15 : 心を閉じて小さな声で。2
なんだかよくわからないが、とにかくツェイルの格好に満足はしているらしいサリヴァンに、贈ってくれたことの礼を言い、リリが淹れてくれたお茶をゆっくりと飲んでいると、上着を変えたラクウィルが戻ってきた。
いつもの灰色の侍従服ではなく、白い騎士服だ。腰には帯剣までしている。
「……ラクウィルさま?」
「はい?」
騎士っぽいとは思っていたが、これでは本当に侍従ではなく、騎士そのものだ。
「ああ、これですか? おれも、今夜はこういう格好でいなきゃならないもので……あとでご説明しますよ」
「そう、ですか」
「あと、おれのことはラクでいいですよ。さま、とつけられるほど、偉くないもので」
「ですが」
「おれ、平民の出ですから」
「え?」
乳兄弟なら、貴族であるはずだと認識していたが、違うらしい。
「いろいろありましてね。おれは、サリヴァンに拾われたんです。子どもの時分にね」
「……そうだったのですか」
「なので、敬語も不要なのですが……まあ、そこは姫にお任せします」
リリに対してもしばらく時間がかかった口調だ。ラクウィルにもそうしていいと言われても、やはりもう少し時間がかかりそうである。
それに、ツェイルは貴族だから平民だからと、その人を区別しない。メルエイラ家が生粋の貴族ではないからという概念もあるが、そういった偏見がさまざまな場面で邪魔をすることもあると知っているので、そこまで寛大になる必要はないだろうと思っているからだ。
「わたしに対しても、敬語は不要です。リリにもそう言っているのですが」
「おれのこれは地ですよ。リリは……たまに崩れてますから、いいんじゃないですか」
「……そういうことに、しておきます」
ラクウィルの調子の軽さは、その腹が見えない分恐ろしく感じることもあるが、基本的に能天気であるらしいことはサリヴァンとの会話で窺えるので、むしろ逆に気に入っている。ラクウィルのような性格になれたら、と思わなくもない。
「さて、じゃあ行きましょう。夜会は滞りなく始まりました。あとはサリヴァンが入場するだけです」
ラクウィルはくるりと身体の向きを変え、サリヴァンに声をかける。ああ、と頷いたサリヴァンは椅子を離れた。
「公子は?」
「ルカイアが案内して、そばについています」
「そうか……」
スッと、サリヴァンの手がツェイルに差し出される。
「行くぞ、ツェイル」
なにかに怯えているようにも見て取れるサリヴァンの双眸をじっと見つめ、ツェイルはその手を取ると頷いた。
サリヴァンの手のひらは、やはり少し、冷たかった。
「歩きながらで悪いが、説明しておく。隣国、シェリアン公国との問題のことだ」
サリヴァンと手を繋いだ状態で、ツェイルは初めて部屋の外を、廊下が続く側の外を歩く。先導にラクウィルが歩き、ぽつぽつと近衛騎士がついて歩いてきた。
「揉めている、とのことでしたが」
「言ってしまえば戦争と紙一重だ」
「戦争?」
そんな事態になろうとしていたのか、とツェイルは瞠目する。
ここ十数年、ヴァリアス帝国は平和を維持していた。もともと戦争の経験もそれほどあるわけではなく、だがしかし機械技術がほとんどの国民に浸透しているほど特化した先進国だ。三大国と呼ばれる一つに座していることで、どこの国もヴァリアス帝国には刃を向けず、いかに仲良くやっていくかを常に練るほどの力を、ヴァリアス帝国は所持している。
ゆえに戦争など、ツェイルはメルエイラ家の者ゆえに知識を持っているが、経験した者はそう多くない。
「シェリアン公国は、多民族の集合体。情報の国だ。ゆえに、流れるものが多い。流されるものも然り。その中に、武具の大量流出と、密輸、密造があった」
「武具……エンバルのもの、ですか?」
「ああ」
ヴァリアス帝国北部に位置する工業都市エンバルは、大型の武具開発、製造を主体とした工業が最も発達した街で、ツェイルも幾度か行ったことがある。個人が所有する武具を開発、製造する職人もいるので、メルエイラ家が御用達にしている職人がそこにいるのだ。
「なにかのためにと目録を作らせておいたことと、商人が襲われる事件が続いたことで、その詳細がわかった。どうも賊は、丁寧でな。武具だけ奪えばいいと考えたらしい。魔の仕業にもできただろうに、それをしなかった愚かさが、流出先を割り出させてくれた」
「まさかシェリアン公国に?」
