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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【PLUS EXTRA.Ⅰ】
153/170

Plus Extra : 見上げれば太陽、月。そしてあなた。追記。2

*ツァイン視点、後半少しサリヴァン視点です。

 前話の続きになっています。





 闇夜の中に佇む野良の騎士は、王城にいたこともあるだけに、身綺麗にすれば年齢さえも偽れるくらいに秀麗だ。濃い金色の髪も、珍しい朝焼けの双眸も、貴族だといえば貴族らしい風貌である。


「よくそんな恰好で歩いていられるね?」

「……ひとのことが言えるのか」

「僕はほら、これでも皇弟近衛騎士隊長さまだから」


 ツァインも野良の騎士と同じように身綺麗にしていたが、彼と決定的に違うのは、ツァインのあるじは存命である、という点だ。

 野良の騎士はあるじを失っている。五年、いや六年ほど前に、野良の騎士は最愛のあるじを失い、それでもなお大地に立ち、世界を嘲笑うかのような朝焼けの双眸で前を見据えていた。


「訊きたいことがあるのだけれど、あなたは答えてくれるのかな」

「なにが知りたい」

「おや、意外とあっさり?」

「メルエイラを敵に回して生き残れるとは思っていない」


 野良の騎士は、想像以上の剣才がある。それを驕らず、密かに周囲を取り囲んでいるツァインの部下たちの気配に、警戒を見せた。


「そもそも、モルティエの遺児に、なにかする気もない」

「……うちの父上さまをご存知か」

「ヴェナートの真意に誰よりも早く気づいた。さすがだ、メルエイラ一族」

「いつでも僕らメルエイラは忌避されてきたからね、人の感情を読むすべには長けているわけ。そう、うちの父上さまは、先帝の真意に気づいていたか……あのひとも人が悪いなぁ。僕には教えてくれなかったよ」

「おまえのあるじはサリエだ。ヴェナートではない」

「と、いうと……うちの父上さまは先帝をあるじと認めていたわけか」

「さあな。そこまでは知らん」


 感情というものがよくわからないから、ツァインは誰からも警戒されないように常に微笑んでいるが、野良の騎士は壊れた人形のようにまるで表情がない。ツァインのように理解できないのではなく、特定の人物以外に動く感情を持ち合わせていないのだろう。

 哀れな人間だ、とツァインは唇を歪める。

 いっそ理解できないほうが、心身ともに楽であっただろうに。

 その人のためだけに動く感情なんて、苦しくて仕方がないだろうに。


「あなたは殿下になにがしたいわけ?」

「なに、とは?」

「殺気は感じられないから、その気はないのだろうけれど……僕からすると、得体が知れなくて気持ち悪いんだよね」


 けっきょくのところ、とツァインは野良の騎士と同じように真顔で問う。


「あなたは、どちらの騎士? 先帝? それとも先帝弟?」

「……どちらだと思う」

「言動は、先帝寄りだよね」


 さあどちらだろう、とツァインが小首を傾げると、野良の騎士は忌々しげに唇を歪めた。


「ガラン・オル・アークノイル」

「……それ、先の宰相?」

「無自覚の《天地の騎士(ディバイン)》だ」

「え……」

「もっとも、おれは認めたくもないが」


 不服そうな顔は、自分以外の《天地の騎士》を認めたくないから、なのだろう。


「おまえも知っているだろう。おれが、もともとイディアードのディバインであると。その通りだ。おれはイディアードのディバインで、ヴェナートのディバインではない。ヴェナートのディバインは、ガランだった」

「……それは新しい情報だね」

「当たり前だ。誰も知らない。だが考えてみろ。ヴェナートの生涯において、誰よりも長くそのそばにいたのは、シオンやおれではない。ガランだ」


 ガランが誰よりも長く、そして近くに、ヴェナートのそばにいた。そう言って、野良の騎士は苛立たしげにため息をつく。


「ああ……だからあなたは、先帝の命令がない限り姿を見せず、天恵を見せることもなかったのか」

「ヴェナートが望まぬことを、イディアードのディバインであるおれができるわけがない」

「なら、どうして、そこまで先帝につき従う? イディアード殿下のディバインなら、べつに、先帝に従う義理もないだろう。皇帝だったから忠誠を? まさか、あなたがそんな殊勝な性格とは思えない」

