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仮初めの皇帝、偽りの騎士。  作者: 津森太壱。
【仮初めの皇帝、偽りの騎士。】
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14 : 心を閉じて小さな声で。1





 二大卿(にたいきょう)四公(しこう)六候(りくこう)と呼ばれる、ヴァリアス帝国上位十二貴族が召喚された夜会は、四公のひとりヴァルハラ家の当主と、六候のひとりメルエイラ家の当主ツァインを除いた十貴族が出席することとなった。


「小規模なのですね」

「なんといいますかぁ……うん、あれです。目的は隣国、つまり四公のひとりであるクロフト家が納めるシェリアン公国との和解を進めるものですから、ふだん開いている夜会じゃあないんですよ。まぁ帝国全土の会議みたいなものなので、まず豪奢である必要がないわけです」

「そう……なのですか」

「親睦を深めるって意味では、まあ少しは賑やかになるでしょうが、それでも雰囲気はどちらかというと重苦しいかと」

「重苦しい……」


 ラクウィルに夜会の説明をしてもらって、ツェイルは聞いてよかったのか聞かないほうがよかったのか、わからなくなった。


「幸いなのは、サリヴァンの婚約、つまり姫の婚約でもあるわけですが、実はまだ公になっていないので、今日集まる予定の十二貴族以外に知る者がいないことです。多少は噂が流れているでしょうが。なので、たぶん、まだ姫たちは衆目を浴びないと思います。姫たちのことの前に、まずシェリアン公国との問題を片づけなければなりませんからね」

「……そうですね。まずは隣国との問題を片づけねば」

「ご理解が早くて助かります。そういうことですから、あまり緊張せず、サリヴァンのそばにいればいいですよ」


 どちらにせよ緊張せずにはいられないことなので、ツェイルは肩をすくめて首を左右に振った。


「緊張はします。今でも、出なくていいものなら、出たくはありませんから……それに」

「それに?」

「わたしなどが、サリヴァンさまの隣にいていいものか……」


 騎士としてなら、女ということとは関係なく、サリヴァンの隣にいられるだろう。けれどもツェイルには、婚約者という肩書きが先達ている。森の中で逢った女性に言われたことが、あのときはそう痛手でもなかったのに、今はとても痛い。


「だいじょうぶですよ、姫」


 ラクウィルの明るい声に慰められるも、俯いた顔を上げることはできない。きっと今、自分はとても顔色が悪いだろう。もうすでに緊張している状態だ。


「だいじょうぶ。サリヴァンは、姫を護りますよ」

「わたしは護られたいのではありません。わたしが……」


 ぎゅっと、拳を握る。

 護りたいと、サリヴァンは言ってくれた。そのとき震えていた手を、ツェイルは忘れない。

 あのとき、なぜサリヴァンが手を震わせていたのか、それはわからない。まだ腕が痛んでいたのかもしれないし、なにか別のことに緊張していたのかもしれないし、ツェイルにかけた言葉が勇気のいるものだったのかもしれないし、それらをツェイルが推し量れるものではない。

 もしかしたらサリヴァンは、ツェイルを夜会に出すその行動に伴うことを、危惧していたのかもしれない。


 けれども。


「わたしが、サリヴァンさまを、護りたいのです」


 人として危うく、儚く、壊れてしまいそうな人だ。その背に負っているものは、ツェイルなどには想像だにできない。ラクウィルやルカイアがいくらかの負担はしてくれているだろうが、その中に、ツェイルも加わりたいと思うのだ。


「……なら、あれを着て、サリヴァンの隣にいてください」


 ラクウィルが苦笑をこぼし、あれ、と寝室のほうを指差す。

 寝室には、サリヴァンから届けられた夜会用の衣装が運ばれていた。ツェイルはそれを、まだ見ていない。見られなくて、どうしようかと迷って、ぐずぐずしていたら、見かねたリリが説得のためにラクウィルを呼んで、今に至るのだ。


