16 : 心を閉じて小さな声で。3
入場とともに浴びる、多くの視線。
そこに含まれている思考には、息が詰まりそうになる。
それでも。
「顔を上げろ、ツェイル」
サリヴァンにそう言われて。
「おまえが臆することはない」
だいじょうぶだと囁かれて。
「そばにいろ」
繋いだ手が離れることなく引っ張られると、ひどく安心した。
だからツェイルは、大きく深呼吸すると、今までにない緊張を押し隠し、前を見た。
玉座にサリヴァンが向かう。
右隣をラクウィルが歩き、左隣はツェイルが、手を繋いだまま歩んだ。
「今宵はよくぞ集まってくれた」
サリヴァンの口上が、玉座に着いた途端に始まる。
小規模の夜会には、男女それぞれ二十人程度が集まり、一様に緊張したような面差しをしていた。煌びやかな衣装をまとっているが、誰もが緊張し、強張っている。ツェイルはメルエイラ家の者として、それらを敏感に感じ取った。
ああ、皆が隣国との問題に、警戒を露わにしている。
その行方を案じている。
夜会に出たくないと思っていたことに、その筋違いさに、ツェイルは恥ずかしくなった。
「姫、どうしました?」
「いえ。しっかりと、気を持たねばと」
そうだ、今は、隣国との問題だ。
ツェイルはしっかりと息をつき、真っ直ぐと前を見据える。皆が緊張しているのだ。その緊張に、ツェイルは呑まれてはいけない。サリヴァンを護るためにここにいるのだから、いつだって目を光らせていなければならない。
周りをそれぞれ見渡して、見たことのある顔をいくつか見つける。
その中に、赤いドレスをまとった妙齢の女性が、森で逢った女性の姿があった。ばっちりと目が合い、ギッと強く睨まれる。
「ツェイル?」
呼ばれて、ハッと視線をサリヴァンに戻す。挨拶は終えたらしい。
目の前にいつのまにか、自分と同じくらいの少年が、正装服を着こなして立っていた。少年の斜め後ろには、ルカイアがいる。
「……隣国、シェリアン公国の、キサネ・クロフト公子だ。公子、こちらはわが婚約者、ウェル・メルエイラ嬢、ツェイルという」
「ツェイル・メルエイラと申します」
失礼がないようにと思っても、一国の公子を相手に、やはり緊張はする。だがどうやら相手も緊張しているようで、ぎくしゃくとしていた。
「キサネ・クロフト・シェリアンと申します。今宵はお招きくださり、誠に感謝しております」
声が震えている。けれども、深く一礼してから上げた顔には、強い意志が感じられた。
「今宵の夜会、気兼ねなく楽しまれるといい。わたしはそのつもりでいる。なにか不都合なことがあればラッセ宰相に、或いはわたしでもいい」
「恐れ多いことではありますが、ありがとうございます」
「わたしはきみの決断を評価している。どうか、その心に揺らぎを起こさぬよう。きみとは、これからもよい関係でありたい」
「はい。わたしを受け入れてくださった陛下には、感謝の限りです。陛下を裏切るような真似は、絶対に致しません」
強い意志を見せる公子に、サリヴァンもツェイルと同じことを感じ取ったらしい。ふっと微笑んだ。
「きみのような公子が、もっと早くに公主となっておれば、このようなことにはならなかったかもしれないな」
「……先にも申しました。わが国、シェリアンは、もうどうしようもないのです。陛下のお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「……本当に、よいのか?」
「はい。わが国は、光りの天恵者によって、予言が下されました。わたしはそれを受け入れます」
「……、そうか」
サリヴァンは、少しだけ、その微笑みに悲しさのようなものを滲ませた。揺るぎを見せない強い意志を放つ公子の肩を、優しくポンポンと撫でる。公子は一瞬だけ驚き、そうしてその赤茶色の瞳を僅かに潤わせた。
「きみの身柄は、帝国預かりとする。明日からは、使者でも客人でもない。よいな」
「はい、陛下」
「……ではここに、シェリアン公国の領地没収と、クロフト家の公爵位剥奪を宣言しよう」
その瞬間、場内が一気に静寂化した。