「そう。だから問題になった。エンバルの武具は、即ちヴァリアスの武具だ。それらを持った奴が公民を傷つけてみろ。責任はヴァリアスに来る」
ヴァリアス帝国の武具は、少々特殊だ。他国には真似できない技術で製造されているため、一目でわかる。ゆえに、輸出は制限され、国家間でのものに限られていた。武具に限らずヴァリアス帝国には経済を安定させられるものを輸出できる力があるからこそ、できることだった。
「……なにがしたかったのです」
「ヴァリアスを、シェリアンの後宮争いに、後継者争いに、介入させたかったらしい」
瞬間的にツェイルは、わが身のことを考えた。
サリヴァンの身を考えた。
ツェイルはルカイアに攫われるようにして、後宮に来た。
サリヴァンは婚姻を渋り、後宮に多くの妃候補を、宰相を始めとする上位貴族の思惑によって集められた。
まるで明日にも自分に降りかかりそうな争いだ。
「……ツェイル」
俯いたツェイルを、サリヴァンが案じてきてくれた。
「いえ……まるで、今のわたしのような、状態だと」
「おれもそう思う。だが、後宮に滞在していた者たちには、ツェイルとの婚約が決まったその日に、全員に退去命令を出した」
「え?」
「刺客に襲われたことを、申し訳ないが利用させてもらった。そうでもしないと、側室にどうかとまた押しつけられるからな」
うんざりだ、と言わんばかりにサリヴァンがため息をついたので、兄の愚行も少しは役に立ったらしいとツェイルはホッとする。
「そのたびは本当に申し訳ないことを致しましたが、利用できる価値があったことには感謝します」
「……ツァインの目論見どおりだ」
「は?」
「いや。とにかく、ヴァリアスが同じ轍を踏む事態は避けた。そもそもツェイルが婚約者となって、文句を言える奴などいない」
「……言われましたが」
「だから今、おまえはここにいる」
ツェイルが夜会に出なければならなくなったのは、そのことが要因でもあるらしい。
「上位十二貴族なら、メルエイラ家の力を知っているからな。そういう者がおれのそばにいるなら、と諦めるのがふつうだ」
「けれども、諦めないお方がいる、と」
「そういうことだ。まあ、そうやって野心が無駄に強い貴族を炙り出すのを、ルカは目的の一つにしているが」
「ルカさまの目的……」
争いを避けたいと考えるなら、そう考えるサリヴァンの意向を汲むべきである。ルカイアはそれを汲んでいると考えていいだろうが、サリヴァンの様子からなんだか不服そうに見える。
「ルカの考えていることは、手に取るようにわかる。わかるから、なにをされるかわからない。ツァインが刺客を放ったこと、ルカが背後にいたのだと、くれぐれも忘れてくれるな」
「それは……ですが、なぜルカさまがそのようなことをしたのか」
わからない、と首を傾げれば、サリヴァンはたびたびため息をついた。
「おれを国に縛りたいからだよ」
「……サリヴァンさまは国主でございましょう」
国主は国に縛られ、犠牲となるものだ。皇帝陛下は国の象徴となり、国のためにその身を削るものだ。それを自覚しているようであるサリヴァンを、さらに縛りたいと考えるルカイアの考えは、ツェイルにはいまいち理解できない。
「ルカは、おれの言葉を信用しない」
「なぜ?」
「さあな……もともと利害が一致しているだけの関係だ。そこまでは許容範囲にないというだけのことだろう」
利害が一致しているだけの関係。
前にも聞いた言葉だ。
貴族の中には、将来を考えて、親が勝手な行動を取ることが多々ある。学友であったり幼馴染という関係を強要したりするのも、その一つだ。無理にその関係を作らせられるわけだが、当人たちにしてみれば親のその意向など関係ない。気が合えば一生ものの関係はできるし、気が合わなければそれは消える。
サリヴァンとルカイアには、そういった親の強要関係が見えなかった。
「幼馴染、なのでは?」
「ラクほど一緒にいたわけではない。それに、おれが一方的にそう考えるだけで、ルカはそう考えてもいないだろう」
それは、なんだか寂しくなる言葉で。
やはりサリヴァンの瞳も、悲しげだった。
「今宵はルカを危険視する必要はないが……まあ、なにも起きないことを祈るしかないな」
「……なにも、起きません。今宵は、なにも」
「そう、だな」
繋いだ手のひらを、互いにぎゅっと、強く握った。
「……着きましたよ、おふたりさん」
ラクウィルの声に、揃って足が止まる。
対峙した扉の向こうから、艶やかな音楽と人の声がした。