Plus Extra : 第九特務騎士隊追想録。3
■ 八席シュベルツ・ストライカー。
切羽詰まったようなココノエに、護衛任務を交代してくれ、と頼まれ、その剣幕に一瞬頷きそうになった皇弟近衛騎士隊八席シュベルツ・ストライカーであったが、手を離せない事情があったために、一緒にいた六席クラウスがココノエと任務を交代した。
「ど、どうしたよ、ココ」
ココノエは本日、マノウと共にサリヴァンの護衛任務にあったはずだ。遊び盛りなサリヴァンにつき合って運動していたと思っていたのだが、いったいなにがあったのか。
「ここは、喋らなくていい」
「はあ?」
意味不明な事情説明であったが、説明もしたくないのか、ココノエはつかつかとシュベルツの傍らへ歩み寄ってくると、隣に屈む。
「……ココ?」
ココノエの登場に、ちんまりと首を傾げたのはサリヴァンの妻、ツェイルである。シュベルツが手を離せない事情とは、盤上遊戯の必勝法をツェイルに伝授していたがためだ。
「姫、ここは、こう」
「ああおい、こら、そんな見え透いた駒の進め方を教えるなっ」
「こう進むと、こっちの駒が取れる」
「ココノエ!」
楽な勝ち方ではなく、負けを感じさせない勝ち方を教えていたのに、ココノエは勝手に楽な勝ち方をツェイルに教えてくれやがる。せっかくの戦況を台無しにされたが、ツェイルの目は輝いた。
「……ここは?」
「こっち」
「……。ルツ、次」
ココノエを味方につけたツェイルが、さあ次はシュベルツだと、きらんきらんに目を輝かせているものだから、シュベルツはがっくりと肩を落としつつも盤上遊戯の駒を進める。
「はぁぁ……駄目っすよ、姫。殿下に勝つには、そんな駒の進め方すると、意地悪してくるんすから」
いったいなにがあってココノエが護衛任務の交代でここに来たのか不明であるが、まあココノエのことである、喋るのが億劫になって、あまり喋らなくて済むツェイルのほうへと逃げてきたのだろう。かまいたがるサリヴァンでは、元来寡黙であるが口の悪いココノエが最後まで相手をできるわけがない。
「せっかくいい感じの戦況だったのに……」
ぶつくさ文句を言いつつ、盤上遊戯の駒を進めていく。仕方ないのでココノエ的戦略に合わせてやるシュベルツであるが、これを幾度も繰り返せばツェイルの勝率は下がるので、ほどほどに力を抜いて相手をした。
それに、ツェイルに楽しそうにされると、その雰囲気を壊したくない想いにも駆られる。勝率はどうあれ、まあツェイルが楽しんでいるならいいかと、諦めも早いシュベルツだ。
「……ルツに勝った」
「そうっすねえ……まだやります?」
「もう一回、勝ちたい」
「んじゃ、次いきましょー」
ふかふかの絨毯にぺたりと座り、盤上遊戯に夢中なツェイルは、昼を過ぎた辺りからずっとこの調子で、お茶の時間になっても飽きない。サリヴァンがこの遊戯にえらく強いため、一矢報いたいからだ。その一生懸命さは可愛いと思う。思わず撫でたくなるシュベルツであるが、手を出そうものなら近衛隊長の剣が飛んでくるので、ほのぼのと見守ることに安寧を得ている。
「満足したら、凝り解しに稽古しますか」
「……いいのか?」
「殿下も今日は遊んでますからねぇ」
「……うん」
いつもならべったりとふたりでその世界を作っているツェイルとサリヴァンだが、今日はそれぞれ、思い思いに遊んでいる。護衛が二手に分かれているのもそのためで、サリヴァンはともかく、ツェイルには護衛など要らないようなものだが、この盤上遊戯のためにふたりの護衛をそばに置いていた。
というより、ツェイルが盤上遊戯に夢中になってしまったため、放置されたサリヴァンが拗ねて、鬱憤晴らしに騎士隊の彼らを投げ飛ばして遊び始めたのだ。もっとも、その被害者となるのは末席のマノウだけで、他の隊員は上手く逃げていた。
「む、む、むぅ……ココ」
「へい」
「こら、姫、だからココの戦略は駄目だって」
ココノエ的戦略はツェイルに盤上遊戯の基本を上手に理解させるものであるが、全体的な勝率が上がるものでははい。それを言ったところで今日のツェイルはただ勝ちに拘るだろう。勝ち方に拘って欲しいシュベルツであるが、もう今日は仕方ない。ツェイルが満足するまで、手は抜かないが勝たせ続けようと、シュベルツは苦笑した。