ツェイルはもちろんサリヴァンと公子の会話を理解できるわけもないが、ただ、尋常ではない決断が為されたのだろうということはわかった。
「公子、今宵はきみとって、公子最後の日であり、最後の夜会だ。存分に楽しまれよ」
そう言うと、サリヴァンはルカイアを促し、公子を連れて行かせた。
静かだった場内は、サリヴァンの宣言ののち、徐々に賑やかさを取り戻していく。サリヴァンの指示で音楽も奏でられると、おそらくは公子のためであろうと思われる、同年齢ほどの少年少女が、公子の周りに集められていた。
それらを見て、ツェイルはふと思う。
「今宵は、宣言のための、夜会だったのですね」
「……ああ。或いは、試したとも言える」
「試す?」
「公子の決意だ。まあ、無駄ではあったが」
よかった、とサリヴァンは胸を撫で下ろしていた。
「……経緯を、お訊ねしても?」
「キサネ公子は、公位継承第一位だ。しかし母君、公妃は随分と前に亡くなられている。そのせいで、後宮では肩身の狭い思いをしていた。公主が側室を娶らねばよかったのだが、継承権を持つ者がひとりでは、なにかと不安にもなる。後宮に入った者たちは、公妃の座を虎視眈々と狙い、ついには公子を弑さんと動いた。それだけでなく、公主の座を狙う者も、出てきてな」
内側からすでに、シェリアン公国は壊されかけていたらしい。
「正確には、公主を操りたかった連中だ。キサネ公子はあのとおり、至極真面目な性格ゆえ、操るには不都合がある。側室の子らであれば、操るには容易だ。それらを狙ったシェリアン公国内の貴族が、今回の争いを仕掛けてきたといわけだ」
側室に入った者が、国の実権を握らんとする貴族から排出されていたからこそ、そういった争いが起きたのだろう。
「後宮の争いに、帝国を巻き込まんとした、のですか」
「エンバルの武具を使って、な。まるでヴァリアスから先制攻撃を仕掛けたかのように謀略を張り、シェリアンの実権を握らんとした。あわよくばヴァリアスを、とも考えていたかもしれないな」
「無謀な……」
「エンバルの武具を持てば、過信してもおかしくはない」
そうかもしれない。
けれども、恐れ多いことだと、なぜ思わなかったのだろう。
「公子は、どうやってここへ?」
「天恵者だ」
「天恵……お持ちなのですか」
「ああ。ただ、どんな天恵かは、まだわからないそうだ」
「わからないのに、天恵者と?」
そんなことがあるのか、とツェイルは怪訝に思う。
天恵とは生まれながらに所持するもので、使い方は人それぞれであるが、大抵は幼い頃に属性や使い方を知り、学び、必要となったら精霊と契約して、天恵術師になる。
ツェイルはその法則から外れた天恵者ではあるが、法則から外れた者は稀少だ。だのに、それからさらに外れた天恵者がいるなど、聞いたことがない。
「ウォリアム、という存在を、知っているか?」
「ウォリアム……はい、《天地狼》のことですね。天地の王より遣わされし獣と、祭神殿で教わりました」
「それが、キサネ公子を選んだ」
「……え?」
まさか、とツェイルは瞠目する。
ウォリアムは、空想上の生きものであろうと、祭神殿の神官でさえ苦笑しながら言っていた。つまりは、神に仕える人々ですら、その存在を確信していない獣だ。
「魔と、勘違いされておいででは?」
獣の大抵は、魔と紙一重だ。姿形が似ており、毛の色も似ていることがある。違うのは、人語を解し話せる知力があるか、ないか。或いは、知力がなくとも黒毛の獣はすべて、魔であることだ。ほとんどは毛の色で魔かどうか判断される。
そして魔は、ヴァリアス帝国において、忌避されている。
「おまえは、魔を忌避するか」
「……いいえ。わが力のことを考えれば、魔は、わが同胞……そう考えております」
魔は、ヴァリアス帝国の人々が思うほどの存在ではない。ツェイルはそれを知っている。魔は基本的に温厚でおとなしい。知力があれば、話し相手にもなるし相談相手にもなる。ときには人助けもすることを、ツェイルは知っている。