「……わたしに礼装(ドレス)は似合いません」

「はは。ちゃんと見てないですね、姫。まずはものを見てから迷いましょうよ」

「見なくてもわかります」


 姉と妹に、本気で胸に詰めものをするかと悩まれたほどの、貧相な身体だ。どんなものか見なくても、この貧相さを隠せるだけの衣装ではないことくらい、手に取るようにわかる。

 着られるわけがない。見られるわけがない。


「姫、サリヴァンは言ったはずですよ。礼装(ドレス)なんか着なくてもいい、おれが用意したものを着ろって」

「……貴族の令嬢は、下衣を穿きません」

「サリヴァンの言質を取っていいんですよ、そこは」


 そう言って、ラクウィルはリリを呼び、寝室から衣装を運ばせようとする。ツェイルは慌てて立ち上がり、それを見ないようにするために逃げようと思ったが、突如として開いた扉がツェイルを硬直させた。


「……まだ着替えてないのか」


 やはり唐突に現われるサリヴァンだ。しかも、その衣装は今までになく華美で、ツェイルは思わず放心してしまう。

 宝石などの装飾は、一切身につけていない。胸に、ルーフという名の真っ白な花が添えられているだけで、サリヴァンの美しさと清廉さ、荘厳さが引き出されている。まるで花に合わせたかのように、真っ白な衣装がサリヴァンを包んでいるようだ。ところどころ光っているのは、サリヴァンの淡い金色の髪と、衣装に織り込まれた細かな金糸と銀糸の刺繍だろう。


 相も変わらず、ツェイルの婚約者だという皇帝陛下は、綺麗だ。


「そろそろ時間だぞ。リリ、早く着替えさせろ」

「はいっ、申し訳ございません!」

「いやがるなら……おれが着替えさせようか?」


 にやり、と笑ってそれを言ったから、ツェイルはハッとわれに返り、慌ててリリと寝室に駆け込んだ。

 扉を閉めた向こうで、サリヴァンとラクウィルの笑い声が聞こえた。


「さあツェイルさま、着替えますよ!」

「……ひとりで着られる」

「え? 陛下に手伝ってもらいますか?」


 この侍女は、なんというか、学習能力が高過ぎる。


 ため息をつくと、仕方なく着替えることにし、箱に入っているらしい衣装の前に立つ。気は重いが、このままでは本当にサリヴァンが手伝いに来そうなので、我慢するしかない。

 蓋を、ゆっくりと、その覚悟を決めて手に取った。


「……え?」


 目に入った、白い色。

 そして、その形。


「さあ着替えましょう、ツェイルさま」


 なんでもないかのように笑うリリを、思わず凝視した。


「……これ、に?」

「ええ」


 箱の中には、礼装(ドレス)ではなく、神官服が入っていた。いや、正確には神官服に似せた衣装だ。手に取って広げてみると、それが本当にドレスではないことがわかる。


 踝まで長い前合わせの上着に、緩い下衣である。上着の袖口は広く、少し長めで、襟が高い。至るところが光って見えるのは、金糸と銀糸の刺繍が細かに入れられているからだろう。

 明らかに、女性用の礼装ではない。

 が、ツェイルにしか着られない女性用の礼装ではある。


「これを、着るのか?」

「はい。陛下からですよ」

「サリヴァンさま、から?」


 礼装(ドレス)は着なくていいと言っていたが、本当に着なくていいのだろうか。


「本当に、これか?」


 疑うが、リリの笑顔は崩れない。


「時間がありませんから、早く着替えますよ」


 そう促されて、疑問が晴れないまま、ツェイルはリリの手でさっさと服を脱がされ、神官服を着つけられる。ふだん着ているものよりも少し重く、しかし柔らかなそれは、ツェイルの身体にぴったりだった。


「帯剣できるよう、帯もあります。これは上着の中に着用してください」

「……帯剣していいのか?」

「こっそり、です。ツェイルさまの剣は小柄ですから、上着の中に隠れますでしょう」


 剣を帯びるためのものまで用意されていて、それを腰に巻き、銀の剣を提げる。上着に隠れるとリリは言ったが、完全に隠れたわけではなく、柄の先が少し見える程度に隠れていた。


