17 : 心を閉じて小さな声で。4
わずかですが流血描写があります。
苦手な方はご注意ください。
響いた悲鳴に、ツェイルは瞬間的に警戒し、背に隠れている銀の剣の柄を握る。視線を巡らせ、発生源を探すも、探すまでもなく公子がいる場所からだとわかった。
「ラク、公子を」
まるで予期していたかのように、サリヴァンは冷静だった。ラクウィルにその指示を出すと、ラクウィルはサリヴァンの命令に従い、人だかりの中に単身で突っ込んでいく。その手には剣が握られていた。
剣が交り合う鈍い音が響くと、さすがに皆が気づき、逃げ出して散らばっていく。
ツェイルはサリヴァンに肩を掴まれ、身体を引っ張られた。気づけばその腕の中である。
「とんだ夜会だな」
「そのようです……サリヴァンさま、どうかお放しを。わたしはあなたの剣です」
「それは最終手段だ。そのためのおまえをそばに置いているわけではない」
「ですが……っ」
剣が交り合う鈍い音に、悲鳴、それらが講堂を響かせている。人だかりが減り、ラクウィルのその姿と、ルカイアに護られた公子が見えた。
「やはり、紛れ込んでいたようだな」
ラクウィルが剣を交えているのは、ふたり。どちらも貴族らしい豪奢な衣装をまとっている。ラクウィルに押されているように見えるが、二対一では分が悪い。
「助勢を……っ」
「必要ない」
「なぜ!」
騎士は控えている。こういうときのための護衛であるはずの騎士は、しかし動かずに緊張した面持ちで武器を構えているだけで、動こうとしない。
「巻き込まれるだけだ。ラクは、それほど手加減できる人間ではないからな」
「手加減……?」
「見ていればわかる」
サリヴァンはあくまで冷静だ。それは努めているのではなく、核心している。
ツェイルはじっと、ラクウィルの戦闘を見つめた。
そこに、見慣れないものを、見つける。
「……、あれは」
ラクウィルの隣に、いつのまにか少女が立っている。それも、朱い少女。髪も衣装も、肌以外のすべてが燃えるような朱で包まれている。
さらに、瞬いたあとには、しとやかな女性が、こちらは肌以外の全身を茶色のものに包んだ女性だ。
朱の少女が、ラクウィルの剣に、炎を宿らせた。
茶の女性が、ラクウィルの左手に手を添え、重なった手のひらが床につくと、ふたりの襲撃者の足許を崩した。
動きを封じられた襲撃者ふたりに、炎を宿らせたラクウィルの剣が斬りかかる。あっというまに炎に包まれた襲撃者ふたりは、悲鳴を上げた。そうして、倒れる間際、炎が鎮火する。
不思議なことに、漂うはずの焼ける匂いが、しなかった。
「サぁリヴァーン、無事ですかあ?」
ラクウィルの、いつもの能天気が講堂に響いた頃、漸く皆の緊張に一息が入った。
「公子は?」
「無事ですよー」
「なら、いい」
本当に、サリヴァンは冷静だ。過ぎるのではかいかというほどに、焦ってもいない。淡々と、無表情をそちらに向けている。
「わかって、おられたのですか」
「予測はしていた。だが、まさか本当に仕掛けるとは、思っていなかった」
とりあえず驚いてはいるらしいが、ツェイルほどではないようだ。
「公子の命を狙ったのですか?」
「そうとしか考えられまい。だからラクを、連れてきたのだしな」
「……そういえば、先ほどの」
公子に無事の確認をしているルカイアと、やはり少女と女性をそばに置くラクウィル。
幻覚ではない。
「精霊だ。火精霊マチカと、土精霊ルーフェ」
「やはり、精霊……でしたか」
「ああ」
「では、ラクウィルさまは……天恵者?」
「そうだ」
騎士っぽく見えて当然のようだ。
天恵術師であるなら、その地位は騎士と並ぶ。
しかしながら、ラクウィルもツェイルと同様、法則から外れた天恵者のようだ。
「二つの属性天恵を、お持ちなのですね」
それは、代償を支払っていると、いうことだ。
ラクウィルがそうだから、サリヴァンはツェイルのことも、わかったのだろう。
「……ラクが背負っているのは、それだけではないがな」
「え?」
どういう意味だ、と問おうとして、サリヴァンが移動を始めてしまう。
腕の中に捕らわれたままであることを、ツェイルはこのとき漸く思い出した。
「サリヴァンさま、お放しを」
サリヴァンが歩くから、ツェイルも一緒に歩くことになる。けれども身体がサリヴァンに密着し、どうにも歩き難い。
「離れるな」
「ですが……」
「まだ終わってない」
「……まだ?」
そんなわけがない、と思う間もなく、講堂の窓硝子が派手な音を立てて壊れ、黒い衣装に身を包んだ侵入者を迎え入れてしまった。先ほどまでサリヴァンとツェイルが立っていた場所だ。