けれども魔は、その存在が闇を思わせるため、ヴァリアス帝国の人々は恐れる。ゆえに見かければ狩り、駆逐せんとする。そのせいかヴァリアス帝国内の魔の数は少なく、今では山の奥深くに足を踏み入れても、野生の獣に命を奪われるか、賊に奪われるか、という状態だ。どこを探しても、魔に出逢える確立は低い。
「おれは魔を一匹、知っている。この歳になって初めて目にした魔だが、やはりその魔とウォリアムは違う。ウォリアムは、あれは本当に、神の遣いだ」
「まさか……」
「疑いたいか。まあ、そうだろうな。だがおれは、神の遣いなら、見分けられる」
「え?」
「猊下の鳥……聖鳥フェンリス。その背に、幾度か乗せてもらった」
嘘だろう、と言いたい。だが、嘘をついても意味がないことだ。
そもそも、このヴァリアス帝国には、聖王と呼ばれる神々の長がいる。ツェイルも一度は逢わねばならないそうだが、未だツェイルは信じられずにいた。
だが、今度こそ、信じねばならないのかもしれない。
「神の遣いたる、聖鳥に……お乗りに?」
「大きいからな。猊下を乗せられないと嘆くから、おれが乗った。今でもたまに、頼めば乗せてくれる。いつかツェイルも乗せてもらえ。空からの帝国は、また見方が変わるぞ」
そんな簡単に言ってくれるな、と思う。神の存在を未だ疑っているのに、簡単に返事はできない。
「そういうことだから、キサネ公子を選んだ獣は、神の遣いだ。神の遣いが選んだ者……それが天恵と言える。一般的な天恵術師が精霊と契約するように、キサネ公子はウォリアムと契約したというだけの、その違いだ」
随分と大きな違いだと思うのは、ツェイルだけだろうか。
「ですが、なぜどんな天恵かわからないと?」
「生まれたてのウォリアムらしい」
「……生まれたて?」
「自分の存在を、まだ理解していない。ウォリアムだということしか、わからないらしい」
「なんて曖昧な……」
「生まれたてなのだから仕方あるまい」
「まあ、そうですが……」
そんなこともこの世界、ラーレでは起きるらしい。
今さらながら、己れが産まれたこの世界は、不思議だらけだ。いや、ツェイルが無知であるだけだが、それにしても、皇帝陛下が自らこうして真剣に話していることを、世間では教えない。
なぜ、国主であり皇帝陛下が当たり前のように理解していることを、城下では、いや世間では、当たり前のように理解させないのだろう。神の存在を信じ祀っているくせに、神の遣いは信じない。
それはとてもおかしなことだ。
「ウォリアムの導きで、キサネ公子はここに、おれのところに現われた。暗殺されたと噂に聞いていたが、それは公主によって避けられたとのことだ。そのすぐあとにウォリアムに選ばれ、公主の願いを持って、逃げ延びた、と」
「ウォリアムのおかげで……和解が?」
「和解……というか、聞いていたと思うが、結果的にはキサネ公子の爵位を剥奪した。領地も」
「そうしなければ、公子を弑さんとした者たちを一掃できないから、ですか?」
「それもあるが、クロフト家にはもう、公国を治める力がない。貴族の言いなりでは、特に」
公子は、もうどうしようもない、と確かに言っていた。それなら、サリヴァンのその判断は、正しいのかもしれない。
「……明日からは、使者でも客人でもないそうですが」
「帝国預かりだ」
「それは、つまり?」
まさか罪人ではあるまい。
「おれの力が及ぶ限りで、天恵術師として迎える。その身柄はルカに預けた」
「……ルカさまが後見、ですか」
「悪いようにはしないだろう。キサネ公子のあれを見れば、な」
公子を囲む人だかり。中央の公子を護るように、ルカイアは立っている。確かに、ルカイアのあの態度なら、公子は安全だろう。ツェイルを攫うようにして連れてきたときとは、反対の態度のようにも見えなくはない。
「公主はどうなるのですか?」
「今宵の宣言は、明日公表される。クロフト公爵を拘束という名目で保護したのち、謀略を張った貴族は捕縛される」
ちらっと、サリヴァンが講堂の窓に視線を投げる。
まん丸の月が大小二つ、美しく輝いている。
「その、予定だったんだがな……」
ぼそりと、そう呟かれたときだった。
「きゃーっ!」
講堂中に大きな悲鳴が、響いた。
楽しんでいただければ幸いです。