「ヴェナートはおれの世界だ」

「……世界?」

「剣も、学も、あらゆる生の手段を、ヴェナートに教えられた。イディアードの剣となり盾となれと、育てられた。そのためだけに存在していた」


 ツァインは目を細める。

 先帝弟が野良の騎士の本当のあるじなら、自害した先帝弟を護れなかった騎士だ。育ての親と言っていい先帝の言葉も、護ることすらできなかったでき損ないの騎士だ。

 本当に、なんて哀れな騎士だろう。


「よく生きていられるね」

「それがヴェナートの意思なら、従うしかない」


 ふと思いついた。


「ああ、そうか……あなたも狂犬なのか」


 先帝を世界だと言った野良の騎士は、先帝が神であり、親であり、兄であり、友なのだろう。心を傾ける相手として、その名称はなんだっていい。その先帝に、生きろ、と言われてしまったら、野良の騎士は死を許されないのだ。


「ねえ、死にたいなら手を貸すよ?」


 ひとりで死ぬことは許されていないだろう、と問えば、野良の騎士も目を細めた。そうしてふと、ツァインから視線を逸らす。


「まだやり残していることがある」

「それはなに?」

「子どもを見ていない」

「こども?」


 なんのことだ、とツァインが首を傾げると、野良の騎士の視線がツァインに戻ってくる。嘲笑うかのような朝焼けの双眸が、静かに凪いでいた。


「シオンに、子どもを腕に抱けと、言われている。自分の代わりに、ヴェナートの代わりに、イディアードの代わりに、自分たちが愛していることを伝えるために、子どもを腕に抱けと」

「それは……」


 まさか、とツァインは自分にはらしくなく瞠目する。


「一度きりだったんだ。シオンが、サリエに逢うことができたのは。ヴェナートが、サリエを腕に抱くことができたのは」

「……本当にそんなことが?」

「言ったはずだ。ヴェナートはシオンを愛していたし、シオンはヴェナートを愛していた。そこに嘘はない」


 そう聞いたとたん、自分は関係者であって当事者ではないのに、ツァインはなぜか、安堵してしまった。ツァイン自身、ツェイルという最愛の妹がいて、その大切な存在と出逢えるようにしてくれた両親のことを、それなりに愛しているからだろう。

 そう、親だったのだと、思えたことに安堵したのだ。


「殿下の子どもを腕に抱きたいのか」

「シオンに言われている」

「……僕も、ツェイルの子を腕に抱きたい」


 そこには夢がある。

 ああそうか、この野良の騎士は、ただただ生きているのではなく、命令を享受してそこに生きている騎士だ。


 はは、とツァインは声を出して笑った。

 この野良の騎士を殺そうと思っていたのに、その気が失せた理由が、なんとなくわかった。


「……ほかに訊きたいことは?」

「殿下に御子ができるまで、そうしてそばをうろちょろするつもり?」

「これまでと変わらない。用事があれば、出てくる」

「ああ、今回は用事があって出てきたわけか。殿下が無事に帰ってきてなによりだよ」


 命令に忠実な騎士は、どこまでも従順に生きている。死を願いながらも。


「ほかに用事がなければ、おれは行くが?」

「今はもう終わり、かな。ねえ、あなたは僕になにか訊きたいことはないの?」

「ない。と、言いたいところだが……」

「なにかな」


 もう終わりなら立ち去ろう、とツァインに背を向けた野良の騎士は、けれどもちらりと振り返った。


「サリエは、シオンを憎んでいるのか」


 それは不思議でもなんでもない問いだった。答えに難しくない、とでも言おうか。


「さあね。それはわからないな」


 脳裏に思い浮かべられるあるじのことを、なに一つ知らない、とは言わない。


「ただ、僕はこれまで一度も、殿下の口から元皇妃の話を聞いたことがない。まあ僕から訊いたこともないけれど」

「……けれど?」

「殿下のことだから、知らないひとに対してなにを思えばいいのだろうな、とか、言うと思うな」


 野良の騎士の表情は変わらなかった。さらりと吹いた風に濃い金色の髪が揺れ、少し俯きはしたが、その下になんの感情も見せなかった。

 けれども。


「そうか……」


 安心した、のだろう。表情からは窺い知れないことだが、ツァインの目から見て、野良の騎士は安堵しているように見えた。


「ほかにはある?」

「自分の目で確かめる」

「そう。まあ、それが一番かな。ああただ……」

「なんだ?」

「ツェイルは、どうしても、先帝たちのことを許せないようだから。怨んでいるわけではないけれど、許していいとも思ってない。僕も、その所業を許していいとは思ってないから」


