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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】
23/170

22 : この手のひらに。3





「サリが嫌いな人間の車、外にある」


 サリヴァンは、ラクウィルにひっついている火精霊のマチカの声で、机から顔を上げた。


 ヴェルニカ帝国からの使者に目通ったあと、サリヴァンはそのままルカイアに引っ張られて執務室に閉じ込められていたが、少ししてラクウィルが火精霊を身体にひっつけて現われたので、昨夜の襲撃事件の報告を聞いた。

 やはり襲撃者が公子を狙った刺客であることは、当然だが判明した。

 サリヴァンとツェイルを狙った刺客は未だその正体を掴めていないが、大方の予想はついている。先にまだ生きているふたりの刺客の対処を考えねばならないので、死亡した刺客のことは後回しにされた。


 そんなとき、火精霊が窓から外を見て告げた。


「商人の車に見えますがねえ……マチカちゃんは、サリヴァンが嫌う人間の車に見えるわけですか」

「気配は隠せない。それに、マチカも嫌いだもの」

「ふむ……マチカちゃんも嫌いとなれば、ナルゼッタ侯爵ですかね」


 どうです、とラクウィルに訊かれ、サリヴァンは机を離れて窓辺に寄り、そこから眼下を見た。確かに、ラクウィルが言った通り、皇城に出入りしている商人の車に見える。

 しかし、それならこの位置から見えるはずもない。

 サリヴァンの執務室は、城の中央にある棟の最上階だ。窓から見える眼下は、皇帝は除外の上位十二貴族のみ、許可がなければ通れない門である。皇城に出入りしているとはいえ、そう易々と商人が入れる場所ではない。もし入れるとしたら、それは上位十二貴族の誰かが、許可を得たうえでサリヴァンに献上する品を持ってくるときだけだ。


「……ルカ、許可したのか」

「いえ、憶えはありません」

「ちっ……またナルゼッタの勝手か」


 皇帝の私有地をわがもの顔で歩くあの貴族は、やはりここでもその態度を変えない。他の貴族たちが真似をしないのが救いと言えるが、それでも示しがつかないことだ。

 いい加減、己れの愚かさを知ってくれないものだろうか。

 ツェイルを侮辱したこともあるし、そろそろ粛清に取りかかったほうが賢明かもしれない。


「ほかの宰相たちに、わが許可なくば入れぬところへの入場を禁ず、と」

「御意」

「あと、シェリアンに送る兵は、定刻通りに出立させていい。部隊の指揮も騎士団白軍大将に任せる」

「わかりました」

「おれは一度、ツェイルの様子を見てくる。ツェイルに部屋から出ぬよう、念押しする必要がありそうだ」


 ついでにツェイルと昼食を摂ろう、と考えて、サリヴァンはルカイアが部屋を出て行ってからもう一度眼下を見て、車が走り出したのを見届けるとそこを離れた。


 執務室を出ると、自然、足早になる。


 昨夜の夜会には、ナルゼッタ侯爵の娘、アルミラが来ていた。夫人の名代、ということではあったが、侯爵の態度を見ればそうではないことくらいわかる。アルミラは後宮に滞在している姫のひとりなのだ。つまり、妃候補である。昨夜の夜会に妃候補は出席できないのだが、母が前皇妹殿下であるため、その権力を振りかざしたというところだろう。

 侯爵夫人はアルミラを名代にして、来ていなかった。


 ツェイルを侮辱したのは、アルミラであるとサリヴァンは確信している。宝石がどうこうという話を聞いていたので、あの夜会で宝石を身にまとっている愚か者を探しておいたのだ。皇族が、いくら夜会でも宝石を身にまとうことをあまり好まないと知っている上位十二貴族たちは、ああいう場では着飾ってもせいぜい衣装の刺繍が派手になるくらいで、宝石をまとう者は少ない。その中で一際目立っていたのが、宝石を散りばめた赤いドレスを着たアルミラだった。一目で、アルミラがツェイルを侮辱した貴族だとわかった。


「ラク、侯爵夫人はどうしている」

「今のところは、邸でおとなしくしているみたいですよ。というか、あの人もともと意志薄弱で、だから来るたび私有地の森をうろちょろして、あなたに助けを求めていたと思いましたけど?」

