Plus Extra : 第九特務騎士隊追想録。9
■ 首席隊長ツァイン・ウェル・メルエイラ。
朝一番に最愛の妹ツェイルの寝顔を堪能したあと、その隣で眠るちょっと恨みがましさを思うあるじの頬を抓って悪戯し、皇弟近衛騎士隊長ツァイン・メルエイラは厨房に顔を出した。この邸の主人たちよりも早くに起きて行動開始するのは、一番は侍従長ラクウィル・ダンガードで、まずは厨房にいることが多い。
「侍従長」
「おや、隊長。おはようございます。またサリヴァンたちの寝室に忍び込みましたね?」
「僕は近衛騎士隊長だからね」
本日も朝一番に厨房にいたラクウィルは、食糧の検品をしていた。家宰もいるのだが、大まかな段取りはラクウィルが仕切っているため、食糧の検品もまたラクウィルの仕事なのだ。
「忍び込むのはかまいませんけど、サリヴァンに悪戯するのはいい加減やめましょうよ。姫のそばでしか休めないひとなんですから」
「ほんと、面白くないくらい、ツェイルのそばだと無防備だよね。あれじゃあ僕にいつ牙を向けられてもおかしくない」
「やめてくださいよ……」
「あの無防備さが腹立だしいから仕方ない」
肩を竦めて笑うと、ラクウィルは呆れたようにため息をつく。だがしかしそれだけで、ツァインの行動をそれ以上咎めはしない。ツァインが可愛い悪戯以上のことをしないと、わかっているからだ。
「で、朝からなんですか?」
「ちょっと出かけてくるから、その連絡だよ」
「出かける?」
「どうも小煩い邪魔なものを見つけてね。それの偵察と、牽制ってところ」
「おや……」
呆れ顔をしていたラクウィルが、ふとその双眸に剣呑さを含ませる。その様子は、ツァインが近頃感じていたものを、ラクウィルも感じていたと物語っていた。
「そろそろかとは、思っていましたが……動き出しましたか」
「いや、大きな動きはまだない。だから、それ以上は動かないように牽制してくるよ。僕ひとりで充分だと思うから」
「隊長は恐れ多い『白紫の双剣』ですからねえ……むしろ隊長が動いちゃったら終わりだと思うんですが」
「僕が動いたほうが手っ取り早い」
「それもそうですね」
上の者がそう簡単に動いては統率が難しくなる、というのはわかっているつもりだが、ツァインは皇弟近衛騎士隊において「隊長」をいただいているものの、実質は副隊長ナイレンと三席ユグドが隊を取りまとめ、上手く動かしている。ツァインが単独行動するためにふたりが仕方なく動いているわけだが、けっきょくのところそれはツァインがおらずとも隊が常に万全に動ける状態ということであり、ツァインがおらずとも任務を遂行できるということでもある。ツァインはそれに対して不満はない。逆に助かっていると思うくらいだ。
「それに、殿下もさすがにもうしばらく休むでしょう。隊の連中は殿下のそばを離れたがらないし、僕がいなくても今日明日くらいは平気だと思うよ」
「そうですねえ……七席さんが姫のそばについてくれるでしょうし、末席のマノウくんはあれ、奇妙な天恵者ですからねえ。彼が終始サリヴァンのそばについてくれるなら、邸内はまず安心ですかね」
「あれ、マノウが天恵者って、よくわかったね」
「サリヴァンに投げ飛ばされたとき、サリヴァンのそばをうろちょろしている小さい精霊さんたちが、彼を助けていましたからね。マチカちゃんとルーフェさんも、ちょっとマノウくんが気になっていたようですし……隠してるんですか?」
「隠しているわけではないけれど……侍従長が言うように、マノウはちょっと奇妙な天恵者だから」
ふと、末席に収まっている隊最年少のマノウ・アズを脳裏に描く。実は天恵者でもあるマノウは、しかし天恵術師にはならず、騎士になった。その経緯を知っているのはおそらくツァインだけだろう。
「マノウくんを見つけてきたのは、隊長でしたね。どこで彼を?」
「あの子はふつうに入隊してきたよ。ただ、そうだね……あの子がどうして騎士になったかは、知っているかな」
「どうして騎士になったか?」
「天恵術師でもよかったのだろうけれどね、あの子は剣を取る道を選んだんだよ。そうでないと、護れないものが多かったから」
「……そんな過去がマノウくんに?」
「まあ、本人は平凡に生きてきたって、言うけれどね。感覚の曖昧な僕が言うのもなんだけど、あの子の言う平凡は、非凡だよ。自分がどれだけふつうから外れているか、気づきもしない」
「初めて聞きますね……どういうことですか?」
ラクウィルは、皇弟近衛騎士隊の彼らのことを、完全に把握しているわけではない。ある程度ツァインのことを信用し、ツァインが頂点にいることで隊の彼らを信用するという形を取っている。ゆえに、隊が構成された経緯は知っていても、隊の全員がここに至るまでの人生を知るわけではなかった。
