性が残っているようだった。


 周りの者たちなどは一切無視して、サリヴァンは足早に邸内を突き進む。


 そうして。


 ドキドキと逸ったままの心臓を持て余しながら。

 気持ちが逸るせいで落ち着かない己れを宥めながら。

 ともすれば震える身体を叱咤しながら。


 進む廊下の先に、凍りついたように動かない人々の群れを見つけると、急くあまりに躓きながらもそこへ向かって走った。


「ツェイ……っ」


 もうなにも考えなくていい。

 ツェイルのことだけを考えていい。

 いとしいツェイルのことだけを。


「へっ、陛下っ!」


 手前にいた中年の男が、サリヴァンに気づいた。


「お、お待ちください陛下! ここは危険にございます!」


 行く先を阻まんとする男を無視するも、そのまま違和感が残っている右腕の肩を掴まれ、足止めされる。

 触れられたそのことに不快さが込み上げ、払い除けようとするが、その前にツァインが天恵を使って男を弾き飛ばした。


「ぐあっ!」

「……ん? ああ、なんだ、僕のツェイルを厄介者扱いした貴族じゃないの」


 ツァインの天恵で壁に激突した中年の男は、ナルゼッタ侯爵家当主ケネスリードだった。

 サリヴァンはケネスリードを一瞥し、その双眸に浮かんだ困惑や絶望などの感情を垣間見る。


「……ツェイルなる者はここにはいない、だったか」

「はっ……?」

「娘が城を辞し、帰宅しただけのことである……とか」

「……っ、そ、それは……っ」


 ケネスリードがラクウィルの探りに対し、答えた言葉だ。

 サリヴァンは視線を前方に戻して、突然現れた国主の姿を見てさらに硬直した者たちを横目に見、その向こうから漂ってくる匂いに目を細めた。


「これはいったいどういうことか?」


 赤いものが見える。

 視力に問題はないサリヴァンにそう見えるのだから、あれは間違いなく赤い血だ。

 そして破壊された扉や壁も、ツァインの天恵を見たあとだからこそ、同じ天恵によってそうなったのだと思わせる倒壊の仕方をしていた。


「こっ、これはっ」

「ヴィーダヒーデ」

「はっ?」

「出ておいで、ヴィーダヒーデ」


 サリヴァンの言葉ではない。

 ツァインだ。

 振り返って見ればその肩に、妖艶の美女がしなを作って絡みついていた。


「ガルデアの様子は?」

「駄目ね……あたしがここにいるのに、ガルデアったら、気づいてくれないもの」

「じゃあ、ガルデアはきみに任せよう。ツェイルから引き剥がして」

「一時的になるわよ? ガルデアはツェイルが好きだから」

「それでいいよ。とりあえずガルデアさえ落ち着かせてくれたら」

「そうね。あたしの可愛いツェイルに無茶させるガルデアには、お仕置きが必要だもの」


 白以外の色を持たない妖艶な美女は、するりとツァインの肩を離れると、サリヴァンのそばに寄ってきた。


「久しぶりね」


 サリヴァンは美女と、顔見知りだ。

 真っ白な彼女は、ツァインの精霊である。


「……おまえが出てくるほどのことか」

「あら、あなたはガルデアを知らないでしょう? あたしがいなくちゃ、あそこに飛び込んでも殺されるだけよ」

「ガルデア、とは?」

「ヴィーダヒーデ=ヴィーダガルデア。それがあたしたち。ガルデアはあたし、あたしはガルデアよ」


 にっこりと笑んだ妖艶な精霊、ヴィーダヒーデは、サリヴァンの手を取ると前へと促した。


「ガルデアがあたしの可愛いツェイルに無茶をさせているわ。だから、お仕置きしなきゃいけないの。あなた、手伝ってくれるかしら」

「ツェイルがこの手に戻ってくるのならば」

「あら、ツェイルはあたしのよ。あなた、欲しいの?」

「欲しい」

「……考えといてあげるわ」


 ふふ、と笑ったヴィーダヒーデに促されるまま、サリヴァンはゆっくりと、しかし確実に前へと進み、血溜まりとなっている場所まで足を運ぶ。


 血溜まりの中には、人間の手足や臓物がある。

 かつてひとりの人間であっただろうそれらを見やり、サリヴァンは一瞬だが眉をひそめ、通り過ぎる。匂いがもっとも充満している場所まで来ると、足を止めた。

 昨晩の夜会で見かけたアルミラがいたような気もするが、声をかけられても、サリヴァンの意識はそれらをすべて無視していた。


 ヴィーダヒーデがするりとサリヴァンのそばを離れ、まるで吸い込まれるようにして倒壊した部屋へと姿を消す。

 その姿を追って、サリヴァンは急速に身を包む安堵感に、目を細めた。


 ああ、やっと見つけた。


「ツェイル……」


 寝台の上で、薄紫の双眸を白く濁らせ、ぼんやりとこちらを見ているツェイルを、サリヴァンは見つけた。


 そして、息を呑む。


 それは赤い花びら。

 いとしき者を心配する、赤い花びら。

 本来は白く在りしもの、しかし天恵の象徴でもあるそれは、ときに赤く染まって同じものを心配する。その危険を知らせる。


 白いルーフが赤く色づくとき、天は恵みを与えた者を、護らんとする。


「ツェイ……っ」


 ああ、なんてことだ。

 詰め襟の質素な白い衣装が、その身を護る肌の色まで曝すほど、ぼろぼろになっていた。襤褸となったその衣装は血の色に染まり、その色を吸い過ぎて変色までし始めている。

 なにがあったのかなど、それを見れば一目で状況を知ることができた。


 なんてことだ。


 込み上げるどす黒い怒りと、それを凌駕するいとしき者への想いが、サリヴァンの足を動かした。


「ツェイっ」


 一歩踏み出せば、突風にも似た衝撃が身体を襲う。

 それでも、歩みは止められない。


「ツェイ…っ…ツェイ」


 両腕を伸ばし、まるで縋るかのように駆け寄れば、ぼんやりとしていたツェイルにも反応があった。


 視線が彷徨っている。


「ツェイ、おれだ、ツェイ」


 伸ばした両腕で、その中にツェイルを捕まえる。一瞬びくついて強張った身体は、しかし強く抱きしめると、徐々にその警戒を解いていった。


「……サリ……さ、ま」


 ことりと、肩にかかった軽い重みに、サリヴァンはさらに強くツェイルを抱きしめた。


「ツェイ……っ」


 なんてことだ。

 なんてことだナンテコトダなんてことだ。


 この手にツェイルは戻ってきた。けれども、ツェイルがまとったこれは、いったいなんなのだ。


 胸に、腹に、どろどろとした黒いものが溜まる。


 こんなにもツェイルが、己れの中で一番大きな存在になっていたなど、知らなかった。

 こんなにも、こんなにもツェイルが、いとしくてならないなんて。


 ルーフを赤く染め上げた者が憎くてならない。


「ツェイ、おまえはもう、おれから逃れられないぞ」


 意識を手放したツェイルに、まるで泣いているかのような声音で告げる。そのまま抱え直して立ち上がると、サリヴァンはゆっくりと振り返った。

 ラクウィルが無表情に、ツァインは恐ろしい笑みを浮かべ、そこに控えていた。


「帰るぞ」


 低い声でそう告げれば、ふたりは揃って黙ったまま右手を胸に添え、頭を下げた。







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