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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅱ】
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Plus Extra : 血を継ぐ者。3

*サリヴァン視点です。





 それは、聖王の「予告もなく」と言う、そのままだった。


 ツェイルが産気づいたのは、予定よりも半月も早い頃だった。それでも、早産になりそうな気配を察して薬を服用し、抑えていたのにも関わらずのことだ。


「そ、そんなことをして、ツェイに負担がかかるのではないのかっ」


 薬の使用後、陣痛が始まってからそれを聞かされたサリヴァンは、このときのために訪れたツェイルの姉テューリに蒼褪めた顔で声を荒げたが、サリヴァン以上に顔色の悪いテューリの気迫には負けた。


「順調であることは確かなのです。逆にこのままでは、ツェイルの身体が危険なのですわ。ご理解くださいまし、殿下」

「だが……っ」

「確かに御子は小さいですわ。けれど、問題もなく育っているのです。光りの精霊さまもおっしゃられておりましたでしょう」

「しかし……」

「狼狽えないでくださいまし、殿下。わたくしが、ハルトさまが、いるのです」


 心許なかったが、医師エーヴィエルハルトとその妻であるテューリの腕は確かで、サリヴァンも信頼しているふたりだ。この場ではテューリの言葉を信じるほかなく、足早に部屋へと消えるテューリを追いかけることはできなかった。


「サリヴァン、ちょっと落ち着きましょうか」


 ラクウィルにそう促され、隣り合った部屋に身を移動させたが、安穏と椅子に座っていることなどできるはずもなく、サリヴァンは立ったまま身じろぎもせず、隣室の扉を見つめ続けた。ときおり聞こえるツェイルの小さな押し殺したような声が、オリヴァンのときのような恐怖をサリヴァンに持たせる。だがこの恐怖は、サリヴァン以上にツェイルが抱えているものでもあった。


 いったいどれほどの時間が過ぎただろう。

 立ちっぱなしで動くこともなかったサリヴァンに声をかけることを諦めたラクウィルが、強引にサリヴァンをその場に座らせて、その肩に毛布をかけてくれた。


「……もう夜なのか」


 ツェイルが産気づいて、半日以上が過ぎていた。

 蒼褪めるサリヴァンに、ラクウィルは温かな紅茶を差し出した。思えば食事を摂っていなかったが、空腹は感じない。


「ラク……ラク、ラク」

「はい、サリヴァン」


 温かな紅茶の入った茶器は温かく、サリヴァンの冷えた指先を温めてくれる。だが、心からは温められなかった。この手をいつも温めてくれたのは、ツェイルなのだ。


「おれは、ツェイにひどいことを、頼んでしまっただろうか」

「どうして、そう思うんですか」

「ツェイが苦しんでいる……なのに、おれは、なにもできない」

「男はそんなものですよ。けれど、勘違いはいけませんからね、サリヴァン。オリヴァンのときにも言ったでしょう。サリヴァンは、姫に、姫が望むものをあげることができるんです。確かに姫は怖がっていました。けれど、それも、サリヴァンがそばにいるから、乗り越えたものなんですよ」


 だいじょうぶですよ、とラクウィルはサリヴァンの手を、持った茶器ごと包む。聞こえてくる悲鳴に耳を塞ぎたくなっていたサリヴァンは、ラクウィルのその優しさに勇気づけられた。


 そのときだ。

 サリヴァンの傍らに、突如としてなにか気配が現われた。


「……アルトファル」


 サリヴァンの右側に、サリヴァンと同じように座った光りの精霊アルトファル・セスがいた。さらに左側にはバルサもゆったりと落ち着き、気づけばラクウィルの精霊である火精霊マチカ、地精霊ルーフェも現われていて、背後には近衛騎士隊末席マノウの水精霊ホロルまでいた。


「楽しみですねえ」


 と、アルトファルが暢気にも、しかし嬉しげに言った。気が抜けるほど穏やかな表情は、サリヴァンを囲んだ精霊たちも同じだ。


「アルトファル、おまえ、そんな」

「だってサリヴァンさま、わたしや猊下にとっては孫ですよ? そりゃもう楽しみですよ」

「ま、孫って……いや、そうかもしれんが」

「のちほど猊下もいらっしゃいます。サリヴァンさま、だいじょうぶですからこのままもう少し、見守りましょうね」


 にっこりと微笑むアルトファルは、サリヴァンの緊張を緩く解しはしたものの、あまりの穏やかさに逆にサリヴァンは戸惑ってしまった。バルサなどはその立派な尻尾をぱたりぱたりと揺らしているし、マチカやルーフェ、ホロルは嬉しそうな顔で辺りを浮遊している。踊っているみたいですらある。