ツァインも隊の彼らすべてを把握しているわけではないが、隊長をいただく限り部下たちのことはだいたいを理解しているつもりだ。なおかつ、それゆえに忠誠を誓うサリヴァンの護衛を任せ、最愛の妹ツェイルの護衛をも任せている。
「侍従長は、精霊の死を見たことがある?」
「精霊の、死……ですか」
「僕はあるよ。殺したこともある」
「……あなたなら、まあ、あるでしょうね」
ツァインから視線を逸らしたラクウィルが、痛ましげな顔をする。その様子から、ラクウィルも精霊の死を見たことがあるのだと知れた。
「あの子は当時ひどく未熟で、天恵者がなんたるかも理解していなくて、そのせいで自分の精霊を死なせてしまったんだよ。あの子の精霊は、あの子を護るために、満足して消滅していったけれど……あの子にはそれが、とても、悲しかったようでね」
よくある話だよ、と言うと、ラクウィルは肩を竦めて首を振る。
「そんなに頻繁にある話ではありませんよ。しかし……そういうことがマノウくんにはあったんですね」
「当時の僕は愚かな子だと、それくらいにしか思わなかったな」
「ひどいですね、隊長」
「だってそうだろ? 未熟さが招いたことを、どうして褒められるの」
確かにひどいと思われるかもしれないが、強さを求めなかったわけではないツァインは、未熟という弱さが嫌いだった。
「……マノウくんは、今も精霊と契約を?」
「いや、してない。精霊と再び契約できるようになったら、あの子は誰からも認められる一人前の騎士になるだろうね」
「そうですか……では、これからが楽しみですね」
「僕もあの子には期待しているよ」
未熟さを知り強さを考えたマノウのことは、本当に期待している。前に進めないままの状態であったなら、近衛騎士隊に迎えていることもなかった。部下にすることもなかった。成長が楽しみな部下は、ほかにもいる。
「そういえば……ねえ隊長、サリヴァンとはいつ知り合ったんですか?」
「え、今さら? というか、侍従長なら知っているでしょう。僕と殿下の賭け、知っていたようだったし」
「おれは賭けの現場に居合わせていただけですよ。それより以前にサリヴァンと知り合っていた様子でしたが?」
「なんだ、やっぱりあの場にいたんだね、侍従長」
「偶然ですけれど」
偶然とは白々しい、と思いながら、近くに置いてあった果物を一つ、手に取った。食べる気はないが、新鮮な果実はさわり心地がいい。
「ほとんど忘れちゃったなぁ……ただ、無性に腹が立っていて、ちょうどいい標的が目の前にあったことは憶えているよ」
「その標的って……サリヴァンですか」
「うん。だって、この僕を目の前にして、ぼけっとしていたんだもの。その無防備さにますます腹が立ってねえ……気づいたときには持っていた鉢植えを殿下に投げつけていたね」
「ちょっと待ってください。なんで鉢植えなんて持ってたんですか」
「植え替えをしていたから。ほかに理由なんてある?」
「うーん……やっぱり隊長のやっていることってよくわかりませんね」
サリヴァンと知り合うことになったきっかけなど、もうとうに忘れてしまった。それでも、それからのことは今でもはっきりと憶えている。いや、忘れることなどツァインにはできないだろう。
あのすべてを見透かしたような瞳に、異様に腹が立って、けれどもそれをどう表現したらいいのか、自分がどうして苛立ったのか、今でもわからないことは多い。むしろ、わからないことだらけだ。
よくも悪くも、サリヴァンというあるじは、ツェイルと同じようにツァインの空っぽな感情を刺激してくれる。
「今聞き捨てならんことが聞こえてきたんだが、いったいどういうことだ、ツァインよ」
「あれ、殿下?」
ふと、背後からサリヴァンの声が聞こえて、ツァインは振り向く。せっかくの綺麗な髪がぼさぼさ、顔もまだ完全に覚醒していない状態の眠そうな感じで、なんだかよれよれだ。
「早いですね、サリヴァン。どうしたんですか」
サリヴァンの登場にラクウィルが驚き、少し慌てた様子で駆け寄っていく。自分の上着を脱いで、寝間着だけのサリヴァンに着せると、ぼさぼさの髪もさっと手櫛で整える。サリヴァンの世話にはとても手慣れているラクウィルだ。
「誰かさんに頬を抓られて起きた。痛かったぞ、こら」
「え、あれくらいで目ぇ覚ましたの? 珍しい」
ツェイルと一緒に眠っているとき、サリヴァンは滅多なことでは目覚めない。それこそツァインの可愛い悪戯くらいでは起きないはずなのだが、今日は珍しいことだ。