「今さらおれにどうして欲しいのだか」

「同じく」

「自分で侯爵に惚れて降嫁したくせに、それを忘れたとしか思えないな」

「知らぬうちに水面下で勢力が作られた、とか思ってるんじゃないですか?」

「はっ。《真実の眼》を持っていながら、呆れた言い訳だよ」

「そうですねえ」


 なぜこうも父の代は腐れた者が多いのだろう。愚か過ぎて言葉もない。養父に育てられてよかったと、心底思う。


「ん……サリ、なにか変だよ」


 ふと、ラクウィルにひっついたままだった火精霊が、サリヴァンの私室がある棟に入ったとたんにそう言った。


「なんのことだ、マチカ」


 火精霊はぐるりと朱い瞳で周りを見渡し、小さく首を傾げる。


「姫の精霊が感じられない」

「……は?」

「姫はマチカたちの仲間みたいなものだから、姫の気配がちょっとわかるの」


 ラクウィルを真似してツェイルを姫と呼ぶ火精霊だが、言っている意味は理解しかねるものだった。


「ツェイルが、おまえの仲間みたいなもの?」

「マチカみたいな精霊が、いつでも好きなときに呼び出してもらえるように姫に同化しちゃってるみたいだから、仲間みたいなもの」


 サリヴァンは歩みを止め、瞠目した。


「闇の一族、ではないのか」

「あー……姫の精霊は、人間にとっては闇の一族かも」

「なんだと?」

「精霊は、穏やかな性格をしてる者が多い。でも、稀に攻撃性が強い者もいるの。マチカも、ルーフェもそうだけど、攻撃性が強くなると、ふつうの精霊ではいられない。姫の精霊は、マチカと同じ、攻撃性の強い精霊。だから、人間は闇の一族と呼ぶこともあるみたい」


 そういう意味での、闇の一族を身に宿している、ということだったのかと、サリヴァンは漸く理解する。


「攻撃性の強い精霊は、人間を嫌う。マチカも最初はラクウィーが嫌いだった。今は大好きだけど。サリも好きになった」

「なぜ、嫌う?」

「さあ。ただ嫌いなの。だから、魔をけしかけて街を襲うこともある。人間たちは、そういうマチカたちを、闇の一族と呼ぶみたい」


 基本は穏やかな精霊でも、稀に攻撃性の強い、人間を激しく嫌悪する精霊がいて、そういった精霊を闇の一族と総称するようだ。


「それで、ツェイルの場合は攻撃性の強い精霊と同化していると、そういうことか」

「珍しいけど、稀にあるの。人間を嫌悪してた分、気に入るとその反動が大きくなる。マチカもルーフェも、ラクウィーに同化したいとは思うけど……同化すると子孫にも残るの。マチカとルーフェは、ラクウィーが好きなだけだから、ずっとラクウィーだけでいいから、同化はしないの」

「精霊が同化したツェイルは、永劫的でもいいと思われるくらいには、血族を気に入られたわけか」


 まるで永遠の恋人みたいだな、と思って、苛めく。ツェイルはわが妻となる娘なのに、精霊に邪魔をされている気がしなくもない。


「で、ツェイルの精霊が感じられないとは、どういう意味だ」

「そのまま。いないの」

「いない?」


 ツェイルには、ここから動くな、と言っておいた。ツェイルのことだから、律義にそこを動かず、サリヴァンの寝室にいるはずだ。様子を見るまでもないとはわかっていたが、今朝は放り投げた状態でそう言ったので、気になったのだ。

 それに、いとしい者だ。いつだってそばにいたいし、そばにいて欲しいと思う。


「……部屋から出たか」

「違う」

「なに?」

「いないの。この棟のどこにも」


 まさか、とサリヴァンは息を詰める。


「中央にも、いないのか」

「待って。ほかの精霊に訊くから」


 ふわっとラクウィルから離れた火精霊は、どこを見るともなく周りを眺め、窓の向こうで視線を止めた。


「このお城にいないみたい。慌てて外に出て行ったって、言ってる。車に乗ったみたい」

「……っ、早くそれを教えないか!」


 怒鳴ると、火精霊は怪訝そうな顔をした。


「マチカは、ラクウィーが大切。だから、ラクウィーに望まれたことになら、手を貸す。マチカはラクウィーに、姫に気をつけておくように頼まれたから、気をつけてた。それでも限界があることは、伝えた。属性が同じ精霊ではないもの」


 難しいこと言わないで、と言われたら、なにも言い返せない。


 サリヴァンは低く舌打ちすると、急いで私室に向かった。


「ツェイ!」


 私室の扉を勢いよく開け放ち、そこに姿が見えないと寝室へと飛び込む。


「ツェイ、どこだ!」


 やはり寝室にも、ツェイルの姿はない。

 名を呼びながら至るところを捜すも、どこにもその姿が見えない。


「サリヴァン、マチカちゃんがいないって言ったら、いませんよ。早くあの車を追いかけましょう!」

「ツェイ! なぜだ……なぜツェイを攫う!」

「サリヴァン!」


 いとしい者の姿がない。

 それは、自覚したばかりの想いだからこそ、全身から血の気を引かせる事態だ。


「ツェイ、ツェイ……っ」

「サリヴァン、落ち着いてください。だいじょうぶ、姫は天恵者です。己れの身は護れる。それに、犯人はナルゼッタ侯爵ですよ。あの車は、あなたが嫌う人間のものだって、マチカちゃんが言ったでしょう」


