Plus Extra : 第九特務騎士隊追想録。1
*サリヴァンの騎士隊視点での物語開始となります。
楽しんでいただければ幸いです。
■ 末席マノウ・アズ。
第九特務騎士隊、と言うと、どの人も一様に首を傾げ、「それはどこの部隊だ?」と訊いてくる。浸透していない部隊名だから仕方ない。そもそも第九特務騎士隊とは紙の上にのみ記されている部隊名であり、隊員は皆「皇弟近衛騎士隊」と自らを呼んでいた。
マノウ・アズは、第九特務騎士隊、隊員が言うところの「皇弟近衛騎士隊」の末席をいただいている騎士だ。末席とはつまり第十席であり、実力主義の隊の最下位であり、若輩者ゆえの下っ端である。
ゆえに、
「マーノゥ」
「マノウです、間延びさせないでください、殿下。なんですか?」
「おれに投げられろっ」
「は?」
遊び盛りが遅くに訪れたお茶目な主人、皇弟サリヴァンのよい遊び道具にされるのも、マノウの席次では享受しなければならないことだ。
「……いたい」
「うむ……マノウであればよく投げ飛ばせるのだがなぁ」
「当たり前でしょう……あたたた」
背負い投げに最近やけに凝っているサリヴァンは、白金の髪を少々乱したくらいにして、投げ飛ばしたマノウが起き上がるのを検分しつつ首を捻る。
運動が苦手なサリヴァンにしてはよくやったと褒められるべきことかもしれないが、マノウがサリヴァンにあっさりやられたのは、これはマノウの実力がサリヴァンに劣っているわけではなく、単純にマノウはサリヴァンが「皇弟」であることから油断が生じただけだ。
「なんで抵抗しない」
「ご自身を顧みてください」
サリヴァンが背後を振り向く。
「……なんのことだ?」
「あ……いや、すみません」
顧みて、と言ったから、サリヴァンはここに来るまでの道程を確認してみたらしい。
たまに残念な発想に行動が伴うサリヴァンに、マノウは自身の言葉が悪かったのだと反省する。立場をお考えください、と言うべきだった。
「ところでマノウ」
「う。はい、なんでしょう」
「おまえ、あのときいたか?」
「いつのことでしょうか」
「おれのツェイで騎士隊が遊びやがったとき」
はて、とマノウは記憶を探る。
サリヴァンの妻、ツェイルが、皇弟近衛騎士隊に遊ばれたのは、ちょっと前のことだ。そのとき、マノウは近くにはいたが参加はしていなかった。隊員のほとんどがサリヴァンに投げ飛ばされるという面白い事件だったが、残念ながらマノウは近くにいただけ、実際に投げ飛ばされた隊員ではなかったのである。隊長たるツァイン・メルエイラと共に、彼について任務についていたせいだ。
「隊長と出ていたので、最終的に近くにいましたね」
「そうか……どうりで」
「? なんですか」
「おまえをよく、ツァインの隣で見かけるな、と思ってな。あのとき、おまえを投げ飛ばした記憶がないんだ」
「ああ……」
「ツァインと仲がいいのな?」
「それは気のせいです。隊長と渡り合える人なんて、ナイレン副隊長とユグド隊長くらいです」
「はは、ナインとユートはなぁ……」
ふと、そういえば、とマノウは小首を傾げる。
「殿下こそ、僕らより以前に、隊長とはお知り合いだったようですね?」
ちょっとだけ気になっていたことだ。
隊長ツァインを除いた皇弟近衛騎士隊の者たちは、サリヴァンが仮初めの皇帝として表舞台に立ったときに初めて顔を合わせた者ばかりで、マノウもそのひとりだった。しかし、ツァインだけは、それより以前にサリヴァンと知り合っていたようなのだ。おまけに随分と親しげで、サリヴァンを小ばかにするような態度を取るなど、ツァインだけだった。
「随分と仲がよさそうに見えたんですが」
「それこそやめてくれ」
なぜかげんなりと、サリヴァンは肩を落とした。
「あいつにはなにか投げつけられた記憶しかない」
「投げつけられた?」
「よくものを投げるだろう、ツァインは」
「ああ……まあ、そうですね。おもに人を」
サリヴァンがマノウを背負い投げして遊ぶのは、ツァインがよく人を石かなにかようにひょいと投げ飛ばすからだ。ツァインがあまりにも軽々とやるので、自分にもできるかもしれないとやり始めたのがきっかけである。今のところサリヴァンが正面から挑んで投げ飛ばせるのはマノウだけだが、ほかの隊員も被害には遭っている。
「最初はなんだったか……ああ、あれだ、鉢植え」
「は、鉢植え?」
「これくらいの……かなり大きいやつな」
これくらい、とサリヴァンが表現した大きさは、一般的な鉢植えではなく、樽くらいだ。かなり大きい。
「な……なんでまた、そんなものを」
「知らん」
「へ……」
投げつけられた理由を知らないとは、なんというか、サリヴァンらしい。面白くなさそうな顔をしている今でも、その当時のことはよくわからないようだ。
「ちなみに、いつですか」
「さてな……ラクがまだ天恵術師として師団にいた頃だから、十年くらい前か?」
「へえ……けっこう昔ですね」
「そうだな。今よりもっと危ない気配をさせていたと思うぞ」
「……。隊長は今でも充分、危険を匂わせますが」
「それよりもっとひどい時期があったんだよ」
肩を竦めて苦笑したサリヴァンは、その当時のツァインが研ぎ澄まされた刃のように感じられたらしい。マノウにとっては今でも充分なほど、ツァイン・メルエイラという隊長は恐ろしい人物だ。今よりひどい頃があったなど、恐ろし過ぎて身震いさえする。
「よく、無事でしたね」
「は……本当にな」
思い出すだに顔が引き攣るらしいサリヴァンだ。
「ツェイに出逢わなければ、あの頃の関係が今も続いていただろうな」
「関係?」
「ほかに言わせれば今でもそうらしいが、おれにとってはあの頃がとくに、歪な関係だったように思う」
「歪って……」
「あの頃は、友人ですらなかった。今のような関係になるとも、思ってなかったな」
サリヴァンが言う関係とは、主従のそれだろうか。確かにツァインはサリヴァンをあるじとして接するも、態度はそれらしくなく、かといって友人だというにはツァインのサリヴァンへの忠誠度は高い。むしろ絶対的だ。マノウはツァインがサリヴァンの命令を無視した姿を見たことがない。以前はそういう関係ではなかったということだろうか。
「ツァインは、異常な生活をしていたらしいおれから見ても、異常を感じさせたんだ」
少し困ったような、それでいて懐かしそうな顔をしながら、サリヴァンが庭先をゆっくり歩き出した。マノウは護衛のためにもその後ろにそっと続き、サリヴァンの呟きにも等しい思い出話に耳を傾ける。
サリヴァンからこういう話を聞く機会は少なく、隊員ひとりひとりとの出逢い話はとくに、こちらから訊ねてみなければ妻ツェイルにすら語らない。よい思い出ではないからなのかと思われがちだが、そうではなく、時系列がサリヴァンは狂っているので、いつだとはっきり口にできないせいだ。たまに聞くと話の時系列があべこべのときもある。
「殿下は……その、幽閉されていた、のですよね」
「ああ。おれにその自覚はなかったがな」
「隊長とは、その間に?」
「フェンリスに頼んでアウニの森へはよく遊びに行っていたから、そのときだ。ラクを拾ったのもアウニの森だからな。外界との接触を持っていた唯一の場所だと言えるだろう」
サリヴァンの過去は、平凡にこれまでを生きてきたマノウにすれば、壮絶だ。呆気羅漢としたサリヴァンの気性が、そのなかで形成されたのかと思うと、よくぞここまで真っ直ぐに育ったと思うくらいには、異常な世界だとマノウは思う。
