Plus Extra : 第九特務騎士隊追想録。8
■ 次席副隊長ナイレン・ディーディス。
朝から出かけていたナイレンは、これといってなにか用事があったわけではなく、また任務を与えられたわけでもなかった。ただ、隊長ツァインに幼馴染の延長で頼みごとをされたので、引き受けた結果として朝から出かけていた。ナイレンに頼みごとをしてきた当人は、今朝というより昨夜から姿を消している。さてはて、どこに行ったのか。
「……こんなもんか」
冒険者のような恰好をしたナイレンは、腰に提げた剣は今もふだんから持ち歩いているものだが、装備全般は傭兵時代のものだ。皇弟近衛騎士隊の任務中は制服を着用しているが、それ以外となると傭兵時代のものになる。よく長持ちするな、と周りには言われるが、そもそもこの装備を揃えてまもなくツァインに誘われて帝国の騎士団に入隊したので、べつに長持ちしているわけではない。使用頻度が少なかったせいで、今では着古した感があるものの、まだまだ現役なのだ。
「これ以上は、潰しちまうだけだな」
傭兵時代でも今でも愛用している麻袋にはどっさりと、それでも余裕を持たせて、薬草が入っている。ツァインに摘んでくるよう頼まれたもので、届け先はメルエイラ侯爵家とシーゼル子爵家だ。ツァインの妹であるテューリとシュネイに届けるものである。これらの薬草を摘むために、朝からナイレンは出かけていたわけだ。
「さて、あとは……」
できるだけ薬草に負担がかからないよう、ゆっくりと麻袋を背負い、太陽の位置を確認する。昼を少し過ぎたくらいだろうか、腹の空き具合からもそれくらいだろう。薬草を摘むために入った山を下りて、早くて一刻ほどで街には戻れるはずだ。
頼まれごとを完遂させるために、足許に気をつけながら、それでも颯爽と、慣れた足取りで山をさっさと下りてしまう。
途中で獣を見つけ、反射的に仕留めた自分に苦笑した。
「おれも、メルエイラの人間だな」
ナイレンの剣の師は、ツァインの剣の師でもある先々代のメルエイラ家当主だ。修行と称して、ツァインとよく山に放り投げられ、自らの力でどうにか生きろと試された経験がある。その経験が、反射的に獣を仕留めてしまう。薬草を摘んできてくれと頼まれて引き受けることができるのも、山での経験があってこそだ。
そういえば、ツァインと初めて出逢ったのも、山のなかだったと思う。その頃のナイレンはただの野生児だった。いや、盗賊のような真似事をしていて、しかし人を襲ってまで得ようと思ったものはなく、山の恵みに生かされた。ひとりでふらふらと彷徨っていたところを先代メルエイラ家当主モルティエに拾われ、傭兵団に入れるようにしてくれたのは、もう随分と昔になる。ツァインと一緒に育ち、傭兵団でしごかれ、帝国の騎士団に入り、今に至るわけだ。
今思えば、悪くない人生だ。むしろ恵まれている。
ただ、得たものが多いのと同じくらい失ったものも多く、順風満帆な人生とは言い難い。とくに、一番に愛したひとを失ったあのときの悲しみは、今でもナイレンを深い悲しみへと引きずり込む。未練たらしくて情けないと言われそうだが、ナイレンにとって、あれほど愛した女性はいない。
「だが、おれも、漸く前に進めそうだ……なあ、許してくれるか、ジェリア」
ナイレンが昔愛した女性は、ツァインとツェイルのほかに、珍しくメルエイラの特徴たる薄紫の瞳を持っていた。ツァインを見るたび、ツェイルを見るたび、彼女のことはよく思いだされる。今はもういないのだという寂しさと悲しさに、それでも生きていることを許してもらうように、祈りを忘れたことはない。
少しだけ感傷に浸りながら山を下り切ると、勢いを殺さずそのまま街へと真っ直ぐ向かう。たまに休憩を入れたが、それでもほぼ走りっ放しの状態で街に到着したときには、予想どおり午後も中頃に近くなっていた。
遅い昼食を適当な食堂で摂り、つい仕留めてしまった獣はその食堂の店主に売った。食事に出すと言ってくれたが、ただの癖で仕留めてしまっただけなので辞退し、その食堂で有効に調理されることだろう。
その場から一番近い、シーゼル子爵家へとまずは向かった。
サリヴァンの主治医でもあるエーヴィエルハルト・コール・シーゼルは、ツァインの妹テューリと婚姻し、夫婦共に医療に携わっている。エーヴィエルハルトは医務局に勤める医師でもあり、テューリはメルエイラ家に関わる人たち専属の薬師だ。ナイレンがツァインに頼まれて摘んできた薬草は、エーヴィエルハルトのためではなく、テューリの、そしてメルエイラ家に関わる人たちのためのものだった。
ツァインの連絡が行っていたらしく、ナイレンがシーゼル家に到着すると、テューリが待ち構えていた。
「早かったわね、ナイレン。もう少しかかるかと思っていましたわ」
「今日は邸に人が多かったからな。殿下が出仕を控えて休まれているから、外に出易かったんだ」
「まあ、そうね。この大事な時期に、わたくしの大事な妹を捨て置くような男では困りますわ」
「ははは。だがまあ、ツェイルは落ち着いてきたようだぞ」
「油断は禁物ですのよ」
背負っていた麻袋をテューリの前に置き、中身を少し広げる。真剣な目で確認しながら、テューリは妹ツェイルの様子やサリヴァンの様子、邸の状態などを訊いてくる。その一つ一つにわかる範囲でナイレンが応えているうちに、テューリは自分に必要な薬草を取り分けていた。
「こればかりは兄上にお願いするしか手に入れる方法がありませんから、ナイレンがいてくれて助かりますわ」