 恐慌状態に陥ったサリヴァンの肩を、ラクウィルががっちりと掴んで言った。


「ナルゼッタ……なぜナルゼッタが、ツェイを攫う」

「あなたの婚約者になったから、でしょうね」

「ツェイにとって不本意であることは、周知のことだっただろう!」

「関係ありませんよ。なにせあなたは、姫と共寝しちゃったんですから」

「おれがツェイに惚れたから? だからといって、なぜツェイを攫う必要があるんだ」

「まあ、言わば女の嫉み、でしょうかね。お忘れですか、サリヴァン。ナルゼッタ侯爵の娘は、あなたにぞっこんです。もちろん、皇妃という座が欲しいがゆえに、ね」


 瞬間的に、頭にカッと血が昇った。


「後宮にいる者を退去させろ! あんなもの潰してしまえ!」

「そうですね。姫を取り戻したら、後宮を潰しましょう。ええ、そのとおりですね、サリヴァン」


 肩で息をしながら激怒したサリヴァンを、ラクウィルはぎゅっと抱きしめ、体温を感じる間もなくすぐに離れた。


 火精霊マチカに頼んで呼びに行ってもらっていたルカイアが、リリと一緒に部屋へ駆け込んでくるところだった。


「なにごとです、ラクウィル」

「リリから聞いていませんか。姫が攫われたと」

「部屋から消えたとは聞きました。攫われたとは?」

「ナルゼッタ侯爵家ですよ」

「……では、あの車に?」

「そのようです。ちょっとの間、サリヴァンを頼みますね。おれは、マチカちゃんとルーフェさんと、車を追いかけますから」

「身体はだいじょうぶなのですか? 風術師を動かしたほうが」

「おれの称号は、サリヴァンに在ります」


 ルカイアの言葉を切ると、ラクウィルは風のような速さで部屋を出て行った。


 少しの沈黙ののち、リリが、床に平伏した。


「申し訳ございません。わたしが、おりながら……ツェイルさまを」


 リリの謝罪を、サリヴァンは無感情に聞く。今は余裕がなかった。リリに罰則を与えることすら、考えつかなかった。


「リリの失態は、わたしの失態です。ですが陛下、今はその罪を問われている場合ではございません。シェリアン公国へ兵は出立致しました。昨夜の宣言も、公表されたところでございます。多くの臣民が動揺するでしょう。陛下にはその対処をしてもらわねばなりません」


 そんなことはわかっている。言われなくても、そのつもりでいた。

 だが、それはツェイルの姿が消える前までのことだ。


「ツェイが先だ」

「陛下」

「ツェイを取り戻してからでも遅くはない」

「あなたは国主であられる。政を厳かにすることは、当然の義務です」

「ツェイはおれの妻になる娘だぞ!」

「ゆえにツェイルさまであったと、おわかりいただきたい」


 瞬間的に、サリヴァンは思考が停止する。


「……なんだと?」

「国主が妻のことで惑わされてはなりません。地位に溺れることなく、たとえ命を危ぶまれることがあってもそれらを乗り切り打破する者であることが、国主の妻となりえます。ツェイルさまはその条件に一致する、唯一の女性でした」

「……おまえ、それでメルエイラ家の力を」

「もちろん、それだけの理由ではありませんよ。ですが、あなたの妻となりえる者が、ツェイルさま以外におられないということだけは、はっきりとしています」


 ルカイアが言っている意味は、わかる。だが、それは完全にツェイルを無視したことで、サリヴァンの想いを無視していることでもあった。


「ツェイルさまならご自分の身を護れます。あとはラクウィルに任せてもよいでしょう。あなたが今すべきことは、臣民への対応。そしてナルゼッタ侯爵家の対処です。さあ、行きましょう」


 今日ほど、己れが今いる立場を、疎ましく思ったことはない。完全にルカイアの術中にはめられていることが、疎ましくてならない。


「おまえはおれに、ツェイを見捨てろと、言うのか」

「そう聞こえましたか。わたしは、あなたが動揺するほど心配する必要はないと、申し上げたつもりですが」


 なんて宰相だと、罵りたい。

 国主であることと、いとしい者を天秤にかけさせるなど、なんて苦しい選択をさせるつもりなのだ。


「……おれは、ツェイがいとしい」

「存じておりますよ」

「なら、わかれ。おれはツェイを取り戻しに行く」

「なりません。ツェイルさまのことはラクウィルに任せるべきです」

「いとしい者ひとり護れず、国主が務まるのか!」

「務まらずとも、あなたは国主であられる。その刻印が、右腕に根づいておられる」


 言われた瞬間、ずぐん、と右腕が疼いた。

 震えた右腕を、咄嗟に押さえつけて拳を握る。


 それまで無表情であったルカイアは、サリヴァンのその様子を見て、にっこりと微笑んだ。


「さあ行きましょう、陛下」


 その悔しさに、サリヴァンは、拳を強く握ることしかできなかった。


 この手のひらには、護りたいものを、いとしい者を、護れるだけの力がないのだろうか。







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