「いいのか?」

「お似合いですよ」


 いや、そうではなく。


「夜会、なのに」

「ツェイルさまになにかあってはなりません。お護りだと言えば周囲は納得しますし、実際にお護りにして小剣を持ち歩いている令嬢は多くいらっしゃいます。だいじょうぶですよ」


 まあ、姉も小剣は常に所持していた。だが、それはメルエイラ家の者だからだと、ツェイルは思っていた。どうやら一般的なことらしい。

 本当によいのだろうかと少し疑いつつも、最後に長くない髪をリリに梳ってもらい、軽く化粧された。


 そうして。


「……ふむ」


 短時間で準備を終えたツェイルを居間で迎えたのは、満面笑顔のラクウィルと、満足そうに微笑むサリヴァンだった。


「あの……よろしいのですか?」

「ん?」

礼装(ドレス)、ではないので……」

「気に入らないか」

「いいえ、わたしの性分にはとても合っています。こういうのは動きやすくて、好きです。ですが、今日これで夜会にというのは……」


 周囲の目が気にならない、わけではないのだ。

 ツェイルはいい。なにを言われても、言われ慣れているから気にならない。けれども、今日の夜会は、サリヴァンの隣にいることになる。ともすればサリヴァンが侮辱されかねない。


「気にするな」


 にこ、とサリヴァンは笑う。


「ですが」

「おれはおまえの?」

「……婚約者です」

「婚約者のおれが、おまえに贈ったものが、それだ。文句あるか?」

「ありません」


 見ただけでもわかる上等な品だ。本当ならこんなによくしてもらう必要などないのに、サリヴァンのその心遣いと態度が、ツェイルを喜ばせている。


「今日は、確かに名目上は夜会だ。だが、雅なものではない。通過儀礼的な部分が多いだろう。ゆえに、賑やかでも種の違う賑やかさが、場を包むはずだ」

「それは……隣国の、公主のことで?」

「なにが起こるかわからない」


 だから帯剣する必要がある、とサリヴァンはツェイルの上着に隠れた剣を指差して言う。


「……わたしを、騎士にしてくださるのですか?」

「今夜は、な」

「今夜だけ、ですか」


 それは少し残念だが、婚約者としてだけでなく、騎士としてもそばにいていいというのなら、それはツェイルにとって嬉しいことだ。


「ツェイル」


 名を呼ばれて、顔を上げれば。

 サリヴァンは笑みを消し、神妙な眼差しをしていた。


「ツェイル」

「……はい」


 返事をすると、サリヴァンの両手が、ツェイルの両手を掬った。


「今宵は本当に、なにが起こるかわからない」

「はい」

「そんな場に、おまえを連れていくのは、どうかとも思う。だが、連れていく」

「……はい」


 サリヴァンが、なにを思ってツェイルを夜会に出そうと思ったのか、それは計り知れない。けれども、なんらかの意図と、なにかしらの意味を含ませて臨まんとしている。ツェイルが知る必要があるところではないというだけのことだろう。


 だからツェイルは、サリヴァンを護るために、そばにいようと思う。

 剣を揮えないサリヴァンの、その腕になろうと思う。


「ツェイル」


 握られた両手に、力が込められる。引き寄せられた両手に、その指先に、サリヴァンの唇が触れた。


「さ……サリヴァンさま」


 皇帝陛下のすることではない。忠誠を誓う騎士が、あるじに敬愛を示す態度だ。

 ツェイルは慌てて手を引こうとしたが、思った以上にサリヴァンの力は強く、解けなかった。


「願わくは、天地の王よりの庇護と加護を」

「サリヴァンさま……」

「おれはおまえに護られる。おれもおまえを護る。だから……今宵はわがそばに」


 恥ずかしいことをよくもすらすらと言えるものだ。この前もそうだったが、愛の告白をされているようで歯痒い。いや、愛の告白だと感じさせるようなものを言うから、ドキドキしてしまうのが困ったものだ。