「手許で育てられるものは育てているんだろう?」
「ええ。それでも、山でなければ自生しない薬草もありますもの。幾度か試しましたけれど、土が合わないのでしょうね。すぐに枯れてしまいますの」
「まあこれくらいなら、おれが採取してくるさ。間違ってはいないよな?」
「さすがナイレンですわ」
「僅かながら叩き込まれた知識だからな。調合は無理だが」
「そこはわたくしにお任せくださいまし。そのための、薬師ですわ」
良薬もテューリの手にかかれば毒薬に変わる。また毒薬も、良薬に変えられるテューリだ。とくに傷薬は、一般薬よりもテューリ手製のほうがよく効く。近衛騎士隊も、隊長の妹という恩恵にあやかってテューリ手製の傷薬を常備していた。
「……残りはシュネイですわね。あの子ならこれらをよい飲みものにするでしょう」
薬草を取り分けると、これから向かうメルエイラ家にいるシュネイに、よい薬香茶を譲ってくれるようにと伝言を頼まれる。
「ただの草が上手いお茶に化けるんだから、シュネイもすごいな」
「あら、わたくしもただの草を薬に変化させますわよ?」
くすりと笑いながら言うテューリに、「それもそうだな」と微笑み返し、広げて残った薬草を麻袋に戻した。
「そろそろ退散する。陽が暮れる前に邸に戻らないといけないからな」
「お茶くらい用意しますわよ?」
「歩きなんだよ」
「それは仕方ありませんわね……少しお待ちになって」
麻袋を背負うと、テューリがその場を離れ、すぐに戻ってくる。持ち手のついた布の質素な鞄を手渡された。
「兄上がしばらくこちらに顔を出せないそうなの。ナイレンに渡しておきますわ」
「ああ……助かる。いつもありがとうな」
中身は騎士宿舎の常備薬だ。傷薬はもちろん、風邪薬などが入っている。日常的に助けられる薬だ。
「わたくしにはこれくらいしかできませんけれど、お役に立てているのなら嬉しいですわ」
気が強く薬師としての矜持も高いテューリだが、自分にはそれくらいしかできることがないと、いつも無力感を持っている。そんなことはないのに、ツァインのような兄を持ち、ツェイルのような妹を持ったせいか、非力さを嘆く。
「テューリのおかげで、本当に、助かってるんだ。そんな顔をするな」
「優しいわね、ナイレン」
「そんなことはない。さて、もう行くよ」
「ええ。兄上とツェイルと、それから殿下によろしくお伝えして。近いうちにまたお伺いしますわ」
「了解した」
じゃあな、と手を振り、時間も時間なので急いでシーゼル家を出ると、次のメルエイラ家へと向かう。テューリに取り分けてもらったおかげで、残りの薬草はすべてシュネイに渡るので、シュネイが不在でも家人に頼めるだろう。
夕刻前にはヴァルハラ邸に帰りつけるかな、と算段を立て、景気よく走っていたときだ。
「ナイレン」
どこからか名を呼ばれて、ナイレンのその走りも止まる。聞き慣れた声は、なぜか頭上からだった。
「……なんでそんなところにいるんだ、アイン」
なぜか民家の屋根に、その姿がある。
「こっちのほうが障害物少ないからだよ」
「だと思った……」
皇弟近衛騎士隊隊長さまは、移動経路に民家の屋根を使うことがある。理由は本人が述べたとおり、その膂力があれば屋根上は平坦な道となるからだ。
「今帰ってきたんだね。収穫は?」
屋根から降りる気はないらしく、また、まだ帰る気もないらしいツァインは、目ざとくナイレンの麻袋を指差した。
「充分だろう。テューリにはさっき渡してきたぞ」
「うんうん、じゃあ残りはシュネイか。それは僕が預かろうかな」
「? まだ帰る気はないだろう」
「いやいや、僕が行こうと思っている場所にシュネイがいるんだよ。だからついでだね」
「なんだ、やっぱりシュネイは出かけていたか」
「そういうこと。それ、袋ごと寄越して」
「ああ」
そういうことなら、と背負っていた麻袋をツァインに放る。もちろん袋そのものはあとで返してもらうことにする。
「使いっぱしりにして悪かったね。こういうことが頼めるの、ナイレンだけだから」
「おれは慣れているからな。これくらいはいい」
「ありがとう。お詫びに、明日の任務は外れていいよ。ユグドにはそう伝えてあるから、ゆっくり休んで」
用事が済めばツァインの行動は早い。べつに休みを与えられなくてもいいのだが、とナイレンが言う前に、さっさとその場を、やはり屋根上をその膂力で飛び越え行ってしまった。
「なんというか……つくづく神出鬼没だな」
幼馴染で長いつき合いとはいえ、その気配を掴むことには慣れていると思っているナイレンでも、ツァインの行動予測は難しい。行動基準が単純であることは幸いだが、むしろ単純過ぎて可能性の幅が広いので困ったものだ。
「……帰るか」
メルエイラ家へ行く必要がなくなると、あとはもう居宅にしているヴァルハラ邸に帰るだけだ。恋人のところへ行こうかとも考えたが、彼女に安らぎを求めたい気分でもない。そもそも恋人とはいえ、一番に愛した女性ほど彼女を愛しているわけではなく、向こうもそれを理解しながらナイレンを愛してくれている心の広い人物だ。自分には勿体ないほどの彼女を、さて解放してやるべきかとこの頃は考えている。
踵を返し、ナイレンは帰路についた。
空はいい具合に夕暮れになりつつあり、人の歩みも帰路に向かっている。疎らな人気に、今日の平和を感じた。
取り止めのない話でスミマセン……。
*「きみの背中に花束を。」の話に、追記を足しました。