それにしても、なぜツェイルはここまで、盤上遊戯に弱いのか。この歳になるまで触れたことがなかったらしいが、そもそも戦力としては皇弟近衛騎士隊をひとりで相手できるほどで、その戦闘力はシュベルツたちを上回る。あの知識を、どうしてここで活用できないのか、不思議なシュベルツだ。ツェイルの味方になっていたココノエも、しばらくするとそれに気づいたようで、首を傾げていた。
「姫、ほらそこに、味方の駒があるでしょ。それ動かせば、おれのほうに打撃を与えられますよ?」
「ん? ああ……そうか」
「それに、そこの駒も、この場面で有効に使わないと、せっかくの強さを引き出せませんよ」
「む、む……ココ」
「いやだから、ココは駄目だって」
考えてみればツェイルの戦い方は、ひとりきりの戦闘だ。誰かを頼った剣を揮うことはない。それが盤上遊戯で、顕著になるのだろうか。
シュベルツはじっと、ツェイルを見つめた。
われら騎士隊が仕える皇弟殿下の、最愛の伴侶。初めて顔合わせをしたとき、たかだか少女でしかないツェイルに、ぞっとしたものを覚えた。おそらくシュベルツだけではない、ココノエだって、ほかの彼らだって、ツェイルにそれを感じたことだろう。
なにが、そう、怖かったのか。
「……ルツ?」
「ん? ああ、おれの番っすね」
こん、と音を立てて、駒を進める。
出逢った当初こそ感じた怖さを、今のツェイルからは感じられない。剣に命を預ける者だからこそ感じたそれを、ふだんのツェイルから感じ取ることは難しくなっている。稽古のときでも、隊長や副隊長を相手取っているとき以外は、感じられなくなっている。
それが、サリヴァンとの触れ合いで変わったところ、だとシュベルツは思っているが、自分たちも一役担っていたとも思う。こうして盤上遊戯で、遊ぶことを覚えたくらいには。
「……ルツ、考えごと?」
「ええ、まあ、姫に逢ったばかりの頃をちょっと」
「……なにか、変だった?」
「いえ、今と変わらず、お可愛らしかったですよ。ただ、ちょっと怖かったなぁと」
「こわい?」
「なんてんでしょうね、ただ怖かったんですよ。こっちが……そう、心配になるくらい」
「……そんな、だったかな」
「そんなでしたよ。ココもそうだろ?」
いつのまにか駒を進める手を休め、シュベルツは同じ意見を持つだろうココノエに視線を移す。上手く答えられない様子のココノエだが、沈黙はつまり、肯定だ。
「今はそんなことないっすけどね。殿下といちゃいちゃしててくれて、楽しそうでいいなぁと思いますよ」
「いちゃいちゃ……」
「殿下と姫は、出逢うべきして出逢ったと思います。姫もそうですけど、殿下も、だいぶ変わりましたからね」
「……サリヴァンさまは、どう変わられた?」
「よく笑うようになりましたね。作り笑顔じゃなくて、本当の笑顔で。あと、おれたちがいるんだってことを、漸く認知してもらえたかな」
ひとりだったのだ、サリヴァンは。なにをするにしても、そばにラクウィルという侍従がいても、どこか、ひとりだった。シュベルツが心苦しくなるくらいの孤独が、サリヴァンを包んで離れなかった。
それが今はどうだろう。
サリヴァンは、自分たちで遊ぶことを覚えてくれた。きっとみんな、微笑ましい気持ちで、背負い投げの被害に遭わないよう逃げながらも、喜んでいるはずだ。
「もう殿下は、ひとりじゃないんですよ。姫がいて、おれたちがいて、みんなが殿下を愛してんですから」
「……あげないよ?」
「へ?」
「サリヴァンさまは、わたしの」
「ああ、そういう意味じゃないですよ。この気持ちは、親愛です。ですからもちろん、おれは姫も好きですよ」
にっと笑うと、ツェイルはあまり意味を理解できなかったようであるが、シュベルツが伝えたいことは感じたようで、こくりと頷いた。
「わたしも、みんな、好き」
噛みしめるように呟き、ふわっと笑ったツェイルを、やはりシュベルツは撫でたくてうずうずした。