 ああ、もしかしたら。


 ツェイルは心臓の高鳴りに、今まで感じたこともないそれに、ふと思う。


 わたしはこの人に惹かれているのかもしれない。


 そう考えたら、なぜか心にしっくりときた。


「ツェイル」


 幾度めと知れなく名を呼ばれると、握った手を引かれ、いつかのときのようにすっぽりと抱きしめられた。


「おれのそばから離れるな。なにがあっても、おれのそばにいろ」


 サリヴァンのその声に、胸が震える。

 心が震える。


 護りたいと、思うから。

 護らせてくれと、言ってくれたから。


「……今宵、わたしはあなたの騎士に。願わくは天地の王よりの庇護と加護を」


 あなたを護りたいと思ったのは、婚約者となったからではない。

 メルエイラ家の力を欲され、攫われるように連れて来られたにしても、この心はサリヴァンを護りたいと思った。


 だから、護ろう。


「……すまない、ツェイル」


 抱きしめられる強さに、安堵感が込み上げる。この人のそばにいたいと、いなければと、強く思う。

 頭に擦り寄ってきたサリヴァンの頬が優しくて、暖かで、なんだか、いとしかった。


「今生の別れでもあるまいにぃ……」


 ハッと、ラクウィルのその声にわれに返った。状況を思い出して、身体が強張った。


「そんなんじゃいいものも悪くなるといいますかぁ……」

「だ、ダンガード侍従長っ」

「気張ったらあっちの思惑通りでしょーよぅ」

「侍従長っ、いいところなのにっ」

「だってそーでしょーリリぃ?」

「わたしは邪魔したくないのにぃ!」


 ラクウィルとリリのやり取りに、顔が引き攣った。見られた、恥ずかしい、という思いが一気に身体を突き抜け、しかしその衝撃に動けずにいると、頭上からサリヴァンの舌打ちが聞こえた。


「ラク」

「なんですぅ」

「今日ほどおまえの思考を疑わしく思ったことはない」

「え、いつでも前向きですよ?」

「……前向き過ぎて、腹が立つこともあるのだな」

「ああ、邪魔しちゃいました? ごめんなさい」

「無意識か!」


 ラクウィルのなにに落胆したのか知らないが、肩を落としたサリヴァンがそっと抱擁を解いてくれたので、ツェイルは恥ずかしさから逃れた安堵にホッと息をついた。


「状況はともかく、言葉だけ聞いてたらねえ……ねえサリヴァン、あなたは国主なんですよ?」

「反省の色もないか……おれが国主であることが、なんだ」

「国主である前に?」

「は?」

「国主である前に、あなたは、なに者ですか」


 まだ肩に置かれているサリヴァンの手のひらが、びくりと痙攣した。どうしたのだろうと顔を上げると、そこには無表情のサリヴァンがいた。


「ねえ、姫」


 ラクウィルの、先刻とは違う低い声が、唐突にツェイルを呼ぶ。振り向けば、こちらも無表情のラクウィルが、ツェイルを見つめていた。


「サリヴァンの名前、わかります?」

「……サリヴァンさま、と」


 急になんだろう。

 眉をひそめると、ラクウィルはとたんに笑みを浮かべた。


「それを忘れないでください」

「……はい、それはもちろん」

「じゃ、そろそろ行きましょうか。今夜はおれもそばにいます。ちょっと上着だけ変えてくるので、一服してお待ちください」


 そう言うと、ラクウィルは一礼し、すたすたと部屋を出て行った。


 中途半端に残った気まずい空気に、リリが脱落もせずお茶の用意をしてくれたので、ツェイルは首を傾げつつもサリヴァンに椅子を勧めることができた。


「……ツェイル」

「は、はい」


 未だ無表情のままだったサリヴァンに呼ばれて、なんだか気まずい思いをしていたツェイルは、肩を震わせながら返事をしてしまう。


「言い忘れていたが」

「……なんでしょう」


 じっとサリヴァンに見つめられ、かと思ったら、にっこりとサリヴァンが笑った。


「よく、似合っている」


 それが衣装のことだと気づくまで、時間を要した。







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