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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅱ】
163/170

Plus Extra : 第九特務騎士隊追想録。追記。

*サリヴァンとツァインの出逢い編。

 前半ツァイン、後半サリヴァン視点になっています。



■ 十数年前。




 ツァインがアウニという森に来たのは、母に頼まれてその森の土を採取するためだった。育てている薬草にアウニの森の土が適合するか、確認したかったらしい。そのまま鉢植えを持って行けというので持っては来たものの、馬上では非常に邪魔な荷物になった鉢植えを途中で投げ捨てなかったのは、母を怒らせたら非常に面倒だと思ったからだったが、けっきょくは放り投げたので母はしこたま怒るだろう。


「な、なにするんだっ」

「いやなに、そのぼーっとした無防備さがね、ちょっと」

「それであんなものを投げるか、ふつう!」

「わが家では当たり前だね」

「どんな家だよ!」


 ツァインがうっかり鉢植えを投げた相手は、自分よりいくらか華奢ではあるものの、同じくらいの年嵩の少年だった。馬上で鉢植えが非常に邪魔な荷物になり、そのうえ最愛の妹を置いて来なければならなかったことから、いつになく不機嫌であったツァインに八つ当たりめいたことをされた少年である。まったくもって見当違いな被害を受けた少年は、かろうじて投げられた鉢植えを避けてはいたが、その反動で転んでいた。


「よくものを投げる人が約一名いてね、その影響かな」

「おれがなにをしたと言うんだ」

「いやだから、その無防備さがね」


 不機嫌であるツァインは、少年があまりにも無防備であったからちょうどよく八つ当たりをしたようなものだ。それ以外、とくに理由はない。


「ところで、きみは誰かな」

「今さら……初対面で鉢植え投げるって、おまえこそなんだ」

「僕は通りすがりだよ」

「通りすがっただけでなんで鉢植えを投げる」

「いやだから、その無防備さがね」


 不機嫌な状態のツァインは、そうでなくとも、怖がられる。誰もが怖がるから、妹のためにもと思って笑顔を練習し、常に張りつけているのだが、最近はどうやらその笑顔も恐ろしいと思われるようで、ツァインが微笑みかけると顔を引き攣らせる者が多い。それでも、女性受けがいい笑顔ではあるらしく、年上の女性からは邪見にされたことがなかった。

 というわけで、目の前の少年がツァインに警戒心を抱かず、無防備なそれは、ツァインの不快感を煽った。


「まあいいか。鉢植え、壊れちゃったな……どうしよう」

「問題は鉢植えだけか」

「母上さまが怒ると面倒なんだよね」


 とにもかくにも、母にしこたま怒られるであろう鉢植えの状態は、残骸を持ち帰るまでもない。採取したい土をどう運ぶか、それが当面の問題である。目の前の少年が誰であろうと、どうでもいい。


「……ん? おまえ、もしやモルティエの……」


 鉢植えをどうするか、と考えていたツァインの双眸に、少年が小首を傾げて父の名を口にした。少年は、父を知っているらしい。


「モルティエは父上さまの名前だね」

「なんだ……おまえ、モルティエの息子か」


 ツァインの双眸は、この国ヴァリアスでは少々珍しい、薄紫色をしている。それは父モルティエから譲られたもので、髪の色も父譲りだ。この組み合わせはおそらくこの国では父以外に自分と、最愛の妹、極少数しかいない。特徴的なので、父を知る者であればツァインのこともわかる。「あのメルエイラか」と。

 と、ちょうど父の名が出たところで、馬の足音が聞こえてきた。近づいてくるその音に振り向くと、その父が馬を操ってこちらに向かってきていた。


「お兄ちゃん?」

「ちょっと父上さま、ここでそれはやめましょうよ」


 厳つい顔でそれはない、とさすがのツァインも思うところがある。いや、雰囲気は優しいと評判の父上さまであるが、それと外見が一致しているわけではないのだ。騎士然とした面差しは、どちらかというと酷薄で、喋らせない限り人に畏怖を抱かせる。ツァインは父がなぜそう言われるのかわからないが、周りと比べたときに「なるほど」と思うくらいには、父が外見と中身が一致しない人物であると把握していた。


「なんでここにいるんだい、ツァインや」

「母上に土を採取して来いと命令されたので。父上こそ」

「わたしはそちらのお方に用事があってね」


 近くまできた父は馬を下りると、手綱を木の枝に引っかけ、ツァインではなく少年のほうに歩み寄って行く。まだ転がって座っていた少年は、父に支えられて漸く立ち上がり、砂埃を払った。