「眠りが浅かったんだ。それより、聞き捨てならんことが聞こえてきたぞ。ツァイン、鉢植えをおれに投げつけた理由が、ただの八つ当たりとはどういうことだ」
「あらら、聞こえた?」
「聞こえるように話していたんだろうが」
むすっと、不機嫌そうな顔をしたサリヴァンだが、それこそ眠気にぐずっている子どものようで、なんだか微笑ましい。
「おれは八つ当たりされたわけか」
「……そうとも言うね」
「初対面だったんだぞ」
「そんなこと言われてもねえ……そもそも僕、どうしてあのときあんなに腹が立っていたのか、憶えてないんだよね。この僕が、どうしてなにかに腹を立てなくちゃいけないの? わからないなぁ」
「相変わらず適当だな。自分のことだろうが」
「僕にはわからないことが多いんだよ。たとえば殿下が、どうして今でも僕をそばに置いておくのか、とか」
「賭けがあっただろう」
「あんなただの口約束、反故にできるよ」
「なら逆に問う。おまえはなぜ、今もそこにいる」
腕を組み、仁王立ちしたサリヴァンは、やはりどこか子どもっぽい。もしかしたらまだ半分以上は眠っている状態なのかもしれない。
「僕は言ったはずだよ。僕らメルエイラは、殿下を護って、そうして散っていく。殿下を護ること、それがメルエイラ一族最後の使命だ」
「胡散臭い」
「まあ、それは父上さまの受け売りだからね。けれど、あながち間違ってもいない。僕も、殿下を護ることはメルエイラ最後の使命だと思うからね」
「おれを最後にするな。そんな……悲しいだろう」
しょぼん、とサリヴァンが萎れる。やはりまだ眠いのだろう。黙ってツェイルのそばで惰眠を貪っていればいいのに、どうして起きてきてしまったのか。
「部屋に戻りなよ、殿下。僕のツェイルをいつまでひとりにしておく気?」
「おまえのツェイではない。おれのツェイだ。話はまだ終わってない」
「寝起きの殿下は駄々子だねぇ……侍従長、殿下を部屋に連れてってあげなよ。僕はもう出るから」
手遊びに持っていた果物を元の場所に戻し、厨房の勝手口へとツァインは身を滑らせる。
「ツァイン、待て!」
「はいはい。じゃあね、殿下」
ひらりと、朝の清々しい空気に溢れた外へ、身を躍らせる。その膂力で屋根へと飛び、均衡を崩すことなく着地したときには、朝焼けの空が街全体を包んでいた。
「教えてあげたらいいのに」
とは、ツァインの背後から腕を回してきた、真っ白な精霊から発せられた言葉だ。
「教えられることはなにもないよ」
「どうしてあんなに怒っていたのか、本当はわかっているくせに」
「僕には感情と呼べるものがない。それは、きみがよく知っているだろう、ヴィーダヒーデ」
くるりとツァインの正面に回ってきた精霊ヴィーダヒーデは、くすりと笑い、ツァインの額に口づけする。それを鬱陶しく思うわけでもなく、ツァインは己れの精霊の好きにさせた。
「あたしが、長く離れ離れになっていたガルデアを見つけて、その喜びに同調したことで、あなたはツェイルを唯一の拠り所にしたの。それを指摘されて、そうじゃないって、あなたは怒ったのよ」
「きみに与えられたものだとは、今でも思ってないからね」
「……そうね」
「僕のツェイルへの気持ちは、僕自身のものだ。きみのものではないよ」
空っぽだった自分に色を、世界を、すべてを与えたのは、最愛の妹ツェイルであることを、ツァインは疑っていない。ヴィーダヒーデは、ツェイルのなかにいた片割れのヴィーダガルデアを見つけた彼女の気持ちだと言うが、ツァインはそれを否定し続けている。
「ツェイルは僕のすべてだ」
「……だから、サリが、嫌い」
「ああ、嫌いだよ」
「ツェイルが泣くわ」
「だから僕はいとしく思う」
「矛盾しているわね、ツァイン」
「僕はそういう生きものだよ」
肩で笑うと、ヴィーダヒーデはよりいっそう、ツァインに擦り寄ってきた。
「あたしのツァイン、そんなあなたを、あたしは愛しているわ」
「僕もきみが……そうだね、きみを愛しているよ」
たとえこの身が、彼女によって狂わされているとしても、この人生に後悔の欠片もないツァインである。
やはりよくわからない内容に……スミマセン。
これにて「第九特務騎士隊追想録。」は終幕となります。
リクエストありがとうございました。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
またちょこっと、足すことがあるかもしれませんが、とりあえずここまでにしておきます。
「仮初めの皇帝、偽りの騎士。」を好いてくださった皆さま、本当にありがとうございます。
津森太壱。