脅威はまだ去ってはいない。
第二波の刺客か、とツェイルはサリヴァンの腕の中で身じろいで、銀の剣の柄を握る。
状況から考えて刺客が狙うのは公子かと思われ、サリヴァンもそのように考えていたようではあったが、なんと刺客は、迷うことなくサリヴァンとツェイルに突っ込んできた。
「下がれ、サリヴァンっ」
咄嗟に、不敬を承知でサリヴァンを押し退け、剣を鞘から抜くと構えた。近衛騎士が駆け寄ってくる姿が視界に入ったが、おそらくは間に合わない。
迎え撃つ。
ツェイルは床を蹴った。
「やめろ、ツェイル!」
サリヴァンの制止が聞こえた。
けれどもそれは、ツェイルにとって今さらなことで。
ツェイルの剣と、刺客の剣が、どちらからともなく鈍い音を出しながら混じり合った。
ああ、殺し合いの剣だ。
久しぶりの実戦だ。
ツェイルは、己れが持つその天恵ゆえに、こういう殺し合いの剣は、実のところ初めてではなかった。むしろその天恵ゆえに、そういった場に身を置いていなければならなかった。
幾度、この人生を呪ったことだろう。
幾度、この天恵を持ち得たことを、恨んだことだろう。
幾度、天恵を与えたもうた神を、罵ったことだろう。
幾度、その虚しさに嘆き、泣いたことだろう。
いつからか、ツェイル天恵に振り回されて生きることに、諦めを持った。この力で家族を護れるのだ、これは誇りだと、そう自分に言い聞かせて、天恵を使うことに躊躇いを持たなくなった。
今も、躊躇いはない。
たとえ、そのせいで喜怒哀楽の反応が薄くなっていても、この天恵で護りたいと思うものを、護ることができる。
だから躊躇わない。
ツェイルは銀の剣の柄を握った手に、力を込めた。
詠唱など要らない。
思うだけで、天恵は発動する。
幾度か刺客と剣を交わし、頃合いを見計らって重い一打をなぎ払ったとき、その勢いのまま、天恵が発動した。
パンッ、となにかが破裂する音。
「…っ…ぎゃぁああああぁあ!」
耳を劈く刺客の断末魔が講堂中に響いたとき、ツェイルは肩で息をしながら、白い衣装を赤く染めていた。
ツェイルの周りは赤く染まっている。鉄錆の匂いが充満している。刺客が、全身を針のようなもので細かく刺され絶命した状態で、ツェイルの目の前に倒れている。
誰かを殺した、という感覚はなかった。
誰かが死んだ、という感覚もなかった。
ただ、なにかが壊れたという、感覚があった。
けれども。
「ツェイル……」
誰かがわたしを呼んでいる。わたしを、わたしたらんものとする人に、呼ばれている。
振り向くと、サリヴァンが泣きそうな顔をして立っていた。
瞬間、ツェイルはわれに返る。
足許の赤いものを見て、握った剣を見て、血溜まりの中にいる己れの凄惨な姿を見て、絶句した。
「……ぁ」
わたしは人を殺した。
人を、死なせた。
護りたいものを護るために、誰かの死を犠牲にして、生き延びた。
「ツェイル」
サリヴァンに呼ばれて、びくりと、身体が震える。
なにを言われるか恐怖した。
立ち去れと言われるのかと、やはりおまえなど要らないと言われるのかと、恐怖した。
「ツェイル……おいで」
その言葉に、ツェイルはハッと瞠目する。
「おいで、ツェイル」
優しい声だった。
今にも泣いてしまいそうな顔をしているのに、広げた両腕はツェイルを待っている。
「おいで」
声に、涙が込み上げた。
その優しさに、たまらなく、安堵した。
「サリヴァン、さま……っ」
ツェイルは俯き、涙をこらえ、拳を握る。
「ごめ……な、さ……っ」
あなたはこんな力を、望んでいない。
それでも、わたしはあなたを護りたかった。
こんな力で、ごめんなさい。
「ごめんな、さい……ぃ」
いくら涙をこらえようとしても、どういったわけか、涙は次から次へとこぼれ落ちる。ぽたぽたと、足許の血溜まりに落ちるそのさまは、己れの傲慢さを表わしているようだった。
「ツェイル」
動かないツェイルに痺れを切らしたサリヴァンが、目の前に来た。
ごめんなさい、と紡ごうとして、言う前に、ぬくもりがツェイルを包む。ぎゅっと強い抱擁は、こらえようとしていた涙を、増長させた。
「無茶をしてくれるな」
頭に頬を擦り寄らせてきたサリヴァンの、ホッと安堵した吐息を感じたとたん、もう涙はこらえられなかった。
「サリ、ヴァ……さま」
握っていた銀の剣の柄を放し、サリヴァンを汚してしまうのに、ツェイルは両腕をサリヴァンの背中にまわしてしがみついた。
「ああ、ツェイル……もうだいじょうぶだ」
サリヴァンの腕の中は、ひどく、安堵した。