「サリヴァンさま、愚息がなにかしたようですね」

「い、いや、まあ……それより、あれがおまえの息子か」

「ええ、ツァインと申します」


 父にサリヴァンと呼ばれた少年は、父を傅かせる身分にあるらしい。父が傅くとしたら限られてくるのだが、と思いながら成り行きを見守っていれば、少年サリヴァンに自己紹介された。


「サリエ・ヴァラディンという。サリヴァンだ」

「いやべつに、紹介してもらわなくていいんだけどね」


 父の知り合いでも、自分も知り合いになろうとは思わないツァインだ。だが、この場で父を困らせたいとも思わないので、「ツァイン・メルエイラ」と名乗りはする。


「変な奴……」


 言われなくてもわかっていることを言われたが、まあどうでもいい。ツァインの当面の問題は壊れた鉢植えである。いっそ父のせいにしてしまおうか。


「ツァイン、今ぞっと悪寒が走ったんだが、なにか不穏なことを考えなかったかな」


 勘だけは鋭い父だ。


「鉢植えが壊れたんですよ、父上」

「その……ようだな」

「母上のなんですよね」

「ぅえ……おまえそれ、わたしのせいにする気か」

「ええ、頼みました」

「ちょ!」

「土の採取も任せました」

「こらこらこら!」


 母が怒ると面倒だというのは、父もよく知っている。

 責任をなすりつけると、ツァインはさっさと自分の馬のところに戻り、颯爽と馬に跨るとその場を離れた。父がなにか言っていたが、聞く耳を持つ必要はない。





 サリヴァンは、とうてい理解できない事態に呆気に取られ、その状況を作った原因である少年が立ち去るのをうっかり見送る。ハッとわれに返ったときには、今日逢う予定であったメルエイラ候モルティエが、しょんぼり項垂れていた。


「なんというか……自由奔放だな」

「あれの世界はなんというか、特殊でして……申し訳ありません、殿下」

「サリヴァンでいい」

「はい、サリヴァンさま。愚息はなにか……いえ、失礼なことをしました。ここはわたしに免じてご容赦ください」

「気にしないでくれ。あれは……うん、ある意味で新鮮だった」


 なんとも不思議な少年だった。モルティエの息子にしては破天荒な気もするが、掴みどころがないのはモルティエも同じだ。雰囲気はよく似ている。ただ、モルティエの笑みは心から伝わって来るのに対し、少年の笑みは胡散臭い。


「天恵者、か?」

「よくおわかりに。ええ、はい、愚息は天恵者です。噂はご存知でしょうが」

「あれか? 白紫のなんとかっていう」

「わが一族の天恵です。詳しくはのちに本人からお聞きください。残念ながらわたしは明るくありませんので」

「そうなのか?」

「わたしには『素質』はありましたが、顕現しませんでしたからね」

「ふむ……」


 モルティエの一族に天恵があることは知っている。それが特殊であることも話には聞いていた。その天恵があの少年、ツァインを掴みどころのない存在にし、モルティエの息子とは思えない様子を浮かび上がらせているのだろう。


「ちょうどよい機会ですので、お話しておきます。あれが以前お話した長男ツァイン、どうぞお好きにお使いください」

「と、言われても……おれには誰かをどうこうする力などない」

「いいえ、あれは殿下のためにある力です。そして、わが一族もまた、殿下のために存在しましょう」

「いつも言っているが、モルティエ、おれのためになにかする必要はない」


 モルティエは優しい。厄介でしないサリヴァンの存在を影から護り続けるモルティエのその優しさに、いつも救われる。いつか恩返しをしたいと思いながら、なかなか果たせずにいる今がもどかしい。


「本当に、おれなんかに……」

「いいえ、殿下、言ってしまえばこれはわたしの勝手なのですよ。わたしは殿下に押しつけているだけです。ですから、聞き流してくださってよいのですよ」


 微笑むモルティエは、空を仰ぎながらのんびりと言う。


「わたしはただ、子どもの成長を楽しみにしているだけです。ツァインを自由に、というのは、つまりツァインも殿下を自由に捉えるということでもある。わが一族が殿下のために在るのもまた、然り。気になさらないでください」


 気遣いは不要だ、と思うサリヴァンのそれと同じようなことを、モルティエもまた思っている。そう捉えることで、重荷は減る。

 モルティエの言いたいことはよくわかる。


「候は口が上手い」


 ふっと苦笑すると、モルティエはこの上なく楽しげに笑って見せた。


「殿下。いえ、サリヴァンさま。どうかお健やかに、お過ごしください」

「……ああ、ありがとう」


 サリヴァンの返事に頷いたモルティエに、先ほどまで相対していたツァインの姿が重なった。

 あの掴みどころのない少年とは、長いつき合いになるのかもしれない。







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