そんなサリヴァンが、出逢った当初のツァインが異常だと感じたのは、わからなくもない。異常な生活をしてきた者同士、どれが正常なのか、判断できるわけがないのだ。とくにサリヴァンとツァインは、互いに己れの状態に異常さを感じていなかったわけだから、違和感がひどかっただろう。いや、ツァインは今でも、己れの異常さを感じていない。
マノウはサリヴァンも不思議だが、ツァインのほうがもっと不思議だった。気の狂いようが、異常を感じさせるのに正常も感じさせる、そんな生き方をしているツァインが、サリヴァンをあるじと仰ぐそれに。
「殿下はなぜ隊長を……ええと、おそばに?」
「ああまあ、それは……賭け、だったかな」
「賭け?」
「誰かに認められたがっていたんだ、ツァインは。救われたいと思っていたんだ。だからたぶん、本当に誰でもよかっただろう。たまたまおれがそこにいただけに過ぎなかっただろう。自分のもどかしさに、在り方に、進み方に迷っていたところに、おれがいた。ツァインにとっておれは、それだけの存在に過ぎなかったんだ」
だから賭けを持ちかけられて、それに乗ったんだと、サリヴァンは笑う。
「結果的におれが負けたから、ツァインはおれのそばにいる」
「……殿下が勝ったから、ではないのですか?」
「おれが勝っていたら、ツァインは今頃、ここにはいないさ」
おれもいなかっただろうが、と肩を震わせて苦笑し、庭先を散歩している猫な精霊バルサを見つけたサリヴァンは、そちらへと歩いていく。サリヴァンの到着をその場で待ったバルサが、その巨体をゆったりと地べたに下ろし、サリヴァンの抱擁を気持ちよさそうに受けた。
「隊長との賭けとは、なんですか?」
「ん? んー……そうだな、愛の行方、だ」
「愛?」
「或いは、存在への渇望か」
発想が残念な方向へ行くことが多いサリヴァンにしては、なんとも抽象的だった。
「難しいことを、おっしゃいますね」
「理解しろとは言わん。おれだって、今でこそそこそこ理解できるが、不明な部分も多いんだ。ツァインが本当はなにを考えていたのか、とかな」
「隊長の思考は理解範疇を越えます」
「面倒とか邪魔とか、そういうことだけで動ける奴だからな」
そういえば、ツァインを心から理解できる人というのは、本当にいるのだろうか。たとえば幼馴染だという副隊長ナイレン・ディーディスも、大抵はわかるが心の奥底までは把握できないとため息をつく。隊長と渾名にされているユグド・シュミッドも、こちらは理解しようとはせず、そのままをただ受け入れているだけだ。
考えてみると、この第九特務騎士隊は、それぞれがひどく個性的だ。マノウは、自分がもっとも平凡に生きてきたと思っているが、あるじを選んだ時点でそうではなくなっている。ほかの隊員にしても、皇弟サリエ・ヴァラディン・レイル・ヴァルハラを最上のあるじと仰いだ時点で、その軌道を外したと言えるだろう。
自分たちをそうさせるなにかを、サリヴァンは有し、だからこそツァインもそうなったと思えば、自分たちの存在は不思議でもなんでもなくなる。
「マノウこそ、なぜおれをあるじと仰ぐ?」
問われて、しかしマノウはさほど考えなかった。
「殿下のおそばで、殿下に仕えたい。そう心から思ったからです」
心に感じたまま、己れを信じてここにいる。間違ったとは思ったこともないし、後悔を感じたこともない。
サリヴァンは困ったように、けれども嬉しそうに、笑っていた。
リクエストいただきましたお話を最初に、とりあえず思い出話として出させていただきました。
リクエストありがとうございました。