 そこは間違わないで、と伝えると、野良の騎士は頷くことなく、仕方なさそうにゆっくりとツァインに背を向け、そうして一瞬のうちに姿を消した。


 忽然と姿を消してくれた野良の騎士に、ツァインは唇を歪める。


「あの天恵……ジークフリートはともかく、侍従長に対しては厄介なのだけれど……同じことが言えるのかな」


 ラクウィルと似ている、と本人に言ったら、嫌がるだろうことは予想できたけれども、思ったのだから仕方ない。


「逃がしてよかったのか」


 ふと、一対一での対峙を許してくれていた部下、とはいえ威厳的なものはツァインよりも遥かに上回るユグドが、静かに現われた。


「僕からその気配が消えている、と言ったのはあなただよ、ユグド」

「矜持が許さないかと」

「僕の矜持なんて、ツェイルを前にしては意味もない。そもそも、この僕にそんな矜持があると思う?」

「……ないな」

「僕は思ったようにしか動かないよ。なにせ、感じられないからね」


 肩を竦めて笑うと、ユグドのほかにも隠れていた部下たちが、ぞろぞろと明かりの下に出てくる。それぞれが一様に複雑そうな顔をしていたが、それはツァインが野良の騎士を逃がしたことへの不満ではなく、野良の騎士から語られたことへの奇妙な感覚からだった。


「みんなして、変な顔をしているね」


 揶揄するように言えば、部下を代表してクラウスが口を開いた。


「悪いひとなのか、そうでないのか、よくわからなくて。隊長は、どうして彼を行かせたんですか?」

「そうだね……殿下の言葉を借りると、害がないから、かな」

「ああ……確かに害はないんですよね。心臓には悪いけど」

「はは、そうだね」

「これからどうします? あの騎士、もうおれらも気配は憶えましたから、なにがあっても問題はありませんけど」

「害はない、ということを念頭に、自己判断に任せるよ。ただ、きみたちも聞いただろう。あの騎士にはやり残したことが一つある。その機会がいつ訪れるかはわからないけれど、そのときが来たら、ね」


 任せるよ、と適当な命令でも、それだけで理解できるクラウスたち部下である。持つべきものは優秀な人材だね、とツァインは笑った。









 ふと感じた潮の香りに、サリヴァンは目を開けた。隣にツェイルの姿と、そのぬくもりを得て微笑むと、ゆっくりと身体を起こす。


「忍ようにしか現れないのは、ラクへの配慮か」


 問いは、窓からの影に向けられた。ゆらりと揺れた影は、僅かに開いていた窓をさらに開け、月明りを背にして現われる。


「嫌われたものだ」

「ラクだからな。同族嫌悪だ」

「似ても似つかぬ性格だと思うがな」

「だがツァインは気づいただろう。自分と同じ、ラクと同じ、それなら自分はいずれああなるのか、とな」

「そのつもりがあるのか」

「いいや。おれは最期まで面倒を看ると決めている。禍根は残さない」

「羨ましいことだ」

「いい迷惑かもしれない」

「騎士はあるじがいてこその騎士だ。おれはそう思う」

「そうだな」


 小さく笑って、影を見つめる。ラクウィルやツァインに「野良の騎士」と呼ばれるようになったウィードは、随分と身綺麗になっていた。いや、よく見ればその姿は、地方にある砦に駐在する騎士団の騎士そのものだ。


「……よくまあ見事に潜り込んだな」

「おれは有名な騎士ではないからな」

「だが目立つだろう。とくにその特徴的な瞳と髪」

「べつに。どこにでもある」

「おまえほどはっきりとした奴もいないと思うがなぁ」


 ツァインたちも気づいたことだろうけれども、ウィードほど実ははっきりとした存在はいない。だが、それを自負しているのか、ウィードは存在感を消して大衆に紛れ込むのが上手い。木を隠すなら森、ということだ。


「……サリエ」

「ん?」

「生きろ」


 なにを今さら、という言葉だった。


「心配しなくとも、ツェイがおれの隣にいてくれる限り、おれは生き延びるよ」

「……なら、いい」


 おまえはそのままでいろ、と。

 朝焼けの双眸が凪いで、サリヴァンを見つめる。サリヴァンも同じように見つめ返して、そうして微笑んだ。


「またいつか、逢えるだろう?」

「天の采配に任せる」


 ふい、と視線を逸らし背を向けたウィードは、現われたときのようにそのまま静かに姿を消した。

 野良の騎士、とラクウィルとツァインが表現していたが、あれは野良猫の意味だったのだろうか、とふと思ってサリヴァンは笑った。


「ん……サリヴァン、さま?」

「ああツェイ、だいじょうぶ、お休み。寒かったな」


 寝台に潜り込むと、ぬくみを求めて擦り寄ってくるツェイルを両腕にすっぽりと抱きしめた。







ここまで読んでくださりありがとうございます。

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