 その光景に呆気に取られたのはサリヴァンだけでなく、このときに漸く皇都から到着した長子オリヴァンの目を真ん丸にした。


「なにこの幻想風景……サリエ、なんで囲まれてんの」


 息子に父と呼ばれないサリヴァンは、オリヴァンの到着に無事であったことを安堵したが、問いには答えられなかった。サリヴァンにもさっぱり不明だったからだ。


「と、いうか……え? ツェイの出産は半月先のはずでしょ?」


 聞かされていなかったのか、怪訝そうにしながら入室してきたオリヴァンは、サリヴァンから離れたラクウィルに上着を預けると、説明を求めてきた。


「さっき玄関先で、産まれそうだって聞いたけど、どういうこと?」

「予定より早く産気づいた。薬で抑えてはいたんだが、限界らしい」

「え……ちょ、それだいじょうぶなの?」


 慌てたオリヴァンは、サリヴァンが蒼褪めている理由に合点がいったのか、自身も蒼褪めて駆け寄ってくる。アルトファルが場所を開けたので、その場に座るとサリヴァンを覗き込んできた。


「小さいから遅れるかもって、聞いていたんだけど?」

「そう、思っていたんだがな」

「だ、だいじょうぶかな……ねえ、ツェイだいじょうぶ?」

「……わからん」


 アルトファルはだいじょうぶだと言うが、というか周りの精霊たちがそういう態度なのだが、サリヴァンはそれでも不安を隠せない。

 再び聞こえるツェイルの悲鳴に、オリヴァンがびくりと震えた。


「ツェ……ツェイ」


 オリヴァンの狼狽えように、なんだか少しサリヴァンは落ち着く。怖いのは、不安なのは、自分ばかりではない。精霊たちは違うが、部屋に詰めている騎士隊の彼らも一様に不安そうだった。


「リリを連れて来たほうがよかったかな……間に合うようには来るって言ってたけど」

「一緒じゃないのか」

「おれは予定より早く仕事が片づいたから、切り上げられたんだよ。おれの予定にリリは合わせられなかったから、予定通りに来ると思う」

「そうか……」


 皇都にいたときまで侍女をしてくれていたリリは、領地への移動について来ることができなかった。宰相の妻という立場や、皇都にツェイルが信頼の置ける人を残しておきたかったという思惑からだ。

 心強い味方がいないのは心許ないことだが、言っても詮無いことだ。今はとにかく、サリヴァンはただ祈って、見守るしかない。


 と、隣室がばたばたと騒ぎ始めた。同時に、一際甲高いツェイルの悲鳴が聞こえる。

 ハッとしてサリヴァンは立ち上がり、扉を開けようと思ったが、その手を素早くラクウィルに押さえられ、同じく立ち上がったオリヴァンも、侍従のイオルシィズに押さえ込まれた。


「ラク……っ」

「今サリヴァンが行っても、どうしようもないでしょう」

「だがツェイが…っ…おれの、子がっ」


 逸る気持ちを、だがラクウィルは羽交い絞めにして抑え込む。


「ツェイ……ツェイ、ツェイ」


 望んだのは自分なのに、思い描いたのは自分なのに、どうしてもこの瞬間だけは怖くてたまらない。ツェイルにばかり負担を強いて、のうのうとしている自分が情けない。

 それでも、欲しい。


「来い…っ…来るんだ、行くな…っ…おいで、ツェイっ」


 口から突いた言葉は、無意識だった。ただ強く、そう願いを込めてツェイルを呼ぶ。そして、産まれてこようとしている命を、呼ぶ。


「おいで、おいで…っ…おれの、ところに」


 思い描いた未来がある。それが、残酷な未来でもあることを知っている。けれども、確かに望んで願っていた。叶えるために、得るために、どんなことでもしようと思っている。

 描いた未来を残酷なままには終わらせない。


「うわあ、頑固な子ですねえ。これはこれは……仕方ありませんねえ」


 アルトファルがするりと、隣室に消えていく。その横顔はやはり笑っていて、緊張感がなかった。


「アルトファル……?」


 どうしたのかと、そう思っているうちに、騒いでいた隣室はやや静かになり、ツェイルの悲鳴も聞こえなくなった。オリヴァンのときのように、アルトファルはまたなにかしたのかもしれない。

 少しすると、サリヴァンが飛び込んで行こうとしていた隣室の扉が、ゆっくりと開かれた。


「殿下、お入りください。ただし、静かに。ツェイルさまは眠っておられます」


 サリヴァンを呼んだのは医師エーヴィエルハルトで、そっと静かに、穏やかに、産まれましたよと教えてくれる。


「産ま、れた……?」


 赤子の声は聞いていない。だのに、産まれたとはどういうことか、サリヴァンには理解できない。

 ふらつきながら寝室に入れば、静かに眠るツェイルが寝台に横たわり、その横にアルトファルが、産まれたという赤子を腕に抱いて立っていた。静かにと言われたが、いてもたってもいられずサリヴァンは駆け寄る。まずツェイルを覗き込み、その安堵に満ちた寝顔にホッとすると、アルトファルを見やった。


「ふふ……ほら、サリヴァンさま。あなたに似た頑固な子ですよ」


 アルトファルの腕にいる赤子を見れば、ぷっくりとした愛らしいわが子が、確かに息衝いている。


「……なぜ、泣かない」


 サリヴァンはおそるおそるわが子に手を伸ばし、その重みをアルトファルから預かった。

 腕のなかに落ち着いたわが子は、すやすやと眠っているように見える。その呼吸は確かだ。けれども、サリヴァンはわが子の泣き声を一つも聞